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第三話 心臓と情熱(4)


        ◇


 王都を出発したアツシたちは東龍門を目指して広野を東へ向かった。壁の外に出たときの予行演習も兼ねて、陣形を組んでの大移動である。さらに日が暮れると野営をして一晩を過ごし、明くる日も騎馬で大地を駆け抜けた。

 そして三日目の昼、アツシたちはとうとうラストガーデンの東のはてまでやってきた。東龍門である。

 ここまで来るとトロイの命令で陣形が解かれ、一行はふたたび二列縦隊になっていた。先頭を進むのがトロイで、二番目がアツシとレナだ。

 馬に揺られているアツシは、自分の視界いっぱいを埋め尽くす門と壁のあまりの威容に度肝を抜かれていた。おもえば今までの訓練で、山や湖に入ることはあっても、壁に接触したことはない。この世界に来て三年、ここまで壁に近づいたのは初めてだ。そして間近で壁を見上げてみて、初めてわかることがある。


「で、でかい……すごい……」


 元より、一〇〇キロ離れた王都からでも見ることのできる高い壁だった。しかしこの距離から見上げてみると、いくら見上げても壁の果てが見えないのである。

 あんまり見上げすぎて、アツシは鞍上でバランスを崩しかかったところを、轡を並べて進んでいたレナに支えられた。


「ご、ごめん」

「いえ、お気持ちはわかります。私もため息しか出ないくらい……」


 レナもまた、壁のあまりのスケールに圧倒されているようだった。

 高さ三〇〇〇メートル、総延長六二八キロメートルの壁はミルク色をしており、装飾もものすごく、キリスト教の大聖堂を思わせる。たとえば巨大な騎士の石像が壁を守るようにいくつも建ち並んでいたりするのだ。また壁には一定の高さごとに通路が造りつけられており、歩哨と思われる兵士が五階くらいの高さの通路から欄干に身を乗り出して、こちらに手を振ってくれていた。そしてなにより、東龍門である。これは見たところ両開きの門だが、片方の扉の幅だけで三〇〇メートルはある。高さは計り知れない。恐らく壁のてっぺんまで伸びているのではないか。とても人間の力では開けられまい。


「トロイさん、これ、どうやって開閉するんですか?」

「むろん、オヴェリアの力だ。彼女はこの壁の主であると同時に管理者でもある。彼女が扉よ開けと念じれば、それだけで門は開く」


 おお、とアツシは嘆声を漏らしたが、まだわからないことがあった。


「でもオヴェリアさんは、王都にいるんでしょう?」

「それは関係ない。オヴェリアは王都にいながらにして、この壁で起きていることをすべて感知できるからな」


 目を丸くしたアツシとレナに、トロイはゆるりと馬を進めながら語ってくれた。


「この壁は見ての通り、高く、長く、分厚く、途方もなく巨大だ。内部には無数の階段と通路と部屋とエレヴェーターがあり、見張りのための覗き窓がある。壁の内壁と外壁、そして頂部には通路があって、人が歩けるようにもなっている。総延長六二八キロメートルに及ぶこの長城は、もはや迷宮と云っても過言ではない。その壁の、どこに誰がいるか、何人いるか、なにが起こっているかなどを、オヴェリアはすべて知覚することができるのだ。まるでこの壁自体がオヴェリアの肉体であるかのように、彼女は壁と常時リンクしている。だから壁のどこかに攻撃が仕掛けられたらすぐにわかるし、壁のなかにいる者に王都から呼びかけ、防衛に向かわせることもできる」


 壁に圧倒されていたアツシは、その話にも圧倒されていたのだが、最後の部分にはより強い興味を覚えた。


「呼びかけ?」

「そうだ。壁のなかで、あるいは壁に手を触れて話したことは、すべてオヴェリアに聞こえるし、その逆もまた然り。つまりこの壁を介して、王都のオヴェリアと長距離通信ができるわけだ」

「マジっすか……」

「それが彼女のマイティ・ブレイブなのだ。それだけではないぞ。壁には防衛レベルのようなものがあってな、何者かが不正に壁に侵入しようとしたり、壁を越えようとした場合、オヴェリアはそのレベルを上げることができる。たとえば俺のマイティ・ブレイブはテレポーテーションだが、テレポートでこの壁を越えようとしたとき、オヴェリアはそれが空間転移であっても瞬時に感知して俺のテレポートをキャンセルし、壁の外へ弾き出すことも可能だ」


 もう驚くことはあるまいと思っていたアツシだったが、今の話には驚愕を通り越して無表情になってしまった。


「……いや、それ凄すぎでしょ」

「そうだ、凄すぎる。結界系能力者として、オヴェリアはまさしく神のような力を持つ勇者だ。だからこそ、二百年にわたって人類を守護する、このラストガーデンという世界を創ることができたのだ。あの魔王でさえも、オヴェリアの壁を越えることはできない」


 トロイはそう云うと、これで話は終わりだとばかりに馬の脚を速めた。東龍門はもうすぐそこに迫っていた。




 東龍門の門扉の両脇には巨大な柱がそびえており、その柱の隣に、壁の内部へ通ずる入り口が口を開けていた。そこから馬ごと中に入ると、内部は一〇〇メートル四方はありそうな巨大な部屋になっていた。足元は土だが、壁や天井があり、二階へ上っていく階段や、奥へ続く通路が見える。そしてなにより明るかった。


「これって、照明は……」


 アツシは天井に視線をやったが、それらしいものはない。そこへトロイが云う。


「壁の内部の建材が光りを放ち、人間の目にちょうどよい明るさを保っている」

「それもオヴェリアさんのマイティ・ブレイブですか?」

「そうだ。いい加減、頭を切り替えろ。この壁は無機質な建築物ではなく、オヴェリアの血の通った生きた要塞だ。俺たちは彼女の体内に入ったに等しい」


 そしてトロイが部屋の中央で馬を止めると、たちまち階段から、あるいは奥の通路から大勢の人が姿を現し、小走りに近づいてきた。


「壁で働いている者たちだ。これだけ巨大な施設だからな。壁内の大半は隔壁を下ろして封鎖しているが、門の近くには後方支援を含めた防衛部隊が配置されている」


 そのあとアツシたちは彼らに馬を預けた。通路の奥が厩舎になっていて、そこで馬の面倒を見てくれるらしい。そして階段を上り、二階へ上がると、廊下の真ん中であかがね色の髪を短く刈り込んだ大男がアツシたちを待ち構えていた。


「ようこそ、東龍門へ! 吾輩がこの東龍門、ひいては東方防壁軍総司令官の勇者ゲオルグである!」

「ゲオルグ?」


 その名前には聞き覚えがあった。小さく呟いたアツシに、レナが囁いてくる。


「アツシ様、ゲオルグ様と云えば……」

「ああ、座学の時間に習ったよ。トロイさんと同じく十二将の一人。そして壁の東西南北を守護する四将の一人だ」


 そのゲオルグはトロイと固い握手を交わしていた。ゲオルグはにこにこ笑いながらトロイの肩を叩き、背中を叩き、あれこれ話を聞いている。心なしか、トロイは少し迷惑そうにしていた。




 その後、アツシたちはゲオルグの部下の案内でそれぞれの部屋に通された。壁の内部には通路があって部屋もあり、部屋には寝具一式がそろっている。相部屋になったジュリアンによると、家具の類はオヴェリアのマイティ・ブレイブによって作られたものではなく、あとから運び込んだものらしい。ここで一泊してから壁の外へ向かうのが当初の予定だ。荷をほどいたアツシは、ベッドに腰かけてため息をついた。


「すごいところに来てしまった……」

「ああ。総延長六二八キロメートルの壁のなかが丸ごと迷宮になってるからな。だが平時は隔壁が下りてて移動範囲が大幅に制限されてる。迷子になる心配はないさ」

「そりゃよかった」


 正直なところアツシは探検にでも行きたいくらいだったが、そんなことをしている時間は恐らくないだろう。案の定、ほどなくして勇者の一人がアツシたちを呼びにきた。このあと、明日からの作戦行動についての打ち合わせをするらしい。

 その後、中央に大きな机が陣取っている部屋に入ったアツシたちは、そこで改めて全員の顔合わせをした。さらには陣形や連携、そして地図を囲んで行軍ルートを確認していく。

 今回の遠征における陣容は指揮官トロイ以下、勇者二十名、従者十六名、合計三十六名である。従者の数が勇者のそれに比して少ないのは、なんらかの理由で従者を失った勇者が新たな従者を取らなかったからだ。

 アツシは作戦に関する説明を真面目に聞いていた。人外魔境と呼ばれる壁の外への恐れはもちろんある。緊張しているし不安も大きい。

 だがその一方でレナのために一人前の勇者にならねばという気持ちもあるし、もう一つ、自分のマイティ・ブレイブを発掘してみたいという本能的な欲求があった。オヴェリアはこの壁に囲まれた箱庭の世界を創造し、ハリーはエアリアルハンマー、トロイはテレポーテーションが出来る。では自分には、いったいどんなマイティ・ブレイブが眠っているのだろう?

 ……。

 翌朝、アツシたちは全員騎乗して東龍門前に勢揃いしていた。太陽はもう昇っているはずだが、東の壁際にいるため巨大な影のなかにおり、辺りは夜のように暗く、見送りに出てくれたゲオルグの部下たちが松明を掲げてくれている。

 アツシはトロイとともに陣の先頭にいた。レナは従者隊の一員として中央の荷馬車付近に配置されているので、アツシの傍にはいない。アツシがレナのいる方を気にしたように振り返ったとき、騎乗しているトロイにゲオルグが云った。


「おまえのことだから俺がなにも云わずとも油断などしないだろうが、しかし壁の外ではなにが起こるかわからん。武運を祈るぞ」

「ああ、おまえも門の守りを怠るな」


 トロイはそう云うと馬で門に近づき、手を伸ばして門扉にそっと触れた。


「聞こえているか、オヴェリア。開門だ」


 すると音もなく、アツシの目の前に縦一文字の光りがたばしった。それを見て、誰かが畏れを含んだ声で云う。


「門が、開く……!」


 そう、両開きの門が音もなく、壁の外側に向かって開いていく。それにつれて、縦一文字の光りが左右に広がっていく。騎乗しているアツシたちに朝の光りが降り注ぐ。

 ここに前途は開かれた。

 その曙光の一閃を浴びて、この先に待ち受けているなにかにアツシが身震いしたとき、先頭のトロイが英雄のように腕を突き上げ、声を張り上げた。


「進発!」


 それが他の勇者たちに伝わり、彼らが口々に進発と唱え、それが消える前にトロイは馬を駆けさせ始めていた。最初一つだった蹄の音が、二つ三つと増えていき、あっという間に馬蹄の轟きへと変わる。

 濛々と上がる土煙のなか、ゲオルグが見送る者の目をしてそれを見つめ、ゲオルグの部下たちの持つ松明の炎が、馬体の巻き起こす風に揺れた。

 こうして、トロイを先頭に勇者の一団は門から壁の外へと飛び出していく。

 異世界に召喚されて三年、アツシにとっては初めて見る壁の外の世界であった。

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