第七話 怒り(1)
第七話 怒り
壁によって麾下のモンスターたちと分断された魔王は、しかしそれ以上に目の前のアツシの存在に驚倒していた。
「馬鹿な! 貴様が生きているはずはない! この首はたしかに、本物のはずだ! ここに宿っていた命の気配を、私が間違えるものか!」
そう叫ぶ魔王が掲げた首を目にしたアツシは、それがたしかに自分とそっくり同じ顔をしていることに軽い衝撃を受けていた。
――あれが変身のマイティ・ブレイブで拵えた偽首……わかっちゃいたけど、本当に俺にそっくりじゃないか。しかもあの偽首のために、誰かが死んでるんだ。
胸のむかつきを覚え始めたアツシの背中に、誰かそっと手をあててくれた。レナだった。その姿を見て、アツシはまずほっとし、次の瞬間に慌てた。
――しまった。ほとんどの従者たちはトロイの転移に血を提供する役割だったのに、なぜレナだけがついてきてしまったんだ。置いてくるべきだったのに。
こうなるともう確実に魔王を倒さねばならぬ。絶対に天使を召喚してみせると強く思いながら、アツシはトロイに低声で訊ねた。
「それで、ここからはどうするんだ? 俺のマイティ・ブレイブをどう使う? 考えがあるって云ったのはあんただぞ」
「ああ、任せてくれ。グレ――」
「アツシ、俺を使え!」
いきなり横からジュリアンがそう申し出てきたことには、アツシもトロイも仰天した。呆気にとられるアツシを尻目に、トロイがジュリアンの肩を乱暴に掴む。
「ジュリアン! なんだ、いきなり、どうした?」
だがジュリアンはトロイを無視してアツシに食い下がってきた。
「俺を殺して天使にしな。そうすれば俺もポールの仇を討てるってもんだ」
いきなりの申し出にアツシは声もない。これはトロイの考えではないだろう。なぜならトロイは気色ばんでジュリアンを無理やり自分の方へ振り向かせたからだ。
「ジュリアン、なんのつもりだ!」
「いや! いや! やっぱりどう考えても無理がある! あんた頭はいいけど人の心がわかっちゃいない。二百年も生きるとどうかしちまうんじゃないのか。俺でもいいだろう!」
「そう、魔王を倒さんとする強い意思がある者なら誰でもよかった。俺でもおまえでも! だがあの娘が云ったのだ。自分が犠牲になると。それは自分の役目だと。俺はその気持ちを酌んだ」
「それをこの場でこいつが納得するのは無理だろう!」
「納得するはずだ。他ならぬ本人の意思だったのだから!」
「それが頭でっかちだって云ってるんだ!」
「おい……」
アツシは恐る恐る口を挟んだ。魔王を前にして仲間割れのような喧嘩をするなど馬鹿げている。他の勇者たちが総掛かりで魔王に無言の牽制をしていてくれなければ、どうなっていたことか。アツシがなんとか二人を宥めようとしたところで、レナが凛とした声をあげた。
「おやめなさい」
「レナ……」
アツシは、レナの意外な威厳に声もない。レナはアツシを尻目にジュリアンに云う。
「ジュリアン、あなたが悪いわ。土壇場で混乱させないで」
「で、でもよ……」
「それにいつまでも真実は隠しておけない。もう賽は投げられたのだから」
レナはそう云うと、緑の瞳でアツシを見てきた。今までに見たことのない表情だった。
「レナ?」
不安に駆られたアツシが安心したくてレナの名前を呼ぶと、レナの緑色の目が、突然青い湖のような色に染まる。えっ、と思ったときには、レナの体が光りに包まれ、その光りが収束したとき、そこには白銀の髪をした老婆が立っていた。見たことのある人物だ。
「な! な! あんたは、オヴェリア!」
「三年ぶりですわね、アツシ」
そう、それはアツシがこの世界に召喚された日に、予言が下りたとかでアツシを屋敷に呼び出したこの世界の要、オヴェリアであった。その彼女が云う。
「でも実は私はオヴェリア様ではありません。その影武者、真の名はグレイス」
「……は?」
――影武者? オヴェリアではない? グレイス?
レナが消えたかと思ったらオヴェリアが現れ、しかもそれはオヴェリアではないと云う。
「どういう……」
「変身のマイティ・ブレイブを持つ勇者のことは聞いたでしょう。その者は自分や他人を別のものに化けさせられると。それが私ですわ。実を云うとこの老婆の姿もまた仮初め。本当のオヴェリア様とはかけ離れた姿に変身し、彼女を守る最後の砦となるのが私の本来の仕事ですの」
その突然の告白にアツシは声もない。完全に絶句し、指先まで痺れてしまっている。そんなアツシをオヴェリア、いやグレイスがくすりと笑った。
「あのときトロイが私を見て『またおまえはそんな格好をして……』と云ったのを憶えていますかしら? あれはドレスのことではなく、私が老婆の姿になっていることを指していたんですのよ」
「……マイティ・ブレイブを使う代償で老化するって、云ったじゃないか」
「あれは方便です。オヴェリア様のマイティ・ブレイブにはこれといって代償がありません。マイティ・ブレイブの強さと代償の有無は別問題ですから、なかにはオヴェリア様のように、強力無比のマイティ・ブレイブを持ちながら代償や媒体を一切必要としないものもあるということですわ」
驚愕のあまり心がばらばらになりそうだったアツシは、しかし三年前のことを思い出していた。オヴェリアの傍には常に三人の勇者が護衛についていたと云う。だがアツシがオヴェリアを名乗る老婆に会ったとき、彼女が従えていたのは暗闇の迷宮を作った結界師エロイーズと、護衛の騎士シーリーンの二人のみ。三人目はどこかに伏せてあり、警備上の問題からアツシに教えることはできないと撥ね付けられたが、真実は違っていて、実は最初からオヴェリア本人はアツシに会っていなかった。三人目の護衛であるグレイスが老婆に変身し、オヴェリアとしてアツシに会っていたのである。なるほど、変身のマイティ・ブレイブを持つというのなら、影武者としてうってつけであろう。
「いや、たしかに二重三重の備えでオヴェリアを守っているとかなんとか云ってたけど、まさかそこまで……」
アツシは感心するやら呆れるやらだったが、それよりも大問題が別にある。
「レナは?」
するとグレイスの顔がさっと陰った。それを見てアツシの心臓が早鐘を打ち始める。
「あんたが変身能力者なのはわかったよ。でも、なんでオヴェリアさんの影武者のあんたが、レナに化けていたんだ?」
グレイスがレナに化けていたのなら、本物のレナは今どこにいるのか? ほとんど恐怖に顫える声でアツシが問うと、グレイスは顎を引いた。
「ここに来る前、あなたが正解を云い当てたのではなくて?」
「そ、それは……」
「それに今のトロイとジュリアンのやりとりを聞いていれば、自ずと答えは見えてくるでしょう」
そう云ってグレイスは真っ直ぐに魔王を指差した。正確には、魔王が片手に携え持っているアツシの贋首だ。
「変身解除」
次の瞬間、その贋首が光りに包まれ、そして現れたのは、蜂蜜色の三つ編みを垂らした女の頭部であった。
魔王が自分の手のなかで変貌を遂げた人間の頭を見て叫ぶ。
「な、なんだこれは! こんなマイティ・ブレイブが! おのれ、たばかったな!」
魔王が忌々しげに、手にしていた贋首を大地に叩きつけた。それこそは間違いなく、レナの首であった。
稲妻に打たれたように動けないアツシに、このときトロイが傍から云った。
「これが彼女の望みだった。そして今こそ彼女を天使としてふたたびこの地上に呼び戻すのだ。そうすれば勝てる!」
そう熱く捲し立てるトロイを、アツシは紙のように白くなった顔をして見た。
「誰がレナを殺したんだ?」
「俺だ」
と、名乗りをあげたのはジュリアンだった。
「直接首を落としたのは、俺がやった」




