バレンタインにもらったものは
バレンタインデーに投稿しようとして遅れてしまいました。
「あのっ、堂島くん! これ、もらってください!」
そう言って内村絵美が俺に差し出したのは、小さな紙袋だった。
なんの変哲もない、茶色の紙袋。可愛いデコレーションがある訳でもなく、おまけに「ケンミンドラッグ」なんて店名が安っぽい朱色で印刷されているような、本当にどこにでもあるやつだ。
内村は可愛い。クラスで、いや学年でもピカ一じゃないだろうか。長い黒髪、大きな瞳、そしてちまっとした身長。本人は意識していないっぽいが、虎視眈々と彼女を狙っている男子を俺は山ほど知っている。もちろん、俺もその一人だ。
そんな内村が差し出した紙袋。
場所はバレンタインデーの放課後の教室。
もうだれもいなくて、窓からはほんのりと薄紅色に染まった夕空が机の影を長く伸ばしていて。そんな少女マンガみたいなシチュエーション。期待するなっていう方が無理だろう。
「あのっ、中にて、手紙が、入ってますから! あ、後で読んで」
内村は夕焼けの中でもわかるくらいに真っ赤な頬をして俺の手に紙袋を押し付けると、そのまま脱兎のごとく教室を駆け出して帰ってしまった。
俺は呆然としていたのもあり、お礼の一つも言えなかったとしばらくしてから気がついた。
学校で袋を開くと、万が一誰かに見つかった時が厄介なので、家で開封することにして慌てて帰宅した。
あんな色気も何もない紙袋に入れてくれたのは、きっと彼女なりの気遣いなのだろう。騒がれるのが嫌いな俺が他人に囃し立てられなくて済むように。
そんな細やかな心遣いに感動さえ覚えて俺は袋の口を開いた。
けれど、内村が言っていた手紙らしきものは入っていない。ああ見えてちょっと抜けてるのが内村の可愛いところだ。きっと入れ忘れたんだろう。そう自分に言い聞かせて、更に中をのぞきこんだ。
中には、黄緑色の目立つ小ぶりの箱がひとつ。何が入っているのだろう。
シンプルにチョコレートかな? チョコクッキー? それともチョコケーキとか。
期待に胸を膨らませて箱を出すと、パッケージに書かれていたのは。
【クマヘルス】
なんだこりゃ。もう一度パッケージをよく見てみるが、
【クマヘルス】
よくよく観察すると、箱にぴっちりとかけてあるビニールは破かれていなくて、これが購入されたままの状態なのがわかる。
パッケージの印刷を見るに、どうやらドリンク剤の小瓶が入っているようだ。
――――ドリンク剤? どんな効能なんだろう。
そう思った瞬間に頭の中を駆け巡る妄想。
あれですか? 滋養強壮剤的なやつですか? それって、バレンタインに男にそういうものを渡すって! そういう意味?!
などということはあるわけがない、と頭から必死に妄想を駆逐しつつ、改めてパッケージを観察する。
ほうほう、主成分とか見ると全然チョコっ気はないな、ひゃっほうちくしょう。期待させやがって。
んで、熊笹からの抽出成分が主役のドリンク剤なわけね。だから「クマ」ってつくんだな。いかにもパワフルなイメージだが、さて効能は――――
そこまで読んで俺は固まった。いくつか書いてある効能の中で、最も強く主張しているのは――――
【口臭、体臭の除去】
マジか?
俺は高校で野球部に所属している。朝早くから朝練やって、夕方も遅くまで部活。有り体に言えば一日中汗だくだ。更に、弁当も2つ持ってきてがっつり食ってる。
俺、自分じゃわからないけど、臭うのか?
内村はクラスで俺の隣の机だ。気が付かない間に嫌な思いをさせていたのかもしれない。それで、体臭に効果のあるこれをこっそりくれたのか。
いやでも、バレンタインにこれって! キッツいなあ! そんなに嫌なら言ってくれれば!
――――そうじゃない。言うに言えなかったんだろう。悪いことをした。むしろ、そうやって気づかせてくれたことに感謝するべきか。嫌いな奴にも優しい彼女に惚れ直しそうだ。
いや、まてよ。
嫌いなら無視するんじゃないか? わざわざこうやって指摘してくれるってことは、逆に俺を見ているってことで。期待していいんだろうか。
でも、嫌いだから「寄るな触るな」って言いたいんだったらどうしよう!
短い間に浮沈を繰り返し、どうしようもなくなった俺は夜の街にくりだした。
デオドラント剤とグリーンガムを買いに。
すっかり日の暮れた街をフラフラ歩いて「ケンミンドラッグ」にたどり着く。このあたりにはここしかドラッグストアがない。内村が【クマヘルス】を入れていたのはここの紙袋だ。
自動ドアを開けて明るい店内に入った俺の目に飛び込んできたのは――――
内村絵美。
今まさに買い物を終えたであろう彼女は、真っ赤なダッフルコートにチェックのマフラー、手にはケンミンドラッグのビニール袋という出で立ちで目を見開いて俺をみている。
普段の制服姿しか知らない俺には目の毒なほど可愛い。
思わずデレっと見惚れていた俺の余裕はしかし長くは続かず、内村の目からみるみるうちに溢れ出した大粒の涙にあっという間にパニックになった。
「うっ、内村?!」
「ど、堂島くん……! ごめん、ごめんなさい!」
「待て、とりあえず話そう! うん、泣くなよ、お願いします!」
店内の人の視線が痛い。俺、何もしてませんから!
あ、ひょっとして泣くほど俺の臭いが嫌なのか? だとしたら俺のせい?
ごーめーんなさーーーい!
パニックになった俺は、内村の手をとって店から駆け出した。
大通りから一本入った道にある公園のベンチに二人で座って息を整える。何とか落ち着いてきた頃、今度は気まずくて口が開けない。重苦しい沈黙にどうしていいかわからなくて空を見上げると、思いもかけずひとつ星が流れた。
「あ、流れ星」
隣から可愛い声がした。振り返るとやっぱり内村は空を見上げていて、二人で同じものを見ていたってことになんだか感動した。
「ごめんな」
「え?」
「その……気がまわらなくて。あ、今だって俺汗だくで。臭うか?」
「え、ええっ! そんなことない、全然!」
「だから【クマヘルス】くれたんだろ?」
俺は苦笑気味に内村を見た。いいんだよ、はっきり言ってくれて。俺の恋は玉砕するが、好きな子に嫌な想いをさせて平気でいられるほど俺は嫌な奴にはなれないからな。
すると内村はみるみるうちに真っ赤になって真っ青になった。そして。
「ごめんなさいいいいいっ!」
急にベンチに正座して、俺に向かって土下座した。
「ちょ、内村! やめて、何事っ!」
「間違えたのっ! 学校で目立たないようにって同じ袋に入れちゃったから、うっかり取り違えちゃったの!」
テンパりまくった内村の話を総合すると、どうやらあの【クマヘルス】は内村の親父さんのものらしい。内村が頼まれて買ってきたそうだ。たまたま同じくらいの大きさの箱を同じ紙袋に入れたせいで、逆に渡してしまった、と。ちなみに今は俺に渡してしまったために足りなくなった【クマヘルス】を買いに来ていたのだとか。
てことは、待てよ?
俺に渡そうと思ったのは【クマヘルス】じゃなくて――――
急に心臓がバクバク音を立て始めた。今度は勘違いじゃないよな?これでまた変な健康食品渡されたら俺、叫びながら泣きながら大通りをどこまでも走っていっちゃうよ? そのまま海に飛び込んで太平洋泳いでハワイまで行っちゃうかも知れないよ? ちなみにハワイに意味はない。
「じゃあ、別に俺が隣の席で臭いわけじゃなくて」
「そんなわけないでしょ! 本当に渡すもの間違えただけ」
「----何を渡してくれるつもりだったの?」
「えっ、あの……うん、今は持ってないから明日渡すよ」
明日までお預けですかそうですか。
でもいいよ、期待通りのブツがもらえるなら。
いつまででも待つよ。
もちろん早いほうが嬉しいけど----そうだ。
「そしたら、もう暗いから内村んちまで送っていくよ。そしたら----今日、もらえる?」
君を。じゃない、君の贈り物を。
内村は頬を赤く染めながら嬉しそうに頷いた。
それから二人でゆっくり夜の道をたわいもない話をしながら歩いた。
本当は手を繋ぎたかったけど、それはちゃんと待たなきゃね。それこそまた俺の勘違いだったら地面をブラジルまで掘り進める気がするよ!
「でも、焦ったよー。お父さんが堂島くんに渡すつもりだった袋を私に返してくれて、"これ本命チョコだろ?" って指摘された時は!」
「え?」
「え?」
しばしの沈黙の後。
「う、うわああああああああああっ!!」
「内村! 待てよ! おーい!!!」
内村は顔を真っ赤にして走って逃げてしまった。
慌てて追いかけたけど、彼女の家を知らなかった俺は途中で彼女を見失い、結局ピンクの紙袋に入った内村の「本命チョコ」(手紙入り)を受け取れたのは翌日になった。
お読みいただきありがとうございます。