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店番と魔女  作者: よっし
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第一話 「災厄の魔女は、釘を三本ください」

辺境の町ハーゲンには、三つの自慢がある。


 一つ、王都から馬車で七日かかること。


 二つ、名物と呼べるものが何一つないこと。


 三つ、どんなものでも揃う万屋よろずやが一軒あること。


 その万屋「クロイツ商店」の二代目店主が、俺――ユリウス・クロイツだ。


 享年六十八歳。酒と煙草と値切り交渉をこよなく愛した祖父が先月この世を去り、二十二歳の孫である俺に残したのは、築五十年の店舗兼住居と、「棚卸しは死んでもやれ」という遺言だけだった。


 正直に言おう。

 俺はこの店を継ぎたくなかった。


 王都の商業学校を出て、大手商会に就職するつもりだった。面接も受けた。手応えもあった。内定通知を待っていたら、届いたのは祖父の訃報だった。

 それが二ヶ月前の話だ。


 今では毎朝五時に起きて、木の看板を出し、帳簿をつけ、ほうきで店先を掃いている。人生とはままならないものである。


「――おはようございます、ユリウスさん」


 朝の掃除をしていると、向かいのパン屋のマルタばあさんが声をかけてきた。


「おはようございます。今日もいい天気ですね」


「あんたの爺さんも、毎朝そうやって掃いてたねえ。ほんとに生き写しだよ」


「似てるのは顔だけにしてほしいんですけどね」


「はっはっは。愛想がいいところもそっくりさ」


 マルタばあさんは焼きたてのパンを一つ置いていってくれた。辺境の町の朝は穏やかだ。客が来るのは昼前くらいからで、それまでは店番をしながら帳簿の整理をするのが日課になっている。


 この町の住人はだいたい三百人ほど。顔見知りばかりで、誰が何を買いに来るかも大体わかる。鍛冶屋のガルドは毎週火曜に革紐を買いに来るし、宿屋のリーゼは月末になると洗剤をまとめ買いする。教会のシスター・エマは毎日のように来るが、買うのはいつもインク一瓶だけだ。あの人は何をそんなに書いているのだろう。


 つまり、この町に「驚き」というものは存在しない。


 そう思っていた。

 その日の昼下がりのことだった。


 店の扉が開いた。

 入ってきたのは、見たことのない女だった。


 フードの深いローブを纏っている。旅人だろうか。この町は街道沿いにあるから、たまに旅人が立ち寄ることはある。だが、その女には旅人特有の疲労感がなかった。靴も汚れていない。


 何より――目を引いたのは、その髪の色だった。

 フードの隙間から覗く髪は、深い紫。この地方では見ない色だ。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか」


 俺が声をかけると、女はフードの奥からこちらを見た。

 整った顔立ちだった。年は俺と同じか、少し上くらいか。切れ長の目は深い藍色で、どこか人を寄せつけない雰囲気がある。


 女は店内をぐるりと見回してから、まっすぐカウンターに歩み寄り、こう言った。


「釘を三本ください」


「……釘、ですか」


「はい。釘です。三本」


 釘。三本。


 別におかしな注文ではない。万屋には釘も売っている。ただ、この手のローブを着た人間が最初に買うものとしては、些か意外だった。


「どんな種類のものをお探しですか。建築用、装飾用、あと靴底用の小さいのもありますが」


「一番丈夫なものを」


「では鍛造の五寸釘ですね。一本八ペニヒになります」


「三本で二十四ペニヒですね」


 計算が速い。

 俺は棚から釘を三本取り出し、カウンターに並べた。女は一本一本を手に取り、目の高さまで持ち上げて眺め、指先で弾いて音を確かめ、最後に匂いまで嗅いだ。


 釘の匂いを嗅ぐ客は初めてだった。


「……これで結構です」


 女はきっちり二十四ペニヒを置き、釘を受け取ると、そのまま店を出ていった。


 嵐のような――いや、むしろ凪のような、不思議な客だった。

 それだけなら、ただの変わった旅人として記憶の隅に追いやられていただろう。


 問題は、翌日も彼女が来たことだ。


「釘を三本ください」


 同じ時間に。同じ格好で。同じ注文。


「……昨日と同じ五寸釘でよろしいですか」


「はい」


 釘を三本買い、きっちり二十四ペニヒを置いて帰っていく。

 三日目も来た。四日目も来た。


 五日目、さすがに俺は訊いた。


「あの……毎日釘を三本ずつお買い上げいただいてますが、何にお使いなんですか?」


 女は一瞬だけ目を丸くした。それから、少し考え込むように視線を逸らし、やがてこう答えた。


「……家を、建てているので」


「お一人で?」


「はい」


「釘三本ずつで?」


「…………はい」


 沈黙。

 一日三本。五日で十五本。このペースだと、犬小屋すら建たない。


「あの、まとめ買いされた方がお得ですよ。百本単位だと一本あたり六ペニヒに――」


「三本でいいです」


 きっぱりと言い切られた。

 何か事情があるのだろう。深く訊くのは商人の流儀に反する。祖父の教えだ。「客の財布と事情には踏み込むな。ただし顔は覚えろ」。


 六日目の朝、マルタばあさんがパンを届けに来たついでに、声を潜めて言った。


「ユリウスさん、あんたの店に来てる紫の髪の人、知ってるかい?」


「いえ、旅の方かと」


「あの人ね、町外れの廃屋に住み着いたらしいよ。――で、あたしらの間ではちょっと噂になってるんだけどさ」


 マルタばあさんは声をさらに落とした。


「あの人、『災厄の魔女』じゃないかって」


 災厄の魔女。

 その名前は、俺でも知っていた。


 十年前、大陸の東方を恐怖に陥れた大魔女。触れたものを腐らせ、見つめたものを灰に変え、その足跡には百年草も花も生えないと言われた存在。

 三年前、勇者パーティーによって討伐されたはずだが――遺体は見つからなかったと聞く。


「まさか」


「あたしもまさかとは思うけどね。でも紫の髪ってのは、災厄の魔女の特徴だろう? 気をつけなよ」


 マルタばあさんは自分のパン屋に戻っていった。


 昼下がり。

 いつもの時間に、いつもの通り、扉が開いた。


「釘を三本ください」


 目の前にいる女を改めて見る。

 紫の髪。藍色の目。人を寄せつけない雰囲気。


 災厄の魔女――本当に?

 この、釘の匂いを嗅ぐ女が?


「……どうかしましたか」


 じっと見つめすぎたらしい。女が怪訝そうにこちらを見ている。


「いえ、なんでもありません。いつもの五寸釘ですね」


 俺は釘を三本、カウンターに並べた。

 女はいつも通り、一本一本確かめて、二十四ペニヒを置いた。


 ただ、今日は一つだけ違うことがあった。

 店を出ようとした女が、扉の前で立ち止まったのだ。


 振り返る。

 フードの奥の藍色の目が、俺をまっすぐに見た。


「……あなたは」


「はい?」


「あなたは、私が怖くないのですか」


 唐突な質問だった。

 怖いか、と訊かれれば――正直に言えば、少しだけ緊張はしている。もし噂が本当なら、目の前にいるのは大陸有数の災厄の存在だ。


 だが。


「お客さんは、お客さんですから」


 気がつくと、口が勝手に動いていた。


「うちは万屋です。釘でもロウソクでも、お求めのものがあればお売りします。それがどなたであっても」


 祖父ならきっとそう言っただろう。

 いや、祖父ならもっと図太く「金を払うなら誰でも客だ」くらい言ったかもしれないが。


 女は――ほんの一瞬、目を見開いた。

 それから、かすかに。

 ほんの少しだけ、口元が緩んだ。気のせいかもしれないほど微かに。


「……そうですか」


 それだけ言って、彼女は店を出ていった。


 扉が閉まり、秋の風が吹き込む。

 カウンターの上には、二十四ペニヒ。

 それと――いつの間に置かれたのか、小さな紫色の花が一輪。


 見たことのない花だった。

 辺境の万屋の日常に、小さな「驚き」が紛れ込んだ。


 これが、俺と「災厄の魔女」の、どうにもおかしな日々の始まりだった。


第一話 了

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