第122話 【幼き聖女】の場合 《前編》
(どんな夢を見ているのかな)
穏やかな朝日が差し込むテラスで、洗濯物を畳むラディオ。
暖かな陽だまりの中、大の字になって眠る娘-「へへっ……」-を眺めながら頬を緩ませる。
(それにしても、兄さんはどんどん格好良くなっていくね。昨日の夜もレナンに嬉しそうに沢山話をしてくれて……父は嬉しいよ)
ギギの元から帰り、一段と顔付きが凛々しくなったレンカイ。
疲れているだろうに、兄の帰りを尻尾をブンブン振って迎えた妹を抱き上げ、とびきりの笑顔で構ってくれたのだ。
そんな姿を見たラディオは、誰よりも喜びを噛み締めていた。
「すー……すー……にー、ちゃあ……すき、なのだ……」
(父もだ。レナンも、レンも心から愛しているよ)
ニヤける娘の頬を、起こさぬ様にそっと撫でるラディオ。
その時、ランサリオンから魔力の波動を感じた。
極々僅か、余程意識していないと気付かない程度の微弱なもの。
しかしその理由を知るラディオは、感心した様に頷きを見せた。
(始まった様だ。歳をおうごとに強く、気高く、深くなっている。鍛錬を怠っていない証拠だね、レミアナ)
今日はまた違う難局に立ち向かうだろう。
そんな息子達の姿を想像しながら、ラディオも娘の横へ寝転んだ。
(衣装は完成。後は……カリシャ達に聞いてみよう)
こんなに時間が経ってしまったが、大丈夫だろうか……そんな申し訳無さを感じつつ、瞼を閉じる。
娘を抱き締め、ラディオも一時の休憩だ。
▽▼▽
少し時間を遡り、早朝――
「だから見てろって。《身体強化》! ほら、俺の方が出来てるだろ?」
「いーや、僕だって! 《身体強化》!」
「2人共全っ然ダメっスよ〜。ウチが本物を見せてあげるっス。《身体強化》!」
「も〜、昨日からそればっかり。ほらほら、もう着くんだからちゃんとして。あ、最後の人は罰ゲームね♡ 《身体強化》!」
「「「あーっ!」」」
覚えたてのスキルを見せ合いながら、中段を歩いていた子供達。
すると、教会の柵が見えて来た途端、リータが先陣を切って駆け出した。
3人も後を追うが、ズルした事を差し引いても、兎の獣人である少女には追い付けない。
「は〜い、リィがいっちば〜ん♡」
「はぁ……ズリィぞ!」
「そうっス! いきなりスタートなんて反則っス!」
「ふわぁ〜……リータ速過ぎ……」
いつもの様にわちゃわちゃしていると、教会の扉が開き、神官長が招き入れてくれた。
「ほっほっほっ。元気で良きかな。さぁ、レミアナ様が祭壇でお待ちだ。リータ、お友達をご案内して」
「はいっ! 皆、こっちだよ」
「「「お邪魔しま〜す」」」
リータに続いて身廊を抜けると、大きなステンドグラスが見えて来る。
その下に鎮座する見事な祭壇の前で、レミアナは朝の祈りを捧げていた。
「女神様の愛を賜り、いつまでも、いつまでもその心に愛を持たん事を……皆、お早うございます」
「レミアナ様、お早うございます」
「「「おざ〜っす」」」
祈りを終え、此方に振り返り微笑むレミアナ。
黄金を溶かした様なプラチナブロンド、何よりも透き通ったクリアブルーの瞳、珠の様な白磁の肌、端正でいて可憐な顔立ち。
やはり、レミアナは群を抜いて美しい。
見た目だけ見れば、だが。
「リータを視て思っていたけど、皆本当に頑張っているのね」
「え? レミアナさん、見ただけで何か分かるんですか?」
「勿論。レン君もクーちゃんもロクちゃんも、淀み無く強く魔力が流れていて、とっても綺麗よ」
「「「おぉ〜!」」」
流石は、最年少で英雄の一行に抜擢され、大魔導師に師事する天賦の才。
一目見ただけで、子供達の成長を把握していた。
「これなら大丈夫ね。さぁ皆、私に付いて来て〜。昨日までの2人みたいに教え慣れてないから、今日は物足りないかも知れないけど……演習の休憩だと思って、気楽にいきましょう♡」
子供達を引率しながら、レミアナがクルリと振り返りウインクを見せる。
『またまた〜』と言いながらも、子供達も満更でもない様子。
歳も近く、柔らかな雰囲気を持つレミアナは、自然と安堵感を与えるのだ。
『今日は楽にこなせるかも』
故に、レンカイ達はそう思ってしまった。
レミアナの実力を、よく知らない未熟さもあるだろう。
しかし、1番気になったのはリータ。
『頑張ろうね♡』と、面白そうに皆に声を掛ける姿だった。
それを横目で見たレミアナは、気付かれない様に小さく溜息を漏らす。
(はぁ……やっぱり、ラディオ様の言う通りだった。私もまだまだ甘いなぁ)
瞬間、【幼き聖女】の目付きが鋭く変化する。
▽▼▽
「着いたわよ。部屋に入ったら、マーキングしてある所に立ってね」
祭壇の裏手にある階段を暫く降りて、かなりの地下までやって来た一同。
大きな黒光りの扉に手を当てながら、レミアナがそう告げる。
(おい、これって魔石……か? 何か、レミアナさんの手の形に動いたけど)
(違うと思う、けど……見た事無いよ)
(これ多分アレっス。親方が作ってる魔鋼っスよ)
レミアナに促され部屋に入ると、明らかに変わった雰囲気に、レンカイ達は息を呑んだ。
「うわぁ……」
「何か、スゴいね」
「やっぱり、魔鋼っス。でも、こんなに?」
聖堂と同等の広さを持つすり鉢状の空間。
扉の正面の壁には、小さな祭壇と漆黒の球体が2つ置かれている。
そこを1段目として、4段目まで上に広がっていた。
「レン君達は4段目まで上がって。リータは慣れてるから、いつもの3段目よ」
「え、4段目?」
「分かりました。ほら、良いから言われた通り行くよ」
訳も分からぬまま、レンカイ達3人は4段目に等間隔に。
リータはレンカイの前の3段目に、それぞれ配置に付く。
そして、祭壇を前に此方を向いたレミアナが、球体に手を当てながら説明を始めようとするが――
「今日皆に学んでもらうのは、オーラです。これをしっかり体に纏う事。その感覚を掴んで――」
「レミアナさーん!」
直ぐにレンカイの待ったが入った。
しかし、レミアナは予期していた様で。
淡々と『はい、レン君』と次の言葉を促す。
「オーラって……オーラですよね?」
「そうよ。皆もよーく知ってる筈のオーラよ」
「それなら俺達もう、大丈夫だと思いますけど?」
「あら、そうなの? ごめんなさい、そんなに成長してるなんて知らなくて……」
少し伏目になり、しおらしく言葉を紡ぐレミアナ。
その姿を見て、『折角教えてくれるのに、悪い事言っちゃったかなぁ』と、レンカイの中に多少の罪悪感が宿る。
すると、レミアナが1つの提案を出して来た。
「今から軽い挨拶をするから、それにこたえてくれる? そしたら、伝えたい事を分かってくれると思うの」
「え、ん? 挨拶に応える?……分かりました」
「良かった。じゃあ……いくよ」
レンカイに人差し指を向けたレミアナが、ニコっと微笑んだ瞬間――
「うぐっ!? うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
少年の叫びが木霊する。
放たれた拳程のオーラの塊が触れた途端、強烈な重圧に襲われたのだ。
瞬く間に疲弊していく体は、本能的に四つん這いになる。
このままでは、文字通り潰されてしまう。
「ぐぅ……! く、そ……おらぁぁぁぁぁぁ!!」
拳を握り締め、ありったけの魔力を込める。
溢れ出す紅蓮のオーラが漆黒の髪を紅く染め上げ、雄々しい双角をレンカイの額に出現させた。
少しずつ、少しずつ。
尋常では無い重りを持ち上げる様に、立ち上がっていく。
「――だらぁぁぁぁぁぁ!!」
遂に、オーラを霧散させたレンカイ。
どかっと尻餅をつき、息も絶え絶えに全身から汗が噴き出す。
手足が痺れて上手く力が入らないし、《鬼人化》も解除されてしまった。
しかし、嬉しそうに頬を緩ませ、少年の前にしゃがみ込んだレミアナ。
「レン君、正解よ。これがオーラ、今日覚えて欲しい事。伝わったかしら?」
「はぁ……! はぁ……! は、い……スゲェ……レミアナさんスゲェ!」
今の途轍も無い力を、レミアナは軽い挨拶と呼ぶ。
舐めていた。
浅はかだった。
しかし、少年の心を埋めるのは、自身を恥じる思いを凌駕するレミアナの遥かな実力。
その賞賛だった。
「はい、皆どこでも良いから床に手を当てて。レン君は1本飲んでね。今日はそれを全部使い切るから、そのつもりで」
言われた通り床に手を当てると、背面の壁から飛び出て来た引き出し。
その中には、青色の液体が入った小瓶がギッシリと詰め込まれていた。
『先生の魔力回復ポーション!』というクレインの言葉に、レンカイの頬が引きつる。
「改めて、説明するわね。ほら、レン君は嫌がらないで飲みなさい……そうそう。今日覚える事は、先ずオーラとは何かという事よ」
この世界に生きる全てのものが有するもの、魔力。
例えるなら、それは血液。
魔法、スキル、全ての所作の源である。
だが、魔力は原液であり、そのまま垂れ流すのは非常に効率が悪い。
そこで、体内で魔力を練り上げ、より効率良く洗練された燃料となす。
それをオーラと呼び、血流の様に全身に流し纏う事。
これこそ、こと戦闘に従事する者の基本中の基本である。
「皆も今まで無意識にオーラを出していたでしょ? レン君の《鬼人化》しかり、何か窮地に陥った時しかり。私達は本能としてオーラを練り上げる事が出来るけど、それを魔力量との配分に気を配りながら、自分の意思で常時出来る様になる事が大切なの。何故なら、それが人だろうとモンスターだろうと、相手は必ずそれをしてくるから」
互いに顔を見合わせ、頷く子供達。
自分の師匠が普段見せていた魔法やスキル。
それに、様々な所で自身にもオーラが出ていた事を知っている。
「オーラって凄いものであると同時に、とても危険で恐いものでもあるの。扱いを間違えれば、自分も周りも傷付ける事になる。一概には言い切れないけど、魔力量が明らかに違う者が悪意や敵意を持って放てば、オーラだけで人を殺める事だって出来るわ」
すっと真剣に、だがどこか哀しげになったレミアナの瞳。
子供達も静かに頷き、事の重大さを理解する。
特にレンカイはその意味を身を持って体感している。
コルティスに操られたグレナダによって。
「だからこの順番にしたのね……。魔力操作の機微を掴み、スキル発動に必要な集中力とオーラの形の基礎を掴む。今日はオーラを体に纏い、留める事を学ぶ。そして、明日は……」
と、ここで言葉を切り、面白そうに顔を綻ばせたレミアナ。
だが、それ以上は語らずレンカイの調子を確認すると、祭壇まで歩いて行く。
「さぁ、これから私のオーラに堪えてもらうわよ。《身体強化》は全開ね。じゃないと、本当に潰れちゃうから。魔力枯渇を起こしたら、ポーションを飲んで。今日の目的は、オーラの機微の他に、魔力増強も含んでいるから」
祭壇に立ち、球体に手を置いたレミアナ。
子供達もそれぞれ構えを取り、魔力を爆発させた。
「「「「お願いしますっ!」」」」
「うん、とっても綺麗な魔力の流れよ。あ、言い忘れてたけど……さっきの挨拶は、私の魔力量の1/5000ぐらいだから♡」
「は?……マジ、かよ……」
「レンカイがあんなになったのに!?」
「あははっ……ヤバすぎっス」
「皆、頑張ろうねっ♡」
衝撃の言葉に、リータ以外は開いた口が塞がらない。
しかし、レミアナは容赦しなかった。
「私のユニークスキル《無限への解放》は、魔力を圧縮する力があるの。それに、この部屋はギギさん特注の魔鋼製。これにも同じ効力があるわ。私の圧縮と魔鋼の圧縮が掛け合わさったら……体感すれば直ぐに分かるわね♡」
「「「……え?」」
「じゃあ、挨拶の少し上からいきましょう。リータはいつものラインから始めるわよ」
「はいっ!」
「皆いくわよ〜。そーれっ!」
「お願いしますっ! 《身体強化》!」
「「「《身体強化》ぁぁぁぁっっ!!」」」
球体に流し込まれたレミアナの魔力が、部屋を伝って子供達の頭上へ降り注ぐ。
その瞬間、レンカイ達は改めて痛感した。
自分達が誰に学んでいるのかを。
元英雄の一行で、【幼き聖女】と呼ばれる天賦の才。
最年少記録を次々と更新した大神官長であり、大魔導師を師に持つレミアナという存在の凄さを。
「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!」」」




