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失態

 次の日の朝早く哲平と翔太のふたりは吉田町へ向かった。人気のない細い車道を、山手へと車を走らせる。

 幾度か上り坂のカーブを曲がるうち、いつ頃建てられたのか分からないほど古びて朽ち果てそうな数軒の空家がひっそり佇んでいるのが見えてきた。

「あれじゃないですかね」

「降りて近づいてみるとするか」

道路脇にできるだけ静かに車を停めると、ふたりは足音を立てないように注意しつつ遊歩道を並んで歩き出す。 

 山の空気は街のそれよりもずっと冷たいせいで、木木が一足早く彩づきはじめている。

 ほんのり染まった朱や黄色を見上げて進むうちに、やがて手前の1軒目に辿り着いた。      

 ふたりは辺りを見回し、誰もいない事を確認してさらに近づいてゆく。ここに住み着いているのだろうか、大きな烏がふたりに驚いた様子で騒がしく鳴き叫び頭上を通り過ぎてゆく。

「なんだか気味悪いですね」

 翔太は嫌な顔をした。

 1階の窓には塗装が剥落してはいるものの、「空き家」の文字が辛うじて読める看板が斜めに引っ掛かるようにして吊り下げられている。

「だいぶ古いな。壁なんか煤けてひび割れだらけだ」

 哲平は看板の前に立ち、窓に鼻をくっ付けるようにして中を覗いた。

 家具の類は何一つ置かれてはおらず、グレーの絨毯がただ一面に敷かれているだけのリビングが見える。

「なぁんにもねえなぁ」 

 哲平は今度は家の外壁に沿うように注意深く目を光らせぐるりと1周する。だが人が出入りしているような痕跡はどこにも見当たらなかった。

「それぞれ見て回るとするか」

 枯れた蔦が家全体をうっそうと覆い尽くす2軒目、傾いて今にも崩れそうなログハウス風の3軒目も続けて見て回ったが、結果は同じだった。

 4軒目に取り掛かる。ここは取り分け薄気味悪さを感じる家だった。

1階の窓からはまるで使い古した雑巾のような色合いの破れたカーテンが掛けられていて、2階に目をやると小窓が開け放たれたままになっている。家中の窓が割れている状態のためか、枯葉や土埃と共に長い年月をかけて積りに積もったごみが散乱している様子が伺えた。

 埃を被り輝きを失ったアンティークの箪笥の上には、やはり同じように灰色に褪せたフランス人形が何体も置かれたままでいる。

「うわぁ……なんか出そうだな、ここ」

「やめて下さいよ、俺、ほんと苦手なんで」

「あの割れてる窓からすぐ入れるな。ここはせっかくだからちゃんと中に入って調べよう」

 気味が悪くもその怪しい光景に興味をそそられた哲平は軽い身のこなしで窓から侵入すると、怯えて顔を引きつらせている翔太を振り返りにやにや笑った。

「ほ、本当に入るんですか?」

「仕事だよ、仕事。なんてことないって」

「なんてことないわけないでしょう……。」

 それでも仕事と言われればしょうがないと腹を括ったのか、渋々翔太も哲平の後に続いた。

 ふたりはごみの散乱した床を踏みしめて奥へと進んでゆく。

「哲平さん、義久さんがここに居ることはまずないですよ、気味が悪すぎますって。さっと見たらすぐ出ましょう」

「そうとは限らねぇよ。せっかくだからちゃんと拝見しないと」

「あの……。本当に仕事と思ってます?」

 顔を引きつらせたまま立ち止まり、翔太は哲平に問い掛けた。

「当たり前だろ。おい、これ手伝え」

 ごみが足元に密集しているのと、あまりに古いためドアが固くて開かない。ふたりは足で器用にそれらをかき分けて空間を作ると、力任せにドアノブを引っ張った。

「固いなぁ、どうなってんだ」

 翔太が突然手を放し、まじまじと哲平を見下ろしている。

「哲平さん、このドア、押して開けるんじゃ……」

「えっ?」

 翔太が試しに軽く押してみると、それはいとも簡単に開いた。ベタ過ぎる展開である。押して駄目なら引いてみろ、まさにまさかのそのまま逆のパターンである。

「お前、最高の相棒だなぁ」

 翔太の疲れた苦笑いをよそに、哲平は快活に笑った。


 ドアの向こうには臙脂色の絨毯の廊下が広がっていて、そこを右手に進むとやがて突き当りに白く巨大な引き戸が現れた。

 ふたりが力を振り絞り幾度か引き開けようと試みるうち、その引き戸はぎしぎしと重い音を立ててわずかに開いた。古い埃の匂いが開いた隙間から漂い、ふたりの鼻腔をつんと突いた。

 哲平も翔太も中の様子を伺おうと恐る恐る首だけ突出し息を潜める。中は雨戸がぴったり閉められているため光一筋も入らず真暗闇である。何も見えない。

 ふたりは微動だにせず長い間目を凝らし続けた。

 やがてそこに広がる闇の中の様子が目に映り明らかになった時、哲平と翔太は同時に息を呑んだ。

 大きなグランドピアノが中央に佇み、その上にはおびただしい数のフランス人形が無造作に山となって飾られている。透き通る瞳すべてが外からの光を受け止めて生きたように精気を放ち、こちらを見ているようだった。天井からもそれらは無数に吊り下げられてゆらゆら空を漂っている。

「ひゃぁぁぁ」

 何とも情けない声を出して翔太はその場に尻餅をついてしまった。

「ほんっとに気味悪い家だな。人形ばっかだよ」

 そう言い放って躊躇うことなく中に入った哲平は雨戸をひとつ開け放った。

「ほら翔太、明るいとなんてことないだろ」

「まるでここ、お化け屋敷じゃないですか。もう出ましょうよ」

 翔太はか細い声で答え、腑抜けた両足を鹿の赤子のように踏ん張らせてなんとか立ち上がる。

「どんな人が住んでたんだろうな」

 既に慣れてしまった哲平はピアノのカバーを平然とめくり銀盤に触れた。

「俺、『ネコ踏んじゃった』だけは弾けるんだよ」

 そして、その曲の最初のキーを弾いた時だった。

 上の階で何か重い物を落としたような、鋭く重い音が響いたのである。

 思わず顔を見合わせたふたりは物音も立てずにすばやく部屋から飛び出し、2階に延びる階段を見つけて壁伝いに登ってゆく。登り切ったところで辺りを伺うと、どうやら部屋がいくつかあるようだが人の気配は全く感じられない。  

 暗がりの中、翔太の恐怖心はすでに我慢の限界だった。一刻も早くここから去りたくてたまらず、懸命に耳打ちする。

「やっぱり、引き揚げましょうよ」

「何言ってんだよ、仕事だろ。次『ひゃあ』とか言ったら飯奢れよ」

 同じようにひそひそ答えて哲平は唇に人差し指を当てて見せた。哲平にはこの状況と翔太の怯える様子がたまらなく可笑しいようで、さっきからずっと笑いを噛み殺したような顔をしている。

 なおも引き止めようとする翔太をよそにピアノの部屋の真上にあると思われる奥の部屋まで進むと、哲平はわずかばかりドアを開けて隙間から中を覗いた。

 窓が開いていて明るいために、部屋の様子がよく見える。ピンクのシーツが掛けられた古いベッド、壁際には白い本棚。白いカーテンが窓辺で風に揺れている。

 静かにドアを開け放ち、哲平と翔太は部屋の中に足を踏み入れた。

「哲平さん、これ……」

 翔太が驚くのも無理はなかった。

 薄っぺらな寝袋がひとつ床に転がり、カップラーメンやコンビニ弁当の、割と最近空になったと思われるような容器がいたるところに散乱している。ベッドの下には黒いボストンバッグが置いてあるのが見えた。

 哲平は部屋の中を歩き回り何やら物色していたが、急に我に返った様子で顔を上げると弾かれたように振り返り窓の外を伺う。

「あッ!」

 哲平の小さく叫んだ声にすかさず翔太も窓から顔を突き出した。

「あぁッ!」

 向かいの木に隠れるようにして青い作業着を着た男が無表情にこちらを見つめている。  

 その男の肌は黒ずみ、頬から顎にかけて生えた無精ひげが口元を覆い尽くしている。

 ふたりはそれぞれすぐに、この男こそが義久だと気付いたのである。

 身なり風貌こそ変化はあるものの、そこに佇むのは写真で見覚えのある義久に違いなかった。

 やがて男はふたりに背を向け、細い上り坂を走り出す。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 哲平は叫んだ。だが男は振り向きもせずどんどん遠ざかってゆく。

「追うぞッ!」

 ふたりは転がるようにして階段を駆け下り外へ飛び出すと懸命に追いかけた。

「義久さんですか? 待って下さい!」

 走るのは哲平よりも翔太の方が断然速い。何度も呼びかけながら翔太は確実に距離を縮めてゆく。どれくらい走っただろうか、やがて道は突き当り途絶えて、そこには2メートルほどの高さのフェンスが左右に広がっていた。男はためらいなくよじ登り、あっという間にそれを超えたかと思うと、立ち入り禁止区域の草むらをかき分けて突き進む。翔太、続いて哲平が軽い身のこなしでひらりとフェンスを飛び越えると必死に後を追った。

 深い草の渦が必死に進もうとする動きをからめ捕り思う様に義久に近づけない。轟音となって草の間を吹き抜ける山の風に、ふたりの激しく息切れする声が怒涛のように入り混じる。

「待って下さい!」

息を切らして翔太は声の限り呼び掛ける。

「三木義久さんですよね! ご家族があなたを捜しています。ほのかちゃんも随分心配していますよ」

「よせッ、翔太!」

 追いついた哲平が翔太の肩を力いっぱい掴んだ。

「奥様も体調を崩されるほどご心配されてます!」

 哲平の手を振りほどいて、翔太はいっそう声を張り上げた。

「よせったら、今はもうそれ以上言うな!」

 哲平がそう叫んだ時、男は肩を震わせ突然立ち止まった。こちらに背を向けたまま微動だにしない。

 翔太が近づこうとしたまさにその時、男はふたりを振り返った。

 目を真っ赤に腫らしてこちらを睨みつけている。声も立てずただ静かに、頬には大粒の涙が流れている。辛うじて握りしめた男の拳が、ぶるぶると震えている。

 翔太は愕然とした。もしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

 そしてそれ以上、動けなくなってしまった。

 男は涙を垂れ流したまま瞬きもせず哲平と翔太を睨んでいたが、やがて前に向き直ると悠然と深い草むらの奥に消えて行く。

 翔太はその後ろ姿を呆然と見送り、頭を抱えてへなへなとその場にしゃがみ込んだ。

「すみません、俺……軽率でした。義久さんの心、余計に閉ざしてしまうような事言って……俺……」

 哲平はなにもいわずただ翔太の横に並んで座った。そして目の前の鬱蒼とした草むらとその向こうに広がる山々を見渡した。そこから吹き降ろす風は強く、びゅうびゅうと音を立て、野花は大きくしなりながらざわついている。

「そんな落ち込むなって」

「義久さん、また居なくなったりするんじゃ……。それに万が一おかしなこと考えたりしたら俺、もうどうしていいか……」

 翔太は大きく項垂れ頭を膝で抱え込むと、深いため息をついた。

「いや、それはないな。今さらきっとそんな気は起こさねぇよ。とにかく就任パーティまでまだ日はある。義久さんのこと信じよう。なっ」

 哲平は顔を上げた。だが明るい声とは裏腹に非常に厳しい目つきだった。草むらを、山々をじっと見つめてからまるでひとり言のようにそのあとを続けた。

「それに、あいつは絶対あの家から居なくなることはない」

翔太はその言葉の真意が分からず、ただ黙って下を向くばかりだった。



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