第1話
ピピピピピピピピピ!
6畳程の小さな部屋に、機械的な音が鳴り響く。ニワトリの形をしたそれは、しばらく鳴り響いてから何事もなかったかのように静まった。
そんな目覚まし時計を恨めしげに睨む少年が1人。この物語の主人公、柊ミズキである。ミズキはしばらく布団にくるまってモゾモゾしていたが、ついに覚悟を決めてフローリングの床に足を乗せ――
「寒っ……」
脱兎の如くベッドへと逆戻り、布団にくるまって芋虫のようにゴロゴロと転がる。さっきの覚悟はどこへやら、復活してきた眠気に抗うことなく目を閉じる。
「……流石にこれ以上休むのはマズイか」
すぐに目を開けたミズキ。実は訳あって長い間学校を休んでいたのだ。当然、出席日数はギリギリで、勉強もしていないためテストでは赤点確実。当の本人も危機感を抱いていた。
ってことで再チャレンジ。もはや氷にも思えるフローリングに片足をつけ、冷たさに慣れたところでもう片足もつける。こうして、ついに両足で立つことに成功した。
「着替え、着替えっと。この制服着るのもいつ振りだろうな」
ボサボサの黒髪を適当に直しつつ、クローゼットへと向かう。中に入っていた1枚の制服を手に取り懐かしげに見つめる。
「ってこんなことしてる場合じゃなかった」
急いで制服に着替え、まだ温もりが残っているパジャマを布団の上に投げ捨てたミズキは、チラリと部屋の片隅にある姿見で自身の制服姿を確認した。
「寝癖よし、制服よし、ハンカチとティッシュよし、荷物よし!」
ふと鏡に近づくミズキ。自身の顔をまじまじと見つめ、やがてふっと笑みを溢した。
「やっと……戻ってこれたんだ」
気づけば、目尻に涙が浮かんでいた。姿見に背を向け、涙を指で拭ってから玄関へと向かう。
「行ってきます。母さん、父さん」
ミズキは玄関にいる2人へ声をかけるが返事はない。ただ、写真の中で優しげに微笑んでいるだけだ。
ミズキは玄関を開け、外へ出た。手を息で温めながら空を見上げる。
「太陽は……そりゃ1つだよな」
他人からすれば当たり前だろとか、何言ってんだコイツと思うだろう。だが、ミズキにはそれが当たり前だと思えない理由がある。
「このまま歩いてたら遅刻するか……よし、出発」
ミズキが住んでいるのはマンションの8階。手すりの隙間から下を覗くと、ゴミ捨てのために外へ出ていた主婦らしき人の姿が見える。
手すりに乗ったミズキは両手を広げ、また空を見上げる。
「あぁ、絶対凍え死ぬわこれ」
そう言い残し、手すりから飛び降りた。
凍てつくような風が絶えず全身に吹きつける。7階、6階、5階、4階、急降下していくのを肌で感じながらも、ミズキは冷静さを崩さない。
「――《風壁》」
ミズキはまるで地面があるかのように空中に着地、また空高くへ飛び上がった。
「まじで寒過ぎる……ってあれコンビニか?」
ミズキの視線の先には1軒のコンビニが。奇跡が起きた……などと1人で感動しつつ、コンビニの近くに降り立った。
誰にも見られていないことを確認してから、歩き始めたミズキは、早足でコンビニの中へと向かっていく。
「しばらく見ない間にコンビニが出来るとはな……」
室内の暖かさに癒されながら、ボンヤリと外を見つめる。コンビニの向かいにはマンションらしき建物が建設されている途中だった。
「あぁ……平和だ」
「久しぶりに会えたと思ったら、何してんのよミズキ」
「ん……久しぶりだね、優花」
いつの間にかミズキの背後に、1人の少女が立っていた。ポニーテールに色白の肌。申し訳程度に膨らんだ胸は最後に会ったときと変わらず、ミズキに懐かしさを感じさせた。本人はコンプレックスだと言っている若干のつり目も、可愛いさを引き立てる要素の1つとなっている。
「ほんとに心配したんだから……」
しみじみと懐かしさを感じ、縁側でくつろぐご老人のような顔をするミズキに、優花は小さく呟いた。
「心配かけたね。でももう大丈夫だから」
「それでさ、あのメールの話本当なの?」
「うん。信じてもらえないと思うけど本当だよ」
「全然連絡取れなくなったと思ったら、まさかそんなことがあったなんてね……」
「信じてくれるの?」
少し驚きの表情を浮かべたミズキに、優花は苦笑いしながら言った。
「まぁ……ミズキだし?」
「なにその謎理論!?」
その後、時間も忘れ談笑した二人は遅刻しそうになっていることに気がつき、慌てて店を飛び出した。
コンビニから学校までノンストップで走り続けること5分、なんとか校門をくぐり抜けた二人は、校門を閉めようとしていた男性教師の注意を聞き流しながら校舎へと入る。
もうすぐ朝のHRが始まるからなのか、既に廊下に人影はほとんど無かった。
「はぁ、はぁ、じゃあ、また休み時間ね……」
「うん、てか大丈夫? かなり息切れしてるけど」
「私の状態が普通なのよ……なんでミズキはそんな涼しい顔してんの?」
「優花のペースに合わせたからじゃない?」
「私陸上部の中でもかなり速いほうなんだけど!?」
ミズキは不機嫌そうに頬を膨らませる優花を教室まで見送り、隣の自身の教室の戸に手を掛けた。
一呼吸置いて、ゆっくりと戸を開ける。
教室内の視線がミズキに集中した。
なんて理由で休んでることになっているのか聞いておけば良かった……などと後悔してももう遅い。クラスメイトはミズキが何か話すのを待っているのか誰一人言葉を発しない。
「えっと……おはよう?」
「「「おおぉぉぉぉぉ!!!」」」
「えっどういう反応!?」
「早く席つけや」
クラスメイトからの歓声をうけ、呆然と立ち尽くすミズキの後ろに一人の男が立っていた。
このクラスの担任、佐藤健一である。ヤクザ風の顔、喋り方、服装と三拍子揃っており、なぜ先生をしているのか謎なのだが、見た目に似合わない優しさのおかげで生徒から親しまれ、今では健ちゃんというあだ名までつけられている。
「久しぶりに学校に来た人にその言い方は駄目でしょ健ちゃん!」
「誰だ今呼んだやつ! いい加減そのあだ名止めろ! てかミズキはもう大丈夫なのか?」
「……えっ?」
「えっ?ってお前原因不明の病気で大学病院で隔離治療されてたんだろ?」
「あ?……あー! そうですね! もう元気です」
「それなら良かった。ほら、早く席につけ」
他に理由無かったの!? と心の中でツッコミながら自分の席へ向かったミズキ。健一は全員が着席したことを確認すると、朝の連絡事項を伝え始めた。
「――――ってことだ。これで朝の連絡は終わ……じゃなかった。最後に一つ、教育実習生を紹介する」
健一がそう言うと、ガラリと戸を開けて入ってくる女性が1人。
「皆さんおはようございます。私の名前は多賀美桜です。今日から1週間よろしくお願いしますね」
小さく笑みを浮かべた美桜に、再び歓声が上がった。今回の歓声は主に男子陣からだが。
「はいはい静まれ野獣ども。これでHR終わりにするぞー」
健一の言葉で次々と生徒が散りはじめる。ミズキも次の授業の準備をし、トイレにでも行こうかと席を立ったとき――
3
――始まりは突然だった。
「ん? この感じ……」
「何だあれ!?」
一人の生徒が窓の外を指差し叫んだ。他の生徒も外を見て騒ぎ始めている。ミズキも恐る恐る窓へ近づき、外にある物を確認した。
そこには学校を丸ごと囲うようにして模様のような物が描かれていた。そう、ラノベでは定番となっている魔法陣である。今も怪しく光っているそれを見たミズキは、その場で頭を抱えてうずくまった。
「あの文字列は転移系……なんでまた……大きさからして……もう間に合わない……」
教室の戸が乱暴に開かれ、健一と美桜が慌てて入ってきた。
「お前ら! よく分からんがとりあえず教室の中にいろ!」
健一が声を張り上げるが、騒がしさを増す室内ではかき消されてしまう。美桜は隣であたふたしている。
2
「ミズキ!!」
今度は教室に優花が飛び込んできた。優花は教室の中を見渡すと、窓の前でうずくまるミズキを見つけ、近寄った。
「ミズキ、あれは何!?」
「あれは転移魔法、しかも――」
「転移!? よく分かんないけど逃げなくちゃ駄目でしょ!?」
「いやもう遅い。あの魔法陣に書かれている文字列は、普通の転移魔法に少し改良を加えてあるんだ」
「ミズキはあのぐにゃぐにゃした文字が読めるんだ……で、改良って?」
「従来の魔法陣より、膨大な魔力を使わないと発動出来なくなってる」
「んん? つまりどういうこと?」
「魔力を込めれば込めるほど、転移出来る距離は長くなっていく。そして今、目の前にある魔法陣に込められている魔力量から推測すると……」
1
「この転移は、次元の向こうだ」
「次元……?」
突如、魔法陣の光が明るさを増し、目を開けられないほどの輝きを放ち始めた。
「ミ……ミズ……」
優花がその場に崩れ落ちる。他の生徒も皆、次々と倒れ出した。
「くそ……またかよ、くそ王女」
ミズキの意識はそこで途切れた。