第94話 父、久し振りに
23階層――
(そうか……Cランク帯では、武器を持つ個体も現れるんだな)
迷宮に潜ってから数時間、早くも20階層を越えていたラディオ。
深い森の中、開けた場所の中央に立ち、周囲を観察している。
(数は20程……小隊と言った所か)
「ブモッ!? ブモォォ……!!」
しかし、1人では無い。
ラディオの眼前には、モンスターが立ちはだかっている。
成人女性の胴程もある上腕、内包する怒りを体現しているかの様な真っ赤な体毛。
ラディオを余裕で見下す体格と、荒々しく湾曲した二本の角を生やす雄牛の頭を持つ怪人。
C+ランクモンスター、『ミノタウルス』だ。
下層目指して樹上を疾走していた所、ミノタウルスに囲まれている若い冒険者を発見する。
倒れ伏した仲間を庇い、1人剣を構える青年。
しかし、膝はガクガクと震え、過呼吸となり、瞳からは絶えず涙が溢れていた。
其処へ颯爽と―枝が折れてしまい、着地で少しよろけてしまったが―舞い降りたラディオ。
冒険者達を担ぎ、一飛びで大木の枝へ移る。
ポーションと小竜のオーラを渡し、ギルドまで最短距離で帰らせたのだ。
やる事も終わり、また駆け出そうとした時、下から咆哮が聞こえてきた。
『代わりに俺と勝負しろ!』と言わんばかりに、巨大な斧を振り上げて。
ミノタウルスは軍人の様に階級社会を築いており、20〜30の群れで行動している。
そして、他のモンスターと明らかに違う性質が、『一対一』を好むという所だ。
其れこそが、彼等の誇り。
サシで全力を尽くし、勝鬨を上げる瞬間に至上の名誉と喜びを感じる。
ミノタウルスが持つ武器等は、言わば『戦利品』だ。
しかし、先を急いでいたラディオ。
相手にする理由も無いので、そのまま立ち去ろうとした。
だが、森の奥から鋭い視線を感じ取り、考えを変える。
どうやら、思わぬ収穫がありそうだと。
ラディオが再度舞い降りた。
獲物を奪われ、仲間の前で恥を欠かされたミノタウルスは、鮮血に染まった真っ赤な瞳に怒りを燃やす。
そして、対峙した瞬間、目にも留まらぬ速さで斧を振り下ろしたのだ。
(あの視線、間違いない。だが……そうそう大将は出てはくれないな)
「ブモォォ……! ブモォォォォ!!」
思案に耽るラディオの前で、血管という血管を浮かび上がらせながら、咆哮を上げるミノタウルス。
柄を握る手に爪が食い込む程、ありったけの力を込めて。
何故なら、振り下ろした筈の斧は、ラディオにあっさり受け止められていたのだ。
それも、右手の指で刃を挟まれただけで。
更には、目の前に居る男の何と涼しい顔か。
その姿が、ミノタウルスの怒りを激しく増長させていく。
(ならば……少々手荒に行かせて貰おうか)
その時、ラディオが動いた。
右手を握り、斧の柄を左手の手刀で切断する。
そして――
「――ブ、モ」
「先ずは1体」
一瞬揺れた巨体から、角を携えた頭が地面へ落ちる。
柄を切断した手刀を返し、極太の手首を掴んだラディオ。
其処を軸にして、落雷の様な速度の右上段蹴りを放ったのだ。
ラディオが着地すると同時に、霧散していくモンスターの残骸。
「ブモォォ――モッ!?」
仲間をやられ、激昂したミノタウルスが突進しようとした時、目に何か飛び込んで来た。
異物を取り除こうと擦れば擦する程、目から血が流れてくる。
ぼんやりとした視界の中、黒い物が見えた瞬間――
「ブギャ……」
「2体目」
ミノタウルスは、下から受けた衝撃で首の骨を折り絶命する事となる。
ラディオは先程の斧を握り潰し、破片を手に持っていたのだ。
それをミノタウルスに投げて目眩しにしたと同時に、一飛びで眼前まで迫る。
そして、勢いそのままに砲弾の様な膝蹴りで顎を撃ち抜いたのだ。
2体が倒されるまで、僅か数秒の話である。
「ブモ……! ブモォォォォ!!」
「次は君か」
余りの力の差に、ミノタウルス達は尻込みしてしまった。
しかし、それでも逃げる訳にはいかない。
そんな事をすれば、殺されてしまう。
恐怖を押し殺し、ラディオに突進していくしか選択肢が無かった。
だが、雄牛が『竜の子』に勝てる訳が無い。
5体、10体とミノタウルス達はその数を減らしていく。
ちょうど半分程になった頃、ラディオは森の奥に向かって呼び掛けた。
「さぁ、そろそろ良いだろう。君の兵隊では、私の相手は出来ない……御登場願おうか」
すると、ラディオの声に呼応するかの如く、大木を薙ぎ倒しながら、1体のミノタウルスが歩いて来た。
折れた左の角、漆黒に染まる体毛、背中に挿した大剣と、各部位を覆う鎧。
他の個体とは比べ物にならないオーラを纏い、身体中にある傷跡が、歴戦を物語っている。
「成る程……手練れだな。《目録》」
名前・【猛将】ミノタウルス・ジェネラル
種族・ビースト変異種
属性・土
スキル・咆哮、統率
討伐ランク・特C(推定)
〜長い間戦いに勝ち続けた個体だけが、この域に到達する事が出来る。
全てを平伏させ、全てを牛耳る圧倒的カリスマ性と戦闘センスを有する〜
「グォォォォォォォォ!!」
自らを鼓舞する様に、ジェネラルが雄叫びを上げた。
他のミノタウルスは、地面に跪いて長への忠誠と期待を示している。
ジェネラルは大剣を抜き、構えを取った。
精神を研ぎ澄まし、現れた強敵に対し全力を尽くす為に。
「ジェネラルか……名に恥じぬ見事な構えだ。私も敬意を表し、君との邂逅に感謝しよう」
そう言うと、ラディオは全身に魔力を張り巡らし、紅蓮のオーラを爆発させる。
そして、腰を落とし、隙間を開けて重ねた両手を前に突き出すという、独特な構えを取ったのだ。
指を牙に、両手の甲を顎とするならば、まるで竜が咆哮を上げている様に見えるその構え。
ラディオは深く息を吐くと、真っ直ぐにジェネラルを見据えた。
「この体術は久し振りだ。加減が上手く出来ないかもしれないが、大目に見てくれると有難い……《竜花の舞》」
「……グォォォォ!」
一瞬の静寂を経て、先に動いたのはジェネラルだ。
大剣で地面を削りながら、猛烈な勢いで駆け出す。
巨体に似合わぬ速度で距離を詰め、間合いに入ると大剣を振り抜き、ラディオの側方を薙ぎ払いに掛かった。
だが、ラディオは一歩も動かない。
凶刃迫る刹那の中、両手を円を描く様に回し、右手を腰に据え、左手を突き出す。
そして、一言呟くと同時に、何かを踏みつけた。
「《起》」
轟ッッッッッッ!!
「グォォォォ!?」
その瞬間、身体に影響を及ぼす程の爆音が森に轟く。
ラディオの立っていた地面は瓦解し、巨大な穴が姿を現わす。
しかし、ジェネラルはその音と同時に上空に跳ね飛ばされたのだ。
ラディオは触れてすらいないと言うのに。
突然の異常な動きに混乱するジェネラル。
だが、自分と平行に飛び上がったモノに気付き、思考が停止した。
そして、徐々に体を蝕んでいく初めての感情。
いつも他者に与えていたものを、今まさに感じている。
絶対的強者に狙われた、死の恐怖を。
「《連》」
ラディオは、ジェネラルに向かって掌底を撃ち放つ。
すると、また爆音が轟き、離れた位置に居るジェネラルが血を吐き出した。
しかし、驚くべきはここからだった。
三度の爆音が連続で轟くと、血を吐くとほぼ同時に、ジェネラルは背後から同じ衝撃を受けたのだ。
見ると、ジェネラルの正面に居た筈のラディオがいつのまにか背後に移動している。
そして、その手は撃ち抜いた二撃目の掌底の形をしていたのだ。
前後から何かに圧縮され、体がねじ曲がっていくジェネラル。
「《接 》」
だが、ラディオの猛攻は止まらない。
爆音を轟かせ続けながら、空中を跳ね回っているのだ。
今度は下三方向から掌底を食らったジェネラル。
大剣はとっくに砕け散り、脚や手が吹き飛んでいく。
「《固 》」
更に上下左右四方向から掌底を撃ち放つラディオ。
ジェネラルは空中で固定されたまま、襲い来る衝撃によって、全身から鮮血を噴き出していた。
そして、ラディオは空中でまた何かを踏み付け、遥か上空に飛び上がる。
下を見る様に逆さまの体勢を取ると、左肘を思い切り背後に入れ込み、最後の掌底を撃ち放った――
「《終・花竜天成 》」
弩轟ッッッッッ――!!
最大の爆音を轟かせながら、特大の衝撃波に見舞われ、ジェネラルの体は地面にめり込んだ。
同時に、周囲のミノタウルス達も衝撃波によって押し潰されていく。
地面に着地したラディオは、霧散していくミノタウルス達を見送りながら、得た経験について考えていた。
(変異種か。Cランクでここまでとなると……)
すると、周囲の大木からバキバキと音が鳴り始める。
ハッと気付いたラディオが辺りを見回すと、広範囲に渡って、100mは優に超える木々が無残に折れていくのだ。
更に、ジェネラルが居た掌底の中心の地面は、まるで爆心地。
奈落へ引き摺り込むかの様に、巨大な穴が開いている。
レンカイとの修行の際に開けたもの等、比べるべくも無い程の穴が。
ラディオが披露した体術は、『己の四肢によって圧縮した大気を使用する』という人外の技。
最初に踏み付けたモノも大気、掌底で打ち出したのも大気。
勿論、空中で翼も持たずに跳ね回っていられたのも、大気を蹴りつけていたからである。
地面と違い、相互に圧縮が掛かる大気はまるでバネの様な性質となり、ラディオの《五色竜身・紅》によってその威力を桁違いに高めていた。
これにより、遠距離からの攻撃を可能とし、空中戦も容易にこなす。
更には、衝撃を吸収する物が無い事で、超速移動をも体現するのだ。
因みに、これらを学んだのは『五国五年』の頃、ファフニールと共に【爬竜人】の国に滞在していた時である。
しかし、ラディオはこの体術をそうそう使用しない。
何故なら、彼は幼い頃から、色々な事に関して細かな調整が下手なのだ。
なので、無闇にこの体術を使ってしまえば、大気という性質上、超広範囲に渡って甚大な被害が出てしまう。
今の様に。
(やってしまった…………精進しなければ)
気まずさと反省を全身から滲ませた中年は、フードを被り直し、下層を目指して先を急ぐ。
▽▼▽
同じ頃、41階層――
「隊長、洞窟の掃討が終わりました。準備は出来てます」
「よし、ではベースキャンプを設置しろ。モンスター避けの防護術式と、感知術式……それに、万が一に備えてこの階層への転移陣も設置しておけ」
「転移陣も、ですか? この地帯は俺らの庭ですよ?」
「そうだが……何か胸騒ぎがする。用心を怠る者は、そのまま死に直結だ。私達の信念を忘れたか?」
「『四肢を捨てでも、情報を持ち帰れ。情報を捨てでも、命を持ち帰れ』……忘れる訳が有りません。分かりました、若い衆にも伝えておきます」
「あぁ、頼んだぞ」
吹雪が舞い踊り、夜の様に闇が覆う一面白銀の世界。
しかし、天高く昇る月の様な白い灯りが、舞い散る雪をキラキラと照らし出し、とても幻想的な空間。
(本当に……いつ来ても美しいな、此処は。それを汚す者が居るならば、私が容赦しない)
真っ白な毛皮の外套に身を包み、フードを深く被りながら、吐き出した白い息を見つめる深紫の瞳。
『内部調査部隊』の隊長である。
部下から絶大な信頼を寄せられ、ギルドからも最高評価を受ける逸材だ。
しかし、フードの奥の顔は、何やら険しい表情をしている。
(この胸騒ぎ……ちっ、私の予感は当たるからな。気を引き締めなければ)
そう、隊長の胸騒ぎは良く当たる。
それも、主に悪い方向の時に。
暫く地平線を見つめていた隊長だったが、部下達の騒ぐ声が聞こえてくると、一喝する為洞窟に向かう。
隊長の怒号が飛んだ後は、黙々と作業をする隊員達。
その後、見渡す限りの平原には、雪が吹き付ける音だけが木霊していた。




