第三話 心臓と情熱(3)
トロイは馬上からアツシを見下ろして淡々と云う。
「俺のマイティ・ブレイブの代償は血だが、マイティ・ブレイブは勇者の命綱だからこれについてはずっと以前にあらゆる角度から十分な検証をした。それで判ったことは、まず人間以外の血は代償として使えない。そして現に流血を伴う新鮮な血であればあるほど、少量で大質量かつ長距離を転移できる。流されてから時間が経てば経つほど必要な血液量が増大していき、三日がリミットだ。それ以上の日にちが経った古い血では代償として機能しない。また凝固しているかどうかは関係なく――」
「そんなことはどうでもいい!」
アツシはハリーの手を振り払うと、トロイを親の仇であるかのように睨みつけた。
「なぜレナなんだ!」
するとそれには、トロイではなくレナが云った。
「今回の壁外遠征はアツシ様のマイティ・ブレイブの覚醒が目的だからです。私の勇者様のために他の勇者様が身を擲って下さる。それなのに他の誰かの心臓を使えとおっしゃるのですか。ありえません。これはアツシ様の従者である私の務めです」
アツシは咄嗟に返す言葉が見つからず、ほとんど恐怖してレナを見た。レナは竦むような気持ちで立っている。元よりアツシに心を読む術などないのだが、それは顔を見ただけでわかった。それなのに、なぜなのか。
「君だって、怖いんだろう」
「はい。でも、使命ですから」
なにが使命か。これは本当に命を懸けるほどのことなのか。アツシがそんな想いを燻らせながら無言でレナと見つめ合っていると、そんな二人を気の毒がったのか、周りを囲んでいた勇者の一人が励ますように云った。
「まあトロイさんのマイティ・ブレイブを使って撤退するような状況になってるってことは、その時点でもう誰か死んでるかもしれねえな。だから必ずしもそのお嬢ちゃんの心臓を使うことになるってわけじゃねえぜ」
「そりゃそうだ。おまえが真っ先に死にそうだ」
「ああん?」
「他には司法取引をして、減刑と引き替えに死刑囚に同行を頼むって手もある。生きて戻れれば罪一等を減じるってやつだ」
「だが、そういう奴は土壇場で逃げようとするから信用できない。自ら犠牲になる覚悟のある者が望ましい」
その覚悟がレナにはあるのだろう。三年に及ぶ彼女の献身を肌で感じてきたアツシには、それがわかっている。だがわかっているからこそ、受け止めきれなかった。
「……俺のせいで死んだらどうする?」
「アツシ様のために死ぬのであれば本望です」
「そうか……」
アツシは目を伏せ、次の瞬間に覚悟を決めて叫ぶ。
「じゃあ俺は壁の外になんか行かない! やめだ、やめ! 中止!」
「なっ――」
レナが胸を衝かれたように仰のいた。周囲にもざわめきが走る。場に動揺の波紋を広げたアツシは、トロイに眼差しを据え、彼に指を突きつけて云う。
「俺が壁の外へ行く決心をした理由の一つは、あんたを信じたからだ!」
「その信頼に全力で応えよう。生還させてみせるさ。おまえも俺も他の者たちも」
「だがそのためにレナが死ぬんじゃ駄目だな! 事前にあんたのマイティ・ブレイブのからくりを知っていれば、俺は壁の外へなんて行こうとは思わなかった! 知った以上は、この話はなかったことにさせてもらう! 壁の外へは行かない!」
「アツシ様!」
そのとき後ろからレナが取りすがってきた。乱暴に振り払うようなことはできず、優しく見ると、レナは涙ぐんでいた。その涙を見た瞬間、アツシは自分の心が想像以上の打撃を受けたのを感じたが、今さらあとには引けない。
「俺はもう君の家族とも仲良くなっちまったんだよ! もし俺のせいで君が死んだら、君のお父さんや、お母さんや、弟に、俺はどんな顔して会えばいいんだ!」
「でも……」
と、レナが顔を曇らせたときだった。
「なっさけねえなあ」
その揶揄に憤激を覚えながら睨みつけると、まるで挑戦に応じるように、ジュリアンがアツシをまともに睨み返してきた。
「なんだと?」
「情けねえって云ったんだよ。そんなにレナが心配ならてめえが守ってやればいいだろ」
「なに!」
「だいたい今回の遠征はてめえの覚醒が目的なんだから、てめえがさっさとマイティ・ブレイブに目醒めちまえば終わる話だろうが。それこそ今この場でマイティ・ブレイブを使えるようになったら遠征の必要もなくなるんだぜ?」
「それが出来たら……」
アツシは拳を握りしめ、腕をわななかせた。どうやったって覚醒しないものはしないのだ。そこへジュリアンはなおも云う。
「レナの心臓を使うってのは、あくまで最終手段だ。そういう状況にならないための工夫と努力はみんなしてる。だが、おまえは俺たちを信じられないらしいな。なんの実績もないおまえが、壁の外で何度も任務をこなしてる俺たちを」
「それは……」
アツシはジュリアンとの睨み合いを演じながら考えた。実際、彼らはベテランだ。壁の外では頼りになるだろう。しかしその一方で、Bランク以上のモンスターに遭遇した場合はどんな勇者でも逃げるしかないと云う。そのとき彼らは躊躇なくレナの心臓を使うのではないか。無論、そうした手に負えないモンスターとの戦闘状況にならないよう警戒してくれてはいるのだろうが、結局のところそれは運ではないか。
「……人間のやることに絶対なんてないんだぞ?」
「そりゃそうだが、最悪の事態ばかり考えていたらなんにもできないだろう。おまえはあれか? 飛行機が落ちることばかり考えて旅行も出来ないタイプなのか?」
「くっ……!」
ジュリアンの云う通りだった。失敗することばかり考えていたら身動きが取れなくなる。生きていくことさえ難しくなる。だがしかし、君子危うきに近寄らずと云う言葉もあるではないか。アツシはそう思って、レナに苦悩の眼差しを据えた。
「レナ。君は、そんなに壁の外に行きたいのか」
「もちろん、あの壁がなくなっても人が安心して自由に暮らせる世界が来たらそれが理想です。でも今はそれ以上に、あなたに一人前の勇者になってほしい」
そこでいきなり、レナの目から涙が溢れた。アツシはぎょっとしてレナに手を伸ばそうとし、しかし不躾に触れるのもためらわれて、手を前に出した中途半端な格好で固まってしまった。
レナは涙をなかったことにするように急いで拭うと早口で云った。
「ごめんなさい。でも、ずっと悔しかったです。アツシ様があの訓練施設で三年間も手こずっていて、あとからきた勇者様があなたを追い抜いていくのがとても悔しかった。だから、やっとこの日が来て、私は……」
「……わかったよ」
アツシはレナの言葉を途中で引き取っていた。皆まで云わせたくなかったし、そこまで云われては逃げられない。
「わかったよ、レナ。なってやるさ、一人前の勇者に」
「アツシ様……」
レナは鼻を赧くし、涙にきらめく目でアツシを見つめてきた。そんな彼女に笑いかけたアツシは、次にトロイを見、それから今日自分のために集まってくれた勇者たちを見回して云った。
「お騒がせしてすみません。動揺してしまいました。でもやっぱり行くので、皆さん、よろしくお願いします」
果たしてこれでいいのだろうか。都合のいいことをと思われるかもしれない。だが真っ先にジュリアンが笑って云った。
「最初からそう云っておけばいいんだよ、手こずらせやがって」
それを皮切りに、他の勇者たちもやいのやいのとアツシを囃し立ててきたので、アツシはちょっと面映ゆかったがほっとした。
そこへトロイが場を引き締めるように云う。
「では決まりだな。全員騎乗! 出発するぞ!」
その命令が下るや否や、勇者も従者もおしゃべりをやめて一斉に馬に跨った。アツシたちのところには、両手で四頭の馬の轡を取ったポールがやってきた。アツシはポールから自分の馬を受け取ると、鐙に足をかけ、颯爽と馬に跨った。
そこへトロイが馬で近づいてきて云う。
「とりあえず二列縦隊で王都の外まで出る。その先は東龍門まで、壁外での予行練習も兼ねて陣形を組んで進む。きちんと勉強していれば知っているはずだが、荷馬車と従者たちを中央にし、それを勇者たちが囲んで進むのが基本だ。おまえは俺とともに先頭を進む」
「俺を適当なモンスターにぶつけるのが目的ですもんね」
「そうだ。おまえがマイティ・ブレイブに覚醒すれば終わる遠征だ。せいぜい楽をさせてくれ」
トロイはそう云うと手綱を捌き、馬を軽快に駆って広場をぐるりと回り始めた。それに皆が騎馬で続く。ほどなくしてトロイを先頭にした騎馬の列の流れが出来ると、トロイはいよいよ広場を出て、勇者特区の外へ出た。さらに王都の市街地を通り抜け、市門から追城壁の外へ出る。その先はもう広野だった。




