第6話「そういうところ、ずるいです」
「……しまった」
昼休み明けの社内会議室。
あかりは、手にしていた資料を見て冷や汗をかいた。
顧客提出用の最新データが、差し替え前の古い数字のままだ。
(どうして……ちゃんとチェックしたつもりだったのに)
提出は今日の午後三時。あと一時間。
(自分でなんとかしなきゃ)
周囲には他チームのメンバーもいて、焦ってる顔を見せたくなかった。
でも、Excelの計算式をひとつずつ確認していく時間なんて、到底足りない。
「椎名さん、これ──これですか?」
不意に差し出されたタブレット。
そこには、差し替えたはずの新しいデータ。
「え……」
「念のため、昨日の夜のうちにバックアップとっておいたんです。万が一って思って」
(どうしてそんなこと……)
「ちょっと強引だけど、こっちで上書きしちゃっていいですか?」
「……お願いします」
ほっとしたのと、情けないのと、なんとも言えない気持ちだった。
自分で何とかしたかった。
自分がしっかりしていると、思いたかった。
でも。
「……ありがとうございます」
「こういうの、誰にでもありますから」
そっと言われたその一言が、救いのように心に沁みた。
昔の芦澤さんなら、こんなこと、絶対に気づいても言ってくれなかったと思う。
でも今は──
「ほんと、ずるいですよね。そういうところ」
「え?」
「いいとこ見せるタイミングが絶妙すぎて」
冗談っぽく笑ったけど、ほんの少しだけ、本気だった。
「気をつけます」
芦澤さんが笑って返す。
その笑顔を、まっすぐには見られなかった。
(なんだろうな、これ……)
気づかないふりが、だんだん難しくなってきた。