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第11話 父、気付かない

「ほ〜ら〜! ちゃんと体を拭きなさーい!」


「やぁ〜! きゃはははっ♡」


 後片付けを終え、ちびちびと酒を嗜んでいると、テーブルの下を抜けてグレナダが足に飛び付いて来た。

 風呂上がりそのまま、びしょ濡れの体で。


「ちちぃー♡」


「おかえり。楽しかったかい?」


「あいっ♡」


 これは、グレナダの癖の1つ。

 風呂上がり、中々体を拭かせてくれないのだ。

 いつからこうなったかは覚えていないが、何故こうなったのかは思い当たる節がある。

 毎度それなりの苦労を強いられながらも、その度に『良く似ているな』と、頬を緩ませるラディオ。


「ちゃんと体を拭かないと、風邪を引いてしまうよ」


「ちちっ! あのね、レミアナのおむねがまんまるだったのだ〜!」


「そうか。それは良かったね」


「あぁ! 申し訳ありませぇぇん!」


 親子が他愛のない会話をしていると、濡れた髪を体に張り付かせたレミアナが走って来た。

 前だけを隠したタオルがしっとりと水分を吸収し、たわわに実ったメロンメロンの桃色の先端を浮き立たせている。

 仄かに紅く染まった湯上りの肌はえも言われぬ妖艶さだが、ラディオは普段通りに微笑みを見せる。


「いや、此方こそすまなかった。この子は、いつもこうなんだ」


 すると、レミアナの目が泳ぎ始めた。

 ラディオをチラチラと見ては、伏し目になり、またチラチラと見る。

 この状況では、流石に羞恥心が生まれる――



「い、いえ……大丈夫、です……」

(きたーーーー! ラディオ様陥落のチャンスきたーーー!!)



 訳なかった。

 大神官長(ヘンタイ)には、羞恥心など存在しない。

 目を泳がせたのも演技、わざわざタオル1枚で来たのも策略。

 エルディンが大変な下戸で、酒で寝たら起きない事も計算済みだ。


「レナンの相手で十分に浸かれなかったろう。後は引き受けるから、もう一度ゆっくり入っておいで」


「……あれ? あ、はい。ではお言葉に甘えて……あれぇ?」


 しかし、思っていた展開と違う。

 何故こうも()()()()()()()()()

 勿論、表情の話ではない。


 ラディオが、普段から感情を表に出さない事は知っている。

 問題は別の部分……何の変化もしていない下半身だ。


「えと……その……ラディオ様?」

(何で何で何でぇぇ!? ゴクリと生唾を飲んだラディオ様に襲われる予定だったのにぃぃぃ!!)


 大神官長(ヘンタイ)の思考回路は、常人のそれではない。

 すると、ハッとしたラディオが、レミアナの方へ歩き出す。


「ラ、ラディオ様ぁ……♡」

(キタコレッ!! 時間差なんてずるいですよ〜♡)


 途端に、瞳に劣情を浮かべ、下腹部をキュンキュンさせるレミアナ。

 足をモジモジさせながら、徐々にタオルを下へずらしていく。

 桃色の先端がもう間もなく登場する――



「少し失礼するよ」


「え」


 筈だったのに。

 何と、中年は平然と横を通り過ぎようとしたのだ。

 レミアナは眼球が飛び出る程驚き、思わず腕を掴んでしまう。


「……どうした?」


 この人は女体に興味が無いのだろうか。

 目の前に、こんなに素晴らしい肢体があるのに。

 わざわざ、濡らしてまで披露していると言うのに。


「……何故ですかっ!?」


「……?」


 突然の質問の意味が理解出来なかったラディオ。

 娘の為に、新しいタオルを取りに行こうとしていただけなのだが。


「へっくしゅっ!」


 そうこうしていると、リビングから大きなくしゃみが聞こえた為、ラディオは其方に行ってしまった。


(くっ……強行手段に出るしかないわねッ!!)


 だが、こんな事でレミアナが諦める訳も無く。

 腕で鼻をすすろうとしていた娘に、少し待つ様言い聞かせるラディオの背後に背後にゆらりと立ち、艶やかに声を掛ける。


「あの、ラディオ様? 少し濡れてしまっていますが、宜しければ……こちらを」


 渾身の色気を織り交ぜて出した声。

 ラディオが振り向くと、レミアナが右手でタオルを差し出していた。

 左腕で胸を隠し、足をくねらせ局部を隠して。


 わざとギリギリのラインを攻めているので、色々溢れそうになっているが、一応見えてはいない。

 そして、顔は恥ずかしさに打ち震えている……という、完璧に計算された演技で。


「レナンちゃんが、風邪を引いてしまったら……大変ですから」

(これならどうよっ! この状態で襲わない男なんて居ないですよねぇぇ! ラディオ様ぁぁぁぁ♡♡)


「いや、しかし……」


 ラディオの戸惑いを見て、レミアナは心の中で特大のガッツポーズをした。

 ラディオは女体に興味が無いのではない。

 人より自制が効きすぎるタイプなのだと、納得した。


「へっくしゅっ! ちちー、おはなー」


 迷っていると、グレナダが更にくしゃみをしてしまう。

 これは甘えるしかないか。

 差し出されたタオルを受け取り――



「すまない……レミアナも風邪を引いてしまってはいけない。早く入っておいで」


「え」


「ん?」


「えぇ!?」


「ん?……着替えは用意しておくから」



 至って普通に接してくるラディオ。

 レミアナはもう驚愕を通り越して、無の境地に到達してしまいそうだった。


「…………はい」


 これ以上待っていても、何も起こらないだろう。

 そう悟ったレミアナは、踵を返して浴室へ向かう。


(何でっ!? 何で何もしないの!? この状況で何もしない男なんてこの世にいるのっ!? 居たよ! もうっ! そういう所も大好きっ!! もぉーーーー!!)


 元々、ラディオは自制などしていない。

 自分が誘われている事にすら気付いていない、という事にレミアナが気付かなかっただけだ。


 致命的に世俗に疎い上に、壊滅的に鈍感。

 更に悪い事に、女の裸に見慣れている―レミアナは、この事をまだ知らない―という三重奏。

 10年募らせた恋の行方は、前途多難である。



 ▽▼▽



 娘の着替えも終え、旧友をソファーへ移し、ゆったりとした一時を過ごすラディオ。

 グレナダはちちの膝の上に座り、専用のマグカップでホットミルクを飲みながら、ご機嫌に尻尾を揺ら揺らさせている。


「ラ、ラ、ラディオ様ぁぁぁぁ!!」


 すると、浴室から物凄い勢いでレミアナが駆けて来た。

 鼻息荒く、顔を恍惚に煌めかせている。

 それもその筈、その身を包んでいるのは、ダボダボのカットソーなのだ。


「こ、これは……ラディオ様の……お、お、お召し物ですかっ!?」


「そんな物しかなくてね。洗濯はしてあるが……それで我慢してくれないか?」


「とんでもない! むしろ……ご褒美でしゅ〜♡♡」


「……そうか」


 意味が全く分からなかったが、本人が満足しているというのであれば、それで良い。

 だが、おかしい……着替えは下も用意していたのに、何故履いていないのだろうか。


「すーっはーっ♡ すーっはーっ♡ すーっはーっ♡」

(やばい! やっばい!! ラディオ様の匂いが私を掴んで離さないぃぃぃ♡)


 一方のレミアナは鼻を袖口で覆い、異常な回数の呼吸を行っていた。

 因みに、用意されていた下の着替え―浴室で一部分の匂いを嗅ぎ回していた―は、懐に隠し持っている。


(洗濯の仕方を間違えた……か?)


 必死に呼吸するレミアナを見て、少し考えてしまうラディオ。

 すると、グレナダが此方を見上げ、キラキラした瞳でおねだりして来た。


「ちちっ! レナン、けーきがたべたいのだ♡」


「そうだったね。ちゃんと待っていて、偉いね。レミアナ、一緒にケーキを食べないか?」


「すーっはーっ♡ は、はふ? 宜しいんでふか?」


「あぁ。準備をするから、座って待っていてくれ」


 袖口のせいでモゴモゴしながらも、椅子に座ったレミアナ。

 娘を専用のベビーチェアに座らせ、ラディオは冷蔵箱からケーキを2つ取り出して来た。


「すまないが、レナンに先に選ばせてやってくれないか?」


「勿論です! 頂けるだけで私は幸せですか――あはぁぁぁん♡」


 優しく微笑むラディオに、頭を撫でられてしまった。

 不意のスキンシップに、レミアナはもうメロメロである。


「レナン、何方かを選んで。残った方をレミアナにあげるから」


「あいっ♡ いちご……ちょこ……いちご……ちょこ……」


 どちらも捨てがたいが、欲張りはダメだ。

 眉根を寄せて必死に悩むグレナダ。

 ラディオがそんな娘を嬉しそうに見ていると、レミアナが最高の提案を申し出る。


「ふっふっふ、こういう時はね……半分こすればいいのよ!」


「はんぶんこっ!?」


 グレナダに衝撃が走る。

 その手があったか。

 そうすれば、迷う事無くどちらの味も楽しめて、2人で分け合う事が出来る。


 この案を聞いて、ラディオも深く頷いた。

 普段一人っ子として過ごしているグレナダにとって、その発想はなかった筈。

 ラディオに何かを分ける事は多々あるが、生活していく上で、そういう心遣いも確かに必要だ。


「では、レミアナと半分こにしようか。食べたら歯を磨くんだよ」


「あいっ♡ はんぶんこっ♪ はんぶんこっ♪」


 ケーキを均等に切り分けて2人に配る。


「はむっ! あまいのだぁ♡」


「う〜ん! 美味しいですぅ〜♡」


 幸せ一杯な2人の笑顔を、優しく見つめるラディオ。

 すると、グレナダが口一杯にクリームを付けながら、此方にもケーキを運んできた。


「ちちもはんぶんこっなのだ! あ〜ん♡」


「有難う……うん、美味しいね。ほらほら、クリームが沢山ついているよ」


「ほんとなのだ! きゃははっ♡」


 娘の口元からクリームをさっと指で絡め取ると、それを自分の口へ運ぶ。

 それを見たレミアナは、羨ましすぎて放心状態だ。


「おや、此方もか」


 その時、もう片方の口元にも気付いたラディオが、さっとクリームを絡め取る。


「え……ラディオ、様?」


 ドキドキしながらクリームの行く末を見守っていると、予想通り―果てなき願望とも言う―ラディオの口元へ吸い込まれていく。


(あ、ヤバい……)


 瞬間、顔半分を手で覆いながら、弾ける様に立ち上がったレミアナ。

 急に『洗顔してきますっ!!』と、ラディオ達に告げて浴室へ駆けて行く。

 そして、いそいと扉を閉めた瞬間――



「……どうしよう」



 大量の鼻血が漏れ出て来たのだ。

 しかし、それを止める事もせず、レミアナはぼーっと立ち尽くす。

 何故なら、のっぴきならぬ問題が生じてしまったからだ。

 因みに、鼻血の事では無い。


「……替えの下着、持って来てない……」



 ▽▼▽



「さぁ、もう寝る時間だよ」


「……あい」


 デザートと歯磨きを終えて、眠気に襲われていたレミアナ。

 浴室で騒いでいた事もあり、ぐっすり眠れるだろう。


 一方レミアナは、相変わらずカットソーの袖口を嗅ぎながら、ラディオを見つめて深い吐息を漏らしている。

 更に、今や下着も履いていない。

 すると、目を擦る娘を抱き上げ、ラディオが此方を向いた。


「この子も限界の様だから、そろそろ休もう」


「すーっはーっ♡……あ、お疲れ様でした〜♡」


「2階にこの子の部屋があるから、自由に使ってくれ。大きいベッドと、脇のテーブルに水差しも置いてある。じゃあ、お休み」


「は〜い……って! えっ、ちょっ! ラディオ様っ!? 」


 何て淡々とした挨拶なのか。

 そんな業務連絡では満足出来ないレミアナが、寝室へ去ろうとしたラディオの腕をガッチリと掴む。


「どうした?」


「えぇ……あの、大丈夫です。うん……お休みなさい」


「あぁ、お休み」


 しかし、何をどうこう出来る訳でも無かった。

 親子が寝室に消えると、リビングに残されたのはいびきをかいて寝ているハイエルフだけ。

 これでは、大人しく眠りにつくしか無い――



(いいもん……夜はまだまだ長いんだから♡)



 とは考えない。

 大神官長(ヘンタイ)の顔が、怪しく歪む。

 師匠の眠りの深さをしっかりと確認してから、レミアナは()()()()()2階へ上がっていった。



 ▽▼▽



(今日は本当に色々あった。だが……良かったな)


 ベッドに横になり、娘に毛布を掛けながら、今日の出来事を反芻する。

 勿論、ギルドでの一件を忘れている訳で無いので、獣人の安否確認はするつもりだ。

 だが、懐かしい面々に再び会えた事。

 そして何より、娘を受け入れてくれた事が、ラディオは本当に幸せだった。


(これなら……レナンも寂しくないだろう)


 小さな背中をトントン叩きながら、微笑みを零すラディオ。

 すると、自分の籠で寝息を立てるニャルコフと、同じタイミングで欠伸をした愛らしい娘。

 これこそ、命を賭して護るべき存在……改めてそんな事を考えていたら、段々眠気が強くなってきた。


 色々と気を揉んだ1日な上に、久しぶりに酒まで飲んだ。

 今日はよく眠れるだろう。

 ラディオも大きな欠伸をすると、程なくして夢の中へ落ちていった。



 ▽▼▽



(ふひっ♡ ラディオ様ぁぁぁぁ♡)


 ラディオが眠りについてから暫くして、寝室のドアが音も無く開けられた。

 入って来たのは、言うまでも無く発情しきった大神官長(ヘンタイ)である。


 普段のラディオであれば、即座に気付いただろう。

 しかし、この気配は慣れ親しんだもの。

 ラディオが信用を置いている人物のものだ。


 そして、グレナダも反応を見せない。

 何故なら、『敵意』がないからだ。

 色々と踏み外しているので正常なものではないが、本質はラディオに対する純粋な『愛情』……である。


(はぁ……はぁ……この匂い……やっべぇぇぇぇ♡)


 ハートマークをくっきりと瞳に浮かべたレミアナは、涎を垂らしながら荒い吐息を漏らす。

 すると、徐にカットソーを脱ぎさり、何故か全裸となった。

 そして、2人を起こさぬ様そっとベッドに潜り込むと、ラディオの胸にしがみついて足を絡ませる。


(はぁ……やべぇ♡ 胸板やべぇ♡ ()()やべぇぇぇぇ♡)


 何処の事を言っているのか。

 もはや犯罪の匂いしかしない。

 しかし、全裸の大神官長(ヘンタイ)は、今まさに幸せの絶頂を迎えようとしていた。


(はぁ♡ はぁ♡……あっ……んん♡)


 瞬間、レミアナの吐息が止まった。

 軽い身震いの後、瞳をしっとりと潤ませ、満足した様子で分厚い胸板に顔を埋める。


 今宵が永遠に続けば良いのに。

 そんな想いを馳せるレミアナだが、『ふぅ』と溜息を漏らす。

 さて、この問題をどうするか。

 ラディオのズボンを濡らしてしまった、という問題を。


(……ま、いっか♡)


 だが、数秒後には考えるのを止める。

 『だって、大好きだからしょうがないもん♡』と、何もしない事を決めて、すやすやと眠りにつくのであった。

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