表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/80

第5話「嫌いじゃない、と言い切れる夜」

店を出たときには、空はすっかり紺色に染まっていた。

オフィス街の照明がやけに眩しくて、グラス一杯で火照った顔を、そっと冷ます。


「この辺、夜は静かですね」


私の言葉に、芦澤さんが「そうですね」と返す。


その距離は、妙に近すぎず、遠すぎず。


並んで歩くたびに、私は少しだけ気を張る。

昔のことを思い出さないように。

でも──思い出してしまうのだ。


「……椎名さん、覚えてます? 俺が初めてプレゼンしたとき、めちゃくちゃ噛んで」


「え……ああ、はい。あれ、確か大手クライアントの前で……」


「笑ってくれて、ありがとうございました」


「え?」


「俺、本当に緊張しぃで。新人のとき、誰と目を合わせてもまともに喋れなかった。自分でも、感じ悪いってわかってたんですよ」


(……やっぱり、そうだったんだ)


「でも、あのとき、椎名さんがちょっと笑ってくれて。あれで少し、救われたんです」


それ、ぜんぜん気づいてなかった。

むしろ「そんなつもりじゃ……」と答えそうになるけど、やめた。


少し黙って、それから小さく息を吸った。


「……たぶん、変わったのは芦澤さんだけじゃないです。私も、ちょっとは成長したってことで」


「うん、そうですね」


その言葉に、ふっと笑ってくれるのが、少しだけくすぐったい。


改札が近づいてくる。

このまま別れれば、いつもどおりの夜になる。

でも、なぜか今日は、もう少しだけこの人の話を聞いていたいと思った。


「椎名さん、また……仕事、一緒に頑張りましょう」


「……はい、こちらこそ」


手を振ることもなく、ただそれだけで別れた帰り道。


スマホの通知がひとつ鳴る。


見ると、社内チャットに芦澤さんから。

「今日、ありがとうございました。無理しないでくださいね」


ただそれだけの言葉なのに、

スマホを持つ手が少しだけ熱くなる。


──この人のこと、私はもう「嫌い」って言えない。


それだけは、はっきりしていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ