未来へ
これは深遠の淵から世を見る者の小さな物語。
プロローグ
雨の香りはコンクリートの鉄のような香りとあいまって
職員室を包んでいた。木々の葉は雨を受けて、はじこうとして
その身をそらすものもあれば、従順に受け止めて下方にたらしていくものもある。
自然に囲まれたこの高校は秋の音を全身に浴びていた。
英語教諭の恩田里美は憂鬱な気分だった。
受け持つクラスは2年1組。
きびきび働くキャリアウーマン。
40代にして未婚。
生徒達に対する指導力や
仕事の出来はかなりのもの。
職員室ではさわやかでてきぱき仕事をこなす。
生徒達に対しては厳しい一面も。
朝7時35分、少し早めに学校についた。
「おはようございます」と、ぼそぼそと挨拶してきたのは
自分のクラスの志田歩。進路未定だが、5段階評定平均4.7のしっかり者だ。
彼女はいつもぼそぼそと話すから、近くに寄らないとなにを
言っているのかよく分からない。
「おはよっ」と返す。
1Fから2Fの職員室に向かいながら、恩田は考えていた。
彼女に何の進路を教えてあげればいいのだろうか。
彼女は何を望み、何を得たいと考えているのか。
彼女にとって幸福とはなんなのか。
こんな疑問は尽きることがない。
自分のことを話してくれないのだから。
ならば、「とりあえず大学いけば?」というしかない。
今日の午後は、そのことで親も交えて3者面談がある。
普段、彼女は「やりたいことは特にない」といっている。
ならば、大学に行って4年間ゆっくり考えればいい。
このことを話すつもりだ。
夕方の3者面談を終えて、恩田はとりあえずほっとする。
下手な話をすると親からのクレームとかでいろいろと面倒だから。
こっちもそれなりに気を使う。
部活の前に小テストの丸付けをやる。
皆の成績はまずまず。
進学校というほどではないにせよ、大学受験者が30%超の
この学校では、成績を見る目も変わる。
志田歩は悩んでいた。
先生にも親にもとりあえず大学へ行けといわれている。
自分もそれでいいと思っている。
なんとなく教師になりたいが、その理由ははっきりしない
のであまり声高に言うことはできない。
言おうとすると胸が詰まる。
昔、小学生だった頃だと思うが、担任の先生のことが
なんとなく気に入っていた。
理由はそれぐらい。
帰宅部だから、3者面談が終わって友達とおしゃべりしながら
教室で勉強する。
小雨が学校を覆うときのわずかな振動が
胸の鼓動と同調しかかって、将来に対する不安を
かきたてる。
自分の適職なんて分からないから、
今は目の前の問題を解いていればいい。
家に帰り、ご飯を食べて、いつもより早く寝る。
1
ー夢を見ているのかな?気がつくと、昨日と違う世界。
この世界のお母さんはあたしの部屋まで起こしにきた。
あたしは昨日の夜メールでいじってたであろう小型パソコンを握り締めながら、
また今日という日を始めてしまった。目が覚めたときの掌に鮮明に
刻まれている私の手相。
小さい頃社会の地図帳で見たどこかの国の山脈地帯と
河川地帯の入り混じった雑な線路のように刻まれている相は
どこまで本物なのかなぁ。
お父さんはもう会社に出勤していて、朝ごはんが用意されていたけど
食べないで学校に行こうと思った。
まったく知らない世界のはずなのに、私は、
この世界での過去の記憶を持っていて、いろいろなことを
知っている。過去(?)の記憶はほとんどあいまい。
歩いて25分だからダイエットにちょうどいい、なんてことまで
体に染み付いている。
運動部に入ってないからこれくらい動かないと、って
自然と思っている。
歩きながら見る町は懐かしいけど、秋の風が心のひだを
刺してくることであたしのこの世界に対する誠実な
情熱を冷たくそっと酷評する。ー
ー歩道橋の上から車を見ていた。夜だった。
左側の2行の車線を走る車達は
遠くに行って小さくなって消えていって
それでもちょっとだけ見えて、
その先の世界には私の心臓がチェーンでがちがちに
縛り付けられていて、心臓と私の体をつないでる
血管も薄い皮も粘膜もはちきれてるはずなくらい遠くにあって
私はここにいるからとても苦しくて切なくて
心臓があったはずの場所から熱くてしょっぱいものが
私の目の周りを駆け巡るんだけど、どんなに追いかけても
届かないから、きっと届かないからあきらめている。
右側を走る車は両目を
輝かせながら私に向かってきて車の屋根が
対向車線の光で一瞬だけ
閃光に斬りつけられて光って真っ黒が
真っ黒でなくなる、私がそれを
知覚しきるまえに
すぐにいなくなる。
この目は私のことなんかまったく
見てないってわかってる。
だけどなぜか見つめられている時と似たような
気にほんの少しさせるから、私も見つめて返す。
全部の目の色は少しずつ違う。
両端は歩道になってる。人より自転車のほうが
多い気がするな。
歩道には何メートルかごとに木がたってる。
この長い道の先には私が私だけが知っている世界がある。
きづいたら私はこの世界にいる。
昔のこと、って言うか、遠い昔のような
過去の私のこと、この世界で目覚める前のことは
時々夢に見るけどよく思い出せない。
おかぁさんとおとぉさんの顔がなんとなくわかる
のと、ご飯を家族と一緒に食べてる時のことが
夢に一瞬でてくるだけ。
おとぉさんは痩せてて、眼鏡かけてて、私達の家で
育ててる野菜とかのことをよく話してくれてた...
気がする。学校の先生をしてたんだっけ。
おかぁさんは髪が長くて、ちょっとおこりっぽくて
目が大きくて、毎朝私に「おはよう」って。
秋の風を浴びながら学校に行って、恩田先生とあとぉさんで
三者面談したところまでは覚えているけど...。
この世界で目覚めたとき、別に違和感はなかった。
それがあたりまえみたいだった。
何もおかしくなかった。
どっちが夢なのか分からないけど、この世界ではない知識や夢の内容のほうが
疑わしいと思うくらいなんだけど、なにか大切な記憶な気がした。
そうゆう夢を見ると、変な感じになる。
今日もお昼寝してたら
夢に出てきたから、夕方からずっとここで車
を見てた。
まぁいっか。もう家にかえろう...ー
2
「...こうやって今の日本のこと
を知ることが、日本が抱える問題に
ついての対処法をね?君達がね?
考えていくための基礎だから」
現代社会教諭の萩田修は私立壱徳教育学院の
中でも特に規律や授業態度や
生活態度にうるさい。
高校1年生になったばかりの志田歩達に
4階の教室で日本と世界の機構を教えていた。
「世界連邦ができても、昔と今で
日本の立場はそんなにかわってない。
ただ、50年位前まで日本人は英語も
ろくにしゃべれなかったし、
海外留学する人も、今ほど多くはなかった。
今は海外で長期生活する人は日本国籍人口の20%
にまでなってるし、英語がしゃべれない
成人は15%未満だ。
これだけ国際化が進んでるから、
各国との協力的な対話がたくさんできて、
日本の問題についての提案や助言も
多く寄せられている。
それでも解決しきれないんだ。
たとえば、未婚の人たちがすごくたくさんいてね、
何十年も前と比べても、君達みたいな若者が
少なすぎて困ってる...
このままじゃ、ホームレスとかが
ふえてっちゃうんだよねぇ...」
萩田が話している教室には机が
22個ある。中学・高校の合さった
この学園は男女共学で全校生徒600人超だが、
歩のクラスは学年で成績上位の
生徒を集めたエリートクラスだから
生徒は少なめだ。
春だった。歩の席は教壇から向かって
右側の前から2番目の窓際だった。
歩は萩田の板書した人口ピラミッド
の一番下にある、コップの底みたいな形の部分をノートに
書いているときに、浅い青色の混じった色の前髪
がちょっと左目の端にたれてきたから
ペンを持ちながら
左手の人差し指で髪を耳にかけた。
窓から風が吹いてきたからだと
気づいた。ちょっと校庭を覗いてみた。
この学園は上からみると、きれいに4つ
切れ目のはいった円の形をしている。
真ん中に校庭があって、北の校舎は体育館
と武道場と卓球場に食堂、東の校舎は高等科が
使う教室と、中等科と共用の理科室と美術室
、生徒会室と新聞部室がある。
この学校では、部活動は主に中高別々に活動するが、
生徒会は統一されている。
南には中等科の教室と、中等科・高等科の職員室と
保健室があって、西には図書館と自然環境棟と宿泊施設がある。
図書館の蔵書は聞くところによると70万冊
らしいから、多分そこいらの大学よりも
多いだろう。南と東の間に学校の
正門がある。でも、それぞれの校舎の分かれ目は
どれも外に通じる道と門がちゃんとあって、帰宅
するときに迂回をしなければならないという
心配はない。
自然環境棟は、この学校で一番活躍している
部活のひとつである理科部がよく使う。
いろんな生き物の化石とか標本があって、
理科系の本は図書館じゃなくて全部ここに集まっている。
ほかの校舎は屋根が青くて壁は真っ白で
西欧風のつくりだ。こんな全体図の中で、
木製のこの建物はちょっとだけ浮いている。
屋根は茶色。壁も木製だし、ほとんどが
自然環境からの天然素材で構築されている。
環境棟と塀の間には広大な植物園があって、
5000種類を超える樹木・草木が植えられている。
宿泊施設は、この環境棟で理科部がずっと部活動とか
会議とかプレゼンテーションとかをするときに
生徒達や先生達が寝泊りするのを
目的としているが、例えば図書館で調べ物を
休日までしたかったり、受験勉強を学校でずっとしたいということであれば、
ちゃんとした書類手続きをして通常の生徒も使うことができる。
休日であっても先生や事務員は必ず何人もいるので
安全面は保障されてるし、
この学校の校風には「勤勉」という
項目もあるから、こういうことは自由だ。
ちなみに校風は「真摯」「勤勉」「献身」
「克己」それと「希望」
生徒達は大体、このsinjuku-cityはおろかtokyo-pre一帯の中でも
有数の才能を持った人間や名の知れた秀才達で構成されているから、
先生からの信頼も厚いのだろう。
校舎全体は塀に覆われ、塀の内側には桜が植えられている。
でも環境棟の周りにはイチョウやらなにやら
いろいろと植えられている。
歩が学校を眺めていると、3年生が
1階の環境棟で何かしてるのが見える。
ー 明日香先輩も、かすんでるけど見える
やっぱりあの人ってきれいだなぁ ー
鈴樹明日香は新聞部の1つ上の先輩だ。
歩は彼女を見ていると本人曰く
「お風呂に入ってしゃぶしゃぶしながらアイス食べてるときみたい」
な気持ちになる。
校舎を見回してたら少し眠くなってきて、
歩は細長い華奢な指で両目をちょっと
こすって目をパッチリさせてから、また
授業に集中し始める。
萩田は身長が高い。195、6センチは
ある。だから教壇に立つとすごく高い。
40代特有のひげの剃り残しと、
腹は出てるのにげそっとした顔つき。
授業中のしっちゃかめっちゃかな話しぶり
は、高学歴を想起させるには不十分すぎる
特長群だ。
「結局、一人一人が目的とかの自覚もって授業
して、手ぇあげたり、話しかけてくれたり
しなきゃ俺だってつまんねぇじゃないの」。
歩はあまりこの先生に興味もないし現社も得意じゃないから
漠然と話を聞いていた。
チャイムが鳴ると萩田はそそくさと教室を出る。
ばしゃこ!!
だれかに教科書で軽く頭をたたかれた。
「あゆみ?!
現社退屈だった?そうだったよね。ねぇ?
だってあたし、歩が途中でうとうとっとして、風が来て、ちょっと髪いじって
校庭見回して、目ごしごしってしてたのみてたんだよ?
あたしもおんなじだったのに、ちゃんと頑張ってノートとって
話し聞いてたのに、よくないなぁ。歩としては0点ですな」
原雪子はこうやって時々歩に評論する。
この前の英語の授業中に歩が長文のスピーキングを
したときは
「あゆみ?すばらしい舌使いですね。
もう歩に教えることは何もありません。
雪子はもう歩にはいらない存在なんだね...」
といってすぐに彼女から離れた。
彼女は中等科の2年と3年の間イギリスに国費留学していた。
その間に宇宙ステーションに行って宇宙から歩たちを
見ていた。
歩と話すときは楽しそうだが、なぜか、他の人には
話しかけないし、話しかけられても無口で
「うん」「まぁ」と答えるだけだった。
はたから見ると普段の彼女は「暗い」。
何で自分が好かれているのかよく
わからないけど歩は彼女と仲良しになっていた。
はじめて会話したのは高等科に入学した日だった。
帰り道が途中まで一緒だった。
「友達、あんまりいないし興味もない。でも
歩ちゃんとは仲良くするね」と雪子は言った。
その時歩は変な感じがした。小さい頃からの記憶
を辿っても、小学校は別だったし
中等科に入学してからの1年間で彼女と喋った
記憶はない。その後の2年間は海外にいってたらしいから
当たり前だけど...。
「中等科一年のとき一緒にいたしね。」
といってはぐらかしていた。
毎日一緒に帰った。帰路の別れ際でわかれないで、
公園でおしゃべりをした。
彼女は歩のまえだけでは饒舌だった。
星が好きだといっていた。
歩も興味があったからよく聞いた。
「太陽くらいの質量の星はね、ある時期を越えると
すっごく不安定になって自分を維持できなくなって自分の
外層を宇宙に向かって放出しだすの。自分の質量の
ほとんどを失う星もあってね、残った星の中心核は
白色矮星になって昔自分が放出した自分の質量を燃やして光り輝かせるの。
こうやってできた惑星状星雲は、数万年かけて宇宙に散っていくんだよ。
あたし達がが悲しいときにたくさん言葉を喋って涙が
ぽろぽろでてきて、顔がくしゃくしゃになって、
何かを叫んだときに言葉と涙と気持ちが私達の周りを
飛び散って遠くに響くみたいに。
昔はね、「星」っていうのは永遠不滅の象徴だったの。
でも、こういうことがわかって、星の終わり
がわかるようになったんだよねぇ。なんだかむなしいよね。」
「うん」
「宇宙から地球を見るとね、夜なのにtokyo-cityとかアメリカを中心に
世界中の町が光ってるの。海は深い紺色してるのに、地上が光りすぎてる。
青ベースにクリアのビーズをちりばめたネイルみたいなんだよ?」
「でもきれいだったんでしょ?」
「きれいだけど不自然だよ。30年くらい前にとられた衛星写真見たらね、
そりゃ東京とかアメリカはやっぱり光ってるけど、当時の後進国は
ほとんど黒かった。そっちのほうがバランス取れてて綺麗だったな。
あたしが見たのは不自然すぎるの。今は科学的に遅れてる国なんてないからね。
ごちゃごちゃしてて、見てていやになる瞬間があったよ。」
「それでもあたしも一度でいいからこの目で地球を見てみたいな。」
3
歩は放課後は主に新聞部の活動をしている。毎週1回
各部活の活動状況や生徒会活動、学校行事や進路関連
資料、それと生徒達の学習状況や外部講師の紹介記事
等を載せる。11月27日(火)の今日も
活動していた。歩は主に部活動の記事を担当している。
その中でも、美術部と理科部を担当することが多かった。
部員が16名なので各自が縦割りに分担を持っているが、
状況に応じて担当が増えたり減ったりいきなり別の
仕事を手伝ったりもする。
今日は理科部がgunma-preの尾瀬の水質調査に出かけたこと
について編集していた。
鈴樹明日香も一緒に編集担当の日だった。
身長は164cmだがそれよりも
小柄な印象を与える。目の淵が切れ長だが眼球は大きくて
17歳とは思えない妖艶な瞳をしている。唇の口角がわずかに上向きで
笑うとえくぼがかすかにできる。比較的明るくて、女子からはうらやましがられ、
男子からはよくもてる。生徒会の副会長もしているし、バスケット部と新聞部
の両立もできていて、才色兼備。
鈴樹明日香の行動はあまり複雑じゃない。よくないと思ったら「よくない」
というし、いいと思ったら「いいと思う」という。
だがこれは無神経さや自分勝手とは質が違う。自分の意思を自覚する
力がしっかりしていて、それを他者に不愉快なくつたえられるということ。
だから皆からの信頼が厚い。周りをよく見渡して歩やその他の部員の
状況を見ながら困っているときには優しく声をかけてあげられるし、
よく進んでいるときにはその部署から離れて、人材が不足している
ところに手伝いにすぐに行く。
正確な判断力と大人びた落ち着き、誠実な発言と行動力。
まわりに「さすが」と思わせずにはおかないだけの魅力を
持っている。
しかし弱点だといえるものがひとつだけある。
潔癖症。異常に潔癖で神経質だ。決して人に押し付けたりはしないが、
周りが遠慮してあわせる。
愛用している鉛筆の芯は常にキャップに収まっていて、
常に先端が鋭い。
消しゴムのカスが机にたまると、きれいに集めてゴミ箱に捨てないと
気がすまない。
放課後前の掃除のときは誰よりもみっちり動き、机を戻すときは
100%正確に机がそろわないといらいらしだす。
制服のボタンをはずしたりするのが大嫌い。
字がとてもきれいで、中途半端な女の子文字を書かない。
正確な形の字を好む。
メイクは薄め。
新聞部で自分の使っているパソコンの
キーボードにホコリが少しでもつくと、スプレーで
きれいに吹き落とす。
周りが遠慮してるときには自分も遠慮して上手く周りにあわせているが、
こういう場面の行動では一切他者の価値観を排斥している。
決して押し付けないが、決して妥協しない。
黙々と自分の理想形に物質を整える。
それでもドン引きされないのは普段の魅力ゆえだろう。
歩に話しかける。
「調子どう?」
「理科部って何でもやってるんですねぇ」
「「理科」部だからね。学問的には大分広範な領域にわたってるよ」
「この前は、各地域の土の中の微生物がどうのこうの言
ってたかと思ったら、こんどは水中の放射能がどうとか硬度がどうとか。
いろいろですね」
「今度は尾瀬の大気の調査とかするらしいよ。
まぁ、ところでさぁ、なんで雪子ちゃんって歩ちゃんとだけなかよしなのかな。
よく、一緒に帰るところ見るけど...」
「私もよくわかんないんですよ。高等科一年のときに話しかけられて以来
よく話すようになって。結構おしゃべりなんですよ?」
「うそぉ。あたしが話しかけても「ええ」くらいしかいわないのになぁ」
「ですよねぇ」
「あの子何部?」
「理科部の天文系担当してますけど、実際幽霊部員っぽいらいしいですよ」
「いつも何話してるの?」
「その日のあたしのこととか、宇宙行ってたときのこととかですけど、
でも雪ちゃん自身のことはあまり喋らないんですよ」
「歩ちゃんと話してるときは楽しそう。」
ー私はその日の夜も雪子と一緒に帰った。
雪ちゃんは相変わらずおしゃべりだったー
「何でさぁ、雪ちゃんってあたし以外の人と話しないのかって、鈴樹明日香先輩に
きかれたよ?」
「前にも言ったじゃん。あんまり人に興味ないって」
「あたしとはしゃべるじゃん」
「歩は別にいいの。それともあたしと話すの、実は嫌?」
「ううん。そんなわけないよ」
「それにね、なんか人との距離のおきかたってなんだか難しいの。
苦手なんだよね。相手がどこまで本気で笑ってるのかとか、どこまで本気で
話し聞いてくれてるのかとか、ほんとはあたしのことなんてすぐに忘れてっちゃうんじゃないか
とか、別に忘れてもらってもかまわないんだけどね。ずっと思い返されてたら気持ち
悪いじゃない?でも、相手にとってのあたしの存在があたしが思ってるより
軽かったらショックだし、あたしが思ってるより重かったら
暑苦しい。それにね、なんか一部の人との関わりでしか本当の自分みたいなの
がわからなくなるの。あたし、この人に対してどこまで本気で話してるんだろうって。
相手がどこまで本気で話してくれてるのかもよくわからないから、別にいつも
本当のこと喋ってる必要なんてどこにもないけどね。
でも嫌なの。距離がちゃんと把握できない人と話してると、頭が重くなってざらざらするから。」
「へぇ~。よくわかんないけど分かる気もするよ...」
ー普段こういう話をする公園は、校舎の西側の門を出て10分くらいのところにある。
もう冬だから風がすごく冷たくて、しんみりした話をするときにはちょうどいい
暗さがある気がする。もう日は暮れてるし、かれた木の葉が時々あたし達の座っている
ベンチの足とあたし達の足の間でころころしていってどこかに旅立って
いく。この付近は住宅と学校が乱立してる。
どこも明るい建物ばかり。この公園は広い。囲んでいる柵の内側には枯れた木が
ずっとならんでいて、あたし達は公園の隅にあるベンチから
照明に浮き彫りにされる淡い空気と枯れた木と黒い空との間に小さい月のような
光があたりの建物から目に映されるのを感じながらはなしていた。
あの変な夢を見た後に目覚める時の孤独、私がいたかもしれない謎の世界に届かないと
自覚するときの寂寥感、学校生活の中で空白の時間が生まれたときの空白の瞬間をそっと
埋めてくれる彼女のような存在たちとの時間が私にとっての大切な青春の1ページー
4
「将来、何になりたいの?」と歩に聞いたのは
歩の担任、恩田里美。
西校舎の図書室でのできごと。
歩は言葉に詰まった。
教師になりたい、そう思っているが、
なんとなく言葉にならない。
なぜだろう。
ー何も決まってませんー
「じゃあ、とりあえず大学行きなさいよ。
4年間考えればいいと思うな。
学部の希望とかはない?
法学部・経済学部ならつぶしが利くけど...」
ーでも、法律も経済も興味ありません。
どうせなら、英語でもやりたいですー
「そっか...、まぁ。評定平均も4.7だし、このまま行けば
推薦でも大丈夫そうだしね。とりあえずそういうことで」
ーはい...ー
放課後、歩と雪子は話しながらいつものように下校する。
ー将来、何になりたい?ー
「う~ん。宇宙ステーション「ラサ(LASA)」で研究職にでもつこうかな」
ー宇宙に行ってそう思ったの?ー
「ううん。そう思ってたから宇宙に行ったの。
行くことで意思が強まったっていうのもあるけどね」
ーいいな。将来の夢があってー
「歩ちゃんだって、何か興味があることくらいあるでしょ」
ー英語の先生になろうかな。でも、そんなに強い気持ちじゃないんだよね。
未来のことなんて分からないよー
道路を走る電気自動車。小鳥達が曇った空のなかで放物線を
描きながら歩たちを見下ろしている。時折、カラスはその放物線と
交わるように新たな放物線を描き、象徴的な漆黒の体を歩に向けながら
電柱に止まり、彼女を見下ろす。
歩も目を一瞬合わせて、逃げるように目をそらす。
ーねぇ、神様の存在信じてる?ー
「神様? きっといるよ。私達は神様に選ばれて生まれてきたんだよ」
ー科学の研究者目指してるのに、意外とそういうの信じるんだ...ー
「信じないより希望があっていいじゃん。なんとなくポジティブになれるしね」
4
歩は家の近くの住宅街を走っていた。
無性に体を動かして、この世界にいるこの
違和感を払拭したかった。歩いていたり、走っていたりすると思考が
進むのが自分でもわかる。
途中、並木道に入る。
地面は葉っぱだらけ。
赤・茶・黄色のカラーを靴底でかみしめると勇気がわいてくる。
生きる実感は、彼女にとって靴底と地面の狭間から生まれてくる
衝動にあった。
6
土曜日に、鈴樹明日香に誘われてエクシルシオールカフェ
で会話したとき、歩は正直に自分の気持ちを打ち明けた。
将来なりたいものがあまりないこと、
なんとなく英語教諭になろうとしていること。
自分のあり方が分からないこと。
(まじめな子だな。)と鈴樹明日香は思った。
どんなアドヴァイスをすればよいのか分からなかったけど、
とりあえず自分の将来展望と気持ちを率直にいおうと
判断した。
「あたしは文学部に進学して、将来は新聞会社に
つこうと思ってるんだ...。小さい頃から本も文字も
好きだったし、文章を書くのも得意なほうだったから。
歩は文章もかけるし、学力もあるし、人に何か教えたりするのも
上手そうだから、少しでも教員になりたいと思っているみたいだし
教員目指してみれば?とりあえず
なってみて本当にあわなそうだったら転職
すればいい話だし、大学で4年間考えればいいんだから。」
明日香は真剣な表情だった。
歩は小さくうなずいてーですよねー。
話題は雑多な方向に及んだ
音楽家の坂本両のこと。彼がニヒリスティックな世界観を
持っていて、それが受け入れられている日本が
多少病んでいるのではないかということ、
プレジテントという雑誌に載っている、成功した
サラリーマンは20代で年収1000万円以上稼いでいること、
そんな暮らししてみたいね、ということ、
歩は、保育士にもちょっとなりたいと考えていること、
高等学校の総合的な学習の時間のこと、本当に自分が輝くためには
どうあるべきかという、ちょっと哲学的なこと、