第118話 【翡翠の魔剣士】の場合 《前編》
改定前からお読み下さっている皆様、お待たせ致しました!
「さて、合同演習の2日目に入る。私は他の奴等と違い、甘くない。各々、心して掛かるように」
「「「「はいっ!」」」」
下段の一角に在る、エルディンの自宅へ移動して来た一同。
其処は、それなりに広い二階建ての一軒家。
大量の書物やら研究素材やらで空間を圧迫しているが、意外にも整理整頓されている。
「中には貴重な物もある。触れるなよ」
先頭を歩くエルディンから、そんな言葉が聞こえて来た。
家の中なのにクネクネと進むハイエルフの後に続いて、子供達も歩いて行く。
どうにか二階へ上がり、『私の自室だ』という部屋へ足を踏み入れるが――
「……マジ?」
「ヤバいっスね」
「エルディン様……」
「あ、あはは……はぁ」
固まってしまったレンカイ達を見て、苦笑いで溜息を吐くクレイン。
眼前に広がった光景は、一言で言うならばゴミ屋敷。
置いてある本棚の中には、隙間無く詰め込まれた大量の書物。
それだけにとどまらず、そこら中にうず高く積まれた本の山、山、山。
此処も広さはそれなりの筈なのに、扉の前には人1人通れるかどうかの幅しか無い。
エルディンに続いて一列で歩く子供達だが、少しでも本の山に掠ったら崩れ落ちて来てしまいそうだ。
部屋の中央には、2畳程のスペース。
恐らくは、今日の為に無理矢理作ったのだろう。
周囲に散乱する本の山が、それを物語っている。
用意された長机の前に横一列で座った子供達だが、余りの汚さにヒソヒソと会話を始めた。
(なぁ、これヤバくねぇか?)
(一階と全然違うっスよね。物は沢山あったっスけど、ちゃんと整理されてたっス)
(エルディン様はこんな所で寝てるの? もしかして、クレインも?)
(いやいや! 僕にも部屋はあるよ。でも、先生は研究に夢中になると、片付けをしなくなるんだ。それに、この部屋の物にだけは触るなって、僕達も言われちゃってるし)
(……僕達?)
レンカイが疑問を呈すると、その答えは後方から聞こえて来た。
「皆様、ようこそいらっしゃいましたわ」
子供達が振り返る間も無く、声の主が本の山を飛び越えてエルディンの横に舞い降りる。
優雅に一礼すると、長机にジュースとお菓子を並べ始めたのだ。
「ニコさん!?」
「御機嫌よう、レンカイ君」
穏やかな微笑みで小首を傾げたのは、碧色の瞳を持つ美麗な顔。
露出の激しいメイド服に身を包んだダークエルフ、ニャルコフだった。
「こんな所で何してるんスか?」
「少し前から、エルディン様とクレイン君の、身の回りのお世話をさせて頂いていますの」
「え〜! そうだったんですね」
「うふふっ、私は御主人様の命に忠実に従うメイドですから」
「僕一人じゃ片付けも追い付かないし、先生も僕も料理の腕が……。だから、ニコさんが来てくれるようになって、本当に助かってます!」
「勿体無いお言葉ですわ。寧ろ、たったこれだけの事でご褒美を頂けるのですから、私は幸せです」
ニコッと浮かべた微笑みから、滲み出てくる喜びの色。
「この様な機会を頂けて、エルディン様には心から感謝していますわ〜」
そう言って、横に立つハイエルフにも微笑み掛ける。
しかし、その瞳の奥には若干だが狂気が見て取れた。
教会を任された、【幼き聖女】と言われる騒がしい存在と同じ色が。
「……利害が一致した、というだけだ。助手は勉学の為に私と共に居る。それを蔑ろにする事は、本末転倒。かと言って、そこらの家政婦では……基準を満たしていない」
面倒くさそうに手を振りながら、ニャルコフの視線を避けるエルディン。
実は、クレインを預かると決めてから、何人か家政婦を雇って来た。
だが、貴重な書物―余りに雑に置いてあるので、とてもそうは見えないが―を問題無く扱える人物はそう居ない。
更に、基本的に他者に興味が無いエルディンの相手は、極めて難しい。
そこへ現れたのが、ニャルコフの存在。
昇級試験の後、彼女が宿を転々としている事を聞いたラディオ―自宅に置く案は、大神官長によって阻止されている―が、2人にこの話を提案したのである。
同じエルフ族であり、確かな実力を持つニャルコフならば、書物の扱いも問題無い。
加えて、エルディンの気難しい性格も事も無くいなせるだろう。
といったラディオの説明を受け、エルディンも『では、試しに……』と雇った結果、現在に至っている。
因みに、エルディンからの支払いが金銭では無くニャルコフが切望した『ご褒美』である事を、ラディオは知らない。
「それにしても……此処はもう少し何とかなりませんの? 私に言って下されば、直ぐにでも整理を致しますのに」
「何度も言わせるな。共有スペースだけ気に掛ければ良い」
「ですが、とても子供達を招き入れる状態ではありませんわ。それに、今この瞬間……既に共有スペースになっていませんこと?」
柔らかな声色で、ニャルコフがグサリと棘を刺す。
「ぐっ……! だから……掃除をしただろう!」
「あら? どこをどう掃除なされたのでしょう? 何も変わっていませんわ」
口に手を添えてクスクスと笑うニャルコフに、もう何も言えなくなったエルディン。
『お前は……さっさと準備をしろ』と、眉間に皺を寄せながら手で払う仕草を見せる。
「うふふっ。では、このお話はいずれ。皆様、また後ほど」
優雅にお辞儀をしたニャルコフが、再び本の山を飛び越えて部屋を後にした。
痛い所を突かれたエルディンは、組んだ腕をしきりに指で叩いている。
そんなやり取りを見ていた子供達からは、驚きの笑みが溢れていた。
(おい、あのエルディンさんがタジタジだぞ)
(ヤバいっスね〜! これはスッゴく貴重っスよ)
(レミアナ様と一緒に居る時と、全然違う)
(うん、そうなんだ。ニコさんが来てから、こんな先生を何度も見る様になって――)
「助手!」
クレインが笑いを堪えながら説明していた時、ハイエルフの厳しい声が飛んだ。
「は、はいっ!」
「それ以上余計な事を言ってみろ……容赦せんぞ」
「はいっ! すみませんでしたぁぁ!」
「全く……。これ以上時間を無駄にする訳にはいかん。お前達、移動するぞ」
「え、移動ってどこに――うわぁ!」
瞬間、足元に広がった魔法陣が光を放ち、エルディン達の姿が消えた。
▽▼▽
「おぉ〜! スゲー眺めだな〜」
「風が気持ち良いね、レン」
「あははっ! 見るっス見るっス! 海っスよ〜!」
「ちょっとロクサーナ! 落ちたら大変だよ!」
魔法陣に飲み込まれた一向。
やって来たのは、一方は頂上が見えない程の岩山、一方は海に面した断崖、後は背の高い草原が地平線まで続く広大な大地だった。
初めて訪れる場所に子供達がはしゃいでいると、準備を終えたエルディンが声を掛ける。
「お前達、遊びに来た訳では無いんだ。こっちに整列しろ」
横一列に並んだ子供達の前方には、4つの的。
黒い岩の様な物で出来たそれは、ある程度の距離を持って置かれていた。
子供達は的が自分と一直線になる様に、側方間隔を取って並び直す。
「よし。今日、私が教える事は二つ。一つは、魔法について。そしてもう一つは、予測についてだ。先ずは助手、お前の扱える属性を言ってみろ!」
腰に手を当てながら、一番端に居るクレインに号令を掛けるエルディン。
「はいっ! 僕は火と雷、あと水も少しだけ扱えます!」
「よし。次は房子、お前だ!」
満足気に頷いたエルディン。
次は、その手前に居るロクサーナに号令を掛ける。
「ういっス! ウチは風と土。それととっておきで、砂も扱えるっスよ〜」
「成る程。次! 兎子!」
「はい! 私は光で、治癒系と支援系が得意です!」
「馬鹿弟子……それぐらいはやって貰わんとな。次! 鬼子!」
「あ……えっと……」
リータの後は、エルディンの目の前に居るレンカイの番。
しかし、仲間達を見やり、バツが悪そうに俯いてしまった。
すると、エルディンが少年の前にしゃがみ込み、真っ直ぐな瞳を向ける。
「これは優劣をつける為では無い。それに、お前の現状も私は理解している。何も恥じるな。何も臆するな。その為に、今日この場に私が居るのだ」
「え……?」
「知らない事は罪では無い。出来ない事は罪では無い。真に愚かで救い様が無いのは、それらを知ろうとしない事、出来ないと決め付ける事だ。ラディオは、お前をそんな臆病者に育てたのか?」
ハイエルフの厳しい声色。
だが、それと同時に感じるのは、ラディオの様な温かさだった。
「エルディンさん……いいえ! 違いますっ!」
仲間に格好をつけようとした自分が恥ずかしい。
レンカイは拳をギュッと握り締め、高らかに声を上げた。
「俺は……俺はっ! どの属性も扱えません! すみませんっ!」
力強い眼差しでエルディンを見つめ、しっかりと伝えたレンカイ。
その時、エルディンの頬が僅かに上がる。
再び満足気に頷き、少年の頭に手を置いた。
「謝る必要は無い。お前は、今自分に出来ない事を理解し、それを恥じる事無く、臆する事無く、自分であると受け入れた。それが大事なのだ。私が教えると言った予測、これこそ――」
「「「えぇ〜〜!?」」」
何やら良い事を言わんとしていたエルディンを遮り、子供達がレンカイの元に駆けて来てしまった。
「レンカイ、嘘だよね!?」
「いや、嘘じゃねぇよ」
「レンがラディオ様のお話をちゃんと聞いて無いからでしょ!」
「そうじゃねぇって。師匠は魔法に関して……何も教えてくれないんだ」
「いやいや、ラディオさんだって魔法使えるっスよね!? 掌から雷とか炎とか出してたっスよね!?」
「そうなんだけどさ。う〜ん……教えてくれないって言うか、そういう話にならないって感じかな」
ラディオの超人的な能力を知っている子供達は、疑問が止まらない。
レンカイを囲んで質問責めにしてしまう。
その時――
「落ち着けッ!」
エルディンから怒号が飛び、シンとなった子供達。
「はぁ……本来言うべきでは無い事だが、お前達に邪念がある以上、この時間が全くの無駄になる。しょうがないから、今から説明をしてやる。だが! これを聞いた後は私の言う事に素直に従い、修行にのみ集中すると誓え」
眉間に皺を寄せながら、エルディンが厳しい声で問い掛ける。
子供達は一瞬の間を置いて、コクコクと頷き始めた。
しかし、エルディンは更に厳しい声を出す。
「どうなんだ! 誓うのか!」
「「「はいっ! 誓いますっ!」」」
やれやれと頭を振ったエルディンは、その場に座る様に促す。
少し空を見上げながら感情を平坦にした後、子供達に向かって説明を始めた。
「先ず最初に言っておくが、鬼子が魔法を使えないという事を私達は知っている。しかしながら、魔力操作に長けている事は聞いているし、昨日の実戦で実際に確認もした」
既に質問がありそうな気配の子供達だが、エルディンの有無を言わさぬ眼差しに押し黙る。
「……それで良い。今回、何故合同演習をするに至ったのか。それには幾つか理由がある。一つは昨日確認したな。一つは……後で説明しよう。そしてもう一つは、各々に足りないモノを補う為。鬼子、心配せずとも、お前の魔力操作なら……今日中に何らかの属性は扱える様になる」
「えっ!? ほ、ほんとですか!?」
「無論だ。誰が教えると思っている」
「うわぁ……!」
自信満々なエルディンを見て、レンカイは思わず両拳を握り締めた。
興味はあったが、ラディオとの修行では一切出てこなかった魔法を覚えられる。
そう考えると、興奮を抑えきれなかったのだ。
「次に、疑問を解消してやる。ラディオは魔法を教えなかったんじゃない。教えられなかったんだ」
「先生! 宜しいでしょうか!」
もう探究心が抑えきれなかったクレインが、手を上げる。
すると、何かを再確認する様に、極々僅かに眉間に皺を寄せたエルディン。
しかし、『頑固ドワーフめ……気に入らん』とボソリと呟きながら、小さく頷いて見せる。
「ありがとうございます! えと、教えられないという事は……レンカイに何か欠点があった、という事ですか?」
「……そうだ。大きな欠点がある。しかし、それは鬼子にでは無い。ラディオが魔法を教えられない理由は、そのまま文字通り。アイツ自身が、魔法の類を一切扱えないからだ」
「師匠が……!?」
衝撃的な事実を告げられ、子供達が再び静寂に包まれた。




