【短編】仕事一筋の魔女ですが、育てた竜に言い寄られて困ってます。
今作は某賞に応募して落選した作品です。勿体ない精神で掲載です。
魔女のカルディアの家に『ソレ』がやってきたのは嵐の夜のことだった。
轟々と風が吹きすさぶ外。その音に紛れて低いうなり声がカルディアを呼んだ。就寝の準備をしていたカルディアは一瞬無視をしてしまおうかとも思ったが、懇願するように呼ばれてしまえば出ないわけにはいかなかった。
カルディアは扉を開ける。そこには大きな大きな黒竜がいた。昔からの馴染みであるその黒竜にカルディアは文句を言おうと口を開いたところで黒竜が負傷していることに気が付いた。
頭から生えた二本の角は欠け、背中の翼は引き裂かれたようにぽっかりと穴が空いていた。周囲には竜の血の匂いと荒い呼吸音が満ちている。目の前の竜が死の淵にいるのは誰の目から見ても明らかだった。
《爆炎の魔女、頼みたいことがある……》
黒竜は器用にも人語を発した。発声器官が人と違うせいでいささか不明瞭な声ではあるが理解するのには十分だ。
《……この子を守り育てて欲しい》
黒竜はどこから取り出したのか、小さな前足で人の頭よりも大きな黒い卵をカルディアの前に出した。
カルディアはその卵を一瞥し、受け取らずにそのまま質問を投げかけた。
「……何があったの?」
《里が勇者に襲われた……そして里は壊滅した……》
悔しそうに黒竜は呻いた。
黒竜。その竜は気性が荒く人に害をなすと言われていた。ただ、現長である目の前の黒竜は人との共存を模索していた温厚な竜であった。だから勇者が里を襲ったと聞いて、カルディアは信じられない気持ちだった。詳しく話を聞きたいところだったが黒竜にはその時間が残されていないように見えた。
カルディアは黒い卵を受け取った。
《その卵は里で千年ぶりに産まれた唯一の卵だ……生まれてくる子に未来を託したい……》
「この子に仇討ちでも願うつもり?」
《まさか……平和な世界を楽しんでもらいたいと思うただの親心だ……》
「そう。――見返りは? タダ働きは基本受け付けてないんだけど」
《滅びつつある我が肉体を見返りに》
竜の体は頭のてっぺんから尻尾の先まで価値がある。対価としては十分すぎるだろう。
「馴染みの体を切り刻むなんて億劫ね」
《すまぬが我にはもうこれしか残って無いのだ……》
黒竜の弱り切った声。
その姿にカルディアは息を一つ吐いた。
「……アンタにはこれまで色々と世話になったし、特別に引き受けてあげる」
《……恩に着る……あとを頼んだ……》
黒竜はそう言ったかと思うと体を伏せて、目を閉じそのまま息を引き取った。
「たくっ、死ぬなら扉の前から退いてから死んでよね……」
カルディアはぽつりと呟く。
嵐の中でカルディアは黒竜の死骸を処理した。
黒竜が残していった黒い卵は一週間後に孵化した。ぬいぐるみのような丸々とした小さなオスの竜。その愛らしい姿にカルディアも堪らず頬が緩んだ。
竜の育て方はすでに調べていた。黒竜の幼獣は消化器官がまだ完成していないので最初の一ヶ月くらいは魔力で育てる。書物によればこの時期に浴びた魔力量で竜の強さはほぼ決まるという。
そのためカルディアは最初の一ヶ月は魔界で過ごした方がいいだろうと考え一時的に住処を魔界へと移した。
人間界と違い魔界は常に魔力で満ちているので竜を強くするのにはうってつけであろう。
そうして幼獣は寝ても覚めても常に魔力を浴びている状態となったので異例な育ち方をした。というのも生まれて間もないというのに魔法を使えるようになったのである。口から炎や吹雪を吐き出し、前足からは小さな竜巻を作り出した。その内今度は人の形を取るようになった。カルディアの形を真似たのだろう。五歳ぐらいの姿形でいた。だが、まだ人化の術が不完全で蜥蜴人間という不気味な風体だった。それでも生後数週間で人化の術を得るとはカルディアも思いもしなかった。
人の姿を取れたことによって幼獣はカルディアと意思の疎通を取り始めた。世話をしてくれるカルディアを慕い、「遊んで遊んで」とせがんだ。
カルディアはやや面倒に思いつつも、親を亡くしている目の前の幼獣を哀れんでせがまれるままに遊んでやった。
そうして一ヶ月が経った頃、幼獣は「お腹がきゅるきゅる言う……」と訴えた。はじめての空腹である。
それならもう魔界には用はないと、カルディアは人間界にある自宅へと戻った。
自宅へと戻ると今度は幼獣に肉を与えた。幼獣ははじめて見るそれを最初食べるのを渋っていたが、一口食べるとその味の虜になったようで夢中になって食べるようになった。
それから幼獣の世話はカルディアの使い魔である虎と鰐も行うようになった。このとき、虎と鰐から幼獣に名前が無いのは不便だと苦情が入り、幼獣の名前を『エージス』とカルディアは名付けた。
幼獣改めエージスはすくすくと成長していった。
鰐の使い魔から魔法の使い方やこの世の理について教えてもらい、虎の使い魔からは日が暮れるまで遊んでもらえた。
その間、カルディアは仕事をしていた。カルディアが竜にしてやることと言えば朝晩の食事と入浴の世話である。本来魔獣である竜は風呂など必要がないのだが、カルディアとしては家の中が汚くなるのは嫌だったので使い魔たちにも風呂には入るようにと言い含めていたのだ。
そうして月日は流れ、十五年の時が経った。
五千年は生きると言われている黒竜のエージスにとって十五年はまだまだ幼獣の類いではあるものの、それでも人間であれば仕事をしてもおかしくない年齢で、この頃には人間の街へ出入りするようになっていた。
人間の中に混じり、人間社会を学ぶ。
それはかつてカルディアの昔馴染みの黒竜が望んでいた姿だった。
カルディアは約束がもうそろそろで果たせそうだと実感した。そう思ったある日のこと。
眠りに着く前のエージスを引き留め、彼をテーブルに着かせた。
「エージス、十六歳になる前にここを出て行きなさい」
「えっ!? どうして??」
「お前がもう十分立派に育ったからよ」
「えっ、えっ!? 俺、ここにいちゃいけないのか??」
「ここにいちゃいけないってわけじゃないわ。だけど、お前はここにいるべきじゃないのよ」
「どういうことなんだ?」
「……今まで話してこなかったけれど、お前を育てたのはお前の親から頼まれたからなの」
カルディアはそうしてエージスにこれまでの経緯を話して聞かせた。
そうすればすっかりエージスは驚いた様子だった。
「えっ! カルディアって俺のお母さんじゃないのっ??」
「驚くのはそこ!? てか、どう見ても私は人でしょうが!!」
「いや、その、なんか魔法とか使って俺のこと産んだのかなって……でもそっか……カルディアって俺のお母さんじゃないんだ……」
「そうよ。申し訳ないけどね」
「申し訳なくなんてないって! 血も繋がってないのに俺をここまで育ててくれて感謝しかないよ! ありがとう!! ――それにこれは俺にとってラッキーな話だし……」
「ラッキー?」
「あ、えっと、こっちの話! でも分かった! じゃあ、俺、十六歳の誕生日の前日にはここを出て行くよ!」
エージスは笑顔でそう言った。
これにカルディアは正直拍子抜けした。エージスは家族思いの心優しい竜だ。きっと泣いてだだをこねて家を出て行くのを嫌がると思っていたのに。
(……親じゃないのが分かって私に関心がなくなったかな?)
カルディアはそう結論付ける。
寂しいが、子離れできない親なんてみっともない振る舞いはしたくはない。カルディアは自身の寂しさを無視しながらエージスの巣立ちの日までを大切にした。
エージスは宣言通り十六になる前日に家を出た。
彼はひとまず自分の故郷でもある竜の里を目指すことにした。今は何も無いだろうが、それでも彼は自分の原点ともなる場所を確認したいのだと言った。
カルディアはそれを支持し、くれぐれも体に気をつけるようにと言って送り出した。
そうすればカルディアの家には過去あった静寂が舞い戻ってきた。虎の使い魔と鰐の使い魔との暮らし。カルディアはエージスの笑い声がない生活をしばらくは物寂しく思っていたが、やがてその寂しさにも慣れて過去の日常へと戻っていった。
悪魔と契約しているカルディアに寿命というものはない。
日々、淡々と仕事をこなしながら過ごしていった。エージスのことを思い出す回数は減った。しかし穏やかな春の午後のような思い出はカルディアにとって宝物のようなものだった。
そうしてエージスと別れ、五十年が経った。
その日は嵐の夜だった。
カルディアは一般的に言っても早寝であるからさっさと寝てしまおうとベッドに潜り込もうとしていた。
そのときに扉がノックされた。
こんな夜に一体誰が。
カルディアは無視してしまおうとそのままノックを放置していた。だが、何度も何度も何度も何度もノックが続くので、根負けしてカルディアはベッドに半分まで入れていた体を仕方なしに出した。
(くだらない用だったら火炎弾をお見舞いしてやる)
睡眠を邪魔された苛立ちからそんなことを思いながらカルディアは扉を開いた。
するとそこにいたのは一人の青年だった。
二十二、三といったところだろうか。赤い髪に赤い瞳。整った顔立ちをしていて薄ら微笑みを浮かべたその顔は愛嬌がある。高い背に程よく鍛えられた体。どこか見覚えがあるのだがカルディアにはその青年とどこで会ったかはっきりと思い出せないでいた。
「……どちら様で?」
千年近く生きているカルディアである。知り合いの可能性は十分にあった。だが思い出せない以上、そう聞くしか無い。
そうすれば青年はニカッと笑って答えた。
「久しぶり、カルディア! エージスだ!」
その名前を聞いてカルディアは驚いた。
五十年ぶりに再会したエージスは見間違えるような立派な姿になっていた。
カルディアはエージスを部屋の中に招いた。
嵐の中をやってきたというのにエージスは少しも濡れていなかった。恐らく魔力を纏って来たのだろう。高濃度の魔力は物質を弾くことが出来るのだ。
「赤い髪だったから最初分からなかったわ」
ミルクを温めながらカルディアはエージスに話しかける。
「赤い髪カッコいいだろ?」
「さあ? 私からすれば黒い髪が見慣れてるから変な感じよ」
「えー? みんなからは好評なんだけどなー」
エージスは素っ気ないカルディアの言葉にがっかりした様子だ。
黒竜であるエージスは人化するときいつも黒髪だった。魔力が豊富だからいくらでも変えられるとは言うものの、一番楽なのは自分が持つ色である。だからカルディアの元にいるときはもっぱら黒髪でいた。
「そうだな、なかなかの男前になったんじゃないか?」
会話に割り込んできたのは使い魔の虎、オクルスだ。
「オクルス! 元気そうで良かったぜ!」
「おう! お前も元気そうで良かったぞ!」
「そうね。エージスちゃん、大きくなったわね」
さらに口を挟んだのは同じく使い魔の鰐、コグニティオだ。コグニティオはニコニコと笑った。
「コー先生! 会いたかった~!!」
「私も会いたかったわ、エージスちゃん」
エージスはコグニティオに抱きついた。コグニティオはそれに嬉しそうにしていた。
エージスは幼少期コグニティオの名前をきちんと発音が出来ず、その結果、『コー』という呼び名に定着した。更にその後、魔法の使い方を教えてもらう段階で敬称が『先生』になったのだ。それからは師弟のような関係である。
微笑ましいその姿をカルディアは笑い、出来上がったホットミルクに少々の香辛料と蜂蜜をたっぷり入れてエージスに差し出した。
「はい、どうぞ」
「うわー! カルディアのホットミルクだ! ずっと飲みたかったんだよなー!!」
「大袈裟ね。こんなの誰でも作れるでしょ」
「そんなことねーって! ここを出てからいろんなところでホットミルクを飲んだけど、どのホットミルクもカルディアのホットミルクを越えられなかったんだから」
大喜びするエージスはすっかり大人の姿になったというのに、一緒に暮らしていた頃の子供のエージスのように見えた。
懐かしさが一気にこみ上げる。珍しくカルディアは感傷的な気分になった。
「……変わんないわね」
「ぐっ……これでも成長したと思ってんだけどなぁ」
エージスはホットミルクを飲みつつそう零す。
「魔力量も前より多くなったし、魔法も前より上手く使えるようになったし、一人で生活できるようになったし……」
「私が言っているのはそういうことじゃないの。中身よ、中身。ホットミルクが好きだなんて、まだまだ子供の証拠じゃない」
「別にホットミルクが好きだっていいだろ!」
「ふふ……」
久しくこんな会話はしてこなかった。
カルディアは軽快な会話が楽しくてついついエージスをからかうようなことを言ってしまう。
「それで、どうしたのよ。こんな夜に」
「あ、そうそう、ちょっと報告をね」
「報告?」
「ああ。実は俺、竜の里を復興して、そこの長になったんだ」
「本当に?」
「本当だよ」
「……信じられない……まだ五十歳程度の若い竜が長だなんて……しかも、里を復興したなんて……」
「そりゃあ信じられないかもしんないけどさー、俺色々と頑張ったんだぜ? 故郷の里に戻った後、どこにいるかも分かんないはぐれ黒竜を見つけては一緒に里を復興しないかって話持ちかけてさ。ある時なんて縄張り争いに加勢してくれって頼まれて青竜の里と戦ったりもしたんだぜ? それでまだ少ないけど里に住んでくれるようになってさ」
「へー。で、里の長に?」
「別に長になりたくて里を復興したわけじゃねーけど、みんなから『言い出しっぺなんだからお前がトップをやれ』って言われてさ。それで仕方なく俺がトップに収まったってわけ」
「そんな器じゃねーのにな」と、エージスは苦笑気味だ。
しかし、実際に復興したのだからエージスに実力があるのは確かだ。それにエージスは周りを引き付けるカリスマ的な不思議な魅力がある。他の黒竜たちがエージスに期待を寄せる気持ちはよく分かった。
とはいえ驚きが収まることはない。
カルディアはマジマジとエージスを見つめ、彼がそんなにも凄い竜に育ったかと感心した。
「あんなに小さかったのにねぇ……立派になったわねぇ」
「へへ……これもカルディアに育ててもらったおかげだよ!」
エージスは嬉しそうにしていた。
それからエージスは真面目な顔付きになる。
「で、ここからが本題なんだけど……」
「ええ」
「カルディアは、その……俺のことどう思ってる?」
「は?」
「あっ! そのっ、本題! 本題なんだけどっ、本題を話す前に聞いておきたくて……」
「……よく分からないけど、どう思ってるかって、エージスだと思ってるわよ」
「そうじゃなくて! あ~、クソッ!!」
エージスは頭を掻き毟る。かと思うと、カルディアの手を取った。そして、
「俺、カルディアのこと好きなんだ! ずっと俺のためだけにホットミルクを作ってください!! お願いします!!」
顔を真っ赤にしてエージスは言った。
「……はっ?」
カルディアはこれに呆気に取られる。目の前のエージスが何を言っているのか一瞬理解ができなかった。理解したときには、エージスはもう手を離して立ち上がるところだった。
「今夜はもう遅いから、これで、俺、帰るな!! えっと、また、来る、から……そのときに、返事をくれ! ……くださいっ! じゃっ、おやすみなさい!!」
エージスはそうしてあっという間に家を出て行った。嵐の中、竜の形態に戻るとバッと空へと飛び立つ。扉は風に煽られ、バタンと閉じた。
コグニティオとオクルスはそっとカルディアを覗き見る。
カルディアは遅れて顔を真っ赤に染め上げその場で固まっていた。
――我が子のように可愛がっていた竜から愛の告白をされた。
その事実にカルディアは耐えきれず、逃げるようにして友人の魔女宅へと向かった。
つまり雲隠れである。
しかし、この雲隠れは一週間で終わった。
カルディアとしてはもっと友人宅で過ごしていたかったが、「彼氏を家に呼べないからそろそろ帰って」と言われてしまえば仕方がない。
カルディアは荷物をまとめ外に立てかけてあった箒に跨ると大空へと飛び立った。
(もうもうもー! こんなに悩まなくちゃいけないのも、ぜんぶぜんぶ、エージスのせいよ!!)
カルディアは空を飛びながら胸の内で叫んだ。
魔女カルディア。
千年という長い時を魔女として過ごしてきた彼女は恋というものをこれまでただの一度もしてこなかったのである。
だから今回エージスに求愛されて非常に困った。
千年生きてきたのにどうしていいのか分からない。それがまた自分でも恥ずかしく思う。
そもそも相手が人ならまだしも竜なのだ。
体長三十メートルはありそうな竜からの求愛は恋愛初心者のカルディアには荷が重すぎた。
(そうよ……そもそも種族が違うんだから付き合うなんてムリに決まってるじゃない! そこを教えてあげればいいのね!)
賢いエージスなら丁寧に教えてやれば告白すること自体が間違いだったと理解してもらえるはずだ。カルディアは解決法を思いつき一気に心が軽くなる。
そうして南の森にある自宅へと一週間ぶりに戻ったカルディアは到着した途端驚いた。
見渡す限りの、花、花、花。
出掛ける前まではなかった色とりどりの花々が何故か自宅の周りに置いてあった。なんだったら屋根の上にまで花が置かれている。
これは一体何事かと、カルディアが呆然としていると「カルディアさまー!」と使い魔のコグニティオが自宅の中から出てきた。
「お帰りなさい、カルディアさま!」
「ただいま、コグニティオ。これ、どうしたの?」
「エージスちゃんが毎日やって来て、その度に花を置いていっちゃったの……」
「えっ!?」
「実は家の中も花だらけで……」
コグニティオは困ったという表情でそう言った。
その話を聞いてカルディアは顔を引きつらせ急いで家の中を確認した。
そうすれば一階部分は見事に花で埋まっていた。これは比喩ではない。事実、『花で埋まっていた』のだ。隙間と言えばコグニティオが休むくらいのスペースしか残っていない。大量にある花の強烈な香りにむせそうになるほどだった。それでカルディアは家の中にいられないと急いで外へと逃げた。
「なんなのよ、これ!!」
「プレゼントらしいぜ」
主人が戻ってきたのを知った使い魔のオクルスがやってきてカルディアの疑問に答えた。
オクルスはもともと渋い顔付きをさらに渋くさせ、溜息を吐いた。
「カルディア様。やべーぜ、エージスのヤツ。アイツは加減ってものを知らねー。噂じゃ二つ向こうの山の花畑を刈り尽くしちまったって話だ。このままじゃカルディア様を監禁するようなこともしそうだぜ」
「はっ!? 何ソレ??」
「いやな、ちょっとエージスと話をしたんだよ。そうしたら、エージスのヤツ、絶対カルディア様のことを手に入れるんだって言ってて……目がマジだった。今、アイツに見つかったら、まず間違いなく、カルディア様は攫われて竜の里に監禁させられちまうぜ」
オクルスはそう忠告する。
これにカルディアはぞっとするも、しかし、幼い頃の可愛らしいエージスの記憶があるカルディアとしては信じられずにいた。
「そんな……話せば分かるでしょ……?」
「話して分かるんだったらこんな花だらけにならねェだろ」
オクルスは呆れたように言う。
「ともかく、カルディア様は十年とか二十年とか、エージスが諦めるまでどこかに隠れた方がいい。というか、ここじゃないどこかに住んだ方がいい」
「そうね、私もそれに賛成だわ」
「そこまで?! 大袈裟じゃない??」
コグニティオまでオクルスの言葉に賛成するのでカルディアは慄く。真剣な二頭の様子に耳を傾ける気にはなったものの引っ越すなどとそんなすぐに出来るものではない。
(一体どうすれば……)と、カルディアは頭を悩ませた。
「――カルディア!!」
「え! エージス!?」
突然の呼び声。カルディアが振り返ればそこには人型のエージスがいた。
どこから現れたのかエージスは太陽のような笑顔を浮かべながらカルディアに駆け寄ってきた。かと思うと、ぎゅっとカルディアの体を抱きしめる。
「あー、カルディア、カルディア! 会えて良かった!!」
「っ!?」
抱きしめられるという経験が乏しいカルディアはこれだけでドキマギしてしまう。視線は泳ぎ、手の置き場所が分からずダラリと体の横に垂らすしかできない。
「カルディア、どこへ行ってたんだ? 会えなくて俺、すごく寂しかった」
カルディアの耳元でエージスが甘えたような声を出す。それがこそばゆくてカルディアの体はカッと熱くなった。
(うっ、うわっ! なんなの、この状況!?)
カルディアはパニック寸前でいて、エージスに対して(恥ずかしいからもうやめてッ!)と叫びたくなった。
だが叫べない。声が出てこない。混乱状態の身体はちっともカルディアのいうことを聞いてはくれなかった。エージスの腕の中にすっぽりと収まりながらカルディアは固まってしまう。
「愛してるんだ、カルディア……俺のお嫁さんになって」
何かを言わなければ――そう思っていた矢先にエージスが耳元で囁いてくる。低い声はどこか色気がある。こんな声を彼が出せるなんて知らないカルディアはさらに体を硬直させた。
真っ赤な顔でカルディアはエージスを見つめる。そうすればエージスは笑って、さらに抱きしめる腕を強めた。
「花が、多過ぎよ……」
「そうなのか? 女の人は花が好きだって聞いたからいっぱい用意したんだけど、嬉しくなかったか?」
「限度ってものがあるでしょ……」
絞りだしたような声で絞り出した言葉は告白とは関係ない話題だった。
「……こんなに花があっても邪魔なだけよ……花なんてせいぜい花瓶に入る数本で十分よ……」
「そっか。じゃあ次からは気を付けるな!」
エージスはカルディアの苦言を気にもしていない様子だった。あまつさえ次を予告している。
カルディアは少しの会話でだいぶ落ち着きを取り戻すことができた。
「エージス……あなたの気持ちは嬉しいけど、だけど、私はあなたのお嫁さんになれないわ。だって、私は魔女で、あなたは竜なんだから。あなたのお嫁さんにはメスの竜が相応しいわ」
カルディアはようやく自分の答えを伝えた。
これで抱擁から解放されるだろう。そう思っていたのだが、カルディアの考えは甘かった。
「カルディアが魔女で俺が竜で、何か問題でもあるの?」
エージスは淡々と言ってのけた。
だが、その抑揚のない声からは怒りが滲んでいる。顔付きだって、穏やかなものから険しいものへと変化し、釣り上げた目でカルディアを見下ろした。
「俺は卵から孵った直後から今の今までずっとカルディアのことだけが好きだった。カルディアとずっと一緒にいたい。他の竜なんて関係ない。カルディアが他のメスの竜を気にするなら、里にいる竜を全部殺して、里を壊滅させてもいい」
「はっ、はぁぁぁぁぁ?? ちょっと、待ちなさいよ、エージス!!」
突然物騒なことを言い出すエージス。それにカルディアは慌てる。
「折角里を復興したのになんでそんなことを言い出すのよ!」
「別に俺は里なんてどうでもよかった! だけど、カルディアが俺のことを子供扱いするから、大人扱いしてくれるには里を復活させるしかないって思ったんだ!」
「子供扱いって、だって私からすれば五十年ちょっと生きたあなたなんてまだまだ子供だし……」
「ほら!! 俺はもう大人だ! あの頃のカルディアに守ってもらうばかりの子竜じゃない! 自分の力でなんでもできる! ――なんだったら、今はカルディアより俺の方が強い……!」
エージスはそう言ったかと思うと、体内に収めていた魔力を膨れ上がらせた。瞬間、巨大な黒竜がカルディアの目の前に現れる。
立派な太い角が二本、頭から生えている。
背中にある巨大な翼が天を隠すように広がった。
体を覆う傷一つない鱗が陽光を照り返す。
魔力が多い証拠である赤い瞳はカルディアを射貫いた。
圧倒的な魔力差。それを全身で感じたカルディアは圧倒されて動けずにいた。
――その後、カルディアは激高したエージスの魔法で眠らされ竜の里にある城へと連れ去られてしまった。使い魔オクルスの言っていたとおりとなってしまったわけだ。それからカルディアはエージスから求愛され続け、困り果てて最終的にはその求愛を受けることになったのだった。
終
お読みいただきありがとうございました。
感想いただければ嬉しいです。