第一話 勇者ナンバー867(2)
部屋を出た先は、円弧を描く廊下が左右に伸びていた。ちょうど二重丸のように、円形の部屋を円形の廊下が囲んでいるらしい。
「ここは……」
そう呟いたアツシを振り返ってハリーが云った。
「ここは王都のなかにある召喚の塔だ」
「塔?」
「そう、召喚された勇者たちに色々説明するのに、高いところからの景色を見て貰うのが手っ取り早くてね。もうずいぶん前から召喚はこの塔で行うようになっている。今僕らがいるのは十八階。十九階に魔方陣のある召喚の間があり、その上は屋上だ。さあ行こう」
それだけ云うとハリーは溌剌として歩き出した。質問する機を逸したアツシが仕方なくそのあとについて廊下をぐるりと回るあいだに、隣を歩くレナがアツシを見上げて云った。
「混乱されていますか?」
「混乱、しているといえばしている……でも状況の筋書き自体はわかった。自分がこうして未知の言語で会話しているんでなければ、とても信じられないところだけど。それより問題なのは、異世界に来ちゃったことより、勇者としてモンスターと戦えってことなんだけど……」
するとレナはその美しい顔を憂色に染めた。
「地球から召喚される方は必ず死にかけているところを召喚されます」
「え、そうなの?」
「はい。だって平和に幸福に暮らしていたのにいきなり別の世界に連れて来られてモンスターと戦えなんて云われても厭でしょう? ですから私たちは地球人のなかでも今その瞬間に死にかけている人を選んで、生死の選択を迫り、生きるという選択をした瞬間にこちらへ召喚するという手順を取っています。つまり、恩を売っているんですよ」
そこでレナは気まずそうに目を伏せた。
「でも、ちょっとずるいですよね」
そうかもしれなかったが、そのおかげで命を救われたとあってはアツシも強くは云えなかった。だが、これが恩を売るということなのだろう。
――俺も、あのままだったら死んでたんだよな。
そんな考えに落ち込みかけていると、ハリーが朗々と云った。
「階段だよ」
廊下を半周回ったところで、壁に沿って螺旋状にめぐる上りと下りの階段が見えてきた。見たところ、どうやら塔の内壁を地上から屋上まで螺旋状に取り付けられている階段で、ある程度のぼると階が移るらしかった。
「この塔、なんていうのかな、階段を上り下りして塔の内側を半周分移動すると、次の階に到着するようになってるんだ。この階段が時計の十二時の位置だとしたら、ここは十八階だから、偶数階は十二時、奇数階は六時の位置に出入り口がある感じ?」
そう云いながら、ハリーは階段を上っていった。そのあとについて階段を上り始めたアツシは、あることに気づいて声をあげた。
「もしかしてハリーさんたち、この階段を一階から上ってきたんですか?」
「そうだよ。エレヴェーターとかないからね」
「結構きつそうですね」
「それをきついと思うなら、モンスターと戦う前に訓練を受けてもらうことになるね」
「訓練?」
「そう。たしかにマイティ・ブレイブはモンスターに有用だけど、最低限、基礎的な身体能力は必要だ。そこで先任の勇者たちは十二週間に及ぶ訓練用のカリキュラムを作り上げた。君にはマイティ・ブレイブの力を探るのと平行して、それを受けてもらうことになる」
「げえ」
アツシが思わずそんな声をあげると、ハリーは足を止めてアツシを振り返った。
「それはどうか頑張って乗り越えてくれよ。君をいじめるためではなく、君を生き残らせるための訓練なんだから」
そう云ってアツシを見るハリーの目に曇りはなかった。実際、アツシを生き残らせるための訓練というのは、その通りなのだろう。だがそもそもアツシは、勇者として魔王だのモンスターだのと戦うと決めたわけではない。
「……俺はまだやるなんて云ってないですよ?」
「そうだね。でも勇者は三ヶ月に一回しか召喚できない。君には期待してるよ」
それだけ云ったハリーは、また前を向くと階段を上り始めた。
――三ヶ月ってことは、地球と似たような暦があるんだろうな。
アツシはそう思いながら、仕方なくハリーのあとをついていきつつ、隣のレナに尋ねた。
「なあレナ、俺は八六七番目の勇者だって話だけど」
「はい。そしてハリー様は七〇二番目の勇者です」
「それってつまり、これまでに通算八六七人の地球人が召喚されてるってことだよね。その人たちは今どこにいる? みんな勇者としてこの世界の人たちを守ってるの?」
「それは人によりますね。状況を理解して協力関係を結んでくれる勇者様もいれば、助けてくれたことには感謝するが異世界に連れて来られるなんて聞いてない、ましてモンスターと戦うなんて厭だと云って協力を拒否された方もいます。さらに本人のマイティ・ブレイブが戦闘向きかどうかも関係してきますので……」
「そっか……そうだよな」
今のアツシのこの状況は、自分の運命をいきなり他人に決められるということだ。それは厭だった。自分で選びたかった。そんなアツシの気持ちを理解してくれているのか、このときハリーがまた足を止めて振り返った。
「一応、選択の余地はあるから安心していい。プレッシャーはかけるけどね」
「プレッシャーって……」
「だって一から十まで自分で決めていいよって話だったら誰もやらないでしょ。だから多少は追い込むよ。でも最後に決めるのは自分だ。無理強いはしない。無理やりやらせたって、結局上手くはいかないんだから。かくいう僕も最初は勇者拒否してたよ。時間が心を変えたけどね。ハハハ!」
「はは……」
アツシは付き合いで笑おうとしたが、大して笑えなかった。
一方、楽しそうに笑っていたハリーは、急に真顔に戻ると云う。
「あとこれだけは云っておくけど、今のところ元の世界に帰還を果たした勇者はいない。僕らは帰れないんだ。この世界の連中、異世界から召喚は出来てもこっちから向こうに渡るのは無理なんだってさ。そんなことができるなら異世界から勇者を呼ぶんじゃなく、自分たちが異世界に逃げていた、とかなんとか……」
そのときアツシは、心のどこかであると思っていた退路を完全に断たれた気がした。
――俺は帰れない? このわけのわからない状況に抛り込まれて、あれやこれやと新しい荷物を持つように云われて、それを背負って生きていかなきゃいけないのか?
「行くよ」
途方に暮れるアツシにそう云って、ハリーは階段を上り始めた。どうあれ、彼が自分を導いてくれるたった一人の人間だった。アツシはレナともに、ハリーを追いかけて階段を上っていく。
そしてやってきたのは、一枚の扉の前だった。扉は塔の内側を向いているが、この先にあるのは部屋や廊下ではないのだろう。ハリーが扉に手をかけながら云う。
「着いたよ。この先がこの塔のてっぺん、すなわち屋上だ」
「色々説明するのに高いところの方が都合がいいって話ですけど……」
「イエス。そして僕のマイティ・ブレイブを見せる上でも都合がいい。さあ、行こう」
ハリーはそう云うと扉を片手で重そうに押し開けた。風と光りが入ってくる。
扉の外は、なるほど塔のてっぺんだった。青空の下、強く冷たい風が吹いている。周縁部には転落防止用の柵といったものはないが、ぎりぎりまで近寄らずとも、景色を眺めるのに不足はない。
「こっちへ」
アツシはハリーに導かれるまま、屋上の中心と周縁の中間に立って、そこからの眺めにしばし心を奪われた。そこに広がっているのは城壁に囲まれた街だった。太陽の位置からして、時間的には昼下がりだろうか。風は秋の色を帯びている。
「ここは……」
「これが人類最後の砦、ラストガーデンの王都だ」