第117話 父、ずっと笑顔で居られる様に
次の日、下段・中央『大広場』――
「なぁ、収穫祭には間に合うよな?」
「修行はあるけど、まだ10日以上あるしね」
「任せるっスよ! 問題無いっス!」
「そっか。ウチが1番潜るだろうから、素材は任せてくれ!」
「最終的なデザイン画の清書は、僕とリータできっちりやるよ!」
「良かった〜! 俺は絵が下手だからどうしようかと思っててさ。でも、2人が居る――リータ?」
「…………」
噴水の前で賑やかに話をしていた子供達。
昨日レンカイから相談を受け、皆賛同してくれた贈り物についてである。
しかし、リータの様子がおかしい。
ボーッと何処かを見やり、反応を示さないのだ。
「リータ〜? リータさーん!」
「……何で……どういう事……」
「おーーい! 聞こえてますかー?」
「おかしいよ……絶対……」
ブツブツと独り言を言いながら、レンカイの呼び掛けを完全に無視している。
と言うより、心ここに在らずで聞こえてないと言った方が正しいか。
レンカイが目で訴えるが、クレインとロクサーナも肩を竦めて首を傾げている。
「何で……何で……」
「ったく、しょうがねぇな〜」
頬をポリポリと掻きながら、溜息を吐いた少年。
リータに近付き、真後ろに陣取った。
「レンは……絶対、言ってない事が――」
「おいっ!!」
「きゃぁぁっ!? な、何? え、あの……もぉーー!」
声を掛けると同時に、両肩にポンッと手を置いた少年。
すると、長い耳をピーンと立たせ、リータから悲鳴が上がってしまった。
レンカイは少し笑いを堪えながら笑顔を見せるが――
「あ、ごめん。そんな驚くと思わなくて――」
「レンのバカぁぁ!!」
怒轟ッッ!!
「いっっっったぁーー!?」
小さな紅葉が、少年の頬に刻まれた。
不意の出来事とは言え、人前であらぬ姿を見せてしまった。
少女は、お年頃なのである。
「何だよっ! 引っ叩く事無ぇだろ!?」
「レンが悪いんでしょ! いきなりビックリさせるし……何で増やしたの!」
「リータが反応しないからじゃんか! てか増やすって何だよ!」
「え……それは、その……とにかくレンのせいなのっ! これ以上はセクハラなのっ!」
「えぇ……理不尽……」
頬を摩りつつ、仲間2人に助けを求める様な視線を送る少年。
しかし、左右から囁かれた言葉は、想像とは違っていた。
「セクハラだね」
「セクハラっス」
「お前ら……はいはい! 分かりましたよ!」
2人は別の意味で頬を膨らませ、2人は同じ事で笑いを堪える。
4人は今日も今日とて、あいも変わらずだ。
「朝から本当に騒がしいな、お前達」
すると、背後から聞こえて来た声。
其処には、眉間に皺を寄せたハイエルフが立っていた。
「先生、お早うございます!」
「今日は宜しくお願いするっス〜!」
「あぁ。私は甘くないからな、気を引き締めろ」
元気に挨拶をする2人に、此方も返すエルディン。
すると、後の2人が気になった。
レンカイは何やら不機嫌だし、リータに至ってはまたボーッと何処かを見ている。
しかし、小さな紅葉が目を引いた。
「その頬はどうした?」
「聞いて下さいよ〜! 何か、訳分かんない内にリータに――」
「エルディン様! レンがセクハラしたんです! どう思われますか!?」
「話が見えん。順序立てて、1人ずつ――」
「俺は只肩に触れただけだろーがぁ!」
「レンが悪いんだもんっ! セクハラだもんっ!」
わーわー騒ぎ始めたので、落ちかせようとしたエルディン。
だが、しきりに振り返るリータの目線の訳を考えると、『成る程……』と頷きを見せた。
「話は分かった。鬼子よ、お前が悪い……セクハラだな」
「ですよね――えぇぇぇぇ!?」
「兎娘、此奴の師匠を考えてみろ。そうは言っても、本人に悪気は無い」
「……確かに、そうなんですけどぉ……!」
付き合いが長いエルディンは、ラディオの性格を熟知している。
壊滅的に鈍感で、無自覚に色々振り撒いている事を。
そして、普段から《魔力感知》を発動しており、その効果範囲はランサリオンを余裕で覆い尽くす。
つまり、全てを察したという訳だ。
「その話は追々2人で……3人でどうにかしろ。時間が惜しい、『合同演習2日目』に入る」
「はいっ!」
「ういっス」
「は〜い……」
傍観者は元気に返事を、当事者の少女は渋々返事をした。
しかし、もう1人の当事者は腕を組み、首を傾げ始める。
「どうした?」
「あの〜……2人とか3人とか、師匠の事を考えろとか……どういう意味ですか?」
眉根を寄せて、真剣に考え込むレンカイ。
それを見たハイエルフは、思わず眉間を抑えてしまった。
まさか、此処まで似てしまうとは。
「……お前がラディオにソックリ、という事だ」
「え! あ、いや〜……そんなに褒められると、照れますよ〜」
「……行くぞ」
「はいっ! 宜しくお願いしまーす!」
師に似ていると言われるのは、少年にとって最高の褒め言葉。
途端に機嫌が直り、ハイエルフの後ろを先頭きって歩き出す。
(本当にソックリ……レミアナ様も苦労なさってるんだなぁ)
その後ろには、『はぁ〜』と大きな溜息を吐くリータ。
(リータが気にしてるのは昨日話してた獣人の子だって、全然気付いてないよね?)
(まぁ、気付く訳無いっス。ラディオさんも同じっスもん)
更にその後ろには、互いを見やり、半ば呆れ顔のクレインとロクサーナが続く。
賑やかな一団が居なくなり、朝の静寂が戻った大広場。
すると、外周に植えられている大木の天辺から、クルクルと舞い降りる1つの影。
2本のおさげにした白銀の長髪、同色の大きな耳と尻尾を振る様は、ご機嫌そのもの。
褐色の肌に輝く碧と蒼のオッドアイを、大広場の出口に向けて。
腰に下げたがま口は、昨日より少し膨らんでいる。
(レンカイ……観察したゾ……♡)
そう、ロゥパである。
実は、まだ巾着を返せていない。
少年の後を追っていた所、偶然仲間2人に出くわしたのだ。
初めての感情が抑えきれなかったロゥパは、2人に嬉々として事の顛末を伝える――
『って、レクサーが言ってたゾ! だから、ロゥパが返しに行くけど……変じゃ無い?』
『やだぁ〜ん♡ やっと女の子に目覚めてくれたのねぇ〜ん♡ 大丈夫よぉん、とぉ〜っても可愛いわぁん♡ ワンピースとかおポーチとか、プレゼントした甲斐があったわねぇん♡』
『ホントっ!? でも、フワフワするから、何喋れば良いか分かんないゾ……』
『おほほほほっ♡ やだぁ〜ん、いじらすぃ〜ん♡ 普通で良いのよぉん。お天気も良いしぃん、お茶でも誘って――』
『ロゥパ殿、先ずは相手をじっくり観察する事が重要です』
漢女を遮り、何故か入って来た英傑。
『観察……?』
『はい。相手方の邪魔にならぬ様、遠〜くからじっっっっくりと!』
『え、何? 何言っちゃてんのかしらこの子』
『分かったゾ! ロゥパもじっっっっくり観察してくるゾ』
『え! ちょっと待って、ローちゃんダメよぉん! ちょっ――足速〜い……』
狼の血を引く吠牙一族であり、SSランク冒険者は正しく韋駄天。
もう後ろ姿も見えなくなってしまった。
すると、無表情になった漢女が隣を見やる。
『良い事をした!』と、やたら満足気に頷く弟子の方へ。
『リーちゃん』
『ん? え?……あっ』
『アナタ、この後時間あるわよね?』
『はい……』
『お説教ね』
『はい……うわぁぁぁん! 許してくれ〜!』
呆れ果てた漢女に首根っこを掴まれ、引き摺られながらギルドへ連行される英傑なのであった――
(じっっっっと観察……出来たゾ♡)
がま口から巾着を取り出し、ギュッと握り締める姿がとても愛らしい。
だが、英傑のせいで、間違った方向に行ってしまっている。
因みに、リータは兎の獣人なので耳が良い。
木の上で呟かれる『レンカイ……♡』という文言に、1人気付いていたという訳だ。
(明日も……するゾ♡)
翌日も観察する事を決めた少女は、ルンルンでタワーの方へ歩いて行った。
▽▼▽
一方その頃――
「こうして、天空城は平和になりましたとさ」
「おぉ〜! みんなおともだちなのだ〜♡」
ラディオの膝の上に座り、パチパチと拍手を送るグレナダ。
暖かな日差しが差し込むテラスで、絵本を読んで貰っていたのだ。
パラパラとページを捲り、ラディオを見上げては体重を預ける。
その顔に、満開に笑顔を咲かせながら。
「おもしろかったのだ! きゃはははっ♡」
キラキラした瞳でそう告げると、ラディオがおでこにキスをしてくれた。
溢れる愛で満たされたグレナダは、とびきりの笑い声を上げる。
その時、洗面所から音が鳴った。
「丁度洗濯が終わったみたいだね。全部干し終わったら、バザールに行こうか」
「おそとっ! レナンもほしほしするのだ!」
「そうか」
洗濯物を籠に入れ、再びテラスにやって来たラディオ。
その後ろには、専用の小さな籠を持って、ちょこちょこと歩く娘の姿。
最近はよく真似をしたがるので、手頃な大きさの物を買ってやったのだ。
とは言っても、水を含んだ着ぐるみは重たいので、入っているのは下着数枚とヘアバンド等々である。
「バサバサして、パンパンしてくれるかな?」
「あいっ!」
着ぐるみを広げて水分を切り、形を整えるラディオ。
その真似をして、グレナダも自分の下着をバサバサしてパンパンする。
『できたのだっ!』と渡されたぐちゃっとした下着を直しながら、頬をゆるっゆるにするラディオ。
「偉いね。お手伝いしてくれて、有難う」
「ん〜〜♡ もっとほしほしするのだっ!」
頭を撫でられ、グレナダは幸せ一杯に瞼を瞑る。
程無くして、全ての着ぐるみと娘の下着、ラディオとレンカイの服に、純白のローブの洗濯物干しが終わった。
娘を抱き上げ、ズラッと並んだ衣類を眺めるラディオ。
(大きくなった、本当に。夏仕様の着ぐるみは、来年は着られないかもな)
羅列された、色取り取りの不細工な顔。
しかし、そのどれもがグレナダのお気に入りであり、ラディオの愛が込められた品だ。
(レナンが角を隠せる様になるまで……いや、違うな。角を隠さなくて良い様にしてやらなければ)
残された時間は後数年。
その間に、全ての元凶を断つ。
愛する娘が、安心して暮らせる様に……ずっと笑顔で居られる様に。
「さぁ、お着替えして、バザールに行こう」
「やったのだ〜!」
ちちの胸に顔を埋め、尻尾をブンブン振るグレナダ。
ラディオは一瞬眉根を寄せたが、直ぐに優しい微笑みを浮かべると、ギュッと小さな体を抱き締めた。
「レナン」
「あいっ?」
「……大好きだよ」
「レナンもちちだいすきなのだ〜♡」
温かな腕に包まれ、優しく言葉を掛けられ、全身を使って甘えるグレナダ。
そんな娘の頭を撫でながら、ラディオは家の中へ入って行った。
▽▼▽
同時刻、とある国の王城・『玉座の間』――
「陛下ー! 陛下ーー!!」
静かな朝の一時に、駆けて来た兵士の声が木霊した。
部屋に入るや否や、切迫した面持ちで跪く。
眼前には、贅の限りを尽くした絢爛豪華な玉座。
其処に座るは、1人の男。
何よりも眩い煌めきを放つ、金色の髪と瞳。
宝石を散りばめ、金で作られた月桂冠を被る。
細やかな金刺繍が入ったトーガローブの上に、同じ刺繍のドレープを纏い、気品と神秘性を醸し出す出で立ち。
肘掛に腕を置き、片足を玉座に乗せる所作からは、傲岸だが強烈なカリスマ性が容易に見て取れた。
「……騒々しい」
「失礼致しました。お伝え申し上げます。先程、第1城門監視兵より伝達、謎の軍勢が現れたとの事で御座います。迎撃の許可を頂きたく、参上致しました」
「……下がれ」
「陛下!? しかし――」
「陛下の御言葉が聞こえぬか? 下がるのだ」
驚きを見せた兵士をピシャリと遮った、嗄れた声。
腰まで伸びた白髪には、菱形の司教冠。
長身痩躯を包むのは、丈の長い金色のローブ。
その上に赤を差し色にしたケープを羽織い、獅子の顔飾りが付いた杖を持つ老齢な男。
「陛下の御心は、我々にとって神と同義。何人も異を唱えるべからず」
〜 【大僧正】ウルリック・ストラーバ 〜
すると、ウルリックの隣に座っていた少女も声を掛ける。
「心配しなくても、ねっ! もうガルガンが向かってるから、ねっ!」
〜【戦永城】レパルティ・ブリガ 〜
鉄紺色の丸い瞳に、幾つも編み込んだ同色の髪。
背中に挿した二振りの大剣は、自身の身長を大きく超えている。
金色の鎧に身を包むが、プレストプレートは無く、代わりに腰回りのフォールズがかなり大きく作られていた。
すると、今度は玉座の左隣から声が上がる。
「悲しいなぁ……帝国兵士ともあろうものが、この程度で騒ぎ立てるとは……悲しいなぁ」
〜【独騎士】ライカーズ・プリスナル 〜
暗赤色のギラギラとした瞳に、同色の髪を後ろで束ねた大柄な男。
全身鎧の上からでも、鍛え上げられた肉体を感じる。
そして、背負う大刀からは、全てをねじ伏せる気概が溢れていた。
「その通り……ですぅ。静かにして……ですぅ」
〜【将星妃】エイレネ・ビヤセーリ 〜
ライカーズの左から聞こえた、オドオドしたか細い声。
鮮やかな黄緑色の長髪だが、伸び過ぎた前髪によって瞳が隠れている。
細身の剣を両腕で谷間に押し込むので、実りに実ったメロンメロンが強調されていた。
しかし、頻りに人差し指の背を噛む内股の姿は、全身鎧を着ていて尚心細い。
「帝国に弱者は要らぬ……ウルリック」
「御意に――《ダークホール》」
男が命じるまま、ウルリックが床に杖を一突きすると、兵士の真下に真っ暗な闇が現れた。
「ひっ!? お、お許しを! 陛下! 陛下ぁぁぁぁ――!!」
懇願も虚しく、兵士を飲み込んだ闇は、すっとその口を閉じて消えた。
断末魔の叫びを眼前で聞いたというのに眉一つ動かさない男の名は、ゼルキアス・エルカサル・オーディガ・ザングローグ。
軍国主義国家、ザングローグ大帝国48代目【皇帝】である。
そして、両隣に侍る4人は、最高戦力機関【帝国五騎士】の面々だ。
すると、廊下から足音を響かせ、最後の1人がやって来る。
「……遅かったな、ガルガン」
「申し訳ありません、陛下。軍勢は殲滅、率いていた男を連れて参りました」
〜【英雄王】ガルガン・シュトライゼン 〜
篭った声を出したのは、弾ける黄色の逆立った髪を持つ長身の男。
金色の鎧を身に纏い、純白の外套をたなびかせる姿は、堂々としていて風格に満ちている。
だが、切れ長の目穴だけが空いた漆黒の仮面を被っている為、表情を窺い知る事は出来ない。
彼こそ、【帝国五騎士】のリーダーであり、皇帝に次ぐ権力を持つ男。
そして、その身に刻印を刻みし、【帝国の英雄】その人だった。
「陛下の御前だ。刹那の無礼も死に直結すると思え」
そう言うと、両手を拘束した男を投げ飛ばしたガルガン。
ゼルキアスの前に転がり、ゆっくりと見上げる白金色の瞳。
「して、貴様は?」
「お初にお目に掛かります。僕は深淵教団三大枢機卿が1人、サブナックと申します」
何と、軍勢を率いてやった来たのはサブナックだったのだ。
予想だにしない言葉に、一瞬反応を見せる五騎士達。
だが、ゼルキアスだけは微動だにしなかった。
「目的は?」
「皇帝陛下に、少々面白いお話を持って参りました。世界を救いし……王国の秘密について」
そう言うと、三日月の様に口角を吊り上げたサブナック。
その瞳に、何よりも禍々しい狂気を宿して。




