第109話 道化、思惑を秘めながら
月明かりの中、妖しく輝く碧色の瞳。
全てを見透かす様なその眼差しは、女達に言い知れぬ危機感を与えていた。
「貴様、何者だ!」
サブナックを護る様に立ちはだかり、声を荒げる女。
微かな動きでも見逃すまいと、全神経を集中させ、ダークエルフを睨み付ける。
「うふふっ、可愛らしいですわね」
だが、ニャルコフは一切動じない。
それどころか、口元に手を添えて面白そうに笑い出す始末。
その醸し出す余裕が、女の神経を逆撫でしてしまった。
「ふざけるなッ! 次は不覚は取らん――」
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。無意味に命を散らす必要は有りませんからね」
「マスター!……くっ! 何故奴の心配など……!」
憤慨した女が駆け出そうとした時、サブナックがそれを制した。
どんなに怒りを滾らせようとも、主の言う事は絶対。
ニャルコフを睨み付けたままではあるが、女は大人しくなった。
「さて、お遊びも終わりました。此処に来た理由を聞いても良いですかね?」
黒炎が燻る地面に座り込んだまま、朗らかに微笑み掛けるサブナック。
「勿論、確認ですわ。下段で私を追い掛けた目的の、ね」
「あぁ、そんな事ですか。簡単ですよ。僕は、またラディオさんの感情が見たかったんです。でも、普通に近付いても無意味。そこで、オルフェさんに色々聞いて、『家族』を狙いました。『器』には手が出せませんし、他の方は少し面倒だったんで、貴女を選んでね。まぁ、わざわざ苗床の1つに化けてまで行ったのに、途中で金時計に邪魔されちゃいましたけど」
「……概ね予想通り。それで、もう1つは?」
「……もう1つ、とは?」
「わざわざ私にした理由は分かりましたわ。次は……あの人の目的を教えて下さるかしら?」
「ぷっ……くっくっくっ……!」
サブナックを見据えるダークエルフの瞳が、冷たい光を灯す。
すると、青年の口元がグニャリと歪みを見せた。
湧き上がる喜びを抑えきれぬ様子で、三日月の様に吊り上がっていく。
「良いぃ……良いですねぇ〜! 流石は【幻像の貴婦人】だ!」
「……その名はとうに捨てましたわ」
ダークエルフが少しの苛立ちを見せると、サブナックはわざとらしく頭を下げて謝罪の意を示す。
「馬鹿、な……!?」
すると、驚愕の表情を晒す女。
崇拝する主が、露出狂のダークエルフに頭を下げてしまっては、それも当然かも知れない。
だが、サブナックは尚も口元を吊り上げたまま、朗らかに語り出す。
その瞳に、只ならぬ歓喜を携えながら。
「本当は口止めされてたんですけど、貴女の素晴らしい観察眼に敬意を表してお答えしましょう。貴女の想像通り、彼女は今もご健在です」
「あの時、殺したと思っていましたのに……残念ですわ。目的は、一先ずの偵察と言った所でしょうか?」
「う〜ん、ご明察です。所で、何故【裁きの英断】が絡んでいたと分かったんですか?」
「……それこそ簡単な事ですわ。あの時、貴方の甲冑の部下の中に、【業を持つ者】が紛れていましたから。嘗ての私と同じ匂いを……血生臭い、欺瞞と下らぬ忠誠を感じましたわ」
ニャルコフは吐き捨てる様に言い放つと、心底嫌悪を表しながら首を振った。
「聞きたい事はもう有りません。私は、これでお暇させて頂きますわ」
「成る程〜。あ、僕に口止めとかしなくて良いんですか?」
「必要有りませんわ。貴方が何を言ったとしても、私のやる事に変わりはありませんもの。ご主人様にこの身を捧げ、その邪魔をする者は……完膚無きまでに壊すまで。あぁ、ご主人様……絶望の中に挿した一筋の光明……! 私も全霊を掛けて御返し致しますわぁ!」
そう言い放ったダークエルフの瞳は、底無しの闇を体現していた。
「そうですか……歪んでますねぇ」
「うふふっ、褒め言葉として受け取って置きますわ」
サブナックの言葉に、小首を傾げて見せたニャルコフ。
そして、二言三言呟き、空中に大きな穴を出現させた。
「それでは皆様、ご機嫌よう」
スカートの裾を摘んで優雅に一礼すると、ニャルコフは穴の中へ消えて行った。
「アハッ、アハハハハハッ! 【幻像の貴婦人】……やはり滾りますねぇ!」
残されたサブナックは、堪らぬ快感に酔いしれる。
夜空を見上げ、歓喜の叫びを上げるのだ。
その瞳に、尋常では無い狂気を孕みながら。
すると、押し黙っていた女が困惑に満ちた声で問い掛ける。
「マスター……あの女は、数字持ちですら有りません……。なのに、何故その名を……!」
そう、女が驚愕した理由は、主が頭を下げたからでは無い。
ダークエルフは養成扱いであり、組織を追放された者。
それなのに、サブナックが『首領』と同じ二つ名で呼んだ事が信じられなかったのだ。
「あぁ、そう言えば……君達は知らないんでしたね」
面白そうに顎に手を置いたサブナック。
「今の君の問いには、2つ間違いがあります。そうですねぇ、先ず質問をしましょうか。数字持ちは何人存在していますか?」
「……12人です」
「ピンポ〜ン! では、1番上と下の者は、何番と何番ですか?」
「……1と12、では無いのですか?」
「ブッブー! 実は、【業を持つ者】の序列は1〜12では有りません」
「……まさかッ……!」
「その通り〜。彼等の序列は0〜11……そして、彼女が持つ数字は0です。これが1つ目の間違いです」
何と、ニャルコフこそが【裁きの英断】で最高位の存在。
彼女が持つ刻印、それを囲う変形八角形がナンバー『0』を表していたのだ。
【業を持つ者】は最下位のナンバー11でさえ、司教以上と同レベル。
無論、数字が若くなればなる程、力を増していく。
更に、ナンバー1〜3が持つ力は尋常では無い。
その中でも『1』は群を抜いており、三大枢機卿と同格。
そして、それらをまとめる『首領』は、言わずもがな誰よりも強い。
「後はですね、【幻像の貴婦人】という二つ名は、謂わば資格です。今の首領だけが冠しているのでは無く、【幻像の貴婦人】を冠した者が首領と成るのです。これが、2つ目の間違いです」
聞かされた事実に、女は開いた口が塞がない。
しかし、同時に全てを理解した。
ダークエルフの異常な力量……そして、『無意味に命を散らす必要は無い』という文言の真意に。
サブナックは彼方の心配をしていたのでは無い。
女が突っかかっていけば、必ず殺されると分かっていたからこそ、取り敢えず止めに入ったという訳だ。
「端的に言えば、彼女は確かに養成です。ですが、それは次期首領に選ばれた者にのみ与えられるポジションなんです。まぁ……この話を知っている者は殆ど居ないので、仕方ないですね」
「短慮な行動、誠に申し訳ありませんでした……!」
「いえいえ。そのお陰で、彼等の目的の1つ……それも、大きなモノが見えた気がします。裏切り者に対して、経過観察をするとはどういう意味なのか考えていましたが……アハハッ! そういう事でしたか」
グニャリと口角を歪ませ、狂気の笑みを見せたサブナック。
何と、ニャルコフに伝えた『偵察』という言葉は嘘だった。
しかし、向こうもそれは看破している筈。
それでも、互いに腹を探り合いながらの邂逅は、サブナックにとって有利に事が進んだ様だ。
「さて、意外な収穫が2つも有りましたし……僕達も帰りましょうか。これ以上準備が遅れると、本当にゼノさん帰って来ちゃうんで」
「はっ! では直ぐに転移陣を……2つ?」
ここで、女は首を傾げた。
1つは【裁きの英断】について、何某かの情報を得た事だと分かる。
だが、もう1つが分からない。
「そうですよ。こんなに素晴らしい贈り物を頂かない手は有りませんからね」
そう言うと、サブナックは両手に魔力を込め始めた。
すると、全てを喰い潰す圧力が、瞬く間に大気に充満していく。
同時に、夜空に浮かぶ月の様に輝く白金色の瞳に、逆さ十字の文様が浮かび上がったではないか。
「くっくっ……この黒炎、本当に滾りますよねぇ……《強制された産声 》!」
両手を地面に押し当てると、領地を覆い尽くす程の魔法陣が出現した。
禍々しいオーラが噴き出し、轟音が響き渡る。
すると、点々と燻っていた黒炎が、上空に向かって火柱を上げたではないか。
「これが2つ目……凄まじい……!」
女は思わず感嘆の声を上げる。
普段から見ている光景とは言え、今回素材にしたモノは異常な力。
舞い踊った火柱が収束していき、人の形を成していく様に、魅入ってしまったのだ。
「さぁ! 君達に【鎧黒子】の名と、新たな命を授けましょう! 」
サブナックはギラギラと瞳に狂気を宿し、跪いた物体を満足気に眺める。
現れたのは、領民の亡骸である塵と、黒炎を混ぜ合わせ作り上げた漆黒の骸。
落ち窪んだ空虚な眼から炎を噴き出す、猛々しい骸骨の大軍団だった。
これこそ、ラディオが危惧していた力の正体。
死者に命を与え、生者とも違った存在を生み出す超高等秘術。
数世紀の間、世界から失われていた筈の異端の力、『死霊術』である。
「ラディオさんに心から感謝を送り、御返しとして存分に暴れ回って下さいね……アハハハハハッ!」
高笑いを上げるサブナック。
深淵教団三大枢機卿が1人、【狂乱道化】と呼ばれる『死霊術師』だ。
「いや〜良いですねぇ〜。僕のコレクションがまた一段と輝きを……あっ」
造り上げた漆黒の骸を眺めながら、うんうんと頷いていたサブナック。
だが、ふと夜空を見上げ、軽い溜息を吐いた。
女達も吊られて見上げると、突如空間に穴が開いていく。
其処から1つの影が舞い降りると、気だるそうに此方に歩いて来た。
「サブ、ちょっと自由過ぎるんじゃない?」
聞こえて来たのは、瑞々しい高い声。
だが、掛けた言葉には、呆れの色が滲んでいる。
サブナックの前まで来ると、フードを取って大きな溜息を吐いた。
現れたのは、後ろで一房に纏めた金糸雀色の艶やかな長髪に、均整の取れた美麗な顔。
此方も呆れを浮かべた銀朱色の瞳と、長い耳を持つエルフ族の女。
すると、大司教達が恭しく跪いたでは無いか。
「君が来たって事は……ゼノさん帰って来ちゃいました?」
「その逆。教皇様が、ゼノが戻る前に迎えに行けって。はぁ〜、何で私がアンタなんか……暇じゃないんですけど」
「アハハ……申し訳無いですねぇ、アドニア」
女の正体は三大枢機卿最後の1人、アドニアだった。
アドニアの怪訝な視線を浴びながら、ほっと胸を撫で下ろすサブナック。
「しっかし、また面白いモン造ったもんね。この炎何なの……ま、いいわ。教皇様の事は伝えたわよ。私、『海底都市』で忙しいから。アンタは直ぐに戻んなさいよ!」
鎧黒子を興味深げに一瞥してから、アドニアはさっさと穴へ戻って行く。
子供の様に手を振って見送ったサブナックは、ようやっと立ち上がった。
「いや〜、危なかったですねぇ」
そう言いつつも、何処か嬉しそうに笑みを浮かべる青年。
顎を摩りながら、思案に耽る。
すると、女が急かす様に言葉を掛けた。
「マスター、アドニア様にまで御足労頂いたのです。教皇様がお呼びとあらば、即座に帰還しなければ」
「アドニアは順調ですが……ゼノさんは未だ『天空城』を見つけられて無い……となれば……」
「……マスター?」
ブツブツと何かを言っているサブナックに、再び呼び掛ける女。
「よし、決めました。十分に楽しんだので、僕も最後の仕上げに掛かります。君達は鎧黒子を連れて、先に戻って下さい。僕は……直接『帝国』に向かいます」
「マスター! またお一人で……いや、その前に教皇様には何と?」
「【幻像の貴婦人】の事……それと、『熾天使』を堕とし、必ずや『魔魂』を献上すると伝えて下さい」
「……かしこまりました」
女はそれ以上何も言わなかった。
主から発せられる研ぎ澄まされたオーラに、思わず圧倒されてしまったからだ。
サブナックに一礼をすると、漆黒の大軍団を引き連れて転移陣へ消えて行く。
1人残ったサブナックは、煌めく月を見上げながら、グニャリと口角を吊り上げた。
「捨て駒は、想像以上に良い働きをしてくれましたね。これでまた1つ……器が成長した事は間違いない」
そう、コルティスを唆し、子供達を誘拐させた真の目的は器の成長を促す為であり、結果は上々以上。
更には、ラディオの黒炎という置き土産まで手に入った。
そして、ダークエルフとの邂逅。
互いに嘘を盛り込みながらの舌戦は、一体何を齎したのか。
「今度は、彼がどこまで動いてくれるのか……楽しみですねぇ! アハハハハハッッ!!」
静まり返った黒焦げの大地に、狂気に染まった高笑いが響き渡る。
準備の仕上げとは、『熾天使』とは、そして彼とは一体……。
様々な思惑を秘めながら、【狂乱道化】は闇夜に消えて行く。




