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ブルーグレー

「でけぇなぁ」

「やっぱり、さすがですよね」

 圧倒されたふたりは並んで口を半開きにしたまま、まるで田舎から都会に放り込まれた子供の様に上ばかり見ている。

 川沿いの工業地帯から西へ向かい車で十分ほどひた走ると、三木邸はすぐに見つかった。

 閑静な高級住宅街の中でも一際大きく、北欧風の赤い屋根とやけに大きい鉄製の門構えがさらにその存在感を引き立たせている。

 哲平が「押せよ」とぶっきら棒に翔太に指図すると(こういう時だけは偉そうである)少々気後れ気味ではあるものの翔太は渋々インターホンを押した。なかなか反応がない。 

 ふたりしてインターホンを怪訝そうに覗き込み、そっと顔を近づけてゆく。

「お前、近いよッ!」

「哲平さんこそ、同じタイミングで近寄って来ないで下さいよ!」

 哲平が翔太に軽く体当たりしたその時、いきなり門が自動で開いた。この様なお出迎えのシステムに不慣れな ふたりは、その場で固まってしまっている。

「こ、これは入って来いって事だよな?」

 哲平は翔太の背後に素早く回り込むと力任せに背中を押した。 

「ちょっと! やめてくださいよ、哲平さんが先に行って下さいよ!」

「いいから早く行けって!」

 いたずら盛りの子供ならばいざ知らず、おしくら饅頭をして遊んでいるかの様に押し合ううち、遥か遠くに見えていた玄関にいつしか辿り着いた。

「どんだけ遠いんだよ、玄関」

 一言ぼやいた哲平がドアをノックしようとしたちょうどその時、わずかにドアが開いたかと思うと幼い女の子が顔を覗かせた。

 歳の頃は七つか八つといったところだろうか。白い肌が透き通る大きな瞳をより美しく引き立たせている。不安そうに眉をひそめて哲平と翔太を上目使いに見上げると、小さな声で「だぁれ?」と尋ねた。

 翔太がしゃがんで柔らかに微笑み、軽くお辞儀をしてみせる。

「はじめまして。三木ほのかちゃんだね。君のお祖父さんからパパの事を探すように頼まれてるんだ。今日はパパの事とかお家の事、色々話を聞きたくて来たんだけど、お家の人誰かいるかな?」

「ママがいるよ」

 大きな目をくりくりさせてほのかは哲平と翔太をかわるがわる見つめる。

 そこへお手伝いさんらしき中年の女性がふくよかな巨体を揺らしながら廊下を走ってきた。いかにもこの家の中のことを取り仕切る主、といった雰囲気で貫録がある。   

「お嬢様、私が居ながら失礼しました。お二人は相談所の方ですわね。奥様より伺っております、どうぞ中へ。ご案内致します」

 彼女はスリッパを用意すると、ほのかに家の中へ戻るよう促した。

「んじゃ、おじゃまします」

 さっさと靴を脱いだ哲平は、せっかく揃えて貰ったスリッパには目もくれず廊下を歩き出した。


 通されたリビングは豪華絢爛たるや息を呑むほど壮麗で、四方の壁には一級品の絵画や彫刻などがずらりと飾られてある。哲平と翔太の腰かけたソファの後方にはいかにも高級そうなグラスが並ぶガラス棚、その両脇には大ぶりの胡蝶蘭がいくつも置かれている。

「落ち着かねえなァ」

 哲平は部屋の中を見回してばかりだ。しかしそれは彼のみならず翔太も同じだった。

 ふたりともそっくりのびっくり顔がべったりその面に貼り付いている。 

「なんだ! このコーヒー旨過ぎるぞ。やっぱすげぇな、金持ちは」

 哲平が今度はコーヒーに驚いている。翔太もその声につられて一口啜った。

「ほんとだ! う、旨いですね。事務所のと全然違います」

「違うどころかまるで別物みてえだな。こんなの飲んじまったらいつも飲んでるのは何? って思っちゃうよ。おおッ! 窓の外に凄い美人がいるぞぉ!」

 哲平は小さく叫んで窓の外を指差し、翔太が気を取られている隙に彼のカップを奪って一息に飲み干した。

「ちょっと、何するんスか! 俺のコーヒーがッ!」

 翔太は必死になって空になったカップを奪い返すと、悔しそうに口をひん曲げ哲平を睨みつけた。哲平はしてやったりとへらへら笑っている。

 そんなふたりの様子を見ていたほのかが思わず笑い声を上げた。よっぽど可笑しかったのか、ふっくら丸い頬がほんのり紅潮している。

 ほのかの足元でうずくまっていた猫が欠伸交じりに一声鳴いてその小さな膝に飛び乗った。

「よしよし、お前も面白かったのね、ルル」

 寛ぐ猫の背を愛おしそうに撫でるほのかを何とは無しに眺めていた哲平がふと呟く。

「おい、あの猫」

「えっ? なんですか?」

 哲平はジーンズのポケットから紙切れを取り出し、急いで皺を伸ばすとソファテーブルの上に広げる。

 そこにはある一匹の猫の写真と共にこう書かれてある。 


 『相沢ヨネ宅 飼い猫失踪の件


 毛並みはブルーグレー。左目のみ青い。しっぽは鍵型。体格中程度。

 2才のオス。名前はタマ。タマと呼ぶと返事をする。

 一か月ほど前から姿を消す。鈴の付いた赤い首輪をしている。

 大好物はヨーグルト。ヨーグルトなら底なしに食べます。


                                 以上』


 哲平と翔太は目の前にいる猫と写真の中の猫を何度も見比べている。

「おんなじだな、写真と」

「ええ、間違いなさそうですね。すごく特徴ありますもんね。毛並みと言い、青い左目に鍵型に曲がったしっぽでしょ、鈴付きの赤い首輪まで一致してます」 

「俺びっくりしちゃった。こんなとこにいたんだな。あるか? こんなこと。偶然にしちゃあできすぎだろ。って言うか写真より毛艶良いし、少し太ってるし。もしこいつがほんとにタマだとすると、ヨネさんとこよりいい暮らししてんじゃねえか? なんて言うかその、案外世間って狭くね?」

 哲平はなぜか「狭くね?」のところでいきなりワントーン声を張り上げたため、驚いたタマが哲平を素早く振り返ると背中の毛をそばだてながら「しゃー」と威嚇している。哲平は気にする様子もなく、雑に紙を折り畳んでもう一度ポケットにしまい込み、猫に向かって呼びかけた。

「おい、お前タマだろ」

 猫は哲平を見つめてから、にぁ、と歯切れ悪く返事をする。

「タマじゃなくってルルよ」

 ほのかは愛くるしい頬を膨らませた。

「おい、返事したぞ。やっぱタマだよ」

「タマですね」

 哲平と翔太は身を乗り出してタマを食い入る様に見詰め、真面目な顔つきで頷き合っている。

「ほのかちゃん、ルルはヨーグルト好き?」

 ほのかは明るく翔太の問い掛けに答えた。

「大好きよ! 大きい箱のをぺろっと食べちゃうの」

「やっぱりだよ、やっぱり贅沢してんじゃねえか!」

「そ、そっちですか」

 苦笑いを浮かべた翔太の隣でひとり頷く哲平が問い掛ける。

「ルルはずっと飼ってんの?」

「ううん、一か月くらい前にお庭に遊びに来たの。あんまり可愛かったからおうちに入れてあげたんだけど、なんだかここが気に入ったみたいで外に出ようとしないの」

「やっぱりそうですよ、哲平さん」

 お次は翔太が頷きながら小声で呟く。

「間違いなさそうだな。こいつ絶対タマだ」

 哲平も同じく小声で答えるのだった。

「それにしても。こいつどっかで見た事あるような」

 訝しげな哲平は首を捻っている。


 そこへ茶色いストールを纏った女性が現れた。ひょろりと痩せて背の高い彼女は顔色が冴えず目も虚ろで、ふたりには今にも倒れてしまいそうに見えた。

「ママ、大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。少し休んだから」

 ルルを膝から降ろし駆け寄ったほのかの頭を包み込むように優しく撫で、彼女はふたりに会釈する。

「初めまして、三木憲子でございます。お忙しい中、こちらまでお越し頂いてありがとうございます。この度は主人のことでお世話になります」

「いえ、こちらこそお休みのところお邪魔してすみません。ご主人の事でお話を伺いたかったのですが、お体の調子が戻られてからでもこちらは構いませんので。また日を改めさせてもらいます」

 想像していた以上に憲子の調子は悪そうだと、翔太は一目見て思った。憲子のやつれた頬と目の下のクマが離れた所からでも目立って見える。それほどに憲子はやつれていた。

「いいえ。お話しするなら少しでも早い方がいいに決まってますわ。今日で結構です」

 憲子はきっぱりとした口調でそう言い、ほのかに支えられながらソファに座った。

「分かりました、では」

 気を取り直して翔太が続ける。

「義久さんは一週間ほど前から行方が分からなくなっていると伺いましたが、何かお心当たりは? どんな些細な事でも結構です」

「私にも正直、本当のところは分からないんですの。ただ……」

 憲子は辛そうに目を伏せた。ほのかは憲子に寄り添いその横顔をじっと見詰めている。

「ただきっと、私のせいですわ」

 言い終わらないうちに憲子は両手で顔を覆い泣き崩れた。ほのかが心配そうに憲子の背をさすってやりながら自分は泣くのを堪えている。   

 幼いながらも気丈に振る舞う姿からは、小さな胸を長い間痛めていたであろう事が容易に垣間見えた。

「憲子さん、なぜご自分が原因だと?」

 憲子を覗き込むように翔太が身を乗り出して尋ねた。

「ほのかの前でこんな事は言いづらいんですけど、今から思えば主人のこと、あまり大事にしてませんでした。結婚して以来、私の父と彼は上手くいっておりませんでしたの。性分が違うと言えばいいのかしら。次第に私とも……。どこかで父の部下だという思いが抜けなくて、ないがしろにしていた私も悪いんだと思います」

 俯く憲子だったが気を取り直すように凛と顔を上げた。

「決定的にこじれたのは2、3年ほど前です。その頃は事ある毎に私が主人に強く当たってしまう事も多く、喧嘩ばかりしてしまって。きっと我儘が過ぎていたんですわ。君と話したくないと言われたきり会話がまるで無くなりましたの」

 憲子の言葉に思わず目を伏せたほのかを哲平は見ていられないと思った。こういう事態が起こると一番辛いのは子供であることを哲平はよく知っているからだった。

「義久さんさぁ、いなくなる何日か前からとか、何か変わった様子はあった?」

「いいえ、特に気付きませんでしたわ。以前からたまの休みの日にさえ、ふらっとどこかに出かけてしまって家にとにかくいない人でしたけど、こんなこと初めてで。でも、そう言えば」

 哲平と翔太のふたりが身を乗り出し、同時に息の合った催促をする。

「そう言えば?」

「そうそう、あれはたしかいなくなる前日の夜ですわ。青い作業着みたいなのをボストンバッグに詰めている姿がドアの隙間から見えました。お手洗いに行こうと夜更けに2階の廊下を歩いていましたの。そんなに気にも留めていませんでしたけど、今思えば、あんな服見た事もなくて」

「青い作業着か……。今どっかに居るとしたら、それ持ち歩いてたりするのかな」

「そうとも限らないですよ。義久さんが着ているかもしれないですし」

「今気付いた事と言えばそのくらいです」

「ほのかちゃんはパパの様子とかで、他に気付いた事あるかな?」

 翔太の問い掛けにほのかは小首を傾げて、しばらくルルの頭を撫でていた。

「ほのかには何も分からないの。だってパパいつも通り優しかったもん」

「そっか。パパはほのかちゃんのこと大好きだもんな。よしッ」

 哲平は膝を軽く叩いた。

「パパの事、俺らで頑張って探すから。何も心配しなくていいんだぞ。きっと見つけてやるからな」

 哲平は努めて明るくそう言った。  

「すみませんが家の中を少し拝見してもよろしいでしょうか。何か手掛かりがあるかもしれませんので」

「ええ、結構ですわ。ただ私、ここのところ体調があまり優れませんの。手伝いの者に案内させますわ」

「お願いします」

 翔太が頭を下げてソファから立ち上がる。

 哲平はじっと座ったまま何やら思案顔でルルを見詰めていたが、部屋から皆が出る頃ようやくのそのそと立ち上がった。

「ちょっと哲平さん! 何やってるんですか、早く」

「あ、あぁ……」

 ドアの外ではすでにあの巨漢の女性が手を前に組んで待機している。

「ほのかも一緒について行く」

 無邪気な好奇心が働いたのか、ほのかは目を輝かせている。

「ほのかが案内してあげる」

「ありがとう。よろしくね」

 翔太は優しく微笑んで、ほのかの頭を撫でてやった。


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