第106話 少年、角なら生えてる
『クククッ……ハハハハハッ! 素晴らしいぃ……素晴らしい力だぁぁぁぁ!!』
『そこの黒フード! レナンを離せっ!』
『何だ貴様ぁ? 崇高なる……待て、その姿……そうか。貴様があの女が言っていた鬼人だな』
『は?……だったらどうだってんだ!』
『器と共に来てもらう。クククッ……これは、私の怨みを晴らす絶好の機会となりそうだ! ハハハハハッ!』
『ゴチャゴチャ訳の分かんねー事言ってんじゃねぇ! さっさとレナンを離せっ!』
『くっ……ゴミの分際でぇ……! 口の聞き方を教えてやるッ!』
黒い人影から禍々しいオーラが飛び出すと、遠くで悲鳴が聞こえて来た。
その瞬間、少年は怒りに任せて斬り掛かる。
だが――
『てめぇぇぇぇ! リータに何した――がふっ!?』
『私に隙など無い。弁えろ、ゴミが』
視界がグラつき、少年の意識が途絶える。
人影は、竜の着ぐるみを纏った幼女と、血反吐を吐いて横たわる少年を抱えた。
『素晴らしい……素晴らしいぃぃ! この力があれば、あのゴミも必ず……!』
人影は宙空に真っ黒な穴を開けると、高笑いを響かせながら、その中へ入って行く。
草原に残されたのは、深い眠りに誘われた子供達と職員。
そして、それを護ろうと懸命に抗った、治安部隊の無残な亡骸だった。
▽▼▽
「うぅ……ぐぅ!?――うわぁぁぁぁ!!」
途絶えていた意識が、堪え難い激痛によって戻って来た。
心臓を直接握り潰されている様な、途方も無い感覚。
すると、前方から悦に浸った笑い声が響いて来る。
「ハハハハハッ! 何時迄も寝ているな、このゴミがぁ!」
「ぐはっ! はぁ……はぁ……てめぇ……! リータ、は……どうした……!」
見知らぬ荒れ果てた屋敷の中、レンカイの目に映るのは、にやけきった口元を晒す人影。
徐に銀色に光る左手を突き出し、何かを潰す動作をした瞬間――
「ぐわぁぁぁぁ!! うぅ……あぁぁぁぁ!!」
またしても、身体中に激痛が走る。
人影は再び笑い声を上げると、手を払った。
痛みは引いたが、口から血が滴り落ち、朦朧としてしまうレンカイ。
だが、オーラの鎖によって壁に拘束され、身動きが取れなかった。
「はぁ……はぁ……レナン、は……何処だ……!」
「私の《呪い》を受けて尚、問答が出来るとは。クククッ……ゴミが心配などしなくとも、器は此処に居る」
人影が宙に円を描くと、鳥籠の様な檻が現れた。
その中には、ぐったりと横たわるグレナダの姿。
レンカイは瞳に怒りを燃やし、拘束を解こうと暴れ始めた。
「クソ……クソォォォ! ぐふっ……レナンに……何しやがったぁぁ!!」
「よく吠えるゴミだ。器に傷はつけられない……そう厳命されたからな。ちっ!」
人影は残念そうに舌打ちをした。
ピクリとも動かないグレナダを眺めながら、しきりに手を動かし、溜息を漏らす。
「レナンに、何かしてみろ……! 俺が、絶対に……許さねぇからな……!」
「貴様ぁ……調子に乗るのも大概にしておけよ! ほらっ!」
「ぐあぁぁぁぁぁぁ!!」
少年の態度に苛立った人影は、また呪いを掛ける。
三度の激痛に襲われ、凄まじい悲鳴を上げるレンカイ。
それを見た人影は、口角を釣り上げながら檻を開けた。
グレナダの体を床に下ろし、二言三言呟く。
すると、むくりと起き上がったではないか。
焦点が定まっていない虚ろな瞳で、ぼーっと宙空を見つめている。
「良い事を教えてやる……この器の正体をなぁ!!」
狂気を撒き散らしながら、人影はグレナダのフードを取り去った。
そして、着けていたヘアバンドも毟ってしまう。
人影は少し口元を引きつらせながも、レンカイをじっと見据えた。
「本当に……ど、どうだぁ! これで分かったかぁ!」
「………その角……まさ、か……!」
レンカイの瞳が驚愕に染まっていく。
グレナダに生えた、燦然と輝く真紅の両角。
それは正しく、お伽話で聞いていた『魔王の証』だった。
「貴様が慕うゴミが育てている物は、世界の災厄だったんだよぉ! 全てを騙し、嘘で塗り固めていたんだ! ハハハハハッ!」
嘲りの笑い声を上げながら、人影は宙空に穴を開けた。
そこから小さなリュックを取り出し、中身を床にぶち撒ける。
足で物を掻き分け、丁寧に包まれていた四角い物を手に取った。
「これは良いぃ……しかと見ておけッ!」
そう言うと、包みを解き始めた人影。
現れたのは、ラディオが丹精込めて作った弁当。
中には、綺麗に並べられたオカズと、三食そぼろで描かれた、趣向を凝らしたご飯。
それは、『キラキラと笑うグレナダ』だった。
しかし、人影は舌打ちをすると、あろう事か其処に唾を吐き掛ける。
そして、リュック同様弁当の中身を床にぶち撒けたのだ。
「何、してんだ! てめぇ……! それは、師匠が、一生懸命――うぁぁぁぁぁぁ!!」
「黙って見いろ。クククッ……この姿を、あのゴミに見せられないのは残念でならないなぁ!」
レンカイの心臓を握り潰しながら、人影は弁当の中身をグチャグチャに踏み潰していく。
そして、グレナダに向かって手を掲げたでは無いか。
激痛に襲われているレンカイに、有り得ない悪寒が走る。
すると、意思なく四つん這いになったグレナダ。
「ぐぅぅ!! やめ、ろ……あぁぁぁぁ!!」
「ハハハハハッ! 折角の弁当だからな! 食べないのは勿体ないだろう!」
ラディオの愛がこもった弁当。
描かれた自分を見たら、グレナダはどれだけ喜んだだろうか。
「やめ、ろ……やめ……ぐぅぅぅ!!」
だが、人影はそれに唾を吐き掛け、踏み潰した。
更に、あろう事かそれを食べさせようというのだ。
その間にも、グレナダの顔はどんどん床に近付けていく。
人影の口角が、これ以上ない程吊り上がった時――
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ――!!!!」
少年から、堪え難い怒りの咆哮が上がった。
空間を揺らし、止めどなくオーラを溢れさせる。
鎖の拘束を引き千切った瞬間、レンカイはグレナダの元へ駆けた。
だが、行く手に現れた巨大な何かに道を塞がれる。
良く見ると、それはギラリと光る大きな鋏。
それを持つのは、朧げなローブを身に纏い、宙を漂うゴースト系のモンスターだった。
フードの奥から緑色の目を光らせ、肉の付いていない骨だけの手で鋏を鳴らしている。
「私の拘束を解くとは、腐っても鬼人という所か。良いだろう、まだ到着されるまで時間は有る。貴様に機会をくれてやろう。その『デスシザース』に勝つ事が出来れば、器を返してやらんでもない」
「ふざけんなッ! 返すも何も……レナンはてめぇのもんじゃねぇ!」
ありったけの魔力を爆発させながら、人影を睨むレンカイ。
その時、人影は首を傾げた。
グレナダの襟首を掴み、顔の前に持ってくる。
そして、マジマジと観察しながら、更に首を傾げるのだ。
「ゴミの思考は全く分からん。世界の災厄に、何故そこまで入れ込むんだ? この角を見て分からないの――」
「関係ねぇんだよッッ!!」
人影をピシャリと遮る少年。
もうとっくに限界を超えている怒りが、グレナダを物の様に扱った事で、更に膨れ上がっていく。
握り締めた拳から、血が滲む事も厭わない。
「角がどうとか……魔王がどうとか……関係ねぇんだよ! 2人は俺を受け入れてくれたんだ……それを、てめぇは……!! 角が何だ……角なら俺にも生えてるぞ! はぁぁぁぁぁ!!」
少年から、紅蓮のオーラが立ち昇った。
見る見る内に、瞳と同じく黒髪を紅く染め上げていく。
そして、額に雄々しい双角を生やし、ユウダチを構えた。
「てめぇだけは絶対に許さねぇ!!」
瞬間、レンカイは床を蹴り、弾丸の様に上空へ飛び上がった。
其処の刹那、巨大な鋏が空を切る。
天井を足場に反転したレンカイは、勢いそのままに、デスシザースの頭目掛けてユウダチを振り抜いた。
「《一切断頭》ッ!」
オーラを纏った兜割りが、怪しく光る髑髏を捉える。
だが――
「オォォォォ……!」
むせび泣く様な声を上げ、デスシザースの返しの一撃がレンカイを襲う。
突き立てられた鋏をユウダチで躱し、床に着地したレンカイ。
すると、人影が馬鹿にした様に笑い声を漏らした。
「クックッ! やはりゴミだなぁ。デスシザースは幽体。光属性の、しかも中級以上の魔法でしか倒せないんだよぉぉ!」
そう、ゴースト系のモンスターに対し、物理攻撃はほぼ意味を成さない。
更に、レンカイは魔法の類が使えない。
その事を、人影は今の攻防で悟ったのだ。
しかし、少年に焦りは何一つ見られなかった。
『ゴースト系のモンスターと対峙した場合、先ず確認する事が有る』
レンカイは修行の日々を思い出しながら、デスシザースとの距離を測る。
(頭は違った。なら、次は……心臓だ!)
駆け出したレンカイに、両側からギラリと光る刃が襲い来る。
しかし、今度は飛び上がらない。
更に下方へ潜り込み、デスシザースの背面を取った。
後ろから斜め上方に向かって、ユウダチを心臓部分へ突き刺す。
「オォォォォ……!」
「何度やっても同じ事だというのが分からんのかぁ! ハハハハハッ!」
やはり効果は無い。
再び距離を取ったレンカイは、呼吸を整える。
そして、狙いを定めて床を蹴った。
『あまり知られていないが、幽体と言えども必ず核が存在する。それを潰せば、光属性の魔法で無くとも倒す事は可能だ。それは大概、頭や心臓に位置する部分で守られている。だが、そうでなかった場合は――』
地を這う様に駆け周り、デスシザースを翻弄する少年。
杭の様に何度も鋏を突き立てるが、動きが速過ぎて捉えられない。
その時、深く刺さった一撃のせいで、一瞬鋏を抜くのが遅れた。
その好機を、レンカイは見逃さない。
「そうでなかった場合は……実体化している部分を狙う事! 《一切断頭》ッ!」
体重を乗せた横薙ぎの一閃が、支点となる部位である『鋏要』を斬り裂いた。
持ち手と刃で真っ二つになった鋏は、大きな音を立てて床に散らばる。
すると、デスシザースの体が緑色の炎に包まれ、消滅したのだ。
「バカなっ!? 幽体であるデスシザースが、物理攻撃で倒される筈が無い!」
焦りを見せたのは、人影の方だった。
レンカイは残された鋏を蹴り飛ばし、ユウダチの切っ先を真っ直ぐに人影に向ける。
終わらぬ怒りを燃やし、必ずこの外道を倒すと決めた少年。
オーラを滾らせ、駆け出した。
「竜に師事する鬼舐めんなよ! クソ野郎ッ!」
「くぅ……ゴミの分際でぇぇぇぇ!」
人影は腕を突き出し、またも握る仕草をした。
これで、少年は痛みにのたうちまわる筈……そう考えていた。
だが、レンカイの足は止まらない。
苦悶に顔を歪めながらも、勢いは全く衰えないのだ。
鬼人の力を解放した今、少年の耐性は格段に向上している。
何より、グレナダを助け出すという強い想いが、レンカイに力を与えていたのだ。
「くっ……馬鹿の一つ覚えだな! そいつらも何体来ようが同じだぁぁ!」
苦し紛れに召喚したデスシザース3体が、レンカイの前に立ちはだかる。
だが、核の位置を特定された後となっては、最早足止めにすらなりはしない。
ものの数秒で3体とも蹴散らし、人影に迫る。
「これで終わり――うわぁ!?」
神速で振り上げたユウダチが、頭を捉えんとしたその時、衝撃に見舞われた。
そのまま吹き飛ばされ、反対側の壁に叩きつけられたレンカイ。
床に落ち、口から血を滴らせながらゆっくりと起き上がる。
しかし、その瞳からは先程までの戦意が失われてしまっていた。
「そんな……嘘、だろ……」
「はぁ……はぁ……ハハ、ハハハハハッ! どうだ! 私にかかれば、魔王の器であっても意のままに操れるんだぁぁ!!」
「そんな……目を覚ましてくれ! レナンッ!!」
そう、レンカイを吹き飛ばしたのは、誰あろうグレナダだった。
「ふーっ! ふーっ!」
悲しみの声を上げるレンカイの前に立つのは、瞳を紅に染め上げた『家族』の姿。
荒い息を漏らし、猛獣の様に少年を威嚇する小さな体。
迸る魔力は、どこか歪んで見えた。
「私に抗う者は、全て殺してやる! 私は偉大なんだ……素晴らしいんだ……だからこそ! 教皇様は私を必要としたのだ!」
ジリジリと近寄るグレナダに、レンカイは成す術が無い。
気付けば、鬼人の姿も失われていた。
どれだけ汚い手を使えば気が済むのか。
レンカイは血が漏れ出す程、強く歯を噛み締め、殺意を滾らせた瞳で人影を睨み付ける。
「てめぇ……! よくもレナンを……!」
「この結果は全て貴様が招いた事だ! 崇高なる深淵教団司教の地位に就くこの私を! 偉大なるこの私を愚弄した罪だ! その口調、その態度、その目! 全てが不快極まりない! まるであのゴミを見ているようだ……私から奴隷を、地位を、賞賛を、そしてこの両手を奪ったあのゴミの様だ! だが、私は生き残った! あのゴミに復讐する為に! 全てを壊してやる……原型を留めぬ程に嬲り殺しにしてやる……! ククク……ハハハハハッ!!」
狂った様に笑い出した人影は、フードを取り去った。
現れたのは、真ん中で分けられた金色の髪と瞳。
元々は端正な顔であった事が窺えるが、今は汚く歪んだ顔。
そして、エルフ族を象徴する長い耳。
【無限の軌跡】のクランリーダー、コルティスが其処に居た。




