第12話 父、これで終わるなら
翌朝――
目覚めた中年は、ふと左隣を見やり微笑みを溢す。
其処には、いつもの様に腕の中で丸くなり、ニヤけて眠る娘の姿。
(どんな夢を見ているのかな。さて、此方は……)
同時に、気になったのは右隣。
2階に居る筈なのに、真横で寝ているレミアナ……しかも全裸で。
しかし、少し考えたラディオは、何故か納得した様に頷いた。
(……確かに。昨日は、一度も2階の窓を開けていなかったな)
部屋が暑くて眠れないから、レミアナは下りて来たと推測したラディオ。
鈍感もこのレベルになると、相手側からしたらとても利便性が良いのかも知れない。
(すまなかったね、レミアナ)
ラディオは謝罪の意―全くお門違いだが―を込めて、レミアナの頭をそっと撫でた。
すると、寝顔が劣情に歪んでいく。
大神官長は、寝ていてもラディオの体温を感じ取れるらしい。
(さて、朝食の準備をするか)
2人を起こさぬ様、そっとベッドから降りる。
床にあるカットソーを拾い上げると、ニャルコフが足元に絡みついてきた。
「お早う、ニャルコフ」
「にゃ〜♪」
朝の挨拶を交わし、中年と猫が寝室を出た瞬間――
(…………何でぇぇぇぇ!!)
大神官長の瞼がパーンッ! と開いた。
只の寝たふりだった様だが、一体何を想定していたのだろう。
閉じられた扉を見つめながら、毛布の端っこをはむはむするしかないレミアナであった。
▽▼▽
「お早う、エル。調子は?」
「……あぁ、そこそこだ」
リビングに入り、旧友の体調を気遣うラディオ。
ハイエルフは眉間を抑えつつ険しい顔をしている。
二日酔いだ。
「……すまんな」
渡されたコップ一杯の水を一気に飲み干し、フラフラとまたソファーに寝転ぶ。
ラディオはキッチンに立ち、卵とベーコンを焼いていく。
(……そろそろだな)
調理がほぼ終わった所で、ラディオは娘達を起こしに向かった。
「……あ、ラディオ様」
寝室に入ると、ゆっくりと起き上がり、ベッドにちょこんと座り直したレミアナ。
眠そうに目を擦りながら、ラディオに柔かな笑顔を見せる。
煌めく髪を無造作に体に掛け、たわわなメロンの先端を上手く隠して。
「……お早うございます♡」
(完璧な演出いかがですかぁぁぁぁ♡)
勿論、演技である。
とっくに起きていたレミアナは、タイミングをずっと見計らっていたのだ。
「お早う」
朗らかに挨拶を返したラディオ。
ベッドまで来ると、何と両手を大きく広げ始めたではないか。
「あん♡ いけません……まだ、朝ですよ♡」
(しゃぁぁぁぁ!! 演出効果テキメーーン♡)
レミアナは寝ぼけたフリをしつつ、同じく両手を広げる。
遂に念願叶う――
「……ちちぃ〜」
「え?」
訳も無く。
手が伸ばされたのはレミアナの真横、起きた娘を抱き上げる為である。
即座に腕の中で丸くなったグレナダは、分厚い胸板に頭を預け、嬉しそうにまた瞼を閉じる。
「朝食が出来たよ。着替えたら、レミアナもおいで」
「え……」
そう言うと、ラディオはさっさと寝室を出て行ってしまった。
渡されたカットソーを握り締めるレミアナ。
その顔には、なんとも言えない哀愁が漂っている。
「はぁー…………そろそろ泣いても良いですか」
▽▼▽
朝食を終え、玄関で旧友達を見送る親子。
すると、エルディンが質問を投げ掛けて来た。
「昨日の事について、サニア様はご存知なのか?」
「……あぁ」
静かに微笑みを浮かべ、頷くラディオ。
一瞬物憂げな眼差しになったハイエルフだが、直ぐに凛々しい表情を見せた。
「……そうか。馬鹿弟子はともかく、私も暫くランサリオンに滞在するつもりだ。また顔を出しに来るぞ」
「あぁ、いつでも」
「レミアナ! またあそんでほしいのだっ!」
グレナダはレミアナが気に入った様で、ニコニコしながらおねだりをする。
「うん、また来るよ〜♡ 今日の夜にでも♡」
「おぉ〜! やったのだ〜!」
「そうか。では、何か食べたい物はあ――」
「馬鹿も休み休み言え! 少しはラディオの迷惑も考えろっ!」
「えぇーー!?」
弟子の提案をピシャリと一喝するエルディン。
ラディオとしては、娘も喜ぶし何も問題は無い。
しかし、ハイエルフからすれば、弟子の無礼は看過出来ないのだ。
「全く……。ではラディオ、小さき王、またな」
「あぁ〜ん! ラディオ様ぁぁぁぁ〜!!」
「あぁ、また」
弟子の首根っこを掴み、街道を下りていくハイエルフ。
無念の叫びが聞こえなくなった所で、ブンブン手を振っていた娘を抱き上げた。
「レナン、あの2人の事は好きかい?」
「あいっ♡ おともだちなのだ!」
満面の笑みで答えるグレナダ。
「……そうか。それは良かった」
ラディオは本当に嬉しかった。
娘の事を理解してくれる人が増えた事、それを本人がしっかり感じ取っている事が。
後は、沢山の幸せな思い出を、出来る限り作ってあげられれば……。
「今日は天気も良い。後で、森に行ってみようか?」
「あいっ! ちちとおさんぽなのだ〜♡」
2人は楽しげにお喋りをしながら、家の中へ戻っていった。
▽▼▽
午後、親子は手を繋いで森の中を散策していた。
大木の枝々が心地良い日陰を作る林道を、娘の歩幅に合わせてゆっくりと。
拾ったネコジャラシを振り振りしながら、上機嫌でとことこと歩くグレナダ。
すると、大木の根元に何かを発見した様で、一目散に駆け出した。
「おぉ! ちちっ! みてみてっ! きのこなのだ〜♡」
グレナダはキノコの前にしゃがみ込むと、いつもの様にツンツンし始めた。
胞子を吹き出すのが楽しくて、ツンツンが激しさを増していく。
「きゃはははっ♡ ぼわってするのだ〜」
そんな娘を見つめながら、近くの倒木に腰掛けたラディオ。
2人が居るのは、少し開けた窪地の様な場所。
娘を見守りつつ、周囲に視線を走らせる。
(やはり……見られているな)
森に入る前から、妙な気配を感じ取ったラディオ。
付かず離れず、此方を追って来ている。
しかし、何か仕掛けてくるという訳では無い。
(……《翠竜の気道 》)
その時、ラディオの手から、翠色のオーラが渦巻き始めた。
何気無いフリをしながら、風に乗せてそっと四方にばら撒いていく。
程なくして、自然の気流に乗ったオーラは、森全域へと行き届いた。
《翠竜の気動》とは、自然の風と魔力で作った風を絡めて発動する、『超広範囲索敵』である。
竜が周囲の大気を全て吸い込むが如く、放った風を自身に集約させる事で、索敵を行うと言うもの。
込める魔力量によって精度は変わるが、地形・障害物・生物の有無や数が把握出来るのだ。
それなりの実力者であれば、気流の流れを読んで、逆に此方の位置を特定する事も可能ではある。
今回、ラディオが込めた魔力量は『そよ風』程度。
精度は落ちるが、相手に気付かれる心配はほぼ無い。
元々位置を知られているので、魔力を込めても良かったが、娘に要らぬストレスは掛けたく無かった。
(成る程……距離は700m、単身。目的は何だ?)
ラディオは体を動かす事なく、考えを巡らせる。
奇襲にしては人数も少なく、偵察にしては行動が拙い。
そもそも此方に気付かれている時点で、どちらにせよ無理な話だが。
(分からん。ならば……早々に退場願おうか)
しかし、ラディオに焦りは微塵も見られなかった。
何故なら、やるべき事はいつもと同じ。
何が起ころうとも、娘を護り抜くだけ。
すっと立ち上がり、気配がする方向を突然振り向くラディオ。
(……やはりな)
想像通り、気配はどんどん遠のいていき、やがて完全に消え去った。
恐らくは偵察だろうが、相手はそこまで突出した能力を持っていないのだろう。
だからこそ、視線を向けられると、直ぐに退散したと言う訳だ。
(……少し、調べる必要があるな)
▽▼▽
タワー1階・『ギルド受付』――
翌日、1人でギルドへ訪れたラディオ。
昨晩の内にエルディンにコンタクトを取り、グレナダは預けて来た。
偵察犯の目星はつけているので、娘をギルドに預けておくのは危険だと判断した為である。
先ずは受付に聞いてみようとカウンターに向かった矢先、談話スペースからラディオを呼ぶ声が聞こえて来た。
「おぉ! 貴方がラディオさんですね? どうぞ此方へ」
振り向くと、ソファーに男女が座っている。
対面には、あの日忠告をしてくれた受付嬢も居た。
だが、ラディオの方を振り向くと、険しい顔を浮かべるのだ。
「では……私はこれで失礼します」
「えぇ、目的の方には会えました。要領を得ない長々としたご助力、感謝しますよ」
貼り付けた笑顔を浮かべて、受付嬢を追いやる男。
「すいません、誤魔化しきれませんでした……!」
すれ違い様にそう呟いた受付嬢。
背中に悔しさを滲ませ、振り返る事無くカウンターへ戻って行く。
ラディオがソファーの前まで来ると、男は優雅な手振りを見せた。
「どうぞ、お座りになってください」
「……では、失礼致します」
男に促され、対面のソファーに腰掛ける。
相変わらず貼り付けた笑顔のまま、ラディオを舐めるように観察する男。
真ん中で分けられた金色の髪と、同色の瞳。
端正な顔立ちをした白い肌と、種族特有の長い耳。
エルフ族だ。
黒を基調とした、金刺繍の入ったジャケットとズボンはかなり高価な物。
更に、金の蛇の装飾が施してある杖を握る所作にも、何処と無く気品が見て取れる。
「先日は、我がクランの『案内人』を助けて頂いた様で。心より感謝申し上げます」
言葉とは裏腹に、男はほんの少しだけ頭を下げた。
視線をラディオから外す事無く、表情も変えずに。
その時、一瞬ではあるが、舌打ちの様なものが聞こえた。
すると、横に座っていた女も、慌てて頭を下げる。
美しく塗り分けられた金と黒のボブカット、黒曜石の様に、美しく輝く漆黒の瞳。
大きな三角耳が印象的な猫の獣人、あの時の冒険者である。
「失礼ですが、御名前を伺っても宜しいでしょうか?」
「おぉ、これは失礼を致しました。私、案内人専門クラン【無限の軌跡】のリーダーを務めています、コルティスと申します。以後お見知り置きを」
コルティスは仰々しく手を回転させながら、挨拶を述べる。
「あ、あの……私は、カリシャ、です。助け、てもらって……ありがと……ました」
また舌打ちの様なものが聞こえると、カリシャが小さく震えを見せた。
そして、たどたどしくお礼を述べると、事務的に頭を下げる。
ラディオは優しく微笑むと、頭を上げる様促した。
「いえ、無事に回復された様でなによりです。それだけ分かれば十分。私は仕事に向かいますので、これで」
ラディオが立ち上がると、コルティスが杖で止めに入った。
「お待ちになって下さい。我々としても、命を助けて頂いた方に、何もしない等有っては成りません。どうぞ、こちらをお納め下さい」
そう言うと、懐からパンパンに膨らんだ巾着を取り出し、テーブルの上に広げたコルティス。
中から金貨が次々と溢れて来る。
しかし、ラディオは首を振り、コルティスをじっと見据えながら口を開いた。
「私は当たり前の事をした迄、必要有りません」
「遠慮は無用です。冒険者同士、貸し借りは無しでいきましょう」
微妙に不機嫌さを声に滲ませたコルティス。
これは面倒な事になる……そんな予感がラディオの中に生まれた。
「では……使った金額だけ受け取りましょう。これで貸し借りは無しです。宜しいでしょうか?」
表情を変えずに、淡々とした口調で述べたラディオ。
金貨を1枚だけ取り上げ、相手の反応をつぶさに観察しながら。
その時、コルティスの目線が胸元のプレートへ移る。
「……良いでしょう。貴方がそれで良いと言うのならば。これで貸し借りは無しです」
再び笑顔を貼り付けて一礼したコルティスは、さっさと玄関まで歩いて行く。
だが、ラディオの横を通り過ぎた瞬間、無表情になった事を見逃さなかった。
「……さっさとしろ!」
背中越しにコルティスの声が響くと、弾ける様に立ち上がったカリシャ。
一瞬ラディオの事を見たが、一言も発する事無く、コルティスの後を追い掛けて行く。
「本当にすいませんでした! どうにか誤魔化そうと思ったんですが……」
ラディオがカウンターへ向かうと、受付嬢が頭を下げて来た。
悔しそうに唇を噛み、今にも泣きそうな顔をしている。
「貴女が謝る事等、何一つありません。あの方を助けたのは私の意志であり、それについて後悔は有りませんから」
ラディオは優しくそう告げると、一旦カウンターから離れる。
戻って来ると、数枚の依頼書をカウンターに置いたのだ。
「いつもの様に、お願い出来ますか?」
受付嬢はグッと涙を堪えて、コクンと頷いた。
「では、行ってきます」
「……いってらっしゃい」
受付嬢はニコッと微笑んで、ラディオを送り出す。
ラディオも笑顔を返し、迷宮へ歩いて行く。
しかし、その顔は既に真剣なものへ変化していた。
(カリシャと言ったか……やはり、昨日の偵察犯はあの子で間違いない。そして、コルティスという男……あれは正しく……)
ラディオは迷宮への階段を降りながら、【無限の軌跡】について思案を巡らす。
これで終わるなら、それで良い。
だがもしも、娘に何かするのであれば――
(私の全力を持って相手をしてやろう)
▽▼▽
拠点へ帰る道中、馬車の中ではコルティスが苛立ちを露わにしていた。
ギルドで見せた気品は何処かに消え去り、顔を歪ませながら杖を弄っている。
対面には、俯いて過呼吸となりながら、体を震わせるカリシャの姿。
その時――
「うぐっ!………あ、うっ……」
持っていた杖で、いきなりカリシャの頬を殴り付けたのだ。
切り裂かれる様な痛みをどうにか我慢して、また座り直す少女。
先程よりも、もっと体を震わせて。
「……この役立たずがぁぁ!」
「んん!!……ぐぅ!……うぅ……!」
すると、堰を切った様に、何度も何度も柔肌を殴り始めたコルティス。
それでも、カリシャは悲鳴を上げない……いや、上げられないのだ。
必死に痛みを堪えて、苦悶の吐息を漏らすだけ。
「はぁ……はぁ……家畜以下の屑の分際で、私の馬車に汚い血を付けたらどうなるか……分かっているなぁ!!」
「は、い……うっ……もし、わけ……ある、ません……!」
十数発殴った後、コルティスは肩で息をしながら、杖に付いた血を拭き取り始めた。
その足元には、異常な程に体を震わせ、最早起き上がる事さえ出来ないカリシャ。
それでも、一切の反抗を見せず、溢れ出す血を懸命に拭うのだ……零れる涙を必死に堪えて。
「あの中年は問題無い……たかがEランク。だがな、次は許さんぞ……分かったなぁ!!」
コルティスの怒声に、ビクッと反応するカリシャ。
その瞳に、終わりの無い真っ黒な恐怖を刻みつけられて。
「うっ……は、い……ごしゅ、じ……うぐっ……さ、ま……」
時折、何かを叩く音と抑圧した呻き声を響かせながら、馬車はゆっくりと拠点へ向かう。




