第8話 父、お気に入りの店で
時間は現在へと戻り――
「それで、子供というのは何なんだ?」
ハイエルフの無慈悲な質問によって、レミアナの動きがピタリと止まる。
「あぁ、あ……あぁぁぁぁぁ!!」
かと思えば、先程見た惨劇―彼女にとっては―を思い出し、苦悶し始めた。
頭を抱え、この世の終わりの様な悲鳴を上げて。
「おいっ! 公衆の面前で大きな声を出すな!」
すかさず注意するが、レミアナにそんな事を構う余裕は無い。
この由々しき事実を看過出来る訳が無い。
因みに、子供の存在はさして問題ではない。
子供がいるという事は、それを産んだ『女が居る』という事。
その『女の影』に、レミアナは致命傷を負ったのだ。
(面倒な奴だ……)
エルディンが大きな溜息を吐いた時、突然悲鳴が止んだ。
見ると、今度は頬を引きつらせ、不気味な笑みを浮かべている。
「ふひっ……ふひひ……ひひひひ」
すると、眉間を抑えたハイエルフから、再びの溜息が漏れ出た。
レミアナとは短くない付き合いである。
この目付きは、また良からぬ事を考えている顔だ。
「お前――」
「エルディンさん! 私は大至急教会に向かわなければなりませんので……適当にブラブラしてて下さい! じゃっ!!」
「なっ! おいっ! ちょっと待っ――何て速さだ……」
釘を刺す前に先手を打たれてしまった。
エルディンの制止も聞かず、尋常でない速度で教会へ走り去って行く背中。
三度の溜息を吐いたハイエルフは、眉根を寄せながら空を見上げる。
(すまんな……馬鹿弟子を御しきれなかった)
流れる雲を見つめながら、旧友への想いを馳せた。
(だが、アイツが言うのならお前で間違い無いのだろう。もしそうなら……私にも言いたい事は山程あるぞ、ラディオ)
その時、自分の頬が緩んでいる事に気が付いた。
だが、直ぐにいつもの険しい顔に戻すと、宿場街の方へ歩いて行く。
その背中から、何処と無く喜びを滲ませながら。
▽▼▽
下段右側・『バザール』――
「ひゅーっ! どーこ行くのっ?」
「俺達と遊ぼうぜぇ〜」
ガヤガヤと賑わうバザールの中、1人の女を囲んだ2人組の男。
壁際に追いやり、道を塞ぐ。
住人達も見守るだけで、助けようとはしていない。
「…………」
何も答えない女。
震える右手をギュッと抑え込み、色付き眼鏡の奥から男達を睨んでいる。
「おーおー、威勢が良いねぇ〜」
「全くだ。けどよぉ……シカトは無ぇんじゃねぇか! あぁん!!」
女の態度に怒りを募らせた男が、大きく手を振りかぶる――
「……汚い手で自分に触るな」
が、女は難無くそれを払い除け、冷たい眼差しで言葉を吐き捨てた。
「テメェ! 調子こいてっと――何だ?」
女に掴み掛かろうと再び手を伸ばした瞬間、男の背中に何かが当たった。
振り返ると、真っ白な装束に身を包んだ女が居た。
鼻を摩りさながら尻もちを付いた横には、神官の証である杖が転がっている。
そう、レミアナだ。
「いったぁ〜……あっ、すいませんでした!」
少し涙目になりながら立ち上がり、直ぐ様頭を下げる。
見事に実ったメロンメロンを、ぷるるんと揺らしながら。
「ではこれでっっ!!……あれっ、景色が変わらない?」
「逃す訳ねぇだろ?」
一向に前に進まない事に、レミアナは首を傾げる。
それもその筈、男にガッチリとローブを掴まれていたのだ。
「謝って済むんなら治安部隊は要らねぇ……ほぅ」
その時、男の顔が意地悪く歪んだ。
見つめる先は、ローブから溢れんばかりに揺れる2つのメロンメロン。
そして、引き締まったウエストに、張りのあるムッチリとした臀部。
どうやら、お眼鏡に叶ってしまったらしい。
「ぶつかって来た事は許してやる。その代わり、俺と宿屋に――痛ててててっ!!」
レミアナを引き寄せようとした途端、激痛が走る。
見ると、細腕からは想像も付かぬ力で、女が手首を握り潰していたのだ。
すると、女の存在に気付いたレミアナが、鼻息荒く問い掛けて来た。
「すいません! 教会へはこの道で合っていますか!?」
「はい、合っていますよ。この先に【中段】への階段がありますので、それを上りきったら、左手へ向かって下さい……我々一同お待ちしておりました。特に……自分は心から」
「え……? はっ! 御丁寧に有難うございます! それではっ!!」
初めて柔らかな微笑みを浮かべた女。
レミアナは一瞬首を傾げたが、直ぐに猛スピードで走り去っていく。
その姿を見送ると、女はまた冷たい眼差しに戻った。
あまりの痛みに膝をつき、脂汗を流している男を睨み付けて。
「ぐぅぅぅぅ……てめぇ、何モンだ……!」
「自分だけならいざ知らず、新しく着任された大神官長様に無礼を働くとは……恥を知れッッ!」
女の怒号がバザールに木霊する。
「自分は『金時計』が1人、【黒百合の女帝】トリーチェ・ギーメルだ! 愚行の対価をその身に刻め!!」
「なっ!? ぐわぁぁぁぁ!!」
男の腕を軸にして、右上段蹴りを顔面に炸裂させたトリーチェ。
凄まじい勢いで壁まで吹き飛ばされ、既にシメられた相方と共に、白目を剥いてノビた男。
「ふぅ……不埒な輩め。これでは売り切れてしまう――」
「「「わぁぁぁぁぁぁ!!」」」
「はぅ!?」
服をパンパンとはたきながら男達を見ていた矢先、歓声が爆発した。
その瞬間、勇猛な立ち回りを披露したとは思えぬ程オロオロし始めたトリーチェは、見る見る顔を赤く染めていく。
「流石は街の守人だ〜!」
「いや〜、綺麗な蹴りがドカンと決まったねぇ〜」
「お姉ちゃんカッコいい〜!」
慌てて眼鏡を掛け直したトリーチェは、そそくさとその場を後にする。
指笛や囃子の中、逃げる様に去っていく背中に向かって、住民が声を張り上げた。
「俺らが治安部隊に連絡いれとくから安心しなぁ!」
すると、角を曲がって行った筈の真っ赤な顔がぬ〜っと現れる。
そして、ペコリと会釈をすると、また角に吸い込まれていった。
「お忍びで来たいなら、名乗り口上を上げちゃいけねぇよなぁ。たっはっはっは!」
そう、住民達は見て見ぬ振りをしていた訳ではない。
絡まれているのが、【女帝】だと分かっていたからこそ、何もしなかったのだ。
寧ろ、後の展開を予想し、男達を不憫にさえ思っていた節がある。
すると、伸びている男達の横に女主人がやって来た。
目尻の涙を拭いながら、大笑いしている。
「あっはっはっは! お前さん達も見る目が無いねぇ〜。いや、あの子はとびきり可愛いさ。でもね、弱い男に振り向く訳無いだろうに」
そう、トリーチェは怯えて震えていた訳では無い。
不埒な輩に対する怒りを抑え込んでいただけだ。
しかも、無闇に―今回はレミアナが理由となったが―手を出す事も無い。
それに、本人的にはお忍びでバザールに来ている。
ある目的を遂行する為に、わざわざ変装―バレバレであるが―までして。
しかし、良く言えば実直な性格なので、戦闘の際には名乗り口上を上げてしまうのだ。
「お前さん達のお陰で、昼の眠気が吹き飛んだよ。ありがとさん! さぁさぁ、治安部隊に連絡しようかね〜」
お昼過ぎの見世物も終わり、バザールは通常営業に戻っていく。
▽▼▽
(何で自分はいつもこうなってしまう!?)
歩きとは呼べない速度の早歩きで、路地を疾走するトリーチェ。
この日の為に、わざわざ新品の洋服で変装までしているのに。
しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。
早く行かなければ。
角を幾つか曲がり、通りを幾つか超えると、目的の店が見えてきた。
軒先のショーケースに美しく陳列された、色鮮やかなスイーツ。
その甘い香りが乙女心を誘惑する、ランサリオン随一の人気を誇る焼き菓子店、【ドルチェ・デ・テンティオネ】である。
(あぁ!? やはり遅れてしまったぁ!)
店前の長蛇の列を見やり、トリーチェの顔がくにゃっと歪む。
何を隠そう、彼女は大の甘党である。
しかし、『19歳の女の子でスイーツが好き』、というのは極々普通だ。
だが、若くして【金時計】という大役に就いているトリーチェは、勝手に自分の趣向を隠している。
だからこそ、お忍びで変装までして。
本人の涙ぐましい努力も虚しく、全く効果は無いのだが。
「おっ、やっと来たね〜。今日は遅かったじゃん」
混雑具合を確認しようと出てきた店員が、トリーチェの姿を発見した。
すると、もうほぼ走っているのと同義の早歩きで、店員の前までやって来る。
「しぃーー! 声が大きい! 自分だとバレてしまう!」
「えぇ〜? もう皆知ってる……ま、いいや。いつもの席空けてあるからさ、入んなよ」
店員の言葉を受けると、花が咲いたように笑顔になったトリーチェ。
そのまま、2階の個室へもう走って行った。
▽▼▽
個室の椅子に座り、ニヤニヤしながら新作の登場を待つトリーチェ。
人目は無いし、窓から見える景色も良好。
渋い茶色のアンティーク調の家具、穏やかな空気が流れる店内、至福の一時とはこの事だ。
「お待ちどうさま〜。自慢の新作、フォンダン・チョコラッテだよ! ごゆっくり〜」
美しく盛り付けられた台形のチョコレートを見て、蒲公英色の瞳がキラキラと輝く。
(おぉ! う、美しい……♡)
早速、フォークでパリッとした表面を割ると、中から濃厚なチョコソースがドロリと溢れ出す。
口に入れれば、二種のチョコレートの芳醇な甘味と、奥からやってくる味わい深い苦味が、言葉にならないハーモニーを奏でるのだ。
(お、美味しい〜〜♡♡♡)
頬を押さえながら、素晴らしき甘味の世界に沈み込んでいくトリーチェ。
あっと言う間に食べ終わり、紅茶を啜りながら余韻に浸る。
この時、ふと何ヶ月か前の事を思い出した。
5階層で見た、変わり果てた【巣窟】の姿を。
(ふぅ……結局、レイに聞いても要領を得なかったな)
▽▼▽
数ヶ月前のタワー3階・『治安部隊長室』――
「レイは居るか!」
「あらまぁ! リーちゃんじゃなぁ〜い♡ お茶のお誘い……って訳では無さそうねぇん。そんなに急いでどうしたのかしらぁん?」
机に座って膝を組み、何やら書類を確認していたドレイオス。
トリーチェの来訪にパッと笑顔になるが、その顔を見ると顎に指を置いて首を傾げる。
「ノックもせずに済まない……が、事態は急を要するんだ」
トリーチェは【巣窟】で見た光景を、ありのままに伝えた。
すると、ドレイオスは唇を尖らせて『ふーん』と考え込む。
「自分は、あの様な芸当が出来る者に心当たりが……1人だけいるが、それはあり得ない事だ。だが、あの力は本物。下手をすると……我々より上かも知れない」
トリーチェの言葉を聞いて、ドレイオスは眉毛をピンっと上げて面白そうに笑った。
「んん〜♡ それってぇ、【漆黒の竜騎士】の事かしらぁん? リーちゃんの白馬の王子様よねぇ〜ん♡」
トリーチェに近付き、茶化す様にウロチョロし始めるオカマ。
それもその筈、【漆黒の竜騎士】と聞いた途端、トリーチェは耳まで真っ赤に染め上げたのだから。
「ば、ば、馬鹿ぁ! かの御仁はその様な安い存在ではない! 自分の絶対正義であり、決して届かぬが……生涯を掛けると誓った目標なんだぞぉ!」
『ふーん♡』とニヤニヤするオカマを見て、更に顔を赤くしていくトリーチェ。
今や湯気が立ち上り、熟したトマトと良い勝負だ。
「そうなのぉ〜ん? まぁ、良いけどぉ〜ん♡ じゃあぁん、目標としてる人を真似て黒い鎧を着ているリーちゃんに、1つ教えてあ・げ・るぅん♡」
『何を馬鹿な事を!』と言いかけたトリーチェだったが、含みのある言い方にゴニョゴニョと押し黙る。
すると、机の上でパラパラと書類を漁ったドレイオスが、1枚の申請書を取り出した。
「アタシね、その人に心当たりがあるのよぉん。何故今になってこの街に来たかは分からないけれど……多分、大事な理由があるのよねぇん」
「だ、誰だ! その心当たりというのは!?」
窓からランサリオンを見下ろしたドレイオスは、背中越しに語り掛けた。
「理由は大体分かってるわ。その人がもし、【教団】だったら……違う?」
ドレイオスが口調を変えるのは、本当に真剣な話をしている時だけ。
それを知っているトリーチェは、何も答えられなかった。
「でもね、アタシ達ギルドが冒険者の内情に介入するのはご法度。それが例え、『金時計』でもね。だから、リーちゃんにも心当たりを教えてあげる事は出来ないの。只アタシが言える事は、『アタシの全てに誓って、その人は悪人ではない』って事……信じてくれないかしら?」
蒲公英色の瞳を真っ直ぐに見つめるドレイオス。
嘘偽りの無い、本心を曝け出した穏やかな微笑み。
その事が、トリーチェを納得させた。
「……分かった、それで十分だ。有難う、レイ」
「んん〜! 良いのよぉ〜ん♡ そ・れ・にぃ〜ん、リーちゃんの白馬の王子様だってぇ、そのうち見つかるわよぉん♡」
「ばっ!? だからぁ! かの御仁はそんな安い存在ではないんだよぉ!!」
またしても茶化され、顔を真っ赤にして怒り始めたトリーチェ。
嬉しそうに笑顔を見せたドレイオスは、暫くの間嬉々として弄り倒していた。
▽▼▽
(この数ヶ月、幾つもの【巣窟】をしらみ潰しにあたったが、同じ状況は無かった……訳が分からんな)
『ふぅ』と溜息を吐いたトリーチェは、考えるのを止めた。
ドレイオスを信じると決めたのだから、無闇な詮索は野暮というもの。
紅茶をぐいっと飲み干し、意味の無い変装をして1階へ降りて行く。
「あ、次回は来月だからね〜!」
トリーチェが降りてくると、店員はニヤニヤしながら宣伝に走る。
「しぃーーー! だから声が大きいって!」
「あははっ! あ、いらっしゃーい」
お忍びを貫こうと必死なトリーチェをからかっていると、新たな客が入ってきた。
店員の気が逸れた内に、帽子を深く被り直し、そそくさと出口へ向かう。
「で、では自分はこれで!……あ、どうも有難うございます」
トリーチェが店を出ようとすると、入ってきた客がドアを開けて待ってくれていた。
ペコリとお客に会釈をすると、着ぐるみ姿の可愛い幼女が目に入る。
「ちちぃ! ちちぃ! レナンあれがいいのだっ♡」
「好きなものを選んで良いんだよ。そうだ……久しぶりになってしまったから、今日は2つ買っていこう」
客の言葉に、瞳を輝かせて頷く幼女。
『その気持ち、良く分かるぞ』と、此方も頷きながら店を後にしたトリーチェであった。




