見えない狂酔者
折角自分の姿が見えるのだから瑞江を利用しない手は無いと思っていた太平であったが、かなり手厳しいものだと悟ったのだった。それにしても彼女はずいぶんと”幽霊”に対して普通に話していた。はっきり自分の姿が見えすぎているのでは、と太平は少しばかり残念に思いながら推察する。このあと教室に戻っても瑞江が監視しているためそうそうやたらなことは彼に出来ない。もし気になる娘の服の中に手を入れてしまったとして、偶然では済まされないであろう。彼女が本所の霊がさまよっている、などと噂するかもしれない。だが実際そのとおりである。よって、彼はしばらくの間、別の教室に潜入して授業の邪魔にならない程度に己の持つ現世への”性的な”未練を晴らすことにした。
一瞬「ヂュフフ」という声が瑞江には聞こえた気がしたが、あまり関わらないほうが良いと思ってしまったため、特にそちらに視線を向けることはなかった。むしろ、教室から出ていったとわかり、ホッとするほどである。
その日の午後であった。
集会があったらしく、他の教室ですっかり己の思春期真っ只中の欲求を満たし満足顔の太平が教室に戻ると、誰もいなかった。せっかくなので、自分の机に座る。すると、机の中に何かが入っていることに気がついた。
「これは・・・」
彼の手にあったのは、他人の教科書だった。ああ、そうか、自分の机は既に撤去され、ここは人の机なのか、と彼は理解した。
ふと彼は、そう言えばロッカーの中って片付いているんだろうか?と思った。そこで、彼は教室の後ろにあった自分のロッカーを久しぶりに開けてみることにした。
ロッカーの中には、彼に見覚えのないものばかりが入っていた。カラー表紙の雑誌が数冊と、手紙何通かと、一枚の布。
(これ・・・紛れもなくパンツではないか?)
と、しばらくしていたら、誰かが教室に入ってきた。
「今井椿だ。」
教室の真ん中の方へと逃げる太平。
彼は久しぶりに間近で椿を見た。
彼女は彼が鼻をほじれば「気持ち悪い」と余計な一言を添え、靴の踵を踏んだまま歩いていると「まともに靴も履けないの?」と煽り、少し目が合えば「キモいからこっちみんな」とそもそも顔を見ることさえ禁止するような奴だった。こんな奴とよく委員が務まったものである、と彼は度々思う。図書委員では蔵書点検があった時に、梯子から落ちそうになった彼女を助けようとしたら一言「触るな」と言われ、その後別の作業をしにほかへ行って彼女が一人で転落した際には「助けろ」と言われたのはなんとも”いい”思い出である。
椿はロッカーの前に立っていた。
(忘れ物か? だがしかし、そのロッカー、俺の)
「今日はねぇ、これを持ってきたんだ。フフッ」
ロッカーを開けてブツブツと話し出す椿。
「ああ。今日もノルマ達成。嬉しぃ♡」
「太平クンてさぁ、こういうの好きだったよねぇ」
彼女がロッカーに入れようとしていたのはなんと、健全な男子が自分を慰めるための道具と、エロ本と、なにやら手紙のようなものであった。
「太平クンもこれを私の代わりだと思って・・・フフゥ///」
そしてそれらを入れるのと引き換えに、中に入っていたパンツを取り出した。
太平は今見た光景を飲み込めていなかった。彼の知っている彼女からしたらありえないセリフと行動。というよりか自分を凌ぐレベルの変態的言動。そもそも彼は彼女が自分のことを嫌っていると思っていた。なので、自分がいなくなったことで晴れ晴れしく思っているのではないかとさえ考えていた。だが、今見たのは彼女が卑猥なものを自分のロッカーにお供え物として入れているところである。しかも、自分の名前を呼ぶことなんて殆どなかったし、仮に呼んでも苗字だったのが、『太平クン』である。
彼はこのとき恐怖や興奮よりも驚きの方が大きかった。これは本当なのだろうか、彼はしばらく疑ってかかった。そして、
「そのエロ本の娘は俺の好みではないぞ!!!」
遂に結論が出ず、ツッコミに声を荒げる太平。
彼女がスカートの中に手をかけようとしたところで、瑞江の声が聞こえてきた。
なんとなくこの場にいるとヤバそうなので急いで、太平は教室を出ていく。
すかさずロッカーを閉める椿。
実は集会は終わっており、荷物を持ってそのまま家路に着く学生が大半だったが、瑞江は荷物を教室に置きっぱなしだったので取りに来たのだった。今日は部活動も全て中止で全校生徒の帰宅が強制されていた。最近起きた事件を踏まえてである。
瑞江には、というよりクラス全体にとっても少し心配な事があった。それは最近早退することが多くなっていた椿のことである。
その時教室には瑞江と椿の二人だけになった。
「今井さんも荷物?」
そう聞かれると、少し俯きながら、
「うん、そうなの」
と答える。
(嘘をつくな。。)
太平は教室から少し離れた廊下で様子を伺っている。
「あ、そのロッカー、本所君の……」
そう言われ、少し顔が赤くなる椿。
「ちょっと二人だけだから相談したいことがあるんだけど、良い?」
「い、良いけど、何?」
「実はね、私、見えるの」
「何が?」
(何が?)
「その、本所君が」
「?」
(??????????)
瑞江にとって、太平のことは一人で抱え込むには少し迷惑な案件だったので、共有する相手が欲しかったのだった。
しかし、自分の相談に乗りそうな雰囲気が微塵にも感じられなかった瑞江が、まさかのこの状況で椿にこのことを言ってしまうとは。そう思い太平は息を飲む。そもそも誰かに自分のことを話すならせめて相談してほしかった。なんて自分勝手なやつなんでしょう、と彼は多少の怒りとともに再び現世に失望する。
「まだ本所君、学校でたまに見かけるんだよね。それで、私だけが見えちゃってるみたいなんだけど、流石に学校をさまよっているのをほっとくのは良くないかなと思って。でも、自分だけだとどうしたら良いかわからなくて。ほら、今井さん、彼と同じ図書委員だったでしょ。今井さんも少しその、辛いかもしれないけど、最近ちょっと早退も多いみたいで心配だったし、少し話したいなとも思ってたし。」
「そんなに仲の良い間柄では無かったと思ったが、気にかけてくれる人がいるって良いもんだなぁ」
ちょっと自分のことを思って不憫に思う太平。
ところが、椿の反応は、そんな呑気なことを思っている太平が考えるレベルを遥かに超える狂気に包まれていた。
「見えるってどういうこと!? 今どこにいるかわかるの? ねぇ斎場さん! もしかして今憑依してる? あなた太平クンなの??? キアアアア!!!」
狂ったように自分の都合の良いように話を解釈するとともに、瑞江に迫る椿。その姿に黙って見てはいられない太平。
「これぞ桃源郷、いや百合の楽園!!!」
落ち着くんだ太平。
「落ち着いて、今井さん! 本所くんは今ここにはいないの」
「でもあなたを介せば太平クンとお話できるってことでしょう? ハアアアアア↑///」
全力で瑞江の体を机に押さえつける椿。息を荒くし、小さい体で瑞江と顔の距離を限界まで詰める。
「ごめん、今日はもう帰らなくちゃいけないの」
話が全く通じないため、瑞江は椿を振り払って帰ってしまった。すかさず追いかける椿。
「一体明日から奴らはどうやって接していくんだろうか」
ヤンデレというジャンルを思わぬ形で開拓してしまった太平だったが、もはやこれはヤンキチと表現したいと思うのだった。