第七話 怒り(2)
一瞬、アツシはジュリアンへの殺意で膨れあがったが、そのときジュリアンを押しのけるようにしてトロイが云う。
「ジュリアンを責めるな。命じたのは俺だ。グレイスのマイティ・ブレイブでおまえの首を偽造したとしてもまだ魔王は騙せない。魔王をたばかるには罪悪感が必要だった。平気な顔をして人類を裏切るのであれば、魔王は罠だと気づくだろう。そこで使者として赴くジュリアンには罪の意識を植え付けるため、彼にレナの首を落とさせたのだ。魔王がまんまと騙されたのは、偽首がおまえの顔をしていること、本物の人間の首であることに加え、レナを殺してしまったジュリアンの罪の意識を見抜いたからだろう」
なるほど、それはまさに素晴らしい理論だった。ジュリアンが土壇場で自分を殺せと云い出したのもむべなるかな。アツシはトロイを見て莞う。
「トロイさん。あんた、俺がレナを愛しているって、知っていたのか?」
「ああ。そしてレナもおまえを愛していた。そしてその愛はこの世への未練になる。だからレナはおまえの召喚に応じるだろうし、おまえもまた喜んでマイティ・ブレイブを使うはずだ。レナを生き返らせることができるのだから」
「なに……?」
アツシはトロイを視線で射抜く。ジュリアンは目を伏せ、腕をわななかせていた。そしてトロイは、アツシが出来の悪い生徒のように思えたのか、諄々として語る。
「死者を天使として召喚するのは、見方によっては一度死んだ人間を生き返らせるようなものではないか。しかも女性型天使の外見はほとんど人間と変わらないというのだから、おまえとレナは生前とまったく変わらぬ交流ができる。それにおまえが人の命を犠牲にするマイティ・ブレイブに抵抗を持っていることは気づいていたが、愛する人なら生き返らせたいと思うはずだ。おまえはためらわずマイティ・ブレイブを使う。レナもそれに応じる。召喚は一〇〇パーセント成功する。どうだ?」
「どうって……そんな考えでレナを殺したのか」
「そうだ。だがアツシ、おまえのマイティ・ブレイブで彼女は生き返るんだ」
トロイが大真面目に云うので、アツシは笑ってしまった。
「一度死んでも、生き返るから問題ない? 完璧だな。完璧な理論だ。でもあんた、俺がどう思うかわかってないな」
そう云ってアツシは剣を抜き、
「ぶっ殺してやる!」
電光石火にトロイに切りつけた。そこへ、その動きを読んでいたように割って入ったジュリアンが、アツシの剣をがっきと受け止めた。
「そう来るんじゃないかと思ったぜ!」
「どけ、ジュリアン! どかないんなら、おまえからだ!」
そこからアツシはジュリアンに猛攻を仕掛けた。元より剣術のセンスではジュリアンの方が遥かに勝っていたが、今のアツシは気魄が違う。もはや守るものもなく、目の前の相手を殺すために身を捨ててかかっているのだから、さしものジュリアンも後手に回った。しかもジュリアンは守りに徹しており、反撃する気配がない。
そんなアツシを前にして、トロイは歯ぎしりしながら云った。
「聞け、アツシ! これはすべてレナの望んだこと、彼女もすべて承知の上で自分の命を捧げると、自ら云い出したのだぞ!」
「だったら止めろや!」
アツシはジュリアンとともに剣の竜巻のなかにいながらトロイに叫ぶ。トロイはなおも辛抱強く云う。
「誰かが犠牲になる必要があった! おまえのマイティ・ブレイブはそういう力だ!」
「だから俺もこんな力は使いたくなかった! それなのにおまえらは、魔王殺しに目が眩んでレナを……おまえらはよってたかってレナを殺したんだ! 許さない! 絶対! おまえらみんな、ぶっ殺してやる!」
アツシとジュリアンの剣が斜め十字に噛み合って火花を散らす。そろそろ心に火がついてきたのか、ジュリアンは大立ち回りを演じながら笑っていた。
「だから云ったろ、トロイの旦那! 人間は理屈じゃないってよ!」
そこからアツシとジュリアンは、いっそう激しく斬り結んだ。
◇
こうした状況を目の当たりにした魔王は、裏切られた腹も少し癒えてきた。どうやら勇者たちは、この自分を前にして仲間割れを始めたらしい。なんと愚かで見苦しい連中だろう。だが今回はそれに救われた。
――私を倒せるのはあのアツシという勇者のみ。その勇者がどうやらトロイに反発している様子。となれば、この囲みは食い破れる。ここさえ突破してしまえば、私は人間世界を自由に闊歩できるのだ。これは危機を好機に変えるとき!
魔王はそう考えると、騎乗している魔獣に進撃の号令をかけた。
◇
ぎゃああああっ! と凄まじい叫びが起こった。
これまで状況を静観していた魔王がついに動き出したらしい。勇者の一人が殺され、さらにもう一人に襲いかかる。が、アツシはそれよりなにより目の前のジュリアンを斬り伏せるために必死だった。そこへグレイスが叫ぶ。
「魔王が逃げますわ! なんとかなさい、トロイ! ここであいつを野放しにしては――」
「わかっている!」
そう叫んだトロイが、ジュリアンとの激しい剣戟の渦のなかにいるアツシに云う。
「アツシ! ここで魔王を逃がせばやつはきっと街や村を襲う! 無辜の民が大勢死ぬぞ! 仲間ももう一人、いや二人殺された!」
「そんなの知るか! 壁のなかに魔王を入れたのはおまえらだ! おまえらが責任を取れ!」
それには、アツシの目の前でジュリアンが燃え立った。
「アツシ、てめえ、いい加減にしろよ!」
「おまえこそレナを殺しておいて、生きていられると思うな」
そして二人は鍔迫り合い、アツシは剣を介してジュリアンを思い切り押した。ジュリアンはそれに抵抗せず、むしろ自分から後ろへ大きく跳んでアツシから距離を取る。
そんなジュリアンを、アツシは悔しげに睨みつけた。
「……あのとき、魔王への手土産としておまえに殺されると思ったとき、俺は本当に怖かった。レナはどんな気持ちだっただろうな?」
そう考えただけで、アツシは思わず泣きそうになってしまうほどだった。
「なぜおまえは、そんなことが出来てしまったんだ……!」
「……可哀想だと思ったよ。今でも思ってる。トロイの旦那の目論見通り、俺には罪悪感ってやつが植えつけられちまった。でも、それでも、俺は魔王をぶち殺したかったんだ」
「……ポールのために?」
「そうだ。だがそれ以上に、俺は人類がこの壁で作られた箱庭に閉じ込められてるのが気に入らなかった。半径一〇〇キロメートルぽっちのクソ狭い世界で、老いもせず魔王にびびって長生きするなんて冗談じゃねえ。魔王を倒して、壁の外の広い世界を冒険するんだ。だから……おまえがやるって云うなら、俺はおまえの天使になってやってもいいと思ってる。さっき『俺を殺して天使にしな』って云ったのは嘘じゃない。二人で魔王を倒して、壁の外になにがあるのか確かめにいこうぜ」
「お断りだね。そういう夢なら俺に頼らず、自分の力だけで叶えるんだな」
「……そうか」
するとあれほども激しく斬り結んでいた二人が、一転、静かに睨み合った。次に動いたときはどちらかの死ぬときだ。それがトロイにもわかったのだろう、彼はジュリアンを庇うように立ち、アツシの前に立ちはだかった。
「……アツシ」
仇敵を前にして、アツシは全身の血が沸き立つ思いだった。
「うるせえ! いくら御託を並べたって無駄だ! 俺が殺すのは魔王じゃない! おまえだ、トロイ!」
「……俺を殺せば気が済むか? 恨みは晴れるか? そうしたら魔王を殺すと誓えるか! だったら俺は喜んでこの首をくれてやろう!」
そう雄々しく叫ぶトロイに、アツシは紫電の宿る目をして斬りかかった。
「上等だ、そこに直れ!」
アツシの剣が迫っても、トロイは微動だにしない。そんなトロイの首を切り落とすべくアツシが剣を振り下ろしたそのとき、目の端に見覚えのある勇者が立った。そして。
「スリーピング・コフィン!」
――またこれかよ。
猛烈な睡魔に襲われ、アツシはそのまま意識を手放した。




