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颯と礫

「あっ! 来たよッ、哲平兄ちゃん!」

リカが張り詰めた小声でそう囁くと、背中のランドセルがかたかたと小さな音を立てて揺れた。公園の片隅に放置された横倒しのドラム缶の中であるためその音はくぐもり、小刻みに震えた幼い呼吸音に混じって騒がしくなってしまっている事にリカ自身は緊張のあまり気付いてはいない。

隣にじっとうずくまる哲平はランドセルがこれ以上音を立てないようにそっと後ろから支えてやり、優しく「しぃっ」っと唇に人差し指を当てて見せた。      

こんなに小さい体でこれほど重たい物がよく背負えるな。哲平はそんな事を思った。リカは口を一文字に固く結んで、まっすぐ前を向いたままだ。

視線の先には彼女よりも随分大きな小学生の男の子が三人、この公園に入って来るや否や我先にと奇声を発しながら縦横無尽に暴れまわり、それぞれに太い丸太棒、水鉄砲、野球のボールなんかを手にしている。

「呼び出しといてリカザルまだ来てないぞ」

「生意気だな」

「いつもの倍、うんと懲らしめてやろうぜ」

リカがすぐそばで聞いているとも知らずに三人のワルガキ達は言いたい放題罵り続けている。

リカは誓った。今日は泣かない。絶対に。こんな事、今日で必ずお終いにするんだ。

彼女の息は次第に荒くなり、そのせいで細い肩が上下に揺れた。

公園にはちょうど、夏の終わりの風が吹いている。


 哲平がリカと出会ったのは、ほんの一週間ほど前だった。

 その日、外での仕事を夕日も沈まないうちに早々に切り上げた彼は事務所へ戻るべくこの公園脇の道を通りかかったのだった。その時ふと、何か動物の、しいて言うなら捨てられた子猫の様な鳴き声が彼の耳に聞こえてきたのである。

 気になりしばらく立ち止まって公園を眺めていたが、しんと静まり返ったままだ。うーん、ちょっとオレ、疲れちゃってんのかも、と首を傾げてから二歩、三歩と再び歩き出した時。「ふっ、ふえっ、ふえーん」今度は確かに聞こえたのだった。

 声のした方へ目をやると、錆び付いた大きなドラム缶が転がっている。おもむろにそれに近づくと身を屈めて中を覗き込んだ。

 甲高くか細いその声はあまり人間っぽくなかったため、そうするまで彼は呑気に鼻歌などを歌っていたのだった。だから目が合った時は正直ぎょっとなった。

 丸く分厚い眼鏡の奥から、あどけない瞳がこちらを見ている。

 小さい鼻、極めて細い筆でわずかに線を描いたような唇、きゅっと引き締まり尖った顎。まるでいつだったかテレビで見た事のある小動物だ、なんだっけ、あれは。そうそう確かリスザルだ、しかしよく似てんなぁとしみじみ感心しつつも相手は泣いている女の子である。一応聞いてみた。

「ごめん、急に覗き込んで。そこ通りかかったらなんか聞こえて気になっちゃって。どうかしたの?」

 女の子は警戒して泣くのを止め、哲平を瞬きもせずに穴が開くほど睨みつけている。

 居心地の悪さを感じて哲平は鼻頭をぽりぽりと掻いた。怖がるのも無理はない、そう思い彼はポケットに手を突っ込んでなにやら差し出した。

 リカにはそれが「小さな紙切れ」風に見えてしまったのは、あまりにしわくちゃなため粗末に扱われているのが一目瞭然だったからで、押しつけがましく手渡されたそこにある文字をたどたどしく読むうち、どうやらこれは名刺であるらしいと分かった。

 そこには「ナンデモ・アール相談所 相談員 柊哲平」と記されてある。

 リカはますます警戒の色を強めたと言わんばかりにドラム缶の奥へ後ずさった。

「えっ、ちょ、ちょっと。もしかして怪しいとか思ってんの?」

 リカが答えるかわりにもう一歩下がる。

「待ってよ、ほんとなんだって。駅前のスーパーの隣にすんごく古いビルあるだろ? あそこの三階にある相談所だよ! 駅にも看板出てるだろ、?がれかけてて落っこちそうなままのやつ」 

 リカはしばらく黙っていたが電車待ちのホームの隅でいつも見かける古びた看板を思い出し、顔を上げてわずかに頷いた。

「なっ、知ってるだろ? みっともないからこの際電飾とかつけた派手なやつに取り替えようぜって言ってんのに、ずっとあのまんまなんだよ」

 リカは思わず吹き出した。風にいつもべらべらと煽られて今にも落っこちそうなあれは嫌でも目に留まるほど確かにひどい状態ではあるけれど、きらきらに飾り付けたものを小さな駅のあんな場所に取り付けるだなんて、まったく突飛で愉快な発想に思えて、なんだか可笑しかったのである。

 つられる様にして哲平も少し笑った。

「まぁそんな事はどうでもいいとして。なんかあったの?」

 さらに膝を折り曲げて哲平はドラム缶の奥へ身を乗り出した。

「これでも一応、この街の困ってる人の力になるのが兄ちゃんの仕事なんだ。俺なんかでよかったら話聞くよ」

リカは張り詰めた糸がぷっつりと切れたように泣きじゃくり、途中嗚咽と鼻水で何度も言葉に詰まりながら一息に打ち明けた。

 彼女の話をまとめると、顔つきがリスザルに似ていて体も小さい為に「リカザル」とあだ名を付けられ、同級生三人の男子から苛められているという事だった。

 日によって彼らの手口は様々で、教科書を川に放り込まれる、帰り道執拗にボールを投げつけられる、眼鏡を奪われ隠された挙句割られる、今日もランドセルの中に得体の知れない虫をたくさん入れられているらしく、あまりの恐ろしさに腰が抜けて背中からずっと降ろせないでいる、そう言って彼女はまた泣いた。

 哲平はランドセルを降ろすのを手伝ってやり、ぽつりと吐き捨てた。

「ひでぇな、そいつら」

 そして公園の隅へ行き、その中を手早くきれいにしてやった。閉じ込められていた虫たちが散り散りに逃げてゆく。

 残っている土を払い落としながらなんとも不機嫌そうに戻って来ると、哲平は狭いドラム缶の中で胡坐をかきかき、腕を組んだ。

「兄ちゃんが思うに」

 少し間を開けて、穏やかに哲平は続ける。

「弱い者いじめってのは、あっちゃいけないことだぜ。大人も子供も関係ないよ、ましてや男が女をいじめるなんて」

 リカが横で何度も頷く。

「ほんっと、胸糞悪い奴らだ。こうなったら決闘だ、決闘」

 リカが大きな瞳を皿のように見開いて哲平を振り返った。いきなり降って湧いた自分の決闘話にとんでもなく驚いている。

「こういう事はぐずぐずしない方がいい。あと、不意を衝いて思いっきりびっくりさせてやるのが一番だ」

 本物の小動物が金縛りにあったように、一度瞬きしただけのリカにランドセルを渡して哲平は続けた。

「よしっ、三日後に決まりだ。怖いか? 心配しなくていい、兄ちゃんがついててやるから大丈夫!」


 まさにその三日後の同じ時刻に、こうしてふたりはドラム缶の中に身を潜めているのである。

「いいか、リカ。さっき言った手筈通りにやるんだぞ」

「うん」

 ふたりの目の前では、ひと暴れして羽休めといったところか、三人共地面に座ってすっかり寛ぎ、ふざけて笑い合っている。

「今だッ!」

 哲平の囁くような号令ですべては始まった。ドラム缶から鉄砲玉と化したリカが、叫び声を上げながら飛び出してゆく。

「うぎゃぁぁぁあ!」

 三人は突然の事態に驚き、振り向くのがやっとだった。彼らに奇襲を仕掛けたリカが間髪入れずランドセルの冠を開けると、中から青や赤、黄、橙に紫、実に色とりどりの水風船がいくつも転がり出て来た。それらを神業の様な素早さで掻き集め手に取り、猛烈な勢いで一つ一つを敵らめがけ思い切り投げつける。それらは鮮やかな虹の弧を描くと、水玉を弾かせながら面白いくらいに次々と割れた。

「くっそォ、よくも……」

「ただじゃおかねえぞ」

「やってくれるじゃねえか!」

 ずぶ濡れ三人が怒りを込めてじりじりとにじり寄る。リカは後ずさりながらもしぶとく攻撃を続けたが、踵が石に引っ掛かりあっけなく転んでしまった。そこへ彼らがそれぞれ手にした武器でリカに襲い掛かろうとした時だった。

「ちょっと待ったぁッ!」

三人の視線の先にあるドラム缶から大声が響き渡り、哲平が姿を現した。

「誰だよ」

物怖じせずに水鉄砲が尋ねる。切れ長の目が鋭く、体格も他の2人に比べて随分良い。 

「名乗ったって無駄かも知んねえけど、俺はナンデモ・アール相談所の柊哲平だ」

「ナンデモ・アール? なんだ、それ?」

三人は腹を抱えて笑いが止まらなくなった。

不安気なリカが哲平を振り返っている。

「こ、こらッ! 馬鹿にするんじゃねえ!」

子供相手とは言え、哲平は腹が立つ上、むきになった。両手でこぶしを握りしめ仁王立ちしている。

「駅前にある相談所だ! 困ってる人を助けるのが俺の仕事だ」

「だからなんだってんだ、関係ないだろ」

水鉄砲が薄笑いして、さらに続けた。

「ヒーローぶりやがって」

腹の底から怒りが湧いてとうに沸点を超えていたが相手は子供である。哲平は歯ぎしりしながら何とかそれを飲み込んだ。

調子良さそうな丸太棒と野球ボールが水鉄砲を囃し立てている。

「オレはなぁ、あんたみたいな大人が大っ嫌いなんだよ!」

水鉄砲が高らかに吠えた。

「言いたい事はそれだけか。サカエダ小学校四年二組、高橋ケンジ。今度はお前らが俺の話を聞く番だ」  

 名前を知られていた事に驚き、水鉄砲は返事を忘れて押し黙った。

「お前には随分年の離れた警察官の兄ちゃんがいる。けど、裏ではちゃらちゃら遊んでてどうしようもないらしいな。ちょっと調べさせてもらったけど、あんなに悪い事してるくせによく捕まらないよな。そうそう、あと父ちゃんは警察のお偉いさんなんだろ?」

 水鉄砲が下唇を噛みしめて俯く。

「次、同じく四年二組、服部ショウゴ。言いたくはないけどさ、お前んち大変だな。父ちゃん借金作ってんじゃねえか。母ちゃんに伝えとけ。父ちゃん探す時はうちの相談所来いって」

 丸太棒は思わずべそをかいた。

「男がすぐ泣くなッ! ハイ次ッ、同じく四年二組、安田ユウタ。お前、まだ寝小便してんのか。昨日母ちゃんが布団干してんのみたけど、あれはなかなか立派な世界地図だな」

 野球ボールは牛のように「もう」と低く言ったきり、赤面した。

「お前らがリカをまだいじめるってんなら、こっちだってそのつもりだ。今の話全部ビラにしてある。俺の事務所で大量に用意してあるんだぜ」

 ジーンズのポケットで丸まっていた分厚い紙束を引き抜いて彼らのもとへ歩み寄ると、それぞれの鼻っ面に突き出して見せる。

「うわァ、本当に書いてある」

 野球ボールことユウタが弱気な声を出した。

「お前らも色々大変かも知んねえけど、だからってこんなことで憂さ晴らしはよくねぇな。それとこれとは別だぜ、本気で止めねえとこれ全部ばらまくから」

 ケンジが悔しそうに哲平を睨みつける。

「……わかったよ。おい、帰るぞ」

 ケンジは後ろで背中を丸めてしな垂れているユウタとショウゴを引き連れて、公園から去って行った。 

 

「よっしゃ、リカ。勝ったぞ、お前よく頑張ったな」

「わたし、こけちゃった時、どうしようかと思った」

 ふたりはその時の事を思い出して一緒に笑った。その傍らのドラム缶の上で、どこからともなくやって来た猫が一匹、毛づくろいを始める。太陽の光を浴びたブルーグレーの毛並みが艶やかで美しい。

「本当にこれで大丈夫かなぁ」

 伏し目がちにリカが言う。

「きっと大丈夫さ。こっちにはビラがあるし、兄ちゃんが付いてる」

 リカの頭を力強く撫でて哲平はリカの目を覗き込んだ。

「これからのリカに大事なことは、ちゃんと自分に自信を持つことだ」

「うん……」

「あと、もっと大事な事は、いつも明るく笑っていること。心からだぞ」

「わかった」

「じゃあ今からだぞ。お前はまだ子供だから、その約束をちゃんと守るってのが今回の相談料ってことにしといてやる。さてと。兄ちゃんもう行くけど、ひとりで帰れるか?」

 大丈夫! リカが大きな声で答える。そして改まった声で兄ちゃん、と呼び掛けた。

「助けてくれて本当にありがとう」

「初めて会った時、兄ちゃんほんとにびっくりしたよ。ちょうどあんな猫でもいるのかと思ったからさ」

 哲平はドラム缶の上を指差して笑った。

 リカが恥ずかしそうに肩をすくめる。

「まあそんなことはいいとしてだな、またなんかあったら前にあげた名刺の番号に電話するんだぞ」

リカは名刺をスカートのポケットにしまい込んでそれきりだったのを急に思い出した。 

 失くしちゃってたらどうしよう。そう思うとどうしても気になって、両方を確かめると右から無事に見つかった。

しわくちゃの名刺を手のひらにしっかり握り締め、ほっとして前を向くと、もうそこに哲平の姿はなかった。



 ここは、とある小さな相談所。

営利を目的とせず、お客様が心から納得、解決するまで私たちがご依頼に全力で取り組みます。

どんな小さなお悩み事でも、お気軽にご相談を。


――その小さな相談所は、あなたの街にあるかもしれない。――



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