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第六話 急転(3)


        ◇


 ここで時間は少し巻き戻る。

 アツシに向かって振り下ろされたジュリアンの剣は、しかしアツシの首筋にぴたりと吸い付くようにして止まった。アツシとしては、心臓が凍りついたような一瞬だった。恐怖に目を見開き、心臓がどくどくと鳴って、冷や汗が出てくる。

 そんなアツシを見てジュリアンが笑う。


「とまあ、ここまでが、魔王を騙すための筋書きだ」


 そう云われてもアツシはしばらくなにも云えなかった。だがジュリアンのにやにや笑う顔を見ているうちに悟る。


「つまり、おまえらは……」

「裏切るわけねえだろ、この世界の人類をよ。それにポールの仇は俺が討つと決めている。だからそのために魔王をいったん、壁のなかに誘き寄せる必要があるんだ」


 そのあとを引き取ってトロイが云う。


「繰り返しになるが奴は用心深い。魔王と唯一面識があった俺に二度目の接触をしたのが八十年ぶりなのだ。この機を逃せば次はいつになるかわからん。そこで魔王との取引に応じたふりをし、おまえを殺したことにする」

「……どうやって?」

「贋の首を手配するのだ。それをジュリアンに持っていかせ、手筈通りなら、魔王は壁に向かって進撃してくる。それをオヴェリアを含めた勇者が総動員で迎え撃つのだ。つまりいったん壁の一部を開け、そこから魔王が壁のなかに入り次第ふたたび壁を修復する。これでやつはもう逃げられない。そこへ俺のマイティ・ブレイブで転移し、包囲する。そこから先はおまえの出番だ。おまえのマイティ・ブレイブで魔王を討て」


 その話について、アツシは椅子に縛り付けられたままよく考え、やがて口を切った。


「三つ、疑問があるんですけど?」

「云ってみろ」

「えっと、まず贋の首なんかで魔王を騙せるんですか?」

「それについては問題ない。非常に精巧な、おまえにそっくりの頭部を用意してある」


 見たくないな、と思いつつアツシは二つ目の問いを投げた。


「二つ目の質問は、壁の一部を開けるって話なんですけど、当然かなりのリスクがありますよね。現地の人たちは納得してるんですか?」

「いや、勇者に絶対の忠誠を誓っている従者を除き、現地民には話していない。魔王を壁のなかに入れるなど、反対されるに決まっているからな。だが俺たちはもう決戦に持ち込みたいのだ。ゆえに王家は無視して勇者たちだけで作戦を遂行する」

「それはまずいんじゃ……?」


 きっとあとあと問題になる。そう思って眉宇を曇らせるアツシに、トロイが云う。


「アツシ、予言のことは覚えているか? 世界を変えると予言された勇者がマイティ・ブレイブに覚醒した日と、八十年ぶりに魔王が姿を現わした日が重なった。俺にはこれがただの偶然とは思えない。今こそ予言を掴み、運命を切り開くときなのだ。誰にも邪魔はさせない」


 そこにアツシは強い意志を感じ、云っても無駄なのだと悟って三つ目の問いに移った。


「最後の質問は、俺のマイティ・ブレイブです。俺のマイティ・ブレイブはこの世に未練のある人間を天使として召喚するものなんですよ? つまり大前提として人が死ななきゃならないってことだ。だから俺はこんなマイティ・ブレイブは使いたくないと思った! 話しましたよね?」

「もちろん。だが使いたくなるさ。俺に考えがある。任せてくれ」

「考えって……」


 そこが一番、重要なところではないか。そう思って詳しく問い糾そうとしたところで、今度はトロイがアツシに尋ねてきた。


「それよりレナに会いたくはないか?」


 アツシははっとなった。あまりのことに目の前の問題に夢中になってしまっていたが、あれからレナはどうしたのか。トロイはこの部屋に一つだけある扉の方へ目をやった。


「おい、もういいぞ。入ってもらってくれ」


 すると扉の傍に立っていた勇者が扉を開け、外にいたらしい誰かに声をかけた。その人物は勢い込んで部屋のなかに入ってくると、アツシを見つけて真一文字に突き進んできた。


「アツシ様!」

「レナ! よかった、無事だったか!」


 入ってきたのはレナだった。アツシを殺そうとするのが芝居であった時点で、アツシはレナの無事を確信していたけれど、こうしてレナの元気な姿を見るとやはり安心する。

 レナはアツシの前までやってくると、アツシに手を伸ばそうとして、アツシを縛る縄に気づいたのか、トロイを睨みつけた。


「早くほどいて下さい」


 それに応じてトロイが仲間の勇者たちに合図し、ほどなくアツシは自由になった。立ち上がったところへ、取り上げられていたアツシの剣や短剣が他の勇者から手渡される。それを受け取って再装備したところで、レナが声をかけてきた。


「大丈夫ですか?」

「ずっと縛られてたから多少節々が痛むけど、どうってことないさ。君こそ――」


 本当に無事でよかった。そう云おうとして、アツシははっとある可能性に気づき、トロイを睨みつけた。


「おい、まさかとは思うが、レナを使う気じゃないだろうな」

「なに?」

「あのときあんたのマイティ・ブレイブを使うのにレナの心臓を使うと云ったように、今度は俺のマイティ・ブレイブを発動させるためにレナを生け贄にしようってことじゃないだろうな。もしそうなら、俺は今度の作戦には参加しないぞ」


 するとジュリアンは青ざめて顔を強ばらせたが、トロイはそんなジュリアンを手振りで制するとアツシに尋ねてきた。


「レナのことを愛しているのか?」

「そうだ」

「そうか。わかった。安心したよ」

「安心……?」


 我が意を得たりとばかりに微笑むトロイと、その『安心』という言葉の意味がわからなくて、アツシは首を傾げた。そこへトロイが云う。


「アツシ、心配せずとも、おまえに天使として召喚される人物はもう決まっている。そしてそれはそこの娘ではない。なぜならその人物は、もう既に死んでいるからだ」

「なっ……!」

「犠牲はもう払われてしまった。おまえはその死を無駄にするのか?」


 トロイの云う考えがあるとは、こういうことか。アツシのあずかり知らぬところで犠牲を出してしまったから、もうあとには退けぬと。

 アツシはトロイを悔しそうに睨みつけた。


「どうして、あんたは、そういう……」


 だがトロイはアツシの感傷を踏みにじってなおも云う。


「加えて云うならアツシ、これが最後なのだ。魔王さえ倒せば、もうおまえは自分の呪われたマイティ・ブレイブを使わないで済む。この作戦が成功すればすべて終わりだ」

「これで、最後……」


 実際、それはアツシにとって甘言だった。自分の呪われた力を使いたくないという気持ちは本当だが、アツシのために死んだポールや、壁のない世界を見たいと云ったレナ、そして魔王とモンスターの脅威から解放されたいと願っている多くの人々を裏切って、自分だけ安楽と暮らしたとして、本当に幸せになれるだろうか?

 それよりあと一回だけ我慢して、戦って魔王を倒した方が、アツシとしても後ろめたいところのない、晴れ晴れとした気持ちで平和に生きていけるのではないか。


「アツシ様……」


 そのときレナにそっと手を握られて、アツシは不思議と覚悟が決まった。


「……わかった。これが最後なら、俺はやるよ」


 アツシがそう了承の言葉を発すると、辺りには安堵の気配が漂った。そこへレナが云う。


「アツシ様、本当によろしいのですか? あなたは戦うことにあまり積極的ではない」

「そうだけど、こうなったら仕方ない。最後の戦いと思ってやってやるさ。だからってわけじゃないけど……もし全部が上手くいったら、俺と結婚してくれないか?」


 するとレナの目が急に潤んだ。驚いたアツシの手を振り払い、レナは急いで目元を拭うと顔を伏せたまま云う。


「ご、ごめんなさい。それは、そのお返事は――」

「あとにしろ」


 トロイが威ある声でそうぶった切ってきた。アツシとしては人生の一大事で邪魔をしてほしくなかったのだが、トロイは不機嫌になっているし、レナはなぜか泣き出してしまうし、場所は黴臭い地下室だしで、告白の返事をもらう雰囲気ではなかった。


「わ、わかった。あとにするよ……」


 アツシがそう情けない声で云ったとき、ジュリアンがトロイの肩を掴んで自分の方へと向き直らせた。


「おい旦那、本当に大丈夫なんですか?」

「問題ない。話したはずだ」

「いやでも、人間は理屈じゃないでしょう」

「だとしても、もはや賽は投げられたのだ。今さら後戻りはできん。それはおまえが一番よく知っているだろう? おまえもおまえの務めを果たせ。まずはおまえが命懸けだぞ? 使者として魔王に贋首を持っていくのは、おまえなのだからな」


 もし首が贋物であると見抜かれれば、ジュリアンはその場で魔王に殺されるだろう。アツシは今さらそのことに気づいて、ジュリアンを心配そうに見た。


「おい、ジュリアン。おまえ本当に大丈夫か? 相手は魔王だぞ? 冷静に考えたら、やっぱり偽の首なんか持っていっても見抜かれるんじゃ?」

「抜かせ。そうならないよう、ちゃんと仕掛けがあるんだよ。そんなことよりおまえは自分の心配だけしてろ! ああ、もう、ちくしょう!」


 どういうわけか、ジュリアンは荒れていた。

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