第16話 父、断じて違う
『跳ね馬亭』を出たラディオは、娘を迎えに行く為ギルドへ向かう。
(警告の意図は一体……)
あれから数日、ラディオは迷宮には潜らず、情報収集を行っていた。
だが、目立たぬ様に動かなければならず、それでは限界があった。
プロに頼もうにも、信頼が置けて腕の確かな情報屋はそう居ない。
そんな時、偶然にもイトと再会出来たのは、幸運だったと言えよう。
(……今日は此方から行くか)
早く娘に会いたいラディオは、いつもの大通りではなく裏道を選んだ。
夕暮れ時、人気が無く、閑散とした細い路地。
これなら、多少速度を上げても問題は無い。
(まさか……いや、しかし――ん?)
裏道を疾走していると、少し先の路地から気配を感じた。
音も無く近付き、物陰から様子を伺うラディオ。
其処に居たのは、2人の男と1人の女だった。
「へへっ、こんな所でお前に会うとはなぁ」
「前から良い体だと思ってたぜぇ」
「あ、あの……僕、急ぐ……ます」
絡まれていたのは、カリシャだった。
両手に大きな荷物を抱えて、怯えた様子で壁際に追いやられている。
(男達は……大した事は無いな。これなら、大丈夫だろう)
ラディオは男達の気配から、明らかな戦力差を見て取った。
コルティスに関しては、一先ずは安心。
だが、カリシャの偵察の意味は未だ不明のまま。
ここで下手に関わっては、後々面倒な事になるかもしれない。
ラディオはそっと路地から離れると、また走り始める。
だが、暫く進むとふいに立ち止まり、いきなり自分の頬を殴り付けたのだ。
(私は……何て馬鹿な事を……!)
知らず知らずの内に、焦っていた。
娘を想うあまり、一番大切な事を見失いかけていた。
幼い頃、差し伸べてくれた優しい手、注いでくれた確かな愛。
しかし、今のラディオを見たらきっと……悲しみで瞳を濡らすだろう。
(何があろうとも、レナンは必ず護り抜く。しかし、今何もしないのなら――)
助けを求める者には、手を差し伸べる事が出来る。
だが、助けを求める事すら出来ない者はどうなる。
それを見捨てて『何もしない』という事が、『目立たぬ』という事なのか。
いや、断じて違う。
(私に娘を護る資格は無い)
フードを深く被り直し、ラディオは全速力で路地へ向かった。
▽▼▽
「や、めて……ぼ、僕……行く、ください……!」
「おい、早いとこ運んじまおうぜ。暴れられたら面倒だ」
「平気だよ! 此奴等はご主人様の命令がなきゃ、自分から何かする事は許されないのさ! 例えば……こうしてもなっ!」
男の拳が、震える顔目掛けて振り下ろされた。
しかし、カリシャは抵抗する素振りさえ見せない。
咄嗟に目を瞑り、荷物をギュッと抱え込むだけ。
迫り来る痛みに、蘇る恐怖に必死に堪える為に――
「……っ!…………?」
おかしい。
来る筈の痛みが来ない。
カリシャが恐る恐る目を開けると、見えたのはローブ姿の大きな背中。
気付けば、男達は白目を向いて地面に転がっている。
「あ、あの……どう、して?」
「……すまなかった。最初からこうしなければならなかった」
後ろを振り向き、頭を下げるラディオ。
カリシャは動揺から、目が泳いでしまっている。
だが、ハッとすると慌てて此方も頭を下げた。
「あの、ぼ……私を、助ける、くれて……ありがと……ました!」
(この子は、やはり……)
ラディオは微笑みながら―目深に被ったフードのせいで、表情は見えていないが―首を横に振る。
「私に取り繕う必要は無い。君が喋りたいと思う言葉で、喋れば良いんだ」
「え……はい……僕、は……あ、あの!」
どうにかお礼を伝えたかったが、男達を担ぎ上げると、さっさと路地から出て行ってしまったラディオ。
カリシャも急いで後を追うが、既にその姿は無かった。
壁際に置かれた男達は、当分目を覚ます事は無いだろう。
(また、助け、る……くれた……あの人)
ふっと笑顔を見せたカリシャ。
その頬が仄かに紅く染まっているのは、夕暮れのせいだけでは無いだろう。
カリシャは荷物をギュッと抱き締めると、大通りの方へ駆けて行く。
▽▼▽
一方、その頃――
跳ね馬亭を出たジオトロは、中段にある住宅街の一画に居た。
目の前には、こじんまりとした一軒家。
しっかりと周囲を確認してから、扉を開ける。
中は真っ暗で、何も見えない。
面倒くさそうに頭を掻きながらしゃがみ込み、床に掌を当て――
『我が名は剛角 司るは未来 金色を纏う十二鐘が一鐘なり』
詠唱と共に魔力が溢れ、床に虹色に輝く魔法陣が現れる。
『はぁ』と大きな溜息を吐いてから、ジオトロはその中へ入っていく。
すると、虹色の輝きが魔法陣の中央へ収束していくではないか。
「やれやれ……今度の呼び出しは何なんだ」
眩い光の渦が収まると、ブツブツ文句を言いながら歩き出したジオトロ。
視線の先は、長い長い廊下。
先程の一軒家とはまるで違う、別の空間に転移して来たのだ。
暫く進むと、観音開きの巨大な扉に辿り着く。
ジオトロは扉に掌を当て、再び魔力を流し込んだ。
すると、床と同じく虹色の魔法陣が現れ、鈍い音と共にゆっくりと開いていく。
扉の先は、広い円形の部屋だった。
壁には等間隔で松明が配置され、煌々と燃え盛っている。
中央には白を基調に金の装飾がなされた円卓と、同様の椅子が12脚。
その半分程が、既に埋まっていた。
「ジロちゃ〜ん、遅いじゃないのよぉ〜ん♡」
〜 【博愛の漢女】ドレイオス・マキュリ
元Sランク冒険者にして現・治安部隊隊長、人族。
司るは、希望 〜
「『金時計』としての自覚を持って貰わねば」
〜 【黒百合の女帝】トリーチェ・ギーメル
現役A+ランク冒険者、人族。
司るは、正義 〜
ドレイオスの左隣に座るトリーチェが、遅れて来たジオトロに苦言を呈する。
「まぁそう言うな【黒百合】の。来ただけマシだろうが」
〜 【不沈の剛角】ジオトロ・タッカン
現役Sランク冒険者、ドワーフ族。
司るは、未来 〜
面倒くさそうにトリーチェを躱したドワーフは、ドレイオス達の対面に座った。
「ウチも忙しいかも。早く始めて欲しいかもぉ」
〜 【六宮の王権】アニエーラ・スメギスト
最高執行官、人族と魔族の混血。
司るは、真実 〜
程よくうねる紫陽花色の長い髪に、艶やかな白蠟の肌。
際立つ真っ黒な瞳と縦に割れた金色の瞳孔が、魔族の血を色濃く反映している。
額、鼻、顎と体の至る所に包帯を巻きつけ、肩ヒモが緩みきっている純白のワンピースに身を包む女。
気怠げに円卓に肘を付き、毛先を指に巻き付ける姿でさえ、妖艶だ。
「ふむ、的を射ている」
〜 【万化の暁】イル=ター
目録大全管理者、精霊族。
司るは、変革 〜
何重にも聞こえる独特の声を発する物体。
白いローブで全身を包み、フードを目深に被るその姿は、異様そのもの。
何故なら、服から覗く顔や手足が、青白く光り輝いているのだ。
燃えているとも、電流が走っているとも見て取れるこの体こそ、精霊族の証。
この世界で10人と確認されていない、超希少な存在である。
「この時期は特に忙しいと、分かりきっているだろう」
〜 【魔幻の三日月】スーリオス・グノーコン
元Aランク冒険者にして現・最高財務責任者、エルフ族。
司るは、責任 〜
白金の長髪と淡緑の瞳を持つ、眉目秀麗のエルフ族の男。
激務の為か、顔には疲労が蓄積され、髪も適当に1つに纏めているだけ。
着ているジャケットも、皺でヨレヨレだ。
集まった6人の正体は言わずもがな、選ばれし【金時計】である。
1人1人が超が付く実力を有した、ランサリオンの安寧を支える逸材だ。
これ程の猛者が集められた理由は何なのか。
当の本人達も見当がつかず、次第に室内はザワつき始めてしまう。
その時――
「ほっほっほ、急なお呼び出しにも関わらず、お集まり頂きまして有難う御座います」
何処からともなく響いて来た声。
老齢でいて尚且つ芯の通ったその声に、先程まで騒がしかった室内は一気に静寂に包まれる。
「皆様、ご静聴感謝致します」
〜 【最恐の賢者】オウヨウ
ギルド統括兼執事、種族不明。
司るは、忠実 〜
ゆっくりと姿を現したのは、1人の老紳士。
パリッとした黒いスーツを着こなし、灰色と白が入り混じった髪は、綺麗に刈り込まれたオールバック。
大空の様に雄大で落ち着いた光を灯す灰色の瞳には、純金のモノクルが掛けられていた。
「爺、今回はワシ達に何をさせたい?」
「えぇ、それについては……お話する前に、少々お持ち頂けますか?」
オウヨウはそう言うと、微笑みを携えて扉を見やった。
他の者達もつられて視線を追うと、1人の男が入って来たのだ。
「遅れちゃってごめんね〜。レディ達が僕ちゃんを離してくれなくてさ〜」
「珍しいかも。意外かもぉ」
髪を弄りながら呟くアニエーラ。
男はその右隣に大袈裟な動作で座ると、彼女の肩に手を回し、早速口説き始めた。
「アニエーラ〜! 今日も可愛いねぇ。どうだい? 今夜、僕ちゃんと一杯?」
〜 【勇将なる先導】アレクサンディアス・シルトニア
Cランク冒険者、人族。
司るは、勇気 〜
大きく真っ白な中折れ帽を斜めに被り、ニヒルな笑みを浮かべた長身痩躯の男。
白銀に輝く艶やかな髪と金色の瞳、エルフ族にも負けない美麗で端正な顔立ち。
中折れ帽同様真っ白な軍服に似た出で立ちに、フード付きのマントを羽織っている。
「ウザいかも。話し掛けないで欲しいかもぉ」
アニエーラは表情を変える事無く、アレクサンディアスを一蹴する。
「オーケー、今日は気分じゃないんだねぇ。トリーチェ、君はどうだ――」
「その首……撥ね落として欲しいと?」
今度はトリーチェに誘いをかけたが、言い切る前に凄まれてしまう。
アレクサンディアスは、両手を上げて掌を見せながら、やれやれと首を振った。
「がっはっはっは! 相変わらずだな、レクサー!」
ジオトロが豪快に笑いながら、円卓を叩く。
しかし、当の本人は特に気にする様子は無い。
『いつもの事だからねぇ〜』と、ニヒルな笑みを浮かべたまま、中折れ帽を深く被り直すだけだ。
「ほっほっほ! では、これより【円卓会議】を始めさせて頂きます。今回、皆様をお呼びたてした訳は此方で御座います」
オウヨウが扉と対面になっている椅子に座り、指を鳴らす。
すると、メンバーの前に書類が現れた。
「書類に目を通したまま聞いて下さい。【王国の英雄】ナーデリア様の手により、魔王が討伐されてから10年が過ぎました。ですが、皆様は覚えていますでしょうか……『深淵教団』の存在を」
瞬間、書類を捲っていたトリーチェの手が止まる。
体を小刻みに震わせ、拳を固く握り、瞳に凄まじい怒りの炎を燃え上がらせて。
すると、物憂げな微笑みを浮かべながら、ドレイオスが震える肩にそっと手を置いた。
「勿論よぉ〜ん。忘れる訳ないじゃなぁ〜いん」
『深淵教団』とは、いつの頃からか現れた魔王崇拝を是とする秘密結社である。
魔王の復活が近付くと、動きを活発化させて様々な破壊行動を取るのだ。
復活後は魔王軍となり、世界を破滅へと導く為、暗躍する集団と化す。
10年前も、ラディオ達や三英雄、金時計を筆頭としたランサリオン、そして各国と激しい戦いを繰り広げている。
そして、多大なる犠牲を払いながらも、教団を壊滅に追いやった……筈だったのだが。
「トリーチェ様、嫌な事を思い出させてしまい申し訳ありません。ですが、今回の議題は……正しく教団に関する事なのです」
穏やか声で、落ち着く様に語り掛けるオウヨウ。
すると、トリーチェは一度目を瞑り、大きく深呼吸した。
そして、しっかりとした眼差しで頷いて見せる。
「……流石、選ばれし金時計で御座います」
凛とした顔を見て、オウヨウはニッコリと嬉しそうに微笑む。
すると、他のメンバーが疑問を呈した。
「でもおかしいかも。魔王はもう居ないし、教団の残党もほぼ残ってないかもぉ」
「ふむ、我もその様に聞いている」
「ワシもだ! 現に彼奴等の大半は、英雄やワシらで殲滅した。捕らえた奴らも、監獄に居るだろう」
「この書類に書いてある名前……知らんな」
手を上げて、メンバー達に静寂を求めるオウヨウ。
ぐるりと円卓を見回し、ゆっくりと口を開いた。
「その通りで御座います。我々もそう信じ込んでいました。しかし3年程前、収監中の教団の者に……突如として『呪印』が浮かび上がったのです」
衝撃の言葉に、メンバーに動揺が走った。
教団の者は皆、『呪印』という刻印を体に刻んでいる。
これは、魔王が復活すると、その魔力に呼応して体に浮かび上がるというもの。
絶対的な忠誠を誓った証だが、魔王が討伐されれば効力を失う。
だが、10年経った今、再びそれが出現したと言うのだ。
「そこからは僕ちゃんが引き継ごうかなぁ〜。良いかい、爺や?」
中折れ帽を掴みながら、声を掛けたアレクサンディアス。
その眼差しを、いつになく真剣なものにして。
「僕ちゃんが各地を放浪してる時にさ、呪印持ちの奴らが暴れている村に出くわした訳よ〜。ちゃちゃっと締め上げて色々聞いたら、何と教団が復活してるって言うじゃない」
「それが半年程前の事で御座います。加えて先日、他国に出向中のメンバーも、教団の者を捕まえておりました。『尋問』を行った所、驚愕の事実を得たのです」
尋問という言葉が出た瞬間、メンバーから『うわぁ……』と、憐れみの声が漏れ出て来た。
「あのサディストか……ワシなら死を選ぶな」
「ふむ、興味深い学問ではある」
「あれは尋問じゃないかも。ただの変態かもぉ」
出向中のメンバーの性格を知る者達は、一様に苦い顔をしている。
「詳しくは其方の書類に記載してありますので、要約してお話しますが……『魔王』が生存している可能性がある、という事だけ念頭に入れて置いて頂きたいのです」
「まさか……自分は、自分は……戦勝パレードを、良く憶えています……!」
「ワシもだ。世界が王国に集まり、大々的に首を晒していたからな。アレが偽物とは、到底信じられん」
「ふむ、不可解だ」
「でも、呪印が分かんないかも。魔王の力が無きゃ浮かび上がらないかもぉ」
「いやいや〜、其れこそが、確たる証拠じゃないかな〜?」
「そうか……私達を呼んだ理由、納得せざるを得ないな」
「左様で御座います。呪印の出現、半年前の村の襲撃、そして先日の尋問……いよいよを持って、我々も動くべきだと判断致しました。それに、その教団の者は今際の言葉に、『ギルド』と『祭り』を遺した様です。」
「『ギルド生誕祭』で何か起こそうという腹か。ちっ……この忙しい時に、余計に仕事が増えてしまった」
書類を懐にしまい込みながら、スーリオスは大きな溜息を吐いた。
「スーリオス様の言う通りで御座います。魔王も気掛かりではありますが、先ずは住民の安全が最優先。それを確保するべく、今日は集まって頂きました」
「その事について、アタシからも報告があるのよ。既に、教団のスパイがランサリオン……下手をすると、ギルド内部まで潜り込んでいる可能性があるの。まだ確証はないけれど……一部のクランにも繋がりが見て取れたわ」
「残念ながら、その様ですな。皆様には今後、各々目を光らせて頂きたいと思います。本日来ていないメンバーには、私が個別に訪問致しますので。では、解散と致しましょう」
信じ難い事実を胸に、1人また1人と帰っていく金時計達。
暫くの間動かなかったオウヨウも、やがて静かに立ち上がる。
椅子を整えて指を鳴らすと、松明の火と共に、煙の様にその姿が消えていく。
まるで、暗闇の中に秘めた憂いを溶かし込む様に。