モナ・リザは語る
ここはフランスのとある町の一角にある古びた小屋。ほこりと蜘蛛の巣にまみれた室内は、数秒その部屋にいるだけでも具合が悪くなりそうだ。
しかし、俺様はこの小屋にもう一時間も滞在している。そして、俺様の心はまるで一流ホテルのスウィートルームにいるかのように晴れやかであった。
なぜかというと、それは壁に掛けられた一枚の絵を眺めていたからだ。その絵に描かれた女性は神秘的な微笑を浮かべており、繊細な色使いと完成された構図は何時間見ていても全く飽きることはない。こんな古びた小屋には似つかわしくないほどだ。
それもそのはず。この絵は本来、こんな古びた小屋にあるものではない。この絵は俺様、つまり大怪盗パトリック・ルパン様がルーヴル美術館から盗み出したレオナルド・ダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』なのだ。
外ではやかましくパトカーのサイレンが鳴り響いてる。きっとこの俺様を捜しているのだろう。滑稽な事だ。まさか、モナ・リザがこんな場所にあるとは誰も思うまい。この隠れ家は警察に一度も見つかったことのない秘密の隠れ家なのだ。
「はぁ……、なんと美しいのだろう」
俺様は思わず独り言を口にすると、突然変な声が聞こえてきた。
「あのー、ちょっとよろしいでしょうか?」
何だ、今の声は。まさか警察に居場所がバレたのか? いや、そんなはずはない。ここは俺様のとっておきの隠れ家だ。ここがバレるはずがない。
「誰だ! 誰が俺様に話しかけている! 俺様をおちょくっているのか!」
俺様がそう怒鳴るとクスクスと笑い声が返ってきた。
「誰だって、今も目の前にいるではありませんか」
「目の前だと? 目の前にあるのは俺様が盗み出したモナ・リザだけだ」
「でしたら、ちょっとその絵にご自分の耳を近づけてみてごらんなさい」
クスクスと笑いながら謎の声はそう言ってきた。俺様は訝しみながら、その声の主の言う通り自分の耳を絵に近づけてみる。
「わぁ!」
「うわぁ!」
絵から突然大きな声がして、俺様は思わず尻餅をついてしまった。
「耳元で突然大声を出すな! この大馬鹿者めが……んん?」
俺様は鏡を見ずとも自分の顔が真っ青になっていくのを感じた。今、俺様には現実であり得るはずのないことが起きている。
「お気づきになられましたか? そうです私、モナ・リザです」
「そ、そんな馬鹿な!」
「馬鹿なとおっしゃられましても、現にこうして今、会話が成立しているではありませんか」
「大体何の用だこの俺様に! まさか自分を盗んだことについて文句を言いに来たのか」
「別に文句はありませんよ。私は所詮ただの絵。見てくれる人さえいれば、それが観光客であろうが、どこぞの盗人であろうがかまいません。ただ……」
さきほどまであれほど饒舌だったモナ・リザが、急に口ごもった。
「な、なんだ! 勿体つけずに早く言え!」
「実は私、本当のモナ・リザではないのです」
何を言っているんだこの絵は。これは確かにあのルーヴル美術館から盗み出した。間違っているはずがない。
「デタラメを言うな。俺様は確かにこの絵を、美術館から盗み出してきたんだぞ」
「だから、その美術館に展示されていた絵が、そもそも贋作なんです。ずっと間違って展示されていたんですよ」
まさか。しかし、そんなはずはないとも言い切れなかった。つい最近も、日本のとある地方の美術館で飾られていた絵画が実は偽物で、展示を取りやめになったというニュースを聞いたことがあった。
まして俺様は美術館の学芸員のように絵の知識があるわけでもない。本当にこの絵が本物であると確かめる術も、見抜く審美眼も持ち合わせていない。
俺様は猛烈に不安になった。俺様が盗み出したのは、本当に本物の『モナ・リザ』なのだろうか? 実は全くの偽物なのではないか?
俺様が不安そうにしていると、また目の前の絵が話しかけてきた。
「知りたくありません? 本当のモナ・リザの在り処」
「何? お前、知っているのか」
「えぇ、もちろんですとも」
思わず唾をのんだ。俺様は世紀の大怪盗だ。欲しい宝は全てその手に収めてきた。もし本物のモナ・リザがどこかに存在するのなら、どんな手を使ったって手に入れてやりたいものだ。まして、まだ誰にもその存在を知られていないとすれば、それはまたとない大チャンスではないか。
「教えてくれ! 本当のモナ・リザとやらはどこにあるんだ!」
「ふふ、良いでしょう。今から場所を言いますから、あなたはメモを取ってください」
俺様はポケットからメモ帳とペンを取り出し、モナ・リザの在り処のメモを取った。そしてメモを取り終えると、俺様はすぐさま隠れ家を飛び出した。
「いってらっしゃい。どうか警察に見つからないで」
モナ・リザの声には返事もせず、俺様は警察の目を気にしながら息を潜めてフランスの街を駆けていった。
ニ十分ほどして俺様は一件の廃墟に辿り着いた。あの偽モナ・リザの話が本当ならここに本物のモナ・リザがあるはずなのだ。さっそく俺様はその廃墟に入ってみた。
「うへぇ、こりゃぁ酷いな」
俺様の隠れ家も相当に居心地が悪い場所だったが、ここはそれより更に酷い。壁や床には見た事もない蟲がうごめき、部屋全体からは何かが腐ったような悪臭が漂っている。おそらく、もう何百年もの間が人が立ち入っていないのだろう。
俺様は部屋全体を見回すと部屋の奥に赤い木箱があるのを見つけた。あれだ。あの木箱の中に本物のモナ・リザがあるに違いない。俺は木箱を開けた。
「おぉ!」
そこには確かに神秘的な微笑をたたえた、美しい女性の絵があった。
「まぁ、こうして人に見られるのはいつぶりかしら。あなたが私を見つけて下すったのね」
「あぁ! お前だな! お前が本当の『モナ・リザ』なんだな?」
俺様は興奮を抑えきれず食い気味で問いかけた。しかし、その返事は意外な物であった。
「へ? いえ……違いますけど」
「何?」
俺様は頭が真っ白になった。いったいどういうことだ。
「申し訳ありませんが、私はあなたの求めていると思われるダヴィンチの描いたソレではございません。私はダヴィンチの弟子の一人が描いた模写でございますわ」
そんなはずはない。確かにあの偽モナ・リザが本物はここにあると言っていたはず。一体どういうことだ。
俺様がパニックになっていると、後ろから物凄い怒鳴り声がした。
「見つけたぞ! パトリック・ルパン!」
振り返ると、一人の警察官が、何か板状の物を小脇に抱えて、銃口をこちらに向けて立っていた。その奥、廃墟の外には沢山のパトカーと警官隊が見える。どうやら完全に包囲されている。
「な、なぜだ! ここへ来る途中、誰にも見つからなかったはずだ! なぜここにいると分かった!」
「それは……この絵が教えてくれたのさ!」
警察官が脇に抱えていた板を、こちらに見せつけてきた。それは間違いなく、俺様がついさっき盗んできたはずの偽モナ・リザだった。
「まぁお姉さま! アレですわ! アレこそ本当のモナ・リザですわ!」
木箱の中のモナ・リザが甲高い声でそう言った。
「何だと! おい! どういうことだ! 答えろ!」
警察の掴んでいる方のモナ・リザは、ただクスクス笑うだけで何も答えない。代わりに警察官が答えた。
「俺がルパンを探していたら、女性の叫び声が聞こえたんだ。声のする方へ行ったら小さな小屋があった。中へ立ち入ると、そこに盗まれたはずのモナ・リザがあったんだ! しかも、信じられないことに、なんとそのモナ・リザが話しかけてきたんだ。私はルパンの居場所を知っているってな!」
「あらあらお姉さまったら、またそんなイタズラを。あなた、お姉さまに一杯食わされましたわね」
木箱の中の偽物もクスクス笑いだす。俺様はようやく全てを理解し、膝をついて泣きじゃくった。俺様の心にはただ、行き場のない怒りと後悔が渦巻いていた。
処女作です。読んでくれてありがとうね。