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第一話 勇者ナンバー867(4)

 そこでハリーは軽く頭を掻くと背筋を伸ばし、顎を引いて真面目な顔になった。


「勇者の進路は主に三つ。壁を守るか、壁の外に出るか、それ以外かだ」


 アツシとしては、やはり二番目が気になった。というより、おののいた。


「壁の外に出るって……」

「防衛に徹すれば安全だが、それではなにも変わらない。壁の外になにがあるのか調査する。特に地図を作るのは重要だ。他にはモンスターを退治してその死体を持ち帰り、生態を解明する。壁外の資源を採取する。外に人間種族やそれに類する種族が隠れ住んでいないか探す。そして可能であればモンスターの親玉である魔王に戦いを挑み、これを討つ」


 すらすらと云われたその言葉の数々は、どれも矢のようにアツシの心に刺さった。勇気と力があれば、それはきっと心躍ることだろう。壁を守って現状維持だけを望むよりは、よほど生気に溢れている。しかし。


「……で、壁の外に出てどれくらい死んだんですか?」

「二二三人。八六七人中、二二三人の勇者が、壁外で死ぬか行方不明になっている。地球に帰ることもできず、この異世界で命を散らしたんだ」


 その冷たく過酷な事実を前にアツシは天を仰ぎ、それから俯いた。


「四分の一が死んでるって、それかなりやばいんじゃないですか?」

「そうだ。モンスターは強い。と云ってもピンキリだが、ランクの高いモンスターと当たった場合、マイティ・ブレイブを持つ勇者でも一対一ではまず勝てない。多対一の状況に持ち込んで、相性のいいマイティ・ブレイブを持っていれば、どうにか……といったところだな。ランクの低いモンスターでも相性が悪かったりするとやられる」


 それきり沈黙が二人のあいだをしめた。レナは傍らでアツシの様子を気がかりそうに見ているが、口を挟んで来ようとはしない。

 やがてアツシが沈黙を破った。


「まあ俺は、まだモンスターってのを見てないんで、話半分って感じですけどね」

「ハハハ、いいよ。いきなり怯えられても困るからね」


 そう云って呵々と笑うハリーに、アツシはふたたび尋ねた。


「ところで勇者の進路の三つ目……それ以外っていうのは?」

「それ以外はそれ以外さ。戦闘向きのマイティ・ブレイブを持っていない者、むしろ後方支援に適任というマイティ・ブレイブを持っている者、新米勇者の訓練担当官、マイティ・ブレイブが有用すぎて護衛対象になった者、そもそも勇者として活動することを完全に拒否した者……などなどだ」

「なるほど……」


 そう答えつつ、アツシはそう遠くないうちに迫られる選択のことを考えていた。今のところ壁の外へ行くのは論外に思える。二百人も死んでいるのだ。自分はそんな命知らずにはなれそうもない。とはいえ、元の世界に戻る術がなく、この世界で生きていかねばならぬと云うのなら、なにか仕事をしなくてはならないだろう。


 ――とにかくモンスターってやつを一度見てみないことには決められないんだが。


「壁を守るのがベター」


 突然ハリーにそう云われて、アツシは飛び上がるほど驚いた。心を読まれたと思った。そのときのアツシの顔が面白かったのか、ハリーが大きな声で笑う。


「ハハハ! 顔にそう書いてあったよ。ま、みんなだいたいそうだ。壁の外へ行きたがる奴は少ない。かといってなにもせずぶらぶらしていると恥ずかしくなる。そこで壁を守りモンスターの侵入を防ぐという任務に腰を落ち着ける。それが普通の勇者だ」


 そこでハリーは言葉を切ると、仕切り直すように云う。


「すっかり横道に逸れて話し込んじゃったね。話を戻そう。これから君に僕のマイティ・ブレイブを見せる。エアリアルハンマーで、君を勇者特区のニコラのところまで吹き飛ばす」

「……やっぱり!」


 それを予想していたアツシは、うろたえた様子で後ずさった。そんなアツシにハリーが一歩迫る。


「ここで僕が君をぶっ飛ばしてニコラにあとを任せるのはシナリオ通り。だから安心してくれていい。君のマイティ・ブレイブの鑑定とその後のことは、ニコラがやってくれる。君のあとでレナも送るから心配するな」

「ちょ、ちょっと待って――」


 アツシが目を前に戻すと、ハリーは既に右の拳を構えていた。


「じゃあ行くぞ、痛くはないから安心しろ」

「だからちょっと待ってって!」


 及び腰になるアツシに、ハリーは待たぬとばかりにもう一歩迫った。

「エアリアル――」


 そのとき、ハリーの右拳が青い光りを帯びた。こんな現象は、地球ではもちろん見たことがない。人体が色づいて発光するさまは、実際目の当たりにしてみるとひどく奇妙だ。アツシがそれに目を奪われた瞬間だった。


「ハンマー!」


 そして渾身のアッパーカットがアツシの腹部で炸裂し、次の瞬間、アツシは砲弾よろしく空中へ向かって打ち上げられていた。

 自分の体が上空へ向かって引っ張られていく。クレーンで運ばれる荷物になったらこんな感じだろうか。いや、実際はクレーンで運ばれるよりずっと速い。ハリー、レナ、先ほどまで立っていた塔、城と街並、そうしたものがすべて見渡せる。市壁に囲まれた街が眼下に一望できる。

 そして放物線の頂点に達したとき、今度は落下が始まった。


「あ――」


 落ちていく。下腹部にひゅんと冷たい風が吹くようなあの感じとともに、アツシは落下していた。


「ああああああ――!」


 そんな声が自然と口から出てしまった。本能的なものでどうしようもない。本当に大丈夫なのか。このまま地面に落ちればバラバラになって墜落死するのが普通ではないか。

 そう焦ったとき、アツシはどこかの屋敷の塀に囲まれた緑の庭にぴたりと着地してしまった。着地といっても背中から落ちたのだが、衝撃はなにもなく、かといって優しく抱き留められるのでもなく、気持ち悪いくらいにいきなりピタリと止まったのだ。

 アツシは目をぱちぱちさせ、まるで悪い夢でも見ているような気持ちでゆっくり身を起こした。そして芝生の上に尻餅をついたまま、蒼白な顔で飛ばされてきた方を見れば、天に向かって聳える巨大な塔が遠くに見えた。


「……あ、あそこから飛ばされてきたのか」


 日本で津波に呑まれたはずが別の場所にいて、日本語ではない未知の言語を操り、今物理学では説明不能なマイティ・ブレイブの力も身を以て味わった。


「あ、あー……」


 そんな虚けたような言葉を発しながら、アツシは頭を抱えていた。


「マジで、異世界……地球じゃない? 帰れない? 勇者って……」


 そのとき、一陣の風が吹いて蜂蜜色の髪を三つ編みにした美少女が、これはアツシの隣に綺麗な着地を決めていた。彼女はすっくりと背筋を伸ばすと、まだ尻餅をついているアツシを見下ろして驚いた顔をした。


「アツシ様、どうかなさいましたか」

「レナ……」


 アツシはレナの麗容を頭から爪先まで眺めたあと、力なく笑った。


「いや、平気だよ。ところでハリーさんは?」

「エアリアルハンマーは御自身には適用されません」

「なるほど。まあ砲台は砲弾にはならんよね」


 アツシは納得すると、立ち上がって尻を払った。そこへレナが軽く胸を張って云う。


「ここからは私がご案内します。従者ですから」

「それだ。その従者ってなんなんだ?」


 それがアツシには最初からわからなかった。文字通りに受け取れば、自分が主人でレナはアツシに従う者ということになるのだが、どうしてそんな待遇を受けるのかが判らない。

 レナは一つ頷くと、屋敷の庭先で話し始めた。


「従者とは、異世界に召喚されて右も左もわからない勇者様をお世話する存在のことです。召喚されたばかりの勇者様は当然、こちらの世界のことをなにも知りません。そこでこちら側から一人専属の従者をつけて、案内、交渉、生活の世話全般をするという取り決めになっているのです。アツシ様の従者は私です」

「なるほど」


 つまり現地人のガイドということだ。どこの国でも観光名所では外国人を相手に通訳や案内を商売にしている者がいるが、それと似たようなものであろう。

 だがアツシには一つ気がかりなことがあった。


「……俺が召喚されるとき、君を見たような気がするんだが」

「それが従者の最初の仕事です。召喚の媒介となり、異世界で命を落としかけている誰かに手を差し伸ばし、その手を取ってもらう。つまりあなたをこの世界へ引っ張り込んだ張本人は、私なのです」


 レナはそう云うとアツシの前で恭しく膝をつき、頭を下げた。


「我々は異世界の人間を召喚し、彼らを勇者とすることで生き永らえている者です。その意味を知らぬ我らではありません。皆、勇者様たちを尊敬し、また申し訳なく思っております。ですから生活する上での煩わしいことはすべて私がこなしてみせます」


 そこでレナが顔をあげ、輝く瞳でアツシを見てきた。


「遠慮なくなんなりとお申し付け下さい、従者ですから」


 そう澄み切った声で云い切るレナを、アツシは途方に暮れたような目で見た。このような忠誠を捧げられても、こちらにはそれを受け容れるだけの器がない。


「……俺はただの高校生だったんだぞ。いきなりこんな展開に巻き込まれても……もし俺が勇者しないって云ったら、君はどうするんだ?」

「気が変わるまでお仕えいたします。実のところ最初からすぐにこの運命を受け容れる方は少ないのです。葛藤するのが普通なのです。それがどのくらいの期間に及ぶのかは人によりますが、勇者様には無限の時間があるのですから、きっといつかは立ち上がって下さると私は信じています」


 そう云うレナの清い瞳を、アツシは直視できずに青い空を見上げた。


 ――そんな目で見られても困る。だいたい無限の時間ってなんだよ。ああもう。


 いつまでも空を見上げているわけにはゆかず、アツシは顔を前に戻すと急いで云った。


「とにかく、まだどうするかは決めてないから。とりあえず立ってくれよ。いつまでもそんなんじゃ俺が困る」

「はい」


 レナは云われた通りに立ち上がるとスカートの前身頃を自然に払い、背筋を伸ばしてアツシを見上げてきた。アツシに比べると、レナはだいぶ小柄で骨細である。そして綺麗だった。見れば見るほど可憐に思えてくる。アツシはレナに見入り、レナは真面目な顔をしてアツシの視線を受け止め、二人はそのまま見つめ合った。そのときだ。

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