第104話 父、瞳から
下段左側・『宿場街』――
宿屋が軒を連ねる『宿場街』。
其処から1本裏通りへ入ると、入り組んだ袋小路が幾つも点在している箇所がある。
中でも、随分前に商売を畳んだ空き家の裏手は、滅多に人が来ない寂れた空間となっていた。
(はぁ……)
壁際には、腐りかけの木箱が何段も積まれている。
その上には、両腕を枕に寝そべりながら、ぼんやりと雲を見つめるレンカイの姿があった。
祝勝会の後から、此処で一夜を過ごしている。
(まぁ……元に戻っただけ、か)
そう、野宿をするのはこれが初めてではない。
モモが亡くなって以降、日銭が稼げない時は度々此処で寝泊まりしていたのだ。
(結局、レナンにちゃんと謝れなかったな……)
思い返すのは、昨日の事。
祝勝会からの帰路の途中、少年は意を決してラディオに告げる。
『今までお世話になりました!』と、口早に一言だけ。
その後は、振り返らずに走った。
自分の名を呼ぶ声を、必死に頭から押し出して。
(師匠……強くて、優しくて……カッコ良かったよなぁ。レナンは甘えん坊だけど……可愛くて、一生懸命で……妹みたいだったなぁ。いつも、笑顔で……温かいご飯で……ぐすっ……)
良く晴れた青空とは対照的に、それを見つめる紅玉の瞳には、累々と雫が溜まっていく。
8歳で母を失い、『枷者』となってから丸2年。
誰に頼る事も無く、レンカイはもがきながら生きて来た。
様々な事を経験する中で、大切な仲間に出会えた事は幸運だったと言えよう。
共に過ごす時間は、少年に安らぎをくれた。
だが、それでも心に空いた穴が埋まる事は無かった。
寧ろ、仲間と過ごせば過ごす程、穴は大きく深くなっていく。
その名は『孤独』……例えようの無い家族への渇望だ。
そんな時、ラディオ達と出逢えた。
赤の他人である自分に、こんなにも幸せをくれて、『家族』として迎え入れてくれた。
母を失ってから初めて、少年は孤独を打ち消す事が出来たのだ。
だからこそ……『家族』の幸せを、自分が居る事で壊してはいけない。
2人の事が大好きだから、これ以上困らせたくない。
少年は溢れる愛の形として、『別れ』を選択したのだ。
(これで……良かったんだ……きっと、これで……)
そう自分に言い聞かせながら、ゴシゴシと腕で涙を拭う。
瞼を開け、再び空に目を移すと、見えたのは真っ白な雲――
「やっぱりココに居た」
「……うわぁっ!? いてて……」
では無かった。
真っ白な長い耳と髪、キラキラと輝く金色の瞳が此方を覗き込んでいる。
突然現れたリータに驚き、レンカイは木箱から転げ落ちてしまった。
「え、何で? 何でリータが、ココに……?」
腰を摩りながら起き上がるが、レンカイの頭は疑問で一杯。
此処は、自分だけの秘密の場所なのに。
すると、少女は『はぁ』と溜息を吐きながら笑みを零す。
「レンの事で、リィが知らない事なんて無いよ〜♡」
「……そう、ですか」
自慢気に腰に手を当てる少女を見ていると、良く分からない羞恥心に襲われてしまう。
バツが悪そうに頬をポリポリ掻きながら、木箱に寄り掛かかった。
すると突然、リータが真剣な表情となり、グイッと顔を近付けて来る。
「な、何だよ」
「レンさぁ、昨日自分がした事分かってる?」
「……そんなん、決まってんだろ」
「レンはそれで良いの?」
「良いも何も……俺が居ない方が、2人の為なんだよ」
「ふ〜ん。じゃあさぁ……何でそんな顔してるの?」
少女の最後の問い掛けが、レンカイの心に突き刺ささる。
自分では平然としているつもりだった。
しかし、今のレンカイの顔に浮かんでいたのは、今迄以上の孤独と……大きな後悔だった。
「別に……関係ねぇだろ」
リータから目線を逸らし、眉間に皺を寄せるレンカイ。
『この話はもう終わり!』と、有無を言わせ無い様に。
だが、少女は一歩も引かない。
「あるもん。だって、リィ達も昨日見てたんだから。レンが走ってった後、ラディオ様もレナンちゃんも……凄く悲しそうな目してたもん」
「それは……」
苦しそうに顔を歪ませると、言葉を失ったレンカイ。
すると、リータは優しく微笑みながら語り掛けた。
「一緒に居れば、色々あるよ。リィだってママとか妹とかと喧嘩するし。でも、それが普通なんだよ。だって、『家族』なんだもん」
「……そっか」
少女の一言一言が、少年に染み渡っていく。
大きく息を吐いたレンカイは、やっと微笑みを見せた。
そして、今度はレンカイが少女に問い掛ける。
「なぁ……もし、妹に何か嫌な事があったら、リータはどうする?」
「え? う〜ん……先ず話を聞くかな。それで、どうするか一緒に考えるよ」
「じゃあ、その原因が分かったらどうする?」
「リィに出来る事を全力でやるよ。それで、その原因を取り除けるならね」
「そうだよな? 俺もそう思うし、そうするよ」
「レン? あっ……」
「俺、分かるから。レナンの気持ち……スゲー分かるから。だから……俺も出来る事を全力でやっただけなんだよ」
大切な人を奪われる事がどれだけ辛いのか……少年は身に沁みて理解している。
未だ取り返せていない事も、余計に拍車を掛けているのだろう。
しかし、図らずもその片鱗をグレナダに与えてしまった。
修行という名目で、ポッと出の自分が。
大好きな大好きな『ちち』を、奪ってしまいそうになった。
『にーちゃばっかり……』、グレナダが絞り出した言葉の意味を、レンカイはしっかりと受け取っていたのだ。
だからこそ、身を引いた。
妹の様に可愛がり、幸せをくれたグレナダに、自分と同じ辛さをもう与えたく無いと。
少年の想いを聞いたリータは、哀しげに瞳を濡らす。
そして、小さく呟くのだ。
「レンは……これからどうするの?」
「そうだなぁ……取り敢えず、迷宮に潜らないと。全然金も無いし……母ちゃんが待ってるから」
「そう……分かった。じゃあ、今から行こっ!」
「え? でも、リータはレミアナさんの側に居ないと」
「大丈夫、今日はお休みを貰ったの。だからほら! 行こっ!」
「えぇ、おいっ! ちょっと!」
少年の手を引っ張り、歩き出したリータ。
レンカイに混乱を与えようとも、もうなりふり構ってはいられない。
先を歩くリータの顔は、真剣そのものだった。
(ラディオ様、申し訳ありません。やっぱり……『家族』じゃないと! そこまでは、リィが責任を持って連れて行きますから!)
自分の不甲斐なさを悔やみながらも、金色の瞳に強く光を灯すリータ。
背後から聞こえる少年の声も無視して、ギルドを目指し歩き続ける。
▽▼▽
タワー1階・『受付』――
「あっ! レンカイく〜ん! ちょっとちょっと! こっち来て下さ〜い」
ギルドに到着するやいなや、受付嬢に呼ばれた。
全く訳が分からないレンカイは、首を傾げながらカウンターへ歩いて行く。
「あのぉ〜……俺に何か?」
「先ずは、Dランク昇級おめでとうございます。これにより、『指名依頼』を受理出来る様になりました」
「はぁ……昨日聞きましたけど」
突然の淡々とした説明に、レンカイは更に混乱を強くしていく。
すると、受付嬢が1通の便箋を取り出した。
それをカウンターの上に置き、片眉を上げながら、レンカイに問い掛ける。
「と言う訳でぇ……依頼を受けますか?」
「……はい?」
「今朝方、レンカイ君御指名で依頼が入りました。どうします? 受けます?」
「……え、まぁ……じゃあ、はい」
特に実績がある訳でも無いのに、指名なんて。
そう思ったが、レンカイは依頼を受ける事にした。
何故なら、指名依頼は普通の依頼より報酬が上がる。
同一内容であったとしても、指名料が上乗せされるからだ。
これは、今のレンカイにとって有り難い話。
借金も稼がなければならないが、先ずは当面の生活費も必要である。
選り好みをしている場合では無いのだ。
「はい、依頼は正式に受理されました。では、報酬分配に移りま〜す」
「はい? え、今何て……何なんだよ」
受付嬢の有り得ない言葉に、レンカイが聞き返す。
だが、ニコニコと笑みを携えたまま、受付嬢はカウンターの下をゴソゴソとやるだけ。
すると、レンカイの眉根が寄り始め、顔がドンドン険しくなっていくではないか。
受理しただけで完了する依頼等、聞いた事も無い。
程なくして、訝しむ少年の前に、パンパンに膨らんだ巾着と、丁寧に包装された四角い何かが置かれた。
すると、少年の顔が見る見る驚愕に染まっていく。
「まさか……依頼主って……師匠?」
そう、置かれた巾着は、ラディオに返した物と全く同じだったのだ。
「依頼内容は、『受けてくれる事』なのでこれで完了です。あっ、そう言えば……ナイヨウセツメイスルヨウニイワレテタノワスレテター」
突然、棒読み甚だしい片言になった受付嬢。
半ば強引に、巾着と四角い何かと便箋を手渡して来た。
動揺から固まってしまったレンカイは、リータに手を引かれ、談話スペースのソファーに腰掛ける。
暫く放心状態だったが、徐に便箋の封を開けると、ゆっくりと読み始めた。
『レンへ
先ずは御礼が言いたい。
依頼を受けてくれて、本当に有難う。
そして、謝罪をさせてくれ。
君の想いに気付く事が出来ず、本当に申し訳無かった。
私達の事を考え、最善を尽くそうと行動してくれたんだね。
そんな君に倣って、私も最善を尽くそうと思う。
今日の夕方、大広場でレナンと待っている。
どうか、私に君と話す機会をくれないだろうか。
どうしても伝えたい事があるんだ。
だが、無理強いはしない。
君の想いを尊重したいという気持ちもあるからね。
だから、その場合はこの巾着を役立てて欲しい。
君は、また無理をしてしまうだろうからね。
少しでも助けになれば、私も多少は安心出来る。
これが私の我儘である事は、重々承知している。
その上での、身勝手なお願いだ。
君の仲間には、感謝してもしきれないよ。
しっかり食べて、顔を出してくれる事を祈っている。
ラディオ』
「うぅ……」
手紙を読み終えると、一筋の雫が少年の頬を濡らす。
文面から滲み出る温かな想い。
困った様に笑みを零しながら、頬を掻く師の姿が、少年の脳裏に浮かび上がるのだ。
「レンは幸せだね♡ ラディオ様は、こんなにもレンを大事に想ってくれてるんだもん♡」
そう言って、リータが四角い何かを手渡して来た。
涙を拭いながら、結び目を解く。
中から現れたのは、燃える様な紅い弁当箱。
震える指で蓋を開けた時、もう涙を我慢する事が出来なかった。
「ぐすっ……うぅ……師匠ぉ……!」
目に飛び込んで来たのは、綺麗に並べれた色取り取りのオカズ。
そして、3つ入った大きな『おにぎり』。
米の一粒一粒が艶やかな光沢を放ち、美しい三角形を成している。
レンカイは1つを手に取り、一口頬張った。
「ぐすっ……はむっ――!! あぁ……母ちゃんと、同じだ……」
すると、口の中に広がったのは、適度な塩気と込められた深い愛情。
幼い頃から慣れ親しんだ懐かしい味が、ラディオの想いを少年に伝える。
何故なら、迷う事なく選んだこの『桜の国の伝統料理』は、若き日のモモ姫に教わったのだから。
「はむっ! ぐすっ……はむっ!……ひぐっ……」
おにぎりを食べれば食べる程、涙が溢れてくる。
夢中で頬張るレンカイを、リータは本当に嬉しそうに見つめていた。
(良かったね、レン♡ やっぱり……ラディオ様じゃなきゃダメなんだよね)
実は、今回の仕掛人はリータである。
レンカイが走り去った後、ラディオは途方に暮れてしまった。
その時、指名依頼とその内容を提案してくれたのだ。
そして今日、溢れる想いを込めた弁当と手紙をギルドに預け、子竜を飛ばしたという訳である。
『居場所は見当がついてます!』というリータに向けて。
すると、弁当を口一杯に入れながら、レンカイは凛とした表情を見せた。
「もぐもぐ……俺、師匠に謝る……ぷはっ! でも、その前にレナンにちゃんと謝る!」
「うん、そうしよっ♡ ほーらー、誰も盗らないからゆっくり食べなよ〜」
度々喉に詰まらせながらも、あっという間に完食したレンカイ。
この晴れやかな笑顔を見たら、ラディオがどれだけ喜ぶだろうか。
「ご馳走様でした……師匠、最高に美味かったです! よし、レナンの所に行こう!」
「え、今から? もぅ〜……分かったよぉ♡」
元気を取り戻した少年の後を追って、リータもギルドを後にした。
▽▼▽
(良し……これで完成だ)
最後に縫い合わせた部分をきっちりと留めて、糸を噛み千切る。
出来上がった品を広げ、ラディオは満足気に微笑みを浮かべた。
(もうこんな時間か)
軽く伸びをしながら、窓から差し込む茜色の光に目を細める。
時刻は既に夕方過ぎ。
作業に没頭していたら、もうじき娘を迎えに行く時間となっていた。
今日は楽しい話が沢山聞けるだろう。
ラディオはそう期待しつつ、丁寧に包装した品をテーブルの上に置き、少年の事も考える。
(……晩の準備をしておくか)
指定された時間までは、まだ多少の猶予がある。
子供達の喜ぶ顔が見たいラディオは、今日は特に気合を入れようと思い立った。
下拵えに取り掛かる為、キッチンに向かう。
(弁当は肉だったから……魚を主菜にするか。付け合わせは……ん?)
その時、玄関をノックする音が聞こえて来た。
それも、かなり急いでる感じで。
「はい――どうされました、先生? それに、レイ殿も。迎えの時間は……もう少し先ですよね?」
扉を開けると、待機所の職員とドレイオスが立っていた。
一瞬、迎えの時間を間違えたかと思ったラディオ。
だが、予定表を確認しても、やはり間違ってなどいない。
更には、2人の様子がおかしい事が気に掛かる。
ドレイオスは眉間に皺を寄せ、今迄見た事無い程に険しい顔。
かと思えば、職員の方はまるで魂が抜けたかの様に無表情なのだ。
すると、放心状態の職員が、ゆっくりとラディオを見上げたその時――
「お父、さん……あぁ……ごめん、なさ……あぁ……あぁぁぁぁぁ!! あぁぁぁぁーーー!!」
胸をえぐる様な泣き声を上げ、膝から崩れ落ちてしまった。
ボロボロと涙を零し、頻りに謝罪の言葉を口走る。
対して、ラディオは状況が掴めない。
どうにか職員を落ち着かせようと肩に手を置くが、体は尋常でない程震え、嗚咽は酷くなる一方。
更には、ドレイオスまで頭を下げて来る始末。
しかし、この瞬間……ラディオは全身を貫く悪寒を感じ取ってしまい――
「レイ殿……まさか……」
「ラディオちゃん……落ち着いて聞いて。護衛に付いていた2分隊は……何者かの襲撃により全滅したわ……! 職員と他の子供達は無事だったけど……レナンちゃんと、レンちゃんが……連れ去られてしまったの……! 本当にごめんなさい……! 」
ラディオの瞳から、一切の光が消えた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
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『底辺からやり直す二度目の英雄譚 〜死んだ筈の元英雄、世界を救うため悪となる〜』
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