第19話 父、飲み込まれる
11階層――
(湿地、に近いのかも知れないな)
辺りを見回し、前階層までとの違いを確認するラディオ。
密林のままではあるが、地面はぬかるみ、所々に沼地が点在している。
(しかし……こんな所に生えているのか?)
足に付いた泥を払いながら、白木の有無を訝しむ。
沼はとても綺麗とは言えず、心なしか密林自体も淀んで見えるのだ。
更に、遠征隊の足跡も確認出来ない。
これでは、効率が下がってしまう。
(目立たぬ様に動いていては……間に合わんな)
腹を決めたラディオは、腰に装着したバックパックから外套を取り出した。
7階層に進出して以降、ドロップアイテムを素手で持ち帰るのもどうかと思っていた。
考えた結果、バックパックと幾つかポケットが付いたベルトを購入していたのだ。
そして、裏道の一件で、ローブの有り難さに今更気付いた。
機動性重視で外套に変えたが、何故今まで持ち歩かなかったのか自分でも不思議である。
これがあれば、ある程度顔を隠しながら行動出来るというのに。
外套のホックを留め、フードを目深に被る。
今の所、他の冒険者は見ていない。
迷宮入りした時間も早かったし、ここまで来る速度が異常だった事も功を奏しているのだろう。
(闇雲では無理、確実にこの階層という保証も無い。ならば……《竜体使役》)
すると、翠色のオーラの玉を3つ、空中に作り出したラディオ。
玉は回転を始め、その速度をどんどん上げていく。
やがて眩い閃光が迸り、体長1m程のオーラの竜に姿を変えた。
《竜体使役》とは、遠隔操作可能な分身体を生み出す技である。
魔力の塊なので、自我や意識といったものは無い。
だが、魔力を消費しての攻撃行動や、偵察・陽動等々、極めて凡用性の高い技である。
しかし、真に優れている点は、『ラディオの五感とリンクさせられる』という所。
竜が視たものはラディオも視える、竜が聞いたものはラディオにも聞こえる、といった具合に。
分身体を増やせば増やす程―大きさや頭数に応じて、消費する魔力量も格段に跳ね上がるが―、ラディオの目と耳が増えるのだ。
(頼んだぞ)
三方向に解き放たれた分身体は、与えられた任務を遂行するべく飛び去って行く。
(私は此方を――すまんな)
その時、徐に大木の枝に飛び移ったラディオは、ちらりと下を見やる。
すると、大きな目玉が2つゆっくりと沼から現れ、ラディオをねっとり見つめるのだ。
(相手をしている時間が惜しいのだ)
沼を一瞥したラディオは、枝から枝へ飛び移りながら、密林の中へ消えて行く。
目玉は不満気にその後を見ていたが、またゆっくりと沼の中に沈んでいった。
(此方側では無いようだな……)
分身体の視界とリンクしながら、自身も根気良く捜索を続けるラディオ。
だが、それらしきものは見つかっていない。
(……何だ?)
その時、1体とのリンクが突然切れた。
何某かの攻撃を受けたかの様に、一瞬にして消滅したのだ。
(向こうか)
目付きが鋭く変化したラディオ。
警戒レベルを最大まで引き上げ、周囲を注意深く観察しながら、消えた個体の元へ全速力で向かう。
▽▼▽
(……此処だな)
目的の場所に辿り着いたラディオ。
樹上から探りを入れるが、別段変わった所は見受けられない。
イレギュラー発生の高ランクモンスターに襲われた、という訳では無い様だ。
加えて、冒険者の気配も感じない。
(これは一体……ん?)
すると、訝しんでいたラディオの目に求めていたものが飛び込んで来た。
小丘の上に、一本だけ生えた純白の木。
白木である。
(これが、噂の……特に不審な点は無いが)
ラディオは地面に降り立ち、ゆっくりと白木に近付いて行く。
モンスターでも冒険者でもないとすれば、変わっている点はこの木だけ。
しかし、植物としての気配以外は何も感じない。
(駄目か)
ラディオは溜息を吐き、一本だけ伸びている枝をなぞった。
その先に、付いていたであろう実を失った枝を。
やはり、遠征隊がもぎ取ってしまったらしい。
だが、無いのであれば仕方ない。
(次の階層へ――何だ?)
気を取り直して丘を下ろうとした時、体が固まってしまった。
足や腕はおろか、指一本たりとも動かせない。
すると、丘の上に紫色のオーラが充満し始めた。
(これは……そうか、これが『奈落回廊』か。道理で分身体がやられた訳だ)
足元に現れた底の無い渦。
『奈落回廊』とは、迷宮の罠の1つである。
突如として現れ、渦に落ちた者を下の階層に無作為に飛ばすという、凶悪なもの。
魔力に反応して現れる奈落回廊は、冒険者達の間でも恐れられている罠だった。
身動き一つ取れない事に驚く事無く、ラディオは寧ろ納得していた。
何故なら、左右から尋常では無い圧力で挟まれている事に加え、体に魔力を込める事が出来ないのだ。
どうやら、この渦は魔力無効化の力を持っているらしい。
だからこそ、魔力の塊である竜が消滅してしまったのだ。
(レナン、レミアナ……すまない)
徐々に渦に沈んでいく中で、悔しそうに目を瞑ったラディオ。
飛ばされる場所によっては、今日中に帰れないかもしれない。
娘達への想い……それすらも飲み込む様に、『奈落回廊』は口を閉じていく。
▽▼▽
歪で真っ黒な木々が生い茂る、不気味な森。
その中を進む、ガヤガヤとした隊列。
E〜Cまでの冒険者80人で構成された、中規模遠征隊である。
「やっとここまで来たな!」
Sランク昇格を目標とする、15人からなるクラン【孤高の虎】。
リーダーは、Cランクのアイトン。
逆立った赤髪と赤い瞳、細いながらも引き締まった体が特徴の熱血漢である。
少々頭が弱いのが玉にキズだが、メンバーの良き兄貴分だ。
「はぁ〜、あんたらホンっトうっさいわ〜」
編み込んだ黒髪と淡い碧色の瞳、見事なまでに育ったばいんばいん。
それを帯一枚で隠し、ほぼ下着と言える面積の短パンを履いた褐色の女。
彼女の名は、マーラ。
南西の一部地域にのみ生まれる、アマゾネスの血統だ。
Cランクの彼女が率いるクラン【ウルグラ・サーペンタ】も、8人全員アマゾネスで構成されている。
「其処! 隊列が乱れているぞ!」
「はっ! 申し訳ありません!」
綺麗に纏められた七三分けの金髪と、同色の瞳を持つ凛々しい顔立ち。
銀の甲冑に身を包むは、Cランクのシュナイクス・ボーデバン。
今回一番の大所帯である40人のクラン、【栄光騎士団】の団長だ。
「うふふ、張り切ってますね」
金色に煌めく肩までのショートカット。
紫色の瞳と、とても美しい真っ白な肌。
乳白色のローブに身を包み、面白そうに騎士団の面々を見つめる彼女の名はテオラ、Cランクの治癒士である。
大人数での遠征は『案内人』の他に『治癒士』や『鍛治士』が同行するのが一般的だ。
今回は、テオラ含め7人の治癒士が参加している。
「ふぅー、全く全く。成果が結晶林檎だけなんて、全く全く」
額から溢れる大量の汗を拭いながら、書類に目を通す小太りの背の低い男。
商会クランから参加したCランクの鑑定士、ボド・カリマンだ。
整髪剤でギトギトに光る真ん中分けの茶色の髪と、同色の瞳にカールした口髭。
ギラギラした赤いジャケットが、とても場違いだ。
その後ろには、見習いと称した護衛が9人も付いている。
そして、『案内人』を務めるのは、【無限の軌跡】所属のカリシャ。
ラディオに助けられた時は、この遠征の買い出し中だった。
その日の夕方過ぎに出発し、カリシャの的確な道案内によって、遠征隊はほぼ無傷のまま30階層まで進んで来ている。
「それにしても、C+の案内人がこんなに安いとはなぁ! 得しちゃったぜ!」
アイトンが仲間に絡みながら、嬉しそうに声を上げる。
すると、マーラが頭の後ろで手を組みながら、気怠そうにカリシャに問い掛けた。
「でもさ〜、あんま良い噂無いよね〜? 何で今更この値段なわけ〜?」
カリシャは目線を逸らしながら、小声で答える。
「わ、私には……分かり……ない、です」
「ふ〜ん? な〜んか怪し――」
「止めないか! 噂は噂、現に我々はカリシャ殿の案内によって、此処まで順調に来れただろう! カリシャ殿、御許し頂けますか?」
品定めする様な目線を送るマーラを、シュナイクスがピシャリと制した。
カリシャに仰々しく礼をして、非礼を詫びる。
マーラは『フンっ!』とそっぽを向くと、アマゾネス達の輪に戻っていく。
すると、ペコリと頭を下げたカリシャ。
シュナイクスは頬を赤らめ、『当然の事をしたまでです! はっはっはっはっ!』と、後頭部を摩っている。
「今回は、賑やかで良いですね〜」
「しかし、戦果が無さ過ぎる! 全く全く、これじゃあ僕の株が……全く全く!」
一連のやり取りを見て微笑むテオラと、ブツブツと独り言が止まらないボド。
2人は会話をしている訳ではないのだが、微妙に噛み合っているのが不思議だ。
そうこうしている内に、歩みを止めた遠征隊。
眼前には、禍々しい気配を放つ巨大な黒い門が聳え立っている。
「ほん、とに……行く……ますか?」
先頭に立つカリシャが振り返り、遠征隊に問い掛ける。
「何言ってんだ! やっとここまで来たんだぜ?」
「ほ〜んと。お金勿体無いし〜」
「心配せずとも、私がカリシャ殿をお護りいたしますぞ!」
「怪我をしない様、気を付けて下さいね〜」
「ドロップアイテムを持って帰らなければ! 全く全く!」
リーダー達は、皆一様にやる気満々。
遠征隊の士気も、最高潮に盛り上がっている。
すると、カリシャは何も言わずに門の方へ振り返った。
胸の真ん中をギュッと押さえ、瞳を憂いで染め上げて。
門が開かれた先は、10階層と同じ様な円形の大きな広場だった。
朽ち果てた木々の残骸が転がる、陰鬱な風景。
淡く仄暗い月の様な光が、異様な雰囲気を増長させる。
すると、広場の中央に、音も無く黒い影が現れた。
振り乱した長い黒髪、骸骨の様に窪んだ白蠟の顔、歪な形の手足。
ボロボロの黒い布に身を包み、しきりに口を動かしている。
落ちくぼんだ眼で、じっと遠征隊を睨みつけながら。
「うっ……この距離でも寒気がするぜ」
「へぇ〜。アレがココの階層覇者なんだ〜」
「総員、気を引き締めろ! 目標、『バンシー』! 啼き声に注意しろ!」
「痺れしてしまった方は、私達が治してさしあげますね〜」
「ドロップアイテムぅぅ! 【黒衣の布】を何としても! 全く全く!」
各自陣形を取り、戦闘体制に入った遠征隊。
だが、カリシャはじりじりと後ずさり、皆に気付かれぬ様に門を出ようとしていた。
しかし――
(……やっぱ、り……こん、なの、ダメ……!)
また胸の真ん中をギュッと抑えると、瞳に力が宿った。
真実を告げようと、アイトンの元まで駆け寄って行く。
だがその時、新たな影がバンシーの横に現れた。
すると、カリシャは目を見開き、その場で固まってしまう。
「何だ何だぁ? バンシーは2体いるのか?」
「いや……その様な話は聞いた事が無い」
それは、真っ黒な人型の物体。
だが、顔も体も何もかも漆黒の影に覆われている為、人なのかどうかも判別出来ない。
何よりおかしいのは、バンシーが全く反応を示さない事だ。
「良くやった。これだけいれば……事足りる」
その時、徐に言葉を発した影。
しかし、濁りきったその声は、到底人のものとは思えない。
訳が分からず、シュナイクスの方を見たアイトン。
しかし、此方も怪訝な表情で肩を竦ませるだけ。
すると、眉間に皺を寄せたマーラが、影を怒鳴りつけた。
「訳の分かんない事言ってんじゃないよ〜! ソレはアタシらの獲物だからさ〜!」
影は楽しそうに笑っている。
地の底から響いてくる様な、濁った声で。
だが突然、影はバンシーの首を掴み、眼前に引き寄せる。
そして、懐から黒く淀んだ珠を取り出すと、バンシーの口の中へ押し込んだのだ。
「うぇ……何だよあれ」
「分からん……見た事も無い」
謎の行動に、困惑する一同。
しかし、ボドだけは違った。
目を見開き、体全体を震わせ始めたのだ。
「ま、全く……全く……あれは、ヤバい……! 逃げろぉぉぉぉ!!」
金切り声を上げたボドが、突然走り出した。
他のメンバーがポカンと見ていると、凄まじい速度の黒いオーラが、横を通り抜けていき――
「ぐわぁぁぁぁ!! い、痛いぃぃぃ!! 助けてくれぇぇぇ!!」
オーラに撃ち抜かれ、悲鳴を上げながら地面を転がるボド。
背中に纏わりつくオーラが、体を徐々に黒く染め上げていく。
「な、何だよこれぇ!?」
「総員! 構えぇーーー!!」
「バンシーがこんな技使うなんて聞いてないんですけど〜!!」
「治癒隊、すぐにボドさんに治癒魔法を! あぁ……こんなに高度な呪いなんて!」
瞬く間に、広場は恐慌状態に陥った。
それを一瞥した影は、再び笑い声を漏らしながら、煙の様に消えていく。
「ア……アァ、ア……ア……!」
その時、指先を遠征隊に向けたまま、バンシーが小刻みに震え出した。
白目を剥き、口からドス黒い液体を流して。
そして、苦しそうに体を折り曲げると、力の限り啼き声を上げた――
アァァァァァァァァァ――!!
耳を塞ぐ間も無く、遠征隊を襲った凄まじい音の波動。
視界がグニャリと歪み、脳が悲鳴を上げ、堪らず膝をついてしまう。
啼き声を枯らす事無く、宙に浮かんでいくバンシー。
すると、体がドス黒いオーラに包まれた。
「う……おぇぇぇ! はぁ……はぁ……と、まった……?」
「何て、強烈な……」
「気持ちわる……」
その時、突如収まった啼き声。
大量の冷や汗を噴き出し、口を拭いながら、息も絶え絶えに立ち上がるアイトン達。
だが、啼き声の主を見上げると、再び気分が悪くなっていく。
「おい……ありゃ、何だ……」
その問いに、誰も答えを出せない。
バンシーは、跡形もなく消え去っていたのだ。
変わりに、見た事も無い何かが、広場の中央に佇んでいる。
「ア……ア、アァ……ア」
毛先だけ黒を残した、地面にも届くかと言うほど長い白髪。
骸骨の様に窪んでいたのに、今や肉付きの良い美しい顔。
しかし、肌の色は変わらず蝋燭の様で、深紅に染まる瞳からは、血涙が止めどなく零れ落ちている。
異常に長く細く白い腕には、歪な鉤爪の付いた手。
漆黒のドレスを纏うその姿は、異常以外の言葉が見当たらなかったのだが――
「カえ、しテ……いとシいヒと……」
更にメンバーに衝撃が走る……モンスターが喋ったのだ。
「マジで、ヤベェ……マジでヤベェよぉぉ!!」
「そ、総員……か、か、構……」
「ちょっとアンタら……《目録》見てみなよ〜……!」
心底怯えた表情をしているマーラに促され、2人も目録を開く。
「【怨嗟の告人】シノラバンシー……ランク、A+……?」
「あり、得ない……そ、そ、総員退避ぃぃぃぃ!!」
瞬間、シュナイクスが力を振り絞り、大声を張り上げた。
すると、時が止まっていた遠征隊が、一斉に門へ雪崩れ込んで行く。
しかし、門の周りに纏わりつくドス黒いオーラが、退路を断っていた。
「ニがサナい……イとしイひト……」




