第9話 父、固まる
一方、トリーチェと別れたレミアナは――
(はぁ……はぁ……ん? あれだなーっ!)
教わった道をひた走っていると、遂に女神を描いた大きなステンドグラスが見えて来た。
(これでやっと――あん、やだぁ……!)
すると、何やら悩ましげな吐息を漏らし、頬を赤らめ始めたレミアナ。
下に向けられた視線の先にあるのは、衝動によってプルルンと波打つ魅惑のメロンメロン。
(もう、ダメなのに……! んっ……スッゴい、揺れちゃう……!)
腕を振る度、足を前に出す度、気持ち良く跳ねるたわわな双丘。
大人になった彼女には、しっかりと羞恥心が芽生えて――
(ホンっト、こういう時にデカい乳は邪魔だな〜。揺れると痛いし――あ、でも……夜の性戦では役に立つか)
いる訳が無かった。
(ふひっ……ラディオ様ぁ♡ あはぁ〜♡ いけませぇん……そんなに先端ばかり刺激しては……嬉しくなっちゃいますぅぅ♡)
大神官長は、時と場所を選ばない。
もうだらし無く顔をニヤけさせるわ、涎を垂らすわ、上半身の一部分をローブから浮き立たせるわ、やりたい放題である。
「ふひっ、ふひひっ……♡ あ、もう直ぐね」
せっせと妄想に勤しみつつも、足だけは動かしていたレミアナ。
もう間も無く協会に着くという所で、人だかりが見えて来る。
それは、純白のローブに身を包む神官数名と信者達。
新たに着任する大神官長のお出迎えである。
彼等の眼前に急ブレーキで止まったレミアナは、『ふぅ』と一息ついてから、パンパンとローブを整える。
そして、ニコッと愛らしく清潔な笑顔を浮かべ、優雅にお辞儀をした。
「皆様、本日より【迷宮都市・ランサリオン】へ着任となりました、レミアナ・アルドゥイノです。女神様の御加護を賜り、この地に繁栄をもたらせるよう尽力していきますので、宜しく御願い致します」
陽の光を浴びて輝くプラチナブロンドの髪、何よりも澄んだクリアブルーの瞳、珠の様な白磁の肌、纏う清廉な雰囲気は素晴らしいの一言。
更に、目を見張るプルルンとしたメロンメロンに引き締まったくびれ、むっちりと張りのある桃尻。
こうして見ると、やはりレミアナの美しさは群を抜いている。
聖職者という肩書きと外見だけ見れば、まさに淑女の鑑と言って差し支えない。
外見だけ見ればだが。
「おぉ、大神官長様! お待ちしておりました。どうぞ此方へ」
朗らかに挨拶を返したのは、伸び過ぎた眉毛で目が隠れているヨボヨボの老神官長だ。
続いて、控えていた神官達も深々とお辞儀をする。
「私の事はレミアナと呼んで下さい。早速ですが、準備は出来ている……という事で宜しいですか?」
そう言ったレミアナの瞳に、只ならぬ狂気の色が浮かび上がる。
すると、顔を上げた神官長も同じ様にニヤリと微笑んだではないか。
「はい……全て滞りなく」
神官長の言葉を受けて、グニャリと歪んだ笑みを見せるレミアナ。
堪え切れない喜びに打ち震えながら、高らかに宣言する。
「では始めましょう! 『ラディオ様の一日の報告会』を! それに、是非とも確認したい事がありますので大至急でっっ!」
そう、レミアナは想い人の動向を根掘り葉掘り聞く為に、こんなにも急いでいたのだ。
大神官長の『愛』は、どこか歪んでいる……が、世界中に散らばる信者達は、そんな彼女を狂信的に慕っている事実が不思議である。
この10年、ずっとラディオの行方を捜していたレミアナ。
捜索は難航を極めたが、半年程前に『ランサリオンでラディオらしき人物を発見した』と、この地の信者から報告が入る。
それを受け、レミアナはランサリオンへ赴任希望を出したのだ。
世界を股にかけた、人海戦術と職権乱用の賜物である。
意気揚々と教会に入って行く一同。
暫くすると、ステンドグラスを突き破らんばかりの歓喜の悲鳴が木霊する、
果たして、10年という歳月で拗らせきった『愛』の行方やいかに。
▽▼▽
タワー2階・『待機所』――
「本日も宜しくお願い致します」
「は〜い、お預かりしますね〜」
いつもの様にグレナダを預け、職員に一礼したラディオ。
「良い子で待っているんだよ。夕方には帰ってくるからね」
「いってらっしゃーい! いってらっしゃーい!」
愛する娘に見送られて、ラディオは階段を降りていった。
グレナダも大分待機所に慣れて来ている。
だが、やはりちちの姿が見えなくなるまで、手を振り続けるのは止められなかった。
大好きな背中が階段に吸い込まれると、真紅の瞳に寂しさを落とし込む。
それでも、差し出された職員の手を握り、精一杯笑顔を見せるのだ。
「……せんせー! きょうのごはんはなんなのだ?」
「今日はね〜、お魚さんだったかなぁ」
「おさかなさんっ! レナン、おさかなさんすきなのだっ!」
「タバサさんのご飯は美味しいもんね♡ そう言えば、今日の着ぐるみさんは新作じゃない? それは……ぶたさ――」
「くまさんなのだっ!」
そう来ると分かっていたかの様に、ぴしゃりと遮ったグレナダ。
「そ、そうだよね〜! くまさんだよね〜! 可愛いね〜!!」
やってしまった。
職員は必死に取り繕うが、グレナダは微妙に遠い目をしている。
「……行こっか」
「……あい」
少し気不味い空気を醸し出しながら、2人は遊戯スペースまで歩いて行く。
▽▼▽
迷宮・7階層――
5階層までの洞窟フロアとは打って変わり、6階層からは密林フロアへと変化した【迷宮】。
出現するモンスターもガラリと変わり、依頼の数も増えている。
ここ最近は、日に3〜4つの依頼を同時に受けているラディオ。
その代わり、迷宮に潜る日を1日おきに減らし、娘との時間を増やそうという思惑である。
「チュチュッ!」
鬱蒼と生い茂る草木の中を歩いていると、大木の影からモンスターが飛び出して来た。
名前・フォレストラット
種族・ラット
属性・地
固有スキル・悪食
討伐ランクE+
〜何でも食べる最下級の鼠型モンスター。驚異の繁殖力と胃袋の丈夫さは厄介の一言〜
現れたのは、1m程の体躯を持つ鼠。
あれよあれよと言う間に数を増やし、大木を足場に飛び掛かって来た。
だが、翠のオーラを纏ったラディオは、その首を難なく手刀で落としていく。
数十匹の群れを一瞬にして葬ると、大木の幹に腰掛け、依頼達成率の確認に入った。
ブルースライム討伐数 186/20 達成
フォレストラット討伐数 36/100
ソイルワーム討伐数 0/5
(ソイルワームは未だ0匹……何か出現に条件があるのか?)
持ち歩く様になった水袋をぐいっとやりながら、姿すら見ていないモンスターの事を考える。
規定数討伐が少ない割に、報酬がそこそこ高いので選んだが、やはりそれなりに理由がある様だ。
(そうそう上手くはいかない、か。フォレストラットから片付けよう)
注意深く周囲に視線を走らせながら、疾走を始めたラディオ。
その時、前方から妙な気配を感じ取った。
直ぐ様高枝に飛び移り、葉の中へ身を隠す。
息を殺して様子を伺っていると、草木の奥から何かが現れた。
「はぁ……はぁ……うぅ……」
ヨロヨロと弱々しい足取りで、地面に倒れこむ。
それは、美しく塗り分けれた金と黒の髪色を持つ、獣人の女だった。
周囲の警戒をしつつ、女の横に着地したラディオ。
しかし、その顔は険しかった。
(これは……直ぐに戻らなければ)
獣人は酷い怪我を負っていたのだ。
深い刺し傷が痛々しい腹から、大量の血が染み出して来ている。
体は高熱を帯びて、呼吸も荒い。
早く対処しなければ、最悪の結果に至ってしまう。
ラディオは獣人をそっと抱きかかえると、《飛翔》を発動した。
(もう少しの辛抱だ……堪えてくれ)
獣人に細心の注意を払いながら、ギルド目指して飛び立って行く。
▽▼▽
タワー1階・『ギルド受付』――
「すみません、怪我人を診て頂けますか? 腹部の刺し傷から多量の出血をしています。高熱も出ているので、至急処置をして頂きたいんです」
「大変! 直ぐに此方に……あっ」
ギルドに到着するやカウンターまで走り、獣人の容態を告げる。
だが、獣人を見た受付嬢の動きが止まった。
ラディオは疑問に思ったが、今はそんな事を考えている場合ではない。
事態は一刻を争うのだから。
「お恥ずかしながら、私は治癒魔法が使えません。どなたか、専門職の方はいらっしゃいませんか?」
「えーと……ラディオさんはこの方とお知り合いですか?」
ラディオは更に疑問を募らせる。
今この時に聞くような内容だろうか。
「いえ、初対面です。しかし、今はそのような事を言っている場合ではないと思います」
「……そうですね。では、ギルドの治癒士を手配します。金貨1枚掛かりますが、宜しいですか?」
「構いません。預けている私の報酬から引いてください」
ラディオの毅然とした態度を受け、難しい顔をしていた受付嬢も、観念した様に手配を始める。
程なくして、到着した治癒士に抱えられ、獣人は治癒室へ運ばれて行った。
ラディオが獣人を見送っていると、受付嬢が此方にやって来た。
そして、咳払いで口元を隠しながら、小声で話し掛ける。
「……ラディオさん、悪い事は言いません。今後、あの方とは関わらない方が良いと思います」
「それはどういう……いえ、ご忠告有難う御座います」
受付嬢に一礼したラディオは、待機所へ足早に向かう。
迷宮内での行為が自己責任というのは百も承知。
だが、ギルドは冒険者の内情に不介入の筈。
にも関わらず……わざわざ忠告してきたのは何故なのか。
(レナンに火の粉が降り掛かるのは、避けなければならないが……)
ラディオは頭を悩ませながら、階段を上がっていく。
▽▼▽
バザールで買い物を済まし、帰り道を歩く親子。
ちちと手を繋ぎ、お気に入りの焼き菓子店にも寄って、グレナダはとても上機嫌だ。
しかし、街道を照らす夕暮れは、ラディオの顔に影を落としている。
考えていたのは、獣人の安否と受付嬢の対応だ。
(彼女は無事に回復しただろうか……)
「……ぃ? ……ちぃ!」
(だが、受付の対応は一体……しかし、余計な事をしてはレナンに……)
「ちーちー!!」
大きな呼び声によって、ハッと我に返ったラディオ。
見ると、プクッと頬を膨らませ、グレナダが拗ねている。
「……ごめんよ。少し考え事をしていたんだ」
ラディオは申し訳なく思いながら頭を撫でるが、グレナダは一層頬を膨らませた。
そして、両手を此方に向かって広げている。
『そうか』と更に申し訳無く思いながら、ラディオは娘を抱き上げた。
「本当にごめんよ。許してくれるかい?」
しかし、グレナダは大きな胸に顔を埋めたまま、無反応だ。
ご機嫌に揺れていた尻尾も、今はダランと下に垂れている。
「……レナン?」
「……ゆるすのだぁ♡」
ラディオが不安気に覗き込むと、胸からバっと顔を離し、満開の笑顔を咲かせたグレナダ。
構ってもらえた事で、満足したのだろう。
あっという間に幸せ一杯になり、ラディオを見つめながらデレデレしている。
「有難う、レナン」
「あいっ♡」
優しい微笑みで娘を眺めながら、ラディオは気持ちを固めた。
『やはり、深入りするのは止そう』と。
わざわざ忠告をしてくれたのだから、それを蔑ろにする理由は無い。
何より大事なのは、娘の安全なのだから。
夕暮れの空に笑い声を響かせながら、親子はゆっくりと街道を歩いて行く。
▽▼▽
家の石垣が見えて来た頃、ラディオの瞳が鋭く変化した。
背後に娘を隠し、警戒レベルを上げる。
静かに魔力を漲らせ、視線は玄関から外さずに。
(……誰だ)
ドアの前に、キョロキョロと動く人影があるのだ。
不可解な出来事があった日に、このタイミングで来訪者なんて。
しかも、動きが怪し過ぎる。
「ちち〜?」
「……大丈夫、何も心配無いよ」
すると、グレナダが此方を見上げながら心配そうな顔を見せた。
ラディオは優しく頭を撫でてやり、娘の不安を取り除く。
しかし、人影がハッキリと見える位置まで来ると、ラディオの足が止まってしまった。
その顔に、困惑と驚きを浮かべて。
(あれは……まさか、そんな筈は……)
人影が纏っているのは、純白のローブ。
それは正しく、神官の証であり、懐かしい気配まで漂ってくる。
だが、有り得ない。
2人共、こんな所に居る筈が無いのだから。
「君は……」
ラディオが意を決して声を掛けると、神官はビクッと反応を示した。
すると、突如として前屈みになり、荒い吐息を漏らす。
そして――
「あぁ……あぁ……遂に……遂にぃぃぃぃ♡」
大きな声を出して悶えながら、神官がぐるりと此方を振り向いた。
「この日をどれだけ待ち焦がれたか……♡ あの日の事を、後悔しない日はありませんでしたぁ♡」
ゆっくりとフードを取り払う神官。
現れたのは、煌めくプラチナブロンドの髪と、何よりも透き通ったクリアブルーの瞳。
白磁の柔肌を紅潮させ、涎を垂らしながら劣情を催した顔。
「お久しぶりです……ラディオ様ぁぁぁぁ♡♡」
瞳にくっきりとハートマークを浮かび上がらせ、アホ毛をビンビンに立ち上がらせた大神官長が其処に居た。
「…………レミアナ」
ラディオは目の前の光景が飲み込めず、固まってしまうのであった。




