第105話 父、関係無い
「本当にごめんな――」
「レイ殿、頭を上げてください」
不甲斐なさを噛み締める漢女に、ラディオは優しく声を掛ける。
ドレイオスがゆっくりと頭を上げると、ラディオの柔らかな微笑みが見えた。
「治安部隊の方達が命を賭してくれたからこそ、子供達も職員の方々も無事なのですから。先ずは、戦い抜いた分隊に御礼を述べさせて下さい。本当に有難う御座いました」
「ラディオちゃん……!」
絶え間無い感謝を込めて、頭を下げるラディオ。
分隊はその命を捧げてくれた。
それに対し、賞賛の言葉を言わずには居られなかったのだ。
そして、ドレイオスからは例えようの無い無念さをヒシヒシと感じる。
どれだけ悔しかったのだろう。
どれだけ怒りを滾らせたのだろう。
漢女の両拳は、見るに堪えない程にボロボロになっているのだから。
「この様な時に、不躾であるとは分かっています。ですが、今は情報が欲しい……詳しい話を聞かせて頂けますか?」
「敵わないわね……えぇ、勿論よ」
「何者かの分かる限りの詳細と、襲撃された時間と場所を……そう言えば、全滅したと仰っていましたが、どうやって知り得たのですか?」
ふとした疑問が生まれたラディオ。
護衛に付いていた分隊は全滅したと言っていた。
それならば、子供達や職員の保護は誰がしたのか。
加えて、その情報を持ち帰ってくれたのは誰なのか。
「それはね、2分隊とは別に斥候を潜ませていたの。万が一の時は、アタシに報告を入れられる様に。でも……戦いに参加させるべきだったわ……!」
そう、ドレイオスは職員達にも告げずに、1人の部隊員を派遣していたのだ。
気配を完全に消す事の出来る、隠密を主とする部隊から。
後方監視を担っていた分隊員の更に後ろから、遠足の動向を見守っていたのである。
問題が生じた際は、生き抜く事を大前提とし、必ず情報を持ち帰る様にと厳命して。
「成る程……流石ですね。レイ殿の判断は間違っていません。そのお陰で、こうして情報を得られたのですから」
「そうね……あの子も仲間の死を目の前にしながら、良く堪えてくれたのよね。でも、詳しい情報をくれたのは、別の子なの」
「別の子……? そうか……リータですね」
ラディオは漢女の言葉を思い返しながら、答えに行き着いた。
攫われたのは娘だけでは無く、レンカイも含まれている。
これは、依頼を受けてくれたという事。
ならば、当然の様にリータも側に居た筈……ラディオに懸念が生じる。
「リータは……無事なのですか?」
「えぇ……今は、もう大丈夫よ。レミアナちゃんが……解呪施してくれたから」
「そう、ですか……」
苦悶に歪むドレイオスの顔、そして解呪という言葉。
ラディオは、全身から湧き上がる激情を抑えなければならなかった。
あろう事か襲撃犯は、年端もいかぬ少女に呪いを掛けた。
命よりも大切な、『家族』の弟子であり仲間に。
「異変を察知した斥候が現場に近付くと、倒れているリィちゃんを発見したの。どれ程苦しかったのか……それでも、懸命に状況を教えてくれたと言っていたわ」
「……リータは今何処に?」
「教会で休んでいるわ。それと、レミアナちゃんから伝言もあるの。直ぐに来て欲しいそうよ」
「分かりました。先生をお願いしても宜しいですか?」
「えぇ……捜索隊の陣頭指揮はアタシが取るわ。必ず……何としてもレナンちゃん達を見つけ出すから」
ラディオは職員の肩を支え、何とか立ち上がらせた。
未だ涙は止まらず、しゃくりあげている。
ドレイオスが後を受け持つと、ラディオは一礼してから教会へ駆けて行った。
▽▼▽
ランサリオンへ到着したラディオは、一目散に教会を目指す。
治安部隊と金時計への賞賛を、改めて噛み締めながら。
(仲間を失った後だと言うのに……気丈だな)
常に活気に溢れた都市は、その様相をまるで変えていた。
普段開け放たれている門は完全に閉じられ、都市をグルリと囲む様に、治安部隊の面々が配置されていたのだ。
その周囲には、アニエーラが産み出した混成魔蟲達が目を光らせている。
更には、それらを含めて完璧に覆った防御障壁を、タワーからイル=ターが展開。
門の内側には、ジオトロ率いる【不沈戦団】が待機。
アレクサンディスの配下である『ゴブリンウォーキー』と、治安部隊がフォーマンセルを組み、都市内の至る所を警邏していた。
加えて、上空にはエノヴィアの召喚した妖精達が飛び回る。
全体の指揮を取るのは、スーリオスだ。
ランサリオンは今、最大厳戒態勢を敷いているのだ。
教会に近付いたラディオは、護衛にあたっていたトリーチェの姿を見とめた。
教会の屋根に立ち、並々ならぬ気合いを纏っている。
此方に気付いたトリーチェは、一瞬やるせない表情になったが、直ぐに凛とした眼差しを見せた。
互いに頷き合うと、ラディオは教会の中へ入って行く。
▽▼▽
「お待ちしておりました。此方へ」
老神官長に案内され、教会最上階へ来たラディオ。
壁際に置かれた長椅子に、沈痛な面持ちのレミアナが座っている。
顔の前で両手を組み合わせ、女神に祈りを捧げながら。
すると、足音に気付き此方に目を向けた。
ラディオを見るやいなや、唇を震わせ走り出す。
「遅くなってすまなかった」
「ぐすっ……ラディオ様ぁ……!」
温かな胸板に顔を埋め、声を押し殺して涙を流す。
レミアナを強く抱き締め、安心する様に頭を撫でるラディオ。
「リータの容体は?」
「もう、大丈夫です……。でも、でも……あんな小さな子に……《裂移の呪い》を掛けるなんて……! 絶対に許さない……!!」
「……本当に良く堪えた。リータも、君も」
《裂移の呪い》とは、嘗て罪人への尋問に使われていた凄惨極まりない呪いの1つである。
対象者の骨を内部から砕き、徐々に全身へ転移していくという、身の毛がよだつもの。
その痛みは想像を絶し、呪いの序盤であっても発狂してしまう者が殆ど。
罪人は痛みから逃れる為、直ぐに口を割ってしまう程だ。
しかし、余りに人道に反するという事で、呪詛魔法の中でも特に禁忌とされている。
そんなものを、リータは掛けられてしまったのだ。
そして、堪え難い痛みに必死に抗い、ランサリオンに情報をもたらしてくれたのである。
もし、ドレイオスが斥候を潜ませて居なければ、少女の命は潰えていただろう。
「ラディオ様、私も行きます。レナンちゃん達を取り戻して……リータの仇を取りに!」
レミアナは頬を濡らしながら、拳を握り締める。
ここまで怒りを露わにした事など、今迄無かった。
しかし、ラディオは深く頷くと、レミアナの拳を大きな手で包み込む。
「その気持ちは当然だ。だが、今はリータの側に居てやってくれ。その方が、あの子も安心する筈だ」
「でも……!」
「大丈夫、君の想いは私が受け取ろう。それに……私はとうに――」
「あぁ〜! まだ起きちゃダメっスよ〜!」
「そうだよ! 安静にしてないと!」
そう言いかけたラディオを遮り、扉の奥から子供達の声が響いて来る。
見ると、青い顔をしながらリータが此方に歩いてくるのだ。
直ぐ様駆け寄ったラディオ達は、リータを抱きかかえ、長椅子に寝かせる。
「リータ……寝てなきゃ駄目じゃない……!」
「申し訳、ありません。でも……ラディオ様に、伝えなきゃ……いけない事が……」
涙を一杯に溜めながら、少女の額に手を置いたレミアナ。
呪いは完全に消し去っている。
しかし、凄惨な痛みの記憶が、少女の精神を削っていたのだ。
それでも、金色の瞳はラディオをしっかりと見据えている。
「ゆっくりで良い。聞かせてくれ」
少女の強い覚悟を感じたラディオは、耳を傾けた。
扉から不安げに覗くロクサーナ達。
そちらを向いたレミアナは、2人に頷いて見せた。
すると、リータの両親が気を利かせ、子供達を部屋の中へ戻していく。
「レンは、レナンちゃんに……謝ろうと思って……草原、行きました。真っ黒な……人影が、急に現れて……部隊の人を……リィを逃す為に、レンも飛び出して……そこから、痛みに、襲われて……」
呼吸を乱し、途切れ途切れではあるが、一生懸命に伝えるリータ。
一言一句聞き漏らさぬ様に集中しながら、少女の言葉に頷くラディオ。
「本当に、痛くて……ぐすっ……でも、部隊の人が、助けてくれて……また、リィは見てるだけで……レナンちゃんも、レンも……連れてかれ、ました……!」
大粒の涙を零す少女の姿が、心を締め付ける。
柔らかな微笑みを浮かべ、ラディオは震える体を抱き上げた。
そして、最大の感謝を込めながら、言葉を紡ぐ。
「……それだけ聞ければ十分だ。君が生きていてくれて、本当に嬉しい。2人は必ず助け出す……だから、今はお休み」
掛けられた温かな言葉が、少女の張り詰めた心を解した。
プツリと緊張の糸が切れ、リータは微睡みの中へ落ちて行く。
少女をレミアナに預け、ラディオは真剣な眼差しで誓いを立てた。
「この借りは必ず返す……レナン達の分も、リータの分も」
「はい……ラディオ様、気を付けて下さいね」
レミアナは、自分の頬に置かれた大きな手に想いを預ける。
ラディオの姿が見えなくなると、少女に目線を移した。
やっと穏やかに眠れた弟子の髪を、優しく撫でる。
(ごめんね……私が側に居るから……)
どうしようもない怒りをグッと飲み込んで、レミアナは部屋へと戻って行った。
▽▼▽
教会の外に出るやいなや、《飛翔》を発動したラディオ。
脇目も振らず、一直線に上空へ羽ばたいていく。
その速度たるや尋常ではない。
ラディオが通った後は、巨大な衝撃波が巻き起こり、大気を鳴動させてしまう程なのだから。
ランサリオンに突如響いた爆音。
飛んでいた妖精達は、驚きの声を上げながら逃げ惑い、混成魔蟲達は警戒心を露わにする。
更には、障壁を軽く突き破った事で、イル=ターの眉間に皺が寄ってしまった。
だが、今のラディオは、そんな事に構っている暇は無い。
1秒でも早く、グレナダ達を見つけ出さねばならないからだ。
グングン高度を上げていき、あっという間にランサリオンの遥か上空へ到達する。
「越えては成らぬ一線を越えた……」
全身から膨大な魔力が溢れ出し、ラディオの周囲を乱気流の様に舞い踊る。
「慈悲も呵責も、全てを捨て去ろう……」
乱気流が大きくなる度に、異常な衝撃波が空に撃ち出される。
その時、ラディオが両手を掲げた。
すると、肥大していた乱気流が収束し、大きな漆黒の球体を形作る。
「私の命に手を出すなどッッ……!――《嵐竜暴風領域 》!!」
球体の魔力を解放する。
すると、茜色に染まった空が、一瞬にして地平線の彼方まで、常闇の夜へと姿を変えた。
同時に、全てを薙ぎ倒すかの様に猛烈な強風が吹き荒れ、激流と見紛う大量の雨が降り注ぐ。
これは、《翠竜の気道》を最大出力にしたもの。
対象を見つけ出す事のみに主眼を置いた、天候を操る程の膨大な魔力。
それを、ランサリオン近郊だけでなく、大陸全土を覆うまで広げたのだ。
最早、目立つ目立たない等関係無い。
何故なら――
ウォォォォォォォォァァァァァァァァ――!!
ラディオの怒りは、とうに臨界点を超えている。
全てを破壊せんとする憤激の咆哮が、大気を歪ませ、ラディオの周りの豪雨を吹き飛ばした。
時が止まったかの様に、一瞬の静寂に包まれた漆黒の空。
だが、直ぐにまた雨が降り注ぐ。
その中に佇むは、ドクンドクンと脈打つ血管を身体中に走らせ、一切の光を失った漆黒の瞳。
その身を激情に侵された、異様な姿のラディオだった。




