第15話 父、探る
「いらっしゃ〜い!」
扉を開けると、元気の良い店主の声が出迎えてくれた。
此処は、下段にある老舗の酒場『跳ね馬亭』。
昼の開店と同時に客が詰め掛ける、超人気店。
酒と料理の旨さもさることながら、店主イザイラの美貌と人柄が一番の理由となっている。
健康的な小麦色の肌に、実りに実ったばいんばいん。
1つに纏められた明るい橙色の長い髪は、頭にバンダナを巻いて清潔感も忘れない。
髪と同色の瞳からは、溌剌とした光を溢れさせている。
何より、大人の色香を放つ眩しい笑顔が、男女問わず心を鷲掴みにしてしまうのだ。
「ど、どうもです」
入って来たのは1人の男。
七三に分けた蒼色の髪をした、細面のヒョロリとした体格。
丸眼鏡を掛けた細目の奥は、どこかオドオドしているように見えた。
店に入って正面のコの字型のカウンター席に着いた男。
すると、イザイラが笑顔で近寄って来た。
「お兄さん、ご注文は?」
「え、えっと……ウ、ウィスキーをロックで」
注文から程なくして、小さなグラスに入った蒸留酒が置かれた。
「お待ちどうさま〜」
「ど、どうもで――うわっ!?」
細目の男がグラスを持ち上げようとした時、カウンターになだれ込んできた2人組の男に押されてしまったのだ。
「姉さ〜ん! 俺達と飲もうよ〜」
「あんた達! 何やってんのもう! 全く……ごめんなさいね、お兄さん」
2人組を叱責しながら、細目の男に謝罪するイザイラ。
絡んできたのは常連の冒険者。
彼女の美貌は此処らでは有名で、こうしてしょっちゅう絡まれてしまうのだ。
「い、いえ、大丈夫です。僕はあ、あっちで飲みますから」
細目の男は軽く会釈をすると、コの字の一番角の席へ移動していく。
「本当にごめんなさいね〜。ほら、あんた達も謝んなさい」
「悪かったな、兄ちゃん! それより姉さん、飲もう飲もう!」
細目の男を見もせずに謝る2人を見て、呆れて溜息を吐くイザイラ。
すると、近くのテーブル席から声が響いて来た。
「あんたら、まだ姉さんに相手して貰えると思ってんの? 弱いんだからいい加減にしなよ」
「んだとぉ!」
男達を煽ったのは、3人組の女冒険者。
此方も、イザイラに憧れて店に通う常連である。
元Bランク冒険者でサバサバとした性格のイザイラは、女性にも非常にモテるのだ。
「お前ら! つい最近D+になったからって調子乗んなよ!」
「乗られたくなかったら、あんた達もなれば良いんじゃな〜い?」
向かい合い、バチバチと火花を散らす常連2組。
再びの溜息を吐いたイザイラは、先頭にいる男女の頭をポンっと叩いた。
「あんた達、店の中で暴れたら出禁だからね?」
「えっ、それは嫌です……」
「姉さんそりゃないぜぇ〜!」
「じゃあ大人しくしなさい! 他のお客さんに迷惑掛けるんじゃないの」
「「は〜い……」」
イザイラに一蹴されて、常連達は大人しく席に着く。
すると、他のテーブルからドッと笑い声が溢れ出した。
若い冒険者達をいなす様は、この店の名物の1つとなっている。
すると、そのやり取りを見ていた細目の男に、イザイラが気付いた。
「この子達も悪い子じゃないのよ。許してやってね。あ、それはお店の奢りだから」
「えっ……あ、どうもです」
オドオドしながら礼を述べる細目の男。
『ごゆっくり♡』とウィンクしたイザイラは、また忙しく仕事に戻っていく。
「……ゴクゴクっ……ぷはぁ! さて……」
角の1つ手前の席に腰掛けた細目の男は、酒を一気に飲み干し、徐に右隣を見やった。
其処には、フードを目深に被った別の男が1人。
細目の男はニヤリと口角を吊り上げると、その客にだけ聞こえる声量で話し掛ける。
「お久しぶりですぅ。まさか、この街に来てるなんて思てませんでしたわぁ」
先程とはまるで違う、独特な抑揚をつけた喋り方。
オドオドしていたのが嘘の様に、落ち着いている。
「……私もだよ。君が此処でも仕事をしていたとな、イト」
ローブの奥から覗く黒目と、無造作に伸ばされた髭。
穏やかな低い声に、懐かしさと少しの驚きを滲ませている。
軽く微笑んだその頬には、髭に隠された大きな斜め十字の傷跡。
そう、ラディオだ。
「……では、聞かせてくれ」
「くっくっくっ……」
真剣な面持ちのラディオとは対照的に、イトはチラリと此方を見やり、面白そうにクスクスと笑いだしてしまった。
「……どうした?」
「いやぁ、すんません。パッタリ連絡きぃひんくなったなぁ思てたら、まさか冒険者になってるとは知らんかったもんで」
グラスの中の氷を遊ばせながら、ラディオを見つめるイト。
丸眼鏡の奥の瞳を、ギラギラと怪しく光らせながら。
「まぁ、何でもええですわ。これでまた……借りを返せますんで」
イトの正体は、『情報屋』である。
最初の出会いは、ラディオが魔王軍の情報収集を行っていた時。
彼の信条は、『仕事は仕事、貸借り無し』というもの。
情報収集であればどんな依頼でもこなす代わりに、キッチリ報酬を請求する。
正確無比な仕事に対する正当な対価を。
だが、嘗てのイトは少し違った。
時には、過剰に上乗せをした対価を要求したのだ。
そして、この傲慢さがイトの首を絞める事件を引き起こす事となる。
▽▼▽
10数年前――
ラディオの仕事をこなした後、イトに大きな仕事が舞い込んで来た。
依頼主は『帝国の英雄』、内容は『王国の英雄の実情を探れ』、というもの。
魔王討伐に関して、帝国・法国を差し置いての王国の快進撃に、帝国の英雄は不信感を募らせていた。
幾度か、幹部との戦闘の前に三英雄がかち合った事もある。
しかし、ナーデリアはいつも最後に動き出す。
それなのに、気付けば幹部は倒されているのだ。
これは余りにおかしい事だった。
幹部の眼前に到着する事でさえ、英雄と言えど簡単ではない。
だが、そんな自分達を尻目に、最後に動いた筈のナーデリアが、幹部の首を持っているのだ。
法国の英雄はマイペースな性格で気にも留めていなかったが、プライドの高い帝国の英雄は怒りを滾らせる。
ラディオという影の存在を疑い、最近王国の仕事をよく請け負っている情報屋に接近したのだ。
きっちり報酬を支払うのであれば、どんな依頼でもきっちりこなす。
イトの情報を元に、ラディオを待ち伏せる事にした帝国の英雄。
目的は勿論、存在の排除である。
邪魔のはナーデリアではなく、この男だ。
この男さえいなければ、帝国に魔王討伐の誉れをもたらす事が出来る。
何よりも、自身の名誉の為に。
その為ならば、奇襲だろうが騙し討ちだろうが、関係無かった。
しかし、結果は英雄の惨敗。
三英雄の中でも、純粋な戦闘能力で言えばナーデリアの方が上だ。
それを鍛え上げたのは、ラディオ自身。
帝国の英雄が勝つ可能性など、元より無かったのだ。
だが、腐っても英雄。
ラディオとしてもそれなりに力を出したので、英雄は重傷を負ってしまう。
その時、イトが欲を出した。
『いや〜、見事にやられてしもうて。助けてあげてもええけど……タダじゃあきまへんで?』
『……何、だと……!!』
相手がボロボロなのを良い事に、更に吹っ掛けてしまったのだ。
それにより、帝国の英雄のタガが外れる事となる。
『くっ……ふざけんなぁぁぁぁぁぁ!!』
『ひぃぃっ!?』
プライドをズタズタにされたあげく、情報屋如きに舐めた態度を取られた英雄。
憤怒に冒され自我を失い、禁忌に手を出してしまったのだ。
圧倒的な力を前に、死の恐怖に怯えるイト。
だが、その状態の英雄でさえ、ラディオは組み伏せた。
しかし、トドメを刺さなかった事が、更なる屈辱を与えてしまう。
満身創痍の中、姿を消した英雄。
その瞳に、ラディオへの終わりのない憎しみを燃やしながら。
『はぁ……はぁ……』
人間業とは思えぬ力を目の当たりにして、体を震わせ力無く座り込むイト。
だが、次の恐怖と戦わなければならなかった。
裏切ったラディオからの制裁と言う恐怖に。
(あ、あぁ……僕は、此処で……死ぬ……あれ?)
しかし、ラディオは何もしなかった。
イトは只仕事をこなしただけ、英雄は自分の正義に従っただけ。
ラディオにとって、何らおかしい点は無い。
イトの欲のせいで、英雄が禁忌に手を出した事だけは誤算だったが、元より命を奪う気は無かった。
『な、何でや……何で僕なんかを助けたんやぁ!?』
『……助けた訳では無い。私は私の正義に従ったまで。だが、もし君が何か思う所があるなら、これで商売を畳め……私は残念だがな』
ラディオはそれだけ言い残すと、空へと羽ばたいていく。
残されたイトは怒りに打ち震えた。
純粋な商人を志していた筈なのに、いつの間にか強欲になっていた自分に。
『う、うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
そして、ラディオに大きな大きな借りが出来た。
命という、大きな借りが。
『仕事は仕事、貸借り無し』……商人が何時までもこの借りを返さない訳にはいかない。
いつの日か、ラディオの命を救う様な仕事をして、借りを返さなければならない。
その時まで、絶対に死ぬ訳にはいかないと心に誓う。
それ以降、ラディオが魔界へ赴くまで、ほぼ専属の情報屋として仕事をこなす事となる。
▽▼▽
「借りっぱなしぃちゅうんは、僕が許せないんでね。また協力さしてもらいますわ」
「……そうか」
軽口を叩く姿からは想像もつかないが、仕事の質は超一級。
何度その情報に助けられた事か。
ラディオとしては、十分過ぎるほどの借りを返して貰っているのだが、イトは納得していない。
「で、今回の偽名は『ラディオ』でええんですね?」
「……本名だ」
「はぁ……普通情報屋に本名使います? まぁ、依頼して来た時から予想はしてましたけどね」
普通、こういう裏商売に関して、個人情報を使うものではない。
実際、今迄のラディオはしっかり偽名だった。
イトは参った様に微笑みを零し、懐から取り出した走り書きのメモを捲り始める。
「えー、ご依頼の【無限の軌跡】とコルティスについて何ですが……どうもキナ臭いモンがあるんですわ」
【無限の軌跡】は、ここ数年で一気に知名度を上げたクランである。
リーダーのコルティスはDランク、チームを構成するのはC+〜Dランクまでの冒険者達。
男女問わず全てが獣人で、皆一様に整った顔立ちをしているのが大きな特徴だった。
クラン単体で迷宮に潜る事はせず、あくまで案内人として雇われ仕事をこなす。
メインターゲット層はC〜Dランク付近であり、ランクアップの足がかりとして、クランの需要はそれなりに高いものだった。
しかし、ある噂が出ると一気に人気は下火となる。
それは、無限の軌跡を雇った冒険者パーティーが全滅した事に端を発する。
迷宮内でパーティーが全壊、若しくは半壊してしまう事は珍しくない。
それだけ過酷な環境に身を置いている事は、皆承知だ。
だが、下の階層に潜れば潜る程、様々な恩恵を享受出来るし、帰還すれば尚更。
しかし、この時戻って来たのは、無限の軌跡の案内人だけだった。
しかも、無傷で。
そんな事が立て続けに起こり、ギルド内外で噂が飛び交った。
『無限の軌跡が、わざと全滅に追いやった』と。
この噂について確証は無い。
だが、雇った冒険者パーティーが全滅し、案内人だけが戻って来れば、そういう噂も立つだろう。
受付嬢がカリシャと知り合いかどうか聞いた事、コルティスが来た時に悔しそうにした事もこれが理由だ。
ギルドは冒険者の内情に不介入、これは鉄の掟である。
しかし、受付嬢も1人の人間。
常に礼儀正しく穏やかに接するラディオと、いつも幸せ一杯に笑うグレナダを思えばこそ、口を挟んでしまったのだ。
「とまぁ、無限の軌跡についてはこんな感じですわ。この辺は、ラディオはんの予想通り。後、コルティスについては……もうちょい時間下さい」
「そうか……助かった」
「いえいえ。あ、ちなみにコルティスはラディオはんを気にも留めてませんので。『警告』に関しては、独断と見て間違い無さそうですわ。それじゃまた」
読み上げたメモをしまい込み、席を立ったイト。
其処へ、すかさずラディオが止めに入る。
「イト、依頼料を忘れているぞ」
「そりゃ貰えませんわぁ。まだコルティスについて調べてますしね。これは……経過報告ってやつで」
イトはニッと笑うと、扉へ歩いて行く。
昔と変わらぬ背中を見送りながら、ラディオが思案に耽っていると――
「イザイラぁ〜! エール酒を樽で20程、大至急だぁ! がっはっはっは!」
豪快な笑い声と共に、また1人の男が入って来た。
ハーフアップに束ねられた、腰まである赤茶けた長髪と、顔の下半分から腹まで伸びる髭。
髪や髭と同色の太い眉毛に瞳、丸い鼻を持つ豪胆な顔付き。
目を引くのは、人族の平均身長より低い背丈。
そう、ドワーフだ。
だが、筋骨隆々のずっしりとした胴体と、強靭な太鼓腹が相まった堂々した風格。
そして、年季の入った黄土色の鎧に、純白の外套をたなびかせるその姿は、猛者であると如実に示している。
「あらぁ、ジオトロさん! いらっしゃ〜い。今日は宴会?」
「おうよ! 飲みてぇ飲みてぇと、ウチの奴らが毎日騒ぐからな! その前に一仕事こなさなきゃならねぇが」
「そうなのぉ、大変ね。ちょっと待っててね」
注文を受け、厨房の奥へ入って行くイザイラ。
程なくして、数人で大きな樽を幾つも転がして来た。
ジオトロはそれを片手で持ち上げると、後ろで控えている部下に放り投げる。
「じゃんじゃん持って来てくれ! ほれ! お前達もじゃんじゃん積み上げろ! がっはっはっはっは!」
樽を投げられた男はよろめきながら、外に待たせてある馬車へ向かう。
その間にも、次々に運ばれて来る樽を、ジオトロはいとも簡単に投げ渡していった。
「よーし、これで全部だな! イザイラ、金はこれで足りるな?」
カウンターにドンと置かれた麻袋。
中には、ギッシリと詰め込まれた金貨が輝いている。
しかし、イザイラは困った様に笑みを零し、ううんと首を振った。
「いつもいつも……これじゃ多すぎるって言ってるじゃない」
「何だそうか? おぉ、それならツマミも頼んだぞ! とびっきりの料理を、大皿でな!」
「それでも多いわよ」
「よーし! なら、此処に居る奴らの飲み代、俺が全て請け負った! がっはっはっは!!」
「「「おぉぉぉぉ!!」」」
客達から歓声が上がり、それを見たジオトロは、髭を撫でつけながら満足気に微笑みを浮かべる。
更なる活気に包まれた店内をぐるりと見渡していると、カウンターの角が目に入った。
「イザイラ、グラスを片付け忘れるなんてらしくねぇな」
「えっ?」
ハッとしたイザイラは、角の席に近寄っていく。
其処には、手付かずのグラスと飲み干されたグラスが1つずつ。
そして、金貨が2枚置いてあるだけだったのだ。




