水の音
駅舎を出て、左手は小さなロータリーになっていて、車庫がある。その入口からバスが一台、丸いライトをくっつけた長い鼻っ面のボンネットを道へ突き出している。いかにも田舎のバスらしく、そばでは整備士らしい男が煙草を吸っていた。
駅舎を出て、右手は貸し自転車屋でジュラルミン製の自転車が夏の陽光を堅く拒絶するように跳ね返していた。貸し自転車屋の角を曲がった先には一本真っ直ぐな道があり、土蔵のような家や店がずっと続いている。その道の向こうから、かすかだが水の流れる音がした。
私はその流れる水を見たくなり、その道をとった。淵で川面がくるりとまわり、その上を木の葉や虫が滑っていく様を見るのは、とても気持ちがいいだろう。
家や店はみなどれも同じように見えた。白い漆喰がまばゆくて、開け放った表では蚊取り線香の煙がけだるげな曲線を描きながら、空気に溶けていた。家を通して、裏庭が見える。水を張った盥にスイカが入れてあったり、母親が子どもに水をかけてやったりしていて、とても楽しそうだった。
道には時おり人がいる。白いワンピースや白いシャツを着た住人たちで、男も女も水で磨いた石のようにつやのいい丸顔で健康そうだった。おそらく彼らの目には私が典型的な都会人――顔色が悪くて、いつも目線が下にむきがちの猫背の男に見えただろう。私は去年、大病を患って、危うく死にかけた。今はこうして歩けるまで、回復したが、落ちた肉が戻ることはなく、ひどくげっそりとした顔になっていた。食欲は湧かず、週の半分は晩飯が茶漬け一杯である。そんな私から見れば、ここの町の人々は真っ直ぐ目を向けることができないほど、健康的に見える。
私は疎外感を覚え、来た道を戻り、そのまま汽車に乗って、自分の住んでいる街に帰りたくなった。だが、もうだいぶ歩いていたし、何よりもずっと聞こえ続けるあの水の流れをこの目で見たかった。
病に伏せっていたとき、病院のどこかでもやはり水の音がした。それは一滴一滴がポタンポタンと落ちる音で、まるで自分の命が水と変じて、一滴ずつ落ちていき、最後にはカラカラに干からびた影のように薄い自分が残るのではないかと思わされた。あれは嫌な音だった。
だから、水の流れるのが見たい。涼しげで思わず川に足を入れてみたくなるほど気持ちのよい流れを見たいのだ。山の雪の溶けた氷のように冷たい水と幾層もの土にろ過されて砂を掘り起こしながら湧き出る優しい水がまざりあった川が、今、この道の終わりで私が来るのを待っている。そう思うだけで、死なずにすんだことを喜べる。
病を得て以来、命はますますあっけないものに思えた。かけがえのないものとは、もはや思えない。かけがえのないものがあんなふうにあっさり無くなりかけるものではない。もし、命が何よりも尊いものならば、それを失う過程もまた尊く厳かであるべきなのだ。そうでない以上、命はやはり尊いものではない。細い西洋蝋燭にちらつく小さな火ほどに簡単に失せてしまうものなのだ。
だが、川はそうではない。この流れが聞こえる限り、川もまた失われるものではない。川が失われるときは長い旱魃が起き、全てが強烈な日の光に消えてしまうような世界が出来上がってから失われる。だから、川は尊く、命は粗末なのだ。
私は家と家のあいだを走る道を歩いた。道は未舗装で歩くたびに靴が砂利を踏む音がした。ゆるやかに右へ左へ曲がることはあるが、横道は一本もない。
私はふと、駅の前にある貸し自転車屋で自転車を借りてみるべきだったかと思った。そのほうがはやく川に着ける。しかし、そう考えて、数秒と経たないうちに、私は自分の考えをふり払った。このかすかな水の流れを聞きながら、できるだけゆっくり川に近づきたい。それが川に対する礼儀のような気がした。ジュラルミンの自転車で川岸に来て、少し川の水に触れて、また帰るなどというのはいかにも都会人らしい余裕のない考え方だ。私はなるほど病気で命は助かったが、都会人らしいあのこせこせとした考え方は死なせたつもりでいる。かといって、田舎の人間になったわけではないので、私はちゅうぶらりんだ。だが、完璧な美しい川を見るのに都会や田舎という区分が何の役に立つと言うのだ?
この気持ちのよい水の流れる音を聞いていると、私は自分がその川に合流しようとする小さな川の一つのような気がしてくる。川辺の柳が私の淵に影を落としたり、私の流れのなかで岩につく苔を鮎が食んだりするのを想像するのは思考にとって心地良い刺激となる。私は道を歩いているのではなく、流れているのだ。洗っているとも言える。私はいい川になれるだろう。ちょっとの嵐で増水して暴力的になったりしない。安らぎの川だ。人里のそばを穏やかに流れ、住民たちは私に瓶ビールや野菜を浸して冷やすことができる。子どもたちが橋の上から飛び降りても怪我をしないよう橋の下の底は用心深くえぐることにしよう。それに釣り人たちには私の富でもある魚たちを釣ることを許してやろう。私は寛大な川になるのだ。
手術が成功したと伝えられたときにさえ感じなかった、生まれ変わる感覚が今、私を満たしていた。かすかな水の流れが私に再び生きる喜びを与えたのだ。人間、何がどう転ぶか分からない。汽車からこの田舎に降りたときはこんな感動にめぐりあえるなどとは想像もしなかった。歩けば歩くほど、水の流れが近くなるのを感じた。
だが、道は川に行き当たらずに行き止まりになった。袋小路には「平田豆腐店」と書かれた看板があり、表の壁とぶちぬいた豆腐屋が店を開けていた。そこにはコンクリート製の大きな水槽があり、なかでは四角に切られた豆腐が沈むわけでもなく、浮くわけでもなく、水のなかで遊んでいる。水槽の底に簀子のようなものがあって、そこから滾々と水が湧き出ていた。そして、水槽からあふれ出した水の音が沓脱ぎのような大きな石を洗ってさらさらと鳴っていた。信じがたいが、あの通りを満たしていた音はその石の上を滑る水から鳴っていたのだ。
私が求めた水音の源が豆腐を入れた水槽からあふれた水だと知った途端、私の夢想が破られた。想像する力が枯れていく。私はもはや川などではなく、死に損ないの都会人に過ぎなかった。
店の奥では豆腐屋の親爺が卓上ラジオから流れてくる一口噺か何かを聞いていた。この親爺もこれまで見かけた人たちと同様に何一つ不満もない、健康にはちきれそうな丸顔をしていた。
私は水槽から流れ出す水の上に指を置いた。指は冷たい水に浸った。そして、豆腐屋の親爺が私に気づいて何か言い出すまでのあいだ、私は水槽のなかでゆらゆらゆれる豆腐を未練がましく眺めていた。