第110.5話 兄妹竜、手を繋いで
1日後――
「はッ! てやぁぁッッ!!」
早朝、レンカイの気合の入った声が庭に木霊する。
振り抜いた雄起の切っ先を見つめる、紅の瞳の輝きたるや。
見事な立ち振る舞いを披露し、鍛錬に励んでいる。
「にーちゃー! ごはんできたのだー!」
その時、テラスから元気な声が響いて来た。
グレナダである。
ブンブン手を振りながら、兄に朝食の完成を呼び掛た。
「ふぅ……分かった、今行く――おっと!」
「これあげるのだっ!」
雄起を鞘に納め、一息ついた少年。
瞬間、軽い衝撃に見舞われる。
見ると、駆けて来たグレナダが足に飛び付いて来ていたのだ。
満開に笑顔を咲かせ、その手に真新しいタオルを握り締めて。
「おっ、サンキュー。レナンは気が効くなぁ」
受け取ったタオルで額の汗を拭いながら、レンカイは美しい白桃色の頭を撫でてやる。
すると、グレナダはフニャリと笑みを零して喜んだ。
「えへへぇ……あっ♡」
その時、何かに気付いたグレナダ。
我慢出来ずに、テラスへ一目散に駆けて行く。
段をよじ登ると、訴える様に両手を高く上げるのだ。
「レナン、きがきくのだっ!」
キラキラと瞳を輝かせ、仕事をこなした事を報告する。
すると、ふわりと体が持ち上げられ、大きな腕と優しい声に包まれた。
「そうか。兄さんに褒めてもらえて、良かったね」
「あいっ! きゃはははっ♡」
其処に居たのは、勿論ラディオ―タオルを渡した張本人―である。
子供達の微笑ましい光景をニコニコ……いや、デレデレしながら見つめていたのだ。
「冷めない内に、ご飯にしよう。今日は沢山予定があるからね」
「あいっ! ごっはっん♪ ごっはっん♪」
娘を下ろしてやると、嬉しそうに自分の椅子まで歩いていった。
其処へ、服を整えたレンカイがやって来る。
「レンもお腹が空いたろう?」
「はい、もうペコペコです!」
「手を洗ったら、沢山食べなさい。それはそうと……本当に良いのかい?」
タオルを受け取りながら、ふと問い掛けたラディオ。
すると、少年は飛び切りの笑顔を浮かべて頷いた。
「はい! あっ、でも……師匠がご迷惑でなければですけど」
「私は一向に構わないが、今のままでも良いんじゃないか? 少し整えるだけ、とか」
そう言うと、ラディオは何処か懐かしむ様な瞳を向けた。
それを見て、少し俯いたレンカイ。
その顔に、此方も何処か喜びを滲ませながら。
「師匠、ありがとうございます。でも、俺がして欲しいんです! もっともっと、師匠に近付く為に……2人に笑われない様に!」
「……そうか。分かった、私も誠心誠意やらせて貰うよ」
「お願いします!」
「それと、後で渡す物があるから」
「え、何ですか?」
「それは……お楽しみだ」
「えぇ〜! 教えて下さいよ〜!」
「後でね。さぁ、冷めないう……怒られない内に、食べよう」
「え? アハハ……そう、ですね」
笑顔を浮かべながらも、少し気まずさを醸し出したラディオ達は、同時に頬を掻き始める。
何故なら、ベビーチェアに座わり、ずっと待っている視線が突き刺さっているからだ。
『お腹が空いた。早く食べたい』という、強烈な熱視線が痛い程に。
▽▼▽
下段中央・大広場――
「も〜、遅いな〜」
「いやいや。まだ時間じゃないっスからね?」
「そうだよ。僕達が早過ぎたって言ってもいいぐらいだし」
「そんな事無いよ! 約束の1時間前行動が基本でしょ!」
「いや、初耳っス」
「うん、初耳だね」
心地良い朝の風が吹く、大広場の噴水前。
其処には、何やら賑やかな子供達の姿があった。
リータがキョロキョロと周囲に視線を走らせているのを、ロクサーナとクレインが笑いながら宥めている。
「リータ、焦らなくても大丈夫。ちゃんと来るから」
「レミアナ様……は〜い……」
すると、見兼ねたレミアナが弟子を諭す。
子供達に加えて、各師匠達も集まっていた。
皆一様―ハイエルフ以外―に手荷物を持参して。
「全く。ホントに落ち着かないっスね〜」
「そんな事!……ある、かも。でもでも、あれから会ってないし……」
「まだ1日経っただけじゃないっスか〜」
「まぁ気持ちは分かるよ。僕達だって会いたかったし――あっ!」
その時、大広場の入り口を指差して、クレインが笑顔を見せた。
つられた少女2人も、其方へ目線を送ると――
「お〜〜い!」
艶のある黒髪に紅の瞳を携えた少年が、元気に手を振りながら駆けて来たのだ。
そう、レンカイである。
仲間の顔を見渡し、少年はニコッと笑顔を咲かせる。
「はぁ……良かった。皆元気そうだな!」
ラディオが助け出した後、師匠から安否は聞かされていた子供達。
だが、『ほんの少しで良いから休ませてやれ』とも言われ、互いに会いに行くのを我慢していたのだ。
そして今、しっかりと自分の目で確認出来た事で、全員安堵の表情を浮かべて――
「…………何だよ」
いなかった。
クレインは眼鏡を持ち上げながら目を丸くしているし、ロクサーナは眉根を寄せている。
リータに至っては、焦点の定まらない瞳でボーッと見つめてくるだけ。
更に、怪訝な顔で問い掛けた筈のレンカイの口元まで、少し緩んでいる不思議。
すると、観念した様に首を振ったロクサーナが、嫌そうに口を開いた。
「はぁ〜……悔しいけど、文句が見当たらないっスね」
「え、どういう……意味、ですか?」
何故か敬語になった少年。
しかし、今や口角は上がりきっている。
それを見たロクサーナは再びの溜息を吐きながら、頭の後ろで手を組んだ。
「ダルいっスねぇ……ハイハイ、似合ってるっスよ! レンカイにしちゃ有り得ないぐらい、ちゃんとしてるっス」
「そ、そうか?……みゃ……まぁな! 師匠が切ってくれたんだから、当然だけどなっ!」
「うん、本当にカッコいいよ! いつもボッサボサのグッチャグチャだったの――」
「おい」
(…………♡)
わちゃわちゃし始めた―リータだけは相変わらず無言だが―子供達。
視線の先はレンカイの頭、綺麗に作られた髪型である。
これこそ、朝のお願いと口元が緩んだ正体だ。
ラディオと同じくサイドと襟足を刈り上げた、爽やかで清潔感溢れるカット。
だが、トップはあえて長く残し、被せればサイドの刈り上げ部分を隠せる様になっている。
それを、七三分けをベースにしながら、全体的に後ろに流す様に整えていた。
これは、ラディオの親心。
若かりし頃のホウレンを意識して、完全に自分と同じにはしなかったのだ。
「しっかし、ラディオさんて何でも出来るんスね。炊事洗濯掃除育児、裁縫戦闘散髪まで。ホント……何なんスか?」
「アハハッ! ばっかだなぁ! そんなん、師匠が最高だからに決まってんだろ?」
「う〜ん……ロクサーナの意図してる所は違うけどね」
「え?」
「やめるっス、クレイン。馬鹿に言ったって無駄っス」
「えぇ……リ、リータはどう思う!? あれ……リータ?」
2人に冷ややかな目を向けられ、堪らず助けを求めたレンカイ。
しかし、獣人の少女は未だ言葉を発しない。
心配になった少年は、グイッと顔を近づける。
「大丈夫かよ? 顔、真っ赤だぞ」
「……ふぇ!? ちょ、ちょっ――」
「あ〜! レン君、髪型変えたんだね。カッコいいよ〜♡」
「あっ、レミアナさん! ありがとうございますっ!」
少女がしどろもどろになった瞬間、図らずも助け舟がやって来た。
ラディオの腕をたわわなメロンの谷間に押し込み、がっちりと絡み付いた大神官長である。
そう言えば、レンカイが着いた時、入り口の方へ猛烈な勢いで駆けて行った気がする。
狂気に染まった声―(ラディオ様ぁぁぁぁ♡)―を上げながら。
すると、ハイエルフ達も気付いた様で、此方に向かって歩き出した。
「すまない、皆。待たせてしまったね」
「いえいえ〜♡ それを言ったら私、ず〜〜〜〜っと待ってますからぁ♡」
「……?」
そう言うと、徐に左手をチラつかせるレミアナ。
中年は首を傾げるばかりだが、そんな事構いもせず、狂気に満ちた瞳で薬指近辺を主張してくる。
「……すまない、それはどういう――」
「ちーちっ♡」
その時、グレナダが服をちょんちょんと引っ張って来た。
もう待ち切れない様子で、ソワソワしている。
ラディオも穏やかに頷き、娘を下ろしてやった。
「にーちゃ! これあげるのだっ!」
背負ったリュックを見せながら、キラキラした笑顔で少年の方を振り向いたグレナダ。
言われてみれば、確かにいつもと様子が違う。
『ちちくん』も絵本も入っていないし、弁当はラディオが持っている。
だが、明らかにパンパンに膨れているのだ。
「えと……じゃあ、開けるよ?」
「あいっ♡」
そっとリュックの口を開け、入っていた物を取り出す。
すると、目を大きく見開いたまま、少年の動きが止まった。
「これって……!」
それは、陽光を受けて薄らと七色に輝く漆黒の服。
袖は無いが、丈はかなり長く取られており、ジャケットともコートとも違っていた。
更に、背面を見た少年はグッと眉根を寄せる。
其処には、2つの刺繍が入っていたのだ。
1つは、右肩から左腰へ流れる見事な『桜吹雪』。
そしてもう1つは、鬼人族固有の漢字を使い、煌々と燃える様な紅色で『竜鬼』と。
「うわ〜! スッゴい綺麗っス! これ何ていう服っスか? てか、何て読むんスか?」
「レンカイ、着てみてよ!」
「……りゅうき。竜の鬼と書いて、りゅうきだ」
仲間の問い掛けにボソボソと答えながら、少年は慎重に袖を通す。
それを見たラディオは、本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。
「その通り。そして、これは『羽織』と言ってね。侍の伝統装束だ。レン、とても良く似合っているよ」
「ホントに! カッコいいなぁ」
「へ〜! はおりって言うんスね!」
羽織を纏い、感嘆の溜息を漏らす少年。
脹脛まで届く丈がありながら、全く重さを感じず、自分の体と錯覚してしまう程の着心地。
「レナン、にーちゃとおそろいなのだ〜♡」
すると、とびきりの笑顔を浮かべたグレナダ。
嬉しそうに見せて来た背中には、平仮名で刺繍された『りゅうき』の文字。
「お揃いって事は、これもりゅうきって読むんスね!」
「アハハッ、そうなんだ! でも、レナンちゃんは鬼っぽくはないかな〜」
グレナダを囲みながら、賑やかに笑うクレイン達。
だが、レンカイは未だ眉根を寄せたまま。
すると其処へ、機を見計らっていたギギが声を掛ける。
「おう、レン坊! 兄貴の渾身の贈り物には及ばんが、俺も精一杯やらせてもらったぜ。注文通り……いや、それ以上のモンが出来ちまったかもしれねぇな! だっはっはっはっ!」
「……え? あの、これは……?」
そう言うと、ドワーフは2つの腕輪を少年の手に握らせた。
羽織と同じく漆黒に輝く美しい逸品で、途轍もない魔力を感じる。
「レン、今朝言ったね? 渡したい物があると。1つは羽織、1つはその腕輪だ。はめてくれないか?」
「……こう、ですか?」
「そうだ。次は、魔力を込めながらこう唱えてくれ……《王花君竜》と」
「えと……分かりました。すぅ……《王花君竜》――うわっ!?」
言われた通り、両手首に腕輪を着け、魔力を込めながら名を唱える。
瞬間、眩い閃光が迸り、腕輪は一瞬にしてその姿を変えたのだ。
指先から肩に至るまで、頑強な鱗で覆われた見事な『籠手』へと。
その光景に、子供達や製作者本人はおろか、ハイエルフでさえ『ほう』と息を漏らす。
「これの名は『王花君竜』、君だけの籠手だ。ギギにはまた無理を言ってしまったが……本当に素晴らしい出来だね」
溢れる感謝を示すラディオに、ドワーフは『良いって事よ!』と、誇らしげに笑い声を上げる。
しかし、少年はゆっくりと俯いてしまった。
子供達は、その不自然な態度に首を傾げてしまう。
すると、ラディオは穏やかに微笑みを浮かべ、少年の肩に手を置いた。
片膝をついてしゃがみ込むと、心を込めて語り掛ける――
「レン、私が――」
「ご主人様ぁぁぁぁ! 申し訳ありませぇぇぇぇん!!」
が、遮られた。
レミアナ達の視線が、声のした方へ一斉に向けられる。
其処には、何やら言い合いながら、此方に向かって駆けて来る影が3つ。
「てんちょ、作った……くれた、ケーキ、ゆれる……ダメ、なのに……!」
「それもこれもトリーチェのせいですわ! 何時迄も店長から離れないから! 時間ギリギリ何てメイドとして失格……あぁ! ご主人様に罰して頂きますわぁ〜♡」
「も、申し訳ない〜! し、しかし! 初代様のお手前なんて、滅多に味わえないんだよ〜!」
そう、カリシャ達である。
それぞれに手荷物を持って、集合場所である大広場にやっと到着したという訳だ。
『はぁ』と呆れ笑いを浮かべながら、手を振って呼び掛けるレミアナ。
すると、反対方向から別の声が聞こえて来た。
「あっれー、まだ居はったんですの? 遅れて置いてかれる算段やったのに、失敗しましたわぁ」
「――――!! 〜〜♪」
其処に居たのは、気怠そうな細目の男と、頭上を飛び回る使い魔。
そう、イトとピーである。
そんな2人を、『いつも通り、時間前行動だな』と、笑いながら手招きするラディオ。
「急な呼び掛けにも関わらず、集まってくれて有難う。既にレイ殿は向かわれているから、私達も急ごう」
勢揃いした家族を見渡しながら、ラディオは満ち足りた笑顔浮かべた。
今日の目的は遠足の続きであり、場所も前回と同じ。
それは、ドレイオスの切なる願い故。
『子供達を護る為散っていった部下達を、その子供達の笑い声で送ってやって欲しい』と。
「準備は良いかな? では、出発だ」
ラディオの号令により、一団が動き出す。
それぞれに語らいながら、楽しげに笑顔を浮かべて。
だが、レンカイだけは動かず、俯いたまま。
子供達が駆け寄ろうとした時、それを遮る様に言葉を絞り出した。
「先に……行ってて下さい。後で、必ず……行きますから」
「……分かった。待っているよ」
静かに頷いたラディオは、皆を連れて歩いて行く。
1人残った少年は、良く晴れた青空を見上げ、ギュッと拳を握り締めた。
その瞳に、溢れんばかりの感謝の雫を浮かべて。
(母ちゃん、父ちゃん……! 師匠が……『羽織』を、くれたよ……!)
鬼人にとって、羽織はとても特別な物。
贈られる事は元より、贈る事に意味がある。
それは、父から子へ名を託すという事。
『跡継ぎ』として認め、心からの信頼を捧げる行為なのだ。
だからこそ、ラディオは『特別』に拘った。
半端な素材では、どうしても作りたくなかった。
亡き友の名を汚さぬ様、誇りを全うしたかったのだ。
(師匠は……ぐすっ……俺を、認めて……! でも……)
あの時、ダークエルフに遮られたラディオの言葉。
しかし、少年にだけは、全て聞こえていた――
『レン、私が居なくなった後の事は、心配しなくて良い。君達には、沢山の家族が居るからね。だが、私の跡を継ぐのは君しかいない……頼んだよ』
真摯な眼差しで託された、名と想い。
だが、『居なくなった後』という意味だけが、良く分からなかった。
この時、羽織を授かったと栄誉と、言い知れぬ不安が混在してしまう。
故に、どうしていいか分からず、少年は大広場に残ったのだ。
その時――
「にーちゃー!」
突如呼ばれた声に、驚いた少年。
振り返ると、少し頬を膨らませたグレナダが居た。
だが、少年と目が合うと、途端にキラキラと笑顔を見せる。
「にーちゃ! おむかえにきたのだぁ♡」
「…………そっか。ありがとな」
嬉しそうに尻尾を振りながら、羽織をギュッと握り締めたグレナダ。
こうして、いつでも笑顔を見せてくれる。
どんな時も、自分を受け入れてくれる。
この時、少年の中に何かが芽生えた。
(そういう事だったんですね……分かりました、師匠。レナンは……『竜姫』は俺が護ります……必ず。でも――)
『竜鬼』は『竜騎』、『りゅうき』は『竜姫』。
ラディオが刺繍に込めた真意は、しっかりと跡継ぎに伝わっていた。
そして、『居なくなる』という文言の意味も。
だが、そうはさせない。
グレナダにとって、自分にとって……ラディオはこんなにも掛け替えのない存在なのだから。
「レナン! 今日は一杯食べて、沢山遊ぼうな!」
「あいっ♡」
差し伸ばされた小さな手を、しっかりと握り締めた少年。
その顔に、芽生えた『決意』を携えて。
(レナンだけじゃない……師匠の事も、俺が!)
お揃いの服を着た『兄妹竜』は、家族の後を追って駆けて行く。
 




