第101話 父、何があっても
タワー1階・ギルド『受付』――
(師匠……無事、ですよね……?)
夕暮れ時、談話スペースのソファーには、難しい顔をしたレンカイが座っていた。
その横には、リータの膝の上に座りながら、紅玉の瞳に涙を溜めたグレナダ。
口をギュッと結んで、迷宮への出入り口を一心不乱に見つめている。
「レナンちゃん、その……お腹減ってない?」
「…………」
リータが優しく声を掛けるが、グレナダは何も答えない。
その姿が切なくて、少女はそれ以上何も言えず、只頭を撫でてやる事しか出来なかった。
対面に座るクレインとロクサーナも、やるせない顔をしている。
「モルガ殿の話によれば、『白竜の御仁』に助けられたと言う。これは、主殿で間違いないだろう。しかし、未だ帰還していない……ならば、探しに行くしかない」
子供達から少し離れた所で、大人達も集まっていた。
皆一様に険しい顔で、溜息を漏らしている。
トリーチェの提案を受け、レミアナは頷く事しか出来なかった。
「うん……そうかも知れないね」
「勿論、主殿に限って万が一等有り得ないが――」
「アイツは抜けている所があるからな。また罠にでも嵌っているんだろう」
「だろうな。にしても……見ちゃいられねぇ。レナンの奴、腹減ってるだろうによ」
眉間に皺を寄せながら、エルディンが言葉尻を捉える。
ギギは、グレナダの姿に心を締め付けられていた。
すると、凛とした表情となったトリーチェが、力強く宣言をする。
「自分が必ず見つけ出して来ます!」
「僕、も……行く!」
「私も行きますわ!」
トリーチェに続き、カリシャとニャルコフもやる気を見せる。
『家族』の力強い言葉を受けて、レミアナは小さく微笑みを見せた。
「皆……レナンちゃんにも教えてあげないと」
そう言うと、じっと出入り口を見つめるグレナダの元へ歩いて行く。
しゃがみ込んで目線を合わせると、精一杯の笑顔を見せながら、言葉を掛けた。
「ラディオ様なら大丈夫だよ。 ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、遅くなっちゃっただけだから。皆が迎えに行ってくれるから……心配無いよ、レナンちゃん」
すると、ゆっくりと此方を振り向いたグレナダ。
何も言わず、じっとレミアナを見つめる。
震える唇を懸命に噛み締め、今にも零れ落ちそうな涙を必死に耐えながら。
「レナンちゃん……!」
どれだけ不安を抱えているのだろう。
どれだけ寂しさを堪えているのだろう。
レミアナは、グレナダを強く強く抱き締めた。
首に回された小さな手、腕の中に収まる小さな体、その全てを包み込む様に。
「大丈夫……大丈夫だからね。皆側に居るから。そうだよね、レン君……レン君?」
その時、レミアナは少年の姿が無い事に気付いた。
リータを見ると、動揺しながら首を傾げている。
「レン君は?」
「あの、急に『あっ!』って言って、外に走ってっちゃったんです……」
弟子の説明を受けても、レミアナはピンと来ない。
だが、2人の心配を他所に、程なくしてレンカイは戻って来た。
何やら自信ありげな笑顔で。
「レナン、前も言ったろ? ちゃんとご飯食べないと師匠が心配するって。だから、ほら! これ食べて、元気出そうぜ」
しゃがみ込んだレンカイが差し出したのは、りんご飴だった。
いつもラディオにねだっている飴ならば、口にしてくれると思ったのだろう。
どうにか元気付けたいと願う、少年のささやかな優しさだった。
しかし――
「……ち、ち……ふぇぇ……」
受け取った飴を口にする事は無く、お腹の辺りをギュッと掴んでしまった。
そして、溜め込んでいた大粒の涙が、ポロポロと頬を伝っていく。
どんどん溢れる雫を見て、レンカイは焦りを募らせた。
「え……レナン? えっと……飴要らなかった?」
「ちち……ちち……うぇぇぇん……!」
グレナダは、とうとう声を出して泣き始めてしまう。
少年の優しさは理解出来るし、その心遣いも嬉しい。
だが、いつもラディオに買ってもらっていた事……何より、大好きなちちの笑顔が頭をよぎってしまったのだ。
グレナダは、もう我慢の限界だった。
「レンのバカっ! 何でラディオ様を思い出させる様な物を持ってくるの! もぉ! バカぁ!」
「あっ……ご、ごめん。レナン、ごめんな。俺、良かれと思って……」
リータに詰め寄られ、ミスを犯した事を痛感するレンカイ。
何とかグレナダをあやそうとするが、オロオロするばかり。
「うぇぇぇん……にー、ちゃ……ばっかり……ひぐっ……うぇぇぇん……!」
「え……? 俺ばっかりって、どういう事?」
その時、グレナダがしゃくりあげながら紡いだ言葉。
しかし、レンカイは意味が分からない。
此処でレミアナが助け舟を出した。
グレナダを後ろから抱き締めながら、少年に優しく微笑み掛ける。
「リータ、レン君も悪気あってやった事じゃないから。レナンちゃんもそれは分かってるよね。でも……少し寂しくなっちゃったんだよね」
「にー、ちゃ……ばっかり……ちちぃ……うぇぇぇん!!」
グレナダは一層泣き声を大きくしていく。
レンカイは訳が分からないのと、泣かせてしまった焦りから、冷や汗が止まらない。
それでも、レミアナは微笑みを見せたまま、涙で濡れる小さな頬に自分の頬を寄り添わせた。
「大丈夫……大丈夫。良く頑張ったね。レナンちゃんは偉い――あぁ……!」
グレナダが落ち着く様に、ゆっくりと言葉を掛けるレミアナ。
だが、ふと気配を感じ、後ろを振り返った。
そして、溜め込んでいた不安を一気に吐き出す様に、吐息を漏らす。
すると、レンカイ達の顔にも安堵が広がっていくではないか。
「ちち……ひぐっ……ちちぃ……! うわぁぁぁぁん! うわぁぁぁぁん!!」
レミアナが離れると、グレナダの不安がまた大きくなってしまった。
止めどなく涙を零し、ラディオを求めて泣き噦る。
その時、再び後ろから手が回された。
真っ白な袖の上からでも分かる、大きく太い温かな腕が。
ギュッと抱き締められたグレナダは、体をビクっと震わせ、後ろを振り返る。
「うぇぇ……ちち……ひぐっ……ちちぃぃぃぃ!!」
「遅れてすまなかった……ただいま、レナン」
其処に居たのは、誰よりも会いたかったちちの姿。
抱き上げられたグレナダは、ラディオの髭を思い切り引っ張りながら、泣き声を上げる。
「うわぁぁぁぁん! ち、ひぐっ……ち……うわぁぁぁぁん!!」
「よしよし。心配を掛けたね」
ラディオに抱き締められ、グレナダは分厚い胸板に顔を埋めながら泣き噦る。
どうしようもない不安と寂しさのせいで、普段なら即座に反応する『ちちの気配』に気付けなかったのだ。
すると、レミアナが目尻の涙を拭いながら、満面の笑みを見せてラディオに寄り添う。
「御無事で良かったです……♡ レナンちゃん、本当に良く頑張ったんですよ?」
「可哀想な事をしてしまった。だが、君が側に居てくれなければ、もっと無理をしていただろう。有難う、レミアナ」
「ラディオ様……♡」
「師匠ぉ……! 良かった、無事で……おかえりなさい!」
「ただいま。朝には帰還する予定だったが、遅くなってすまなかった。迷惑を掛けてしまったね」
「いえ、俺は全然! それよりも、レナンが……あっ、そういう事か」
同じく頭を撫でられ、少し照れ臭そうに指で鼻を擦るレンカイ。
しかし、ラディオにしがみ付くグレナダを見た時、急に全てを理解した。
『にーちゃばっかり』という言葉の意味を。
母を失った経験が、秘められた想いを理解させたのだ。
「レン? どうし――それは……?」
突然黙ってしまったレンカイ。
心配したラディオだったが、ある物が目に入ると、同じく言葉を失ってしまった。
首からぶら下げられていた、Dランクを示す青色のプレートを見たが故に。
「まさか……試験は2日後の筈――」
「ラディオッ! 4日間も何処に行っていたぁ!」
困惑を見せるラディオを、背後から怒号が襲う。
振り返ると、鬼の様な形相をしたハイエルフが、床を踏み鳴らして近付いて来ていた。
その後ろから、家族達もゾロゾロと歩いて来る。
「4日間……?」
「小さき王に2日後に帰ると約束したのだろう! 続けて破るなど、私が許さん!」
「兄貴、先ずはレナンに飯を食わせてやってくれ。昨日から殆ど何も食ってねぇんだ。このままじゃぶっ倒れちまう!」
「ああ主殿ッ! お、お、お怪我は有りませんか〜!?」
「ラディオ、様……良か、た……!」
「ご主人様! あぁ、私が離れてしまったばかりに! どうかこの卑しいメイドに罰をお与えくださぁい!」
次々に畳み掛けられた言葉の数々。
一部おかしな文言が含まれているが、皆心配していた事は間違いない。
「あぁ……怪我は無い。怪我は無いが……」
だが、ラディオはまともに返答出来なかった。
50階層から転移をした後、真っ直ぐ此処に向かってきた筈なのに。
それなのに何故、2日間も差異が存在しているのか。
そして、そうであるならば……何故その2日間の記憶が無いのか。
「そうか……試験は終わったんだな。本当に……」
だが、ラディオは自分を納得させるしか無かった。
昇級したプレートをぶら下げていたのは、子供達だけではないのだから。
エルディンの胸には、Cランクを示す黄色のプレート。
更には、カリシャはBランクの緑、ニャルコフもCランクの黄色を持っているのだ。
そして最後は――
「……主殿?」
狐につままれた様な顔をしているラディオを、心配そうに見上げるトリーチェ。
その胸には、Sランクの証となる金色のプレートが輝いていた。
現在の東西南北の支部とタワーを合わせても、30人に満たないSランク。
そんな中、新たな『英雄級』の冒険者が誕生したのである。
「私なら大丈夫……とても素敵だよ、トリーチェ」
「え……はぅぅ!? あああ主殿〜!? そんにゃこんにゃ往来でゅえぇぇぇぇ♡」
自身の想いを受け入れる事が出来たトリーチェを、素直な気持ちで褒め称えたラディオ。
だが、英傑の顔は見る見る茹で上がっていき、意味を履き違えた妄想を口走る。
しかし、両隣から刺す様な眼光が襲い来るのだ。
それは勿論――
「「トォ〜リィ〜チェ〜〜!!」」
大神官長と、御手伝いである。
トリーチェを羽交い締めにすると、たぷんと揺れる4つのメロンで挟み撃ちにしたのだ。
女性陣の中で1番小柄な彼女は、柔らかな双丘に埋もれてしまう。
すると、カリシャがモジモジしながらラディオの前にやって来た。
艶やかな三角耳をピクピクと震わせながら、期待を込めた眼差しをラディオに送る。
「Bランクともなれば、最早熟練。努力の賜物だね、カリシャ」
「は、い! ふにゃあ……♡」
優しく微笑みながら、猫娘の頭を撫でてやるラディオ。
すると、カリシャは子猫の様にゴロゴロと喉を鳴らし、瞼を閉じて手の感触に陶酔する。
となれば、レミアナが見逃す訳は無い。
トリーチェはニャルコフに任せ、自分はカリシャの元まで飛んで来た。
「まさかニコまで冒険者になっているとは。飛び級おめでとう、エルもね」
「ご主人様ぁ♡ うふ、うふふふふっ♡」
「あぁん! 皆ズルイよぉ〜! 私も冒険者になる〜!!」
「馬鹿な事を言うな、馬鹿弟子! 都市を任された大神官長が冒険者になれる訳ないだろう! それになラディオ、当然の結果を祝う等無意味だぞ? 私があの程度の試験をしくじる筈が無いだろう!」
皆が褒められるのが羨ましいレミアナは、カリシャを羽交い締めにしながら駄々をこね始めた。
それをピシャリと制するハイエルフだが、その顔は喜びを隠す様に頬がピクピクと動いている。
横に立つドワーフはやれやれと首を振り、素直でない性格に呆れ笑いを零していた。
いつもの様に騒ぎ始めた面々を嬉しそうに見つめていたラディオだったが、子供達の方に向き直る。
「レン、大事な試験の時に居なかった事、本当にすまなかった。だが、素晴らしい結果を見れて、私は心から嬉しい。昇級おめでとう」
「師匠……」
「皆も素晴らしいぞ。日々の研鑽は、身体に蓄積されていくもの。君達がして来た努力は、これからも君達を助けてくれるだろう。でもね、1番大事な事は己を信じる心だ。自分がして来た事、これから成そうとする事、その全てを信じ抜く事が出来れば……自ずと結果は付いて来る。本当におめでとう」
「うわぁ……ありがとうございます!」
「そんなに褒められると照れるっスよ〜」
「ラディオ様の御言葉、いつ迄も胸に刻んでおきます」
リータ達は満開に笑顔を咲かせ、互いを見合い喜びを露わにする。
ラディオが帰って来ない事で、グレナダに遠慮をしていた子供達。
だが、その心配も無くなると、笑顔そのままに各師匠の元へ走って行った。
レミアナはリータを抱き締め、エルディンはクレインを見ながら満足そうに頷く。
ギギは豪快に笑いながら、ロクサーナを肩に担ぐのだ。
良好な信頼関係を築いているのが、容易に見て取れる。
子供達を見つめるラディオは、その心優しさに頭が下がる想いだった。
そして、胸板に頭を預けて落ち着き始めていた娘に、ラディオが語り掛ける。
「レナン、父とお話をしてくれるかい?」
「ぐすっ……あ、い?」
「約束を破ってしまって、本当にごめんね。父は、もう二度と約束を破らない……何があっても、どんな時も」
「……おや、くそく……?」
「あぁ……お約束だ」
「……あいっ」
すると、グレナダはちちの顔をしっかりと見上げながら、頷いてくれた。
ラディオは眉根を寄せて、心からの謝罪を表す様に、娘を強く抱き締める。
ラディオの腕の中で目一杯甘えるグレナダは、漸く少し尻尾を振り始めた。
「そうだ、レナンにお土産があるよ。これを――ふむ……」
親子の目線が一点で止まる。
取り出したのは、結晶林檎……だったもの。
しかし、真っ黒に焼け焦げ、炭の様に全体に亀裂が入っていたのだ。
明らかに40階層が原因である。
更に、ラディオが気まずさ全開で固まっていると、果梗だけを指に残して、身が床に落ちてしまった。
一層の気まずさを感じるラディオだったが――
「ぐすっ……へへっ……りんごおちたのだ……♡」
グレナダが、やっと笑みを見せてくれたのだ。
鼻をすすりながら、床に落ちた林檎を指差し、頬を緩ませている。
すると、グレナダの笑顔に反応を見せたレミアナ達が続々と寄って来るではないか。
この二日間のグレナダを知っているからこそ、嬉しくて堪らないのだろう。
「レナンちゃ〜ん♡ やっぱり笑顔が可愛いね〜♡」
「だっはっはっはっ! 腹減ったろう? これから祝勝会といこうじゃねぇか!」
「ラディオ、小さき王の件について私の話は終わってないからな?」
「あぁ、ゆっくり聞かせて貰うよ」
ラディオは、娘を一旦レミアナに預けた。
皆の前で嬉しそうに笑うグレナダを見て、安堵の表情を浮かべる。
そして、常に側に居てくれた『家族』を労う為、横に並んだ。
「レン、あの子と共に居てくれて有り難う。そして、重ねてではあるが本当におめでとう。私は、君の全てを誇りに思うよ」
「……はい」
頭に乗せられた大きな温かい手。
少年の心に充足感が広がっていった。
だが、浮かべたその微笑みには、何処か心咎めたものが混じっている。
それをラディオに悟られぬ様、レンカイはそっと下を向くのであった。




