第17話 父、白木を目指して
放心状態のレミアナを何とかベッドに座らせる。
しかし、グレナダをギュッと抱き締め、俯いたままだ。
2人を心配しつつ、エルディンは自分の中に意識を集中させる。
(……確かに、ラディオの魔力を感じない)
実は、スキル《魔力感知》を常時発動しているエルディン。
これは、『効果範囲内の魔力を感知する』、という極単純なもの。
特に珍しくもなく使用できる者も多い、凡用スキルである。
しかし、エルディンのそれは常人とは一線を画していた。
平均的な効果範囲は半径10〜50m程、上手く使える者でも100m前後。
対してエルディンは、ランサリオン全域を余裕で覆い尽くす。
しかも、一度感知した魔力であれば、個々の特定も可能。
個人判別の索敵としてだけ見れば、《翠竜の気道》よりも性能は上だ。
ラディオに再会した夜、気付かなかったと言った事も、このスキルによるものである。
(となれば、やはり迷宮に居るという事か)
今、ランサリオン内にラディオの魔力反応は無い。
しかし、あの親バカが理由も無く娘を置いて街を離れる等有り得ない。
となれば、外部からの干渉を完全遮断する『迷宮』に残っている、と判断せざる負えないだろう。
(あの戦闘馬鹿がどうこうなるとは考えにくいが……準備はしておくか)
エルディンとラディオは、もう30年近い付き合いだ。
互いが互いの事を熟知している。
ラディオの強さも、性格の甘さも……少し抜けている所も全て。
これまで幾度となく助け、幾度となく助けられてきた。
故に、今回もハイエルフは動く。
ローブに着替え、装着したベルトに二振りの短剣を差し込み、外套のホックを留めながら、バックパックにポーション類を詰め込んで。
「私はこれから捜索に向かう。ラディオは確実に迷宮に潜ったんだな?」
きびきびとした口調のエルディン。
しかし、レミアナは機械的に頷く事しか出来ない。
10年前、ラディオが去って行ってしまったあの日……どうしても、頭を過るあの時の光景が消えないのだ。
「……心配するな。ラディオはもう居なくなったりしない。お前や小さき王を残して……行く筈が無い」
ふいに肩に手が置かれ、レミアナが顔を上げた。
其処には、今迄見せた事の無い優しい……しかし、どこか悲しい微笑みを浮かべる師の顔があった。
「小さき王の事もある、お前達は此処に居ろ。何かあったら面倒だ」
いつもの険しい顔に戻ったハイエルフは、それだけ言い残して扉へ向かう。
しかし、何かに引っ張られ足を止めた。
「何だ?」
其処には、小さな手でローブの裾を掴むグレナダが居た。
「……レナンが、わるいこだから……ちちかえってこないのだ……ちちに、ちちに……いけないこといったから……」
泣き腫らして真っ赤になった瞳から、新たな雫が溢れ落ちる。
「レナンが、ひぐっ……ごめんなさいしたら……ちちかえってくる……ぐすっ……かえってきて、くれる……?」
「レナンちゃん……!!」
一生懸命言葉を絞り出したグレナダ。
拭っても拭っても溢れる涙で、小さな頬を濡らして。
心が締め付けられたレミアナは、ベッドを滑り降りると、震える小さな体を強く強く抱き締める。
「……大丈夫、小さき王が悪い子なんて、父は思っていないさ。いいからもう寝なさい。子供は寝る時間だ」
すると、エルディンが穏やかに微笑み、2人の頭にポンと手を置いた。
「お前も、何時までもそんな顔をするな。小さき王が頼れるのは、今はお前しか居ないんだ……少なくとも、アイツはそう思っている筈だぞ」
レミアナはハッとした。
そうだ、何時迄もメソメソしている場合では無い。
『娘を頼む』と、ラディオから託されたのだから。
「……はいっ! レナンちゃんは、私が護ります!」
「……それで良い。迷宮内に入れば、《魔力感知》も使える。そうなれば捜索も容易だ。帰還しだい宝珠に連絡を入れるから、今はお前も寝ろ」
「分かりました……エルディンさん、気を付けて下さいね」
ふっと微笑んだハイエルフは、後ろ手を振りながら部屋を出ていった。
▽▼▽
タワー1階・『ギルド受付』――
「こっちお願いします!」
「まだ確認取れてません!」
「ゔぅぅぅ……痛ぇ……!!」
「はぁ……はぁ……助け、て……!」
「残ってる職員全員向かわせてください!!」
ギルドに到着するやいなや、エルディンは眉を潜める事になる。
負傷者で溢れたロビー、その間を忙しく走り回る職員達。
いつものギルドとはまるで違う、怒号と呻きに染まった地獄絵図になっていたのだから。
(一体、何が……。それに、これは……)
見れば、倒れているのはE〜D+ランクまでの冒険者達ばかり。
軽症の者もいれば、かなり危うい状態の者もいるが、気掛かりな事が1つ。
重篤な状態の者は皆、同じ見た目をしているのだ。
(……《黒化の呪い》か)
これは、対象者の身体を黒く変色させていき、最終的に全身が黒一色になった段階で死に至る、という遅効性の『呪詛魔法』である。
変色した部分の自由は効かなくなり、引き裂かれる様な激痛を伴う。
それはしばしば、拷問に使われる程。
しかし、呪詛魔法は上級以上の位階である。
それを、これだけの人数に掛けているとなると、相当な力を持つ者の仕業なのは明白。
ここで、エルディンは疑念を抱く。
初級ランク帯の活動域に、これ程の力を持つ何かが存在しえるだろうか。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!」
「早く! もう持ちません!!」
冒険者の苦痛の叫び声が、ギルド内に木霊する。
既に半身が黒化に侵されている中で、職員が懸命に処置を施す。
すると、エルディンは軽く溜息を吐きながら、冒険者の元へ駆けた。
「しっかり! カリマ――」
「どけ。後は私に任せろ」
「えっ!? ちょっ……あれ……? もしかして……【翡翠の魔剣士】……様っ!?」
声を掛けると同時に、背後から割り込んだエルディン。
瞬間、職員の顔が驚愕に染まる。
それもその筈、この非常事態に、『元英雄の一行』であるハイエルフが現れたのだから。
「此奴は私が面倒を見る。軽傷者は一先ずポーション類で怪我の手当をして、重傷者に治癒士を付けて体力回復に努めさせろ。それと、解呪魔法を使える者を片っ端から集めて来い。教会にも救援を要請しろ。それまで、私が場を持たせる」
「本、物……本物の、エルディンさ――」
「聞こえたのか!」
「あ、えと、は、はいっ! 直ぐに手配します!!」
余りの衝撃に呆然としていた職員は、エルディンのテキパキとした指示に反応出来なかった。
しかし、喝を飛ばされると我に返り、他の職員達へ伝令に走る。
エルディンは眉間に皺を寄せつつも、黒化した部分に手を翳し、精神を集中させた。
「汝に与える その名は鎮静 外法の血脈を討ち払わん――《ブレッシング》」
すると、冒険者の体が白く輝くオーラに包まれた。
見る見る内に、手を翳している部分が元の肌に戻っていく。
やがて、黒化は全て取り除かれた。
「あ……ありが、と……ござい……」
呪いから解放された冒険者は、朦朧とする意識の中でお礼を述べる。
しかし、ふっと微笑んだハイエルフは、冒険者の額に手を当てた。
すると、柔らかなオーラに溢れ、ゆっくりと瞼を閉じていく。
「……まだ喋るな。おいっ! こっちに治癒士を寄越してくれ!」
駆けて来た治癒士に後を任せ、次の重傷者の元に移動する。
《黒化の呪い》を受けている者は7人程。
『これなら、そこまで時間は掛からない』……そう思っていたが、その考えは脆くも崩れ去ってしまう――
「誰かぁぁ! こっちも見てくれーー!!」
何と、迷宮から新たに10人弱の冒険者達が帰還して来たのだ。
同じ様に酷い怪我をして、呪いを受けている者が大半。
ギルド内は、更に忙しくなってしまう。
一体、何が起こっているというのか。
エルディンは、この異常な光景の答えが見つけられないでいた。
しかし、このまま見捨てて行く訳にはいかない。
(すまん、ラディオ。迎えに行くのが遅れそうだ……!)
エルディンは険しい顔になるが、次の呪いを解きに掛かる。
ラディオの安否を考えながら、出来うる限りの速度で。
すると、また1人迷宮から帰還して来た。
黒いフードを目深に被っているので、顔は確認出来ない。
戻るやいなや、1人の職員を捕まえ、何やら耳元で話をしている。
(中々の魔力の質……手練れだな)
エルディンは解呪を行いながらも、《魔力感知》によって、黒フードの力量を見抜いていた。
多少の汚れは有るものの、他の冒険者達と違い、傷等は全く見受けられない。
その時、視線を感じたエルディン。
ちらりと目線をやると、黒フードが此方を見ていたのだ。
(蒲公英色の瞳か……珍しい色をしている)
エルフ族はとても目が良い。
少しの明かりさえあれば、かなり遠方でもくっきりと見えるのだ。
だが、ハイエルフに見覚えは無かった。
黒フードは少しの間止まっていたが、やがて上の階へ足早に去っていく。
その時、また迷宮から誰か帰って来た。
今度は顔を上げて確認するエルディン。
ラディオではないが、覚えのある魔力反応だったからだ。
それは、綺麗に塗り分けられた黒と金の髪色を持つ、獣人の女。
怯えた瞳でギルド内を一瞥すると、脱兎の如く玄関を出て行ってしまう。
(どこかで会ったと思ったのだが……覚えていないな)
エルディンは《魔力感知》によって、個人の特定が容易に出来る。
だが、基本が他人に興味の無い性格。
自分が認めた者の魔力しか、記憶していなかったのだ。
(いかん、集中しなければ)
解呪を待つ者は、まだまだ居る。
余計な事を考えている暇は無い。
これが終わらなければ、ラディオを捜しに行く事も出来ないのだから。
エルディンは一層集中力を高め、作業に没頭していく。
▽▼▽
10数時間前のタワー1階・『ギルド受付』――
(今日は何としても、レナンに土産を持って帰りたいものだ)
早朝のギルド内、依頼掲示板と睨めっこするラディオ。
普段はお昼前にグレナダを預け、それから迷宮へ出発する。
しかし、今日はかなり時間が早い。
という事は、普段よりも探索に使える時間が多いという事だ。
昨日の着ぐるみの件もあり、どうしても娘の笑顔が見たいラディオ。
いつもの様にスライム討伐の依頼書を複数枚手に取り、カウンターへ向かう。
「あれ? ラディオさん! お早ようございます〜。今日は随分早いんですね〜」
「お早よう御座います。えぇ、今日は娘を人に預けて来れましたので」
受注作業をこなしながら、ラディオと世間話を楽しむ受付嬢。
すると、ふいに『あっ』という顔をして作業を止めた。
「今日って、レナンちゃんは居ないですよね〜?」
「はい。そうですが?」
「このスライム討伐って、ドロップアイテムをレナンちゃんにあげたいから、でしたよね〜?」
ニヤリと含みのある笑みを見せる受付嬢と、首を傾げるラディオ。
「じゃ〜あ〜、今回はこれじゃなくて、『結晶林檎狩り』なんていかがでしょ〜?」
「……結晶林檎とは?」
これは、迷宮でしか採れない貴重な林檎。
半透明の爽やかな蒼色をした美しい見た目から、結晶の名が付けられている。
芳醇な甘味と、きめ細かいかき氷の様な、フワフワシャリシャリした食感が特徴だ。
「11〜15階層の何処かに生えている白木か、32階層の『内町』でしか手に入らないんですよ〜」
説明しつつ、以前食べた林檎の味を思い出して、頬に両手を当てながらニヤケる受付嬢。
「今日は待機所の利用がありませんので、10階層以降にも進出オッケーですし〜。『階層覇者』も……ラディオさんなら大丈夫だと思いますし〜。いかがですか〜?」
「……成る程、良い話ですね。御助言に従って探してみたいと思います。有難う御座いました」
受付嬢に深々と頭を下げたラディオ。
これは本当に良い事を聞いた。
階層に必ず生えているならば、ドロップアイテムよりも遥かに入手しやすい筈。
幸いにも時間はあるし、彼女の反応を見る限り、相当に美味である事も間違いない。
(結晶林檎……レナンは喜んでくれるだろうか)
甘いものが大好きな娘の笑顔を想像しながら、迷宮へ消えて行く背中。
すると、手を振って見送っていた受付嬢が、再び『あっ!』と言う顔で固まってしまった。
(やっば〜……昨日から『中規模遠征』に入ってるんだった〜。うーーん……全部もぎ取られちゃってるかもな〜)
いつも肝心な事を言い忘れてしまう自分に、少しの嫌悪感を抱く受付嬢。
(まぁ……でも、ラディオさんなら32階層でも大丈夫かな〜。スプリムモスキート倒してたし〜)
だが、ラディオの戦績を初めて見た時の衝撃を思い出し、頷きを見せる。
そうだ、あの人なら大丈夫。
30階層の『階層覇者』も余裕で倒すだろう。
それに、中規模遠征のチームも、林檎をもぎ取っていないかもしれない。
(うんうん、大丈夫大丈夫〜。にしても、私も林檎食べたいな〜♡)
芳醇な甘味と最高の食感を再び思い出し、ニヤける受付嬢。
しかし、彼女は一番大事な事をラディオに伝え忘れていた。
中規模遠征の『案内人』が、【無限の軌跡】所属だという事を。




