第115話 少年、確信している
(後白金貨50枚……よし! よしよしよし!)
ラディオが跳ね馬亭に着いた頃、娼館街入口付近を歩いていたレンカイ。
その顔には、着実に前進している喜びが溢れていた。
完済まで、もう少し。
だが、実際は前進どころでは無い勢いだ。
ラディオに師事してから2ヶ月半。
たったこれだけの期間で、少年の2年間の返済額の倍近くを支払っているのだ。
それも、自分で勝ち得た戦果によって。
(今回の残りは、ひぃ、ふぅ、みぃ……金貨9枚か。何が良いかな〜)
萎んだ巾着の中を数えながら、少年は悩ましげに微笑みを浮かべる。
今迄ずっと貰ってばかりだった。
何度か欲しい物を聞いた事もあるが――
『欲しい物? ふむ……これかな』
そう言って、毎度頭を優しく撫でてくれる。
手の温もりが嬉しくて堪らないレンカイは、思わず笑顔になってしまうのだ。
すると、彼方も本当に嬉しそうに微笑みを見せてくれる。
しかし今回ばかりは、溢れる感謝を伝える為、形あるものを贈りたい。
(身に付ける物が良いよな〜。けど、ネックレスはしてるし……ブレスレット……って感じでも無いし)
腕を組み、てくてくと歩きながら贈り物を考える。
その顔に、とても楽しそうな微笑みを浮かべながら。
(……うん、やっぱりアレだな!……とは言っても、ホントにこの辺何もねぇな〜)
中段中央付近まで来る間、左右に散らばる店を覗いていたが、いかんせん数が少ない。
どちらかと言えば、クランの拠点や住宅が多いのだ。
このまま進めば教会だし、戻って娼館街で買うのは有り得ない。
しかし、下段では物足りない……となれば――
(……母ちゃん)
見上げる先には、『上段』へ続く階段がある。
少年は少し苦い顔をすると、雄起の柄を強く握り締めた。
嘗て、レンカイを襲った『鬼病』。
鬼人の子供達が5〜10歳までに必ず罹る病であり、発症すると7日7晩高熱にうなされる。
治療しなければ永久に自我を失い、見境無く人を襲う悪鬼に成り果ててしまうのだ。
だが、実は鬼人にとって大切な病でもある。
高熱が出ている間、ずっと夢を見る子供達。
それは、自身である『鬼』と対話し、鬼人本来の姿を取り戻す為。
ある種、儀式と言った方が正しいかも知れない。
治療法は、7日目の朝と晩に『桜の花弁と木の根』を煎じて飲む事。
『御神木』がそう呼ばれ、崇められているのは、これが理由である。
しかし、桜の木は幽玄郷固有の植物だ。
他国に居た場合、入手する事は困難を極める。
高熱を出して苦しむ息子を放って置く事等出来る訳も無く、途方にくれてしまったモモの様に。
そんな時、上段にある薬草問屋が、『桜』を仕入れたという情報を得た。
早速、息子を連れて向かったモモ。
確かに、その店に物はあった……だが、再び途方にくれてしまう。
それは、白金貨100枚という超高額商品だったのだ。
その日、泣いて嫌がる息子を何とかギルドに預け、何処かへ行ってしまったモモ。
数日後、やっと帰って来た時の光景を、レンカイは一生忘れない。
『桜の花弁と木の根』を握り締め、安堵の涙を流す母の顔から……角が失われたていた光景を。
(向こうは好きじゃないけど、師匠の為だ。直ぐに迎えに行くから……もう直ぐだから。待っててくれよな、母ちゃん)
薬草問屋が悪くない事は分かっている。
それでも……多少思う所が出て来きてしまうのだ。
『その店の方には行かない様にしよう』、そう決めた少年は階段を上って行く。
▽▼▽
上段中央・『壱番街』
(……何か、違う街みたいだ)
2年振りに上段へやって来た少年は、思わず息を飲んだ。
眼前に広がる真っ直ぐな大通りは、結晶造りの石畳。
完璧に均整の取れた正方形で、美しく並べられている。
道の左右には、ゆったりとした間隔で様々な店が軒を連ねていた。
そのどれもが、汚れ1つ無いショーウィンドウを保ち、気品と高級感を漂わせている。
普段生活している下段の様な賑やかさは無いが、自然と背筋が伸びる気がするレンカイ。
だが――
( 『ボドドム製防具一式』……白金貨450枚っ!? マジかよ……これでお値打ち品なんて……)
店先を色々覗いていると、目に飛び込んで来た銀色の防具。
しかし、横に置いてある説明を読むと、目が飛び出そうになってしまった。
ボドドムは匠人と名高い獣人族の鍛治職人である。
お高い物になると、兜1つで白金貨200枚は超えるので、確かにお値打ち品なのかも知れないが。
(全然足んねぇじゃんか……)
手に持つ巾着の様に、少年の期待が萎れてしまった。
金貨9枚もあれば、下段の宿なら8ヶ月は泊まれる額である。
しかし、上段の価格帯は想像を遥かに超えていた。
(でも……ちゃっちぃもんは嫌だ……! 探せばきっと何かある!)
上段に構える店は、その殆どが専門店。
故に、置いてある物の質も高いが、値段も相応になっていく。
だが、全てでは無い筈。
今自分に出来る精一杯をやり遂げる為、少年は改めてやる気を漲らせた。
(何かしら恩恵が付与されている物なら……装飾品店も良いかもな! さ〜て、何処にあるか――ん? えっ……えぇぇぇぇ!?)
新たな候補を探しながら歩いていると、再び少年の目が飛び出そうになってしまった。
足が止まったのは武具店。
その店先に飾られていたのは、重厚な輝きを放つ、蒼い刃の両手斧。
『7年前に作られた、極美品』と書かれたそのお値段なんと、白金貨1675枚。
しかし、1番驚いたのは――
(ま、マジ……確か、これって……ぎ、ギギさん……だよなぁ……!)
柄に彫られた製作者の名前……『ジギヴロ』の文字である。
伝説の名工とは聞いていたが、まさかこれ程とは。
この時、弟子の少女がパフェを頬張りながら言っていた言葉の凄さを、少年は初めて理解出来た。
『親方の作品っスか? ここ数年は作ってないっぽいっスね〜。基本はオーダーメイドっスから、市場に出回ってる物は大概汎用品っスよ。まぁ、もし新作なんて出して、それが個人に宛てた物だったら……国レベルで奪い合いになるんじゃないっスかね〜』
ケラケラと笑いながら、そう話した少女。
その時は『またまたぁ〜』と、冗談半分で聞いていたが、今は開いた口が塞がらない。
そして、恐怖にも似た感情が湧き上がり、冷や汗をダラダラと流しながら、自身の両腕に目線を落とした。
(え、これ……新作……? 元英雄の一行で、伝説の名工で、Sランク冒険者【親方】の……新作ぅぅぅぅ!?)
そう、【王花君竜】は正しく『完全新作であり個人に宛てた物』。
しかも、形状記憶と形態変化を有する、最早訳の分からない代物だ。
更に、その素材はSSランクの変異種であり、竜王の加護を授かった男の魔力が込められている。
更に更に、より拘って作られた羽織はそれ以上の価値があるのだが……幸か不幸か、少年はその事実を知らない。
(はは、え……ちょ、えっ……あはははっ!……あっ、こんなに時間経ってる。帰ろ)
感情がぐちゃぐちゃになってしまった少年は、フラフラと歩いていたらしい。
しかし、気付けば約束の時間が迫っている。
急に冷静になったレンカイは、下段へ向かった。
(はぁ……喉乾いたな。皆の分も買って――だよなぁ……あぁもう! 何入ってんだよそのコーヒー!)
途中、テラス席のあるカフェに寄ろうとしたが、立看板を見るやがっくりと肩を落とす少年。
それはメニュー表だったのだが、『アイスラテ 金貨1枚』とか書かれているのだ。
更に、店内からの視線を感じ、ちょっとした怒りすら湧いて来てしまう。
(はいはい! 場違いでしたよ! 帰りますよっ!)
ぷんぷんしながら眉間に皺を寄せ、早歩きで通りを抜けようとするレンカイ。
その時、前方から何やら悲痛な叫び声が聞こえて来たのだ。
「い、痛いぃぃぃぃ! 何をするのですかぁぁぁぁ! あぁ!? 旦那様への贈り物がぁぁ!」
其処に居たのは、頭を抱えた1人の男。
綺麗に整えられた口髭や髪、金の刺繍の入った細身のジャケット、身に付けている多くの装飾品から、特権階級を思わせる風貌である。
そして、その前にはシュンとした小さな背中が見えた。
「ごめんだゾ……」
大きな銀色の耳も尻尾も力無く垂れさせ、俯きながら謝る少女。
いつもの溌剌としたオーラは陰を潜め、気不味そうにチラリと男を見上げた蒼と碧のオッドアイ。
そう、ロゥパである。
(何だ? あの子が何かしたのか?)
状況を掴もうと、自然と近寄って行くレンカイ。
すると、騒ぎを聞きつけ、店主やら買い物客やらも外に出て来た。
「でも……ぶつかって来たのは、そっちだゾ……」
「何を仰るのです! 貴女がぶつかって来たのでしょう! 現にお皿は割れ、私の腕がこんなに腫れているのですよ!」
「それは……ホントにごめんだゾ……」
どうやら、出会い頭のトラブルの様だ。
確かに男の足元には破片が散らばり、右腕も膨らんで見える。
だが、レンカイは思わず首を傾げた。
(あの子の背で……そこが腫れるか? 物を抱えて持ってたなら、尚更……だよなぁ)
ロゥパの身長が140cm程度なのに対し、男は190cmを超えている。
しかし、腫れているのは肘より上の部分。
どう考えても明らかにおかしいのだが、現場を目撃した訳では無いので、下手に口出し出来ない。
「どうすれば良いんだゾ……?」
「勿論、弁償して貰います。腕の治癒費も含めて、白金貨1枚を支払って頂きたい」
(えっ、安っ……いやいや! 安くねぇからっ!)
この短い間で、金銭感覚が混乱してしまっていた少年。
プルプルと頭を振って、正常思考に戻す。
すると、更にシュンとしながら、腰にぶら下げた狼モチーフのがま口を開くロゥパ。
「ロゥパのお金、これで全部だゾ……」
「なっ……! 私を、旦那様を舐めているのですかっ! この様なはした金では話にもなりませんよっ!」
差し出された両手の上にあったのは、銀貨3枚。
とは言っても、これが全財産という訳では無い。
SSランク冒険者として普段から自由に迷宮の深層へ潜っているロゥパは、一財産どころでは無い富を築いている。
だが、年齢も精神もまだまだ幼く、金銭に無頓着なロゥパ。
その為、成人を迎えるまでの間はオウヨウが管理すると、族長と取り決めてあるのだ。
週に銀貨3枚をお小遣いとし、本当に必要な物があれば随時支給という形で。
しかし、特に欲しい物は無い。
毎回楽しみにしている食事も、ギルド内で食べる時はタバサの元へ行き、外で食べる場合は跳ね馬亭や宿屋にお世話になっている。
勿論、タダ飯では無い。
預けてある貯蓄からオウヨウが支払ったり、色々なお手伝いやお使い―自ら進んでやっている―のお礼としてご飯を作ってくれるのだ。
「でも、これしか無いゾ……」
「それでは話にならないと言っているでしょう! 分かりました、親御さんはどちらですか? 其処で話を付けましょう!」
銀貨では満足出来ず、語気を強めて少女に詰め寄る男。
その時、宝石と見紛うオッドアイに、ゆっくりと涙が溜まっていくでは無いか。
「ロゥパには、じっちゃしか……居ないゾ……」
「何ですか! ハキハキと喋って頂かないと何も聞こえませんよぉ! 親御さんはどういう教育をしているのですかねぇ!!」
くしゃりと眉根を寄せ、霞の様な声を出すロゥパ。
だが、男は耳に手を当てがい、更に威嚇していく。
「だって、だって……! ロゥパ、は……ずっと、じっちゃがぁ……!」
心の奥底を、乱暴に掻き回されてしまった少女。
頬を震わせ、必死に我慢をしている。
『吠牙一族たる者、全てに勝る強者であれ』という、族長の教えを守る為に。
しかし、戦いでは感じた事の無い不安が、ロゥパの体を埋め尽くしていく。
もう抑えていられない……一杯に溜めた雫が、ゆっくり溢れ出した時――
「もう止めろよ! オッさん!!」
背後から響いた、力強い声。
ロゥパが振り返る間も無く、自分と男の間に割って入った来たのは、漆黒の羽織を纏う頼もしい背中。
そう、レンカイだ。
「何ですか、君は? 部外者は出しゃばらないで頂きたいのですがねぇ!」
「金払うなら部外者でも良いだろ? これやるから、もうこの子の事許してやってくれ!」
毅然とした態度で、男に巾着を投げ渡す。
本当なら贈り物に使う筈だったお金。
だが、一欠片の迷いも後悔も感じてはいない。
赤の他人である自分を助けてくれて、いつか追い付きたいと憧れるあの人なら……必ず同じ事をすると確信しているから。
「ほう、これはこれは……」
「ちょっと足んねぇけど、十分だろ」
いきなり現れて、見ず知らずの自分の為に大金を払ってくれた少年。
ロゥパは驚きと困惑で言葉が出ない。
だが、自然と涙は止まっていた。
「金貨9枚、確かに。ですが! これでは全然足りませんねぇ〜! 後金貨1枚、更に白金貨9枚請求致します!」
「はぁ!? 何でそんなに増えてんだよ!」
「慰謝料の分を忘れてしまっていましてね〜! この金貨では、私と旦那様の心の傷は癒せないのですよ〜!」
「オッさん……あんまりふざけてると――」
「おやおやぁ? 私に随分な態度ではありませんかぁ? 価値ある皿を壊し、怪我をさせた私に対して! 私を侮辱すると言う事は、旦那様を侮辱すると言う事! ひいては、帝国五大貴族ジオドラール家を侮辱すると言う事なのですよ!!」
「五大貴族……?」
「はははっ! 無知とは罪なものですね〜! さぁ、潔く慰謝料を支払いなさい! 我が君、アレクサンダル・フォン・ジオドラール様が――」
「いやいや〜、僕ちゃんの名前間違ってるよ〜?」
男の動きが止まった。
飄々とした声が聞こえて来たのは、先程のカフェのテラス。
其処には、背もたれに体を投げ出し、優雅に足を組んでニヒルな笑みを浮かべる1人の男の姿。
白銀に輝く艶やかな髪と金色の瞳を持つ、アレクサンディアス・シルトニアが座っていたのだ。




