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依頼人登場

 約束の午前10時はとうに過ぎ、11時半になろうとしていた。

窓の外では強い風が吹き荒れ、道路沿いの木木が撓うように大きく揺れている。

「なにやってんだよ、連絡ひとつも無しでもう昼になっちまうぜ」

 苛立ちを隠せない哲平がブラインドの隙間から窓の外を何度も覗いている。

 遅いですよねぇ、と知菜も肩たたきで体をほぐしつつぼんやり呟いた。

「きっとお忙しいんじゃないですか?」

 翔太はそんな呑気な事を言って皆から軽い一瞥を食らったくせに、さっきからコーヒーを何杯もおかわりしている。

「そんな問題じゃねえっつうの。そんなこと言ったら俺らだって忙しいし」

 唇を突き出した哲平が仏頂面で窓の外を見たまま答える。

「そりゃそうですけど……。そんな事、遅刻常習犯の哲平さんが言えるセリフですか? そっくりそのままお返しします」

 さらりと翔太は言ってのける。ちぇーっ、なんだよ、と哲平は口を尖らせて子供の様に小さくむくれた。

 と、その時。

「来たぜ、きっとあれだな」

 哲平がブラインドの隙間に目を凝らして呟く。

 皆も駆け寄り外を伺うと、黒塗りの大きな高級外車が駐車場に入って来るのが見えた。

「やっとお見えの様だな。よしお前ら、三木製薬の会長、三木泰造様だ。くれぐれも丁重にな」

 大杉は椅子から立ち上がり、大きな壁掛けミラーの前で身なりを整え始める。

「三木製薬って結構デカい会社だよな。オッサン、知り合い?」

「いや、知り合いというほどでもないが。今回はなんとしても内密のご依頼だそうで信頼のおける我が所を選ばれたそうだ。それに哲平。ここではオッサンじゃなくて所長と呼べといつも言っとるだろう」

 険しく眼を見開いて大杉は哲平をたしなめた。

「ほら、お前ら。ぐずぐずしないで並ぶぞ」

 もの慣れた様子の四人は速やかにドアの前で一列に並ぶ。

 ここでは初めて訪れる依頼者がいかなる立場の人物であろうと、こうして皆そろってお迎えする事になっているのだった。

「もう一度言っておくが、くれぐれも丁重にな」

 大杉は哲平だけにちらりと目配せするが、哲平は意にも介さぬ風に前を向いている。


 その男はドアを開けて入って来るや否や、大きな目玉をぐりぐりさせて所内を隈なく見渡した。濃い眉の際立つ大きな顔は達磨のように厳めしく、迫力がある。でっぷりとした体に青のスーツをぴっちりと纏い、全てのボタンが今にも弾け飛びそうなくらいに無理矢理留められている。厚みのある鳩胸には明るいスモークピンク色のハンカチを挿しているが、残念なことにその装いのバランスと彼の雰囲気は不釣り合いなため哀しくも滑稽さを醸し出していた。

 居並んだ4人の一礼には目もくれず通り過ぎ、足早に来客用ソファへと向かって腰を下ろすと、後ろにひとり従えたお付きの者に右手で何か催促するような仕草をする。どうやら煙草を要求しているらしい。

 後ろから差し出された煙草をひとつ受け取りくわえると、あうんの呼吸で火を点けさせてさも美味そうに目を細める。まるで大道芸の技のように煙を鼻や口から存分に吐き出すと、そこでようやく哲平達の顔を見上げた。

「ようこそおいで下さいました、三木会長」

 その強烈な第一印象に翔太は戸惑いを隠せず三木を失礼なほどまじまじと見つめている。大杉はそんな翔太の背中を誰にも気づかれぬようにそっと押し、三木と向き合うようにしてソファに腰を下ろした。続いてその右隣に哲平、我に返った翔太が左に座る。

 長時間待たされた事が気に食わないらしく、哲平だけが不機嫌そうにそっぽを向いている。ソファテーブルの下では哲平の貧乏ゆすりが止まらない。

「この度はお世話になりますな、皆さん」

 知菜がナルミの白磁に淹れたてのコーヒーを運んできた。

 窓の外ではさらに強い風が吹き荒れている。

 雲行き怪しく、天気は悪くなる一方だった。

「あいにく時間がありませんでな。話は早い方がいいでしょうし、早速本題に入らせてもらいますよ」

 この時すでに三木は一本目の煙草を吸い終えており、再び右手で同じ合図をした。よほどのヘビースモーカーなのだろう。

 偉いのかなんだか知んねえけど、感じ悪い奴だな。哲平は心の中で悪態をつく。

「いや、他でもない、私の娘婿である義久のことなのだが。私は大事な跡取である義久にゆくゆくは我が社の一切を継いでもらいたいと、そうずっと考えておったのです。私ももう歳ですから、近頃は本腰を入れて着々とその準備を進めて参りました。そんな中、突然義久の行方が一週間ほど前から分からなくなっておるのです。一体どうしたことか、なにか事件にでも巻き込まれてやしないものか、とにかく大変な事態に陥ってしまったことは間違いない。娘もショックで床に伏せったきりでしてな。そして何より困っておるのが2週間後に社長就任式と披露パーティを盛大に開くことになっておるのです。これを機にいよいよ一切すべてを義久に任せ、我が社は新体制のもとスタートするという矢先でございました」

 三木の咳払いが響く。

「我が三木製薬としても極めて大切な時期であるだけに、世間に知れては社命に関わる恐れすらある。なんとしてもそのような事態になる前に義久を見つけ出してほしいのです」

「小さなことでも構わないのですが、何かお心当たりは?」

 翔太が尋ねた。

「それが家族や部下共々、皆何も思い当たる事がございませんでな」

 ドアから入って来た時の威厳ある態度は何処へやら、今目の前で俯く三木はただのしおれた男だった。途方に暮れて背を丸めソファテーブルに視線を落としているが、その目は落ち窪みひどくやつれて見える。

「三木様、これは同じようなご相談の方には必ず申し上げている事なのですが……」

 大杉が身を乗り出すようにして切り出し、束の間沈黙する。

「このご時勢です、お伝えするのは大変心苦しい事なのですが。どうか御覚悟だけは頂きたいのです、こういったご依頼の場合、ご生存であるかどうかも分からず、残念な結果となる場合も多いのが現実です。いえ、ただ我々としてはもちろん、全力で調査する次第です」

 大杉はなんとも心苦しそうに伝えた。冷めてしまいそうなコーヒーから、辛うじて湯気が立ち上っている。

 哲平は大杉の様子を横目で伺ってから、なぜかこの空気にはそぐわない声で明るく口を挟んだ。

「いやぁ、まだそうとは決まってない訳だし。万が一の話ですよ、万が一」

 翔太が哲平を睨みつける。微妙な空気が漂う中、大杉がそんなふたりの板挟みに居たたまれなくなったのか咳払いをする。

「それでは、お願いしておりました義久さんのお写真はお持ち頂けましたか?」

「ええ、数枚ではありますが。ほら、早くお出しして」

 お付きの者がアタッシュケースを開き、取り出した写真を四枚テーブルの上に並べる。

「これが義久です。歳は先月で四十になったばかりでして」

 端正な顔立ちで、見るところ長身である。切れ長の涼しい目、細い唇。地味で大人しい印象ではあるものの、利発な雰囲気をも漂わせる人物がそこには写っていた。

 そのうちの一枚は屈託のない彼の笑顔を捉えていて、その人柄が滲み出ているようだった。会長とはまるで対照的な、と言うよりあまりにも異質。哲平たちは一様にそう感じた。

「義久は、はじめはうちの一社員に過ぎませんでした。福岡の人間ですが地元の大学を出て上京し、我が社に入社しまして。9年前に私のひとり娘と結婚をし、今年で八つになる孫がおります。女の子でしてな。義久はなかなか良い仕事をするし、社内での人望も厚い。私も本当の息子のように思えておったので、ゆくゆくは我が社の一切を任せるつもりをしておったのです」

 三木は力無く溜息をついて、大きく肩を落とした。

「はじめは私も最悪の事態が頭をよぎった。しかし、生きておると信じております。いや、信じたい。そして生きておるならば如何なる理由があったとしても帰ってきてもらいたい」

 三木の、義理の父親としての強い想いが言葉の端々からほとばしる。その姿に哲平たちは心を動かされずにはいられなかった。

 三木は悲しげに、そして愛おしそうに写真の中の義久を一枚一枚見つめている。

「全力を尽くして早急にお調べします。三木製薬、そして会長並びにご家族の皆様のためにも、何としても我々一丸となって尽力致しますので」

 大杉がそう恭しく答えた直後だった。

「あ、あの。ちょっと待って」

 哲平が横から切り出す。

「この手の調査は時間がかかることも多いんだ。さっき社長就任パーティが2週間後って言ってたけど、それまでに見つからない可能性だって十分あるよ。そん時はどうなんの?」

 珍しく大真面目な顔をして、真っ直ぐに三木を見据えた哲平はそのまま視線を外そうとしない。

「そうですなぁ。その時は」

 三木の目の色が突然変わった。

 すでに何本目かである煙草の火を手早く灰皿で揉み消し、三木は凄味のある声で答える。

「その時は、それ相応の責任を取ってもらうことになるでしょうなぁ」


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