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大坂の陣で豊臣軍と戦う宮本武蔵  作者: カイザーソゼ
6話 木津川口の戦い
67/145

6-8

 二十三日、徳川秀忠率いる幕府本隊十万が江戸を出発した。


 二十六日、家康隊先鋒の藤堂、片桐隊が奈良経由で豊臣領内に侵入。平野(大阪と堺の中間に位置する商業都市。海外貿易で栄えた)の豪商、末吉一族の協力を得て堺を目指した。


 藤堂隊は進軍先の村々を放火、略奪した。家康は慌てて破壊行動を止めさせた。


 二十七日、秀忠隊は駿府に入った。

 秀忠は本隊の指揮を参謀長ポジションの本多正信に任せると、自身は側近数十人を連れてロケットスタートを開始。一日八十キロ走って京都を目指した。

 全軍が急行するケースはよくあるが、この時は指揮官だけが全力ダッシュしている。

 家康は「来るまで待つ」、「急ぐ必要はないからゆっくり来い」と手紙を送ったが、秀忠は無視して東海道を爆走した。


 開戦前、親子は「まず家康が上洛して豊臣家と交渉する。失敗したら秀忠が上洛して戦闘を始める」と確認し合っていた。

 開戦前の戦争を防ぐ交渉は失敗に終わったが、戦争を終わらせる交渉は始まったばかりだった。秀忠は交渉の先行きに不安を持っていた。


 二十九日、藤堂、片桐隊は堺を解放した。

 占領期間中、堺の商人は財産を奪われた。市民は気分転換に殴られた。堺は街を挙げて幕府に協力した。

 堺は幕府の補給基地となった。片桐は近隣諸国から大阪に食料、燃料が入らないように物流をコントロールした。


 家康隊主力は警戒態勢を取りながら徐々に北上した。

 京都方面にいた別動隊も南下を開始。大阪を南北から同時に圧迫した。各地で小競り合いが発生した。


 十一月五日、秀頼側近グループの一人、薄田兼相率いる部隊が平野を占拠。幕府に寝返った末吉一族を逮捕して大阪城に連行した。街には火を点けた。

 松平忠明(家康の孫)隊が燃える平野に急行したが、末吉一族は連れ去られた後だった。


 六日、薄田隊は平野北西に位置する大阪最大の寺、四天王寺の門前町に放火した。

 寺は延焼によって壊滅した。門前町も大きな被害を受けた。


 住吉一族は大阪城に連行された。見せしめとして処刑されかかったが、有楽斎の取り成しで全員釈放された。


 六日、秀忠は琵琶湖南岸の永原に入った。

 家康はまた使者を送って宥めた。秀忠はようやく止まった。

 秀忠は永原で後続の本隊を待った後、十二日に二条城大広間に入って家康と面会した。


 秀忠は全力で頭を下げた。家康は呆れた。


「お前さぁ……」


「関ヶ原に遅参した悪夢が頭をよぎり……」


「あれは俺の判断違いだ。お前の責任ではない」


 秀忠は頭を上げて、家康の目を見て謝罪した。


「大御所が勝手に和睦をまとめてしまうのではないかと心配でした。大御所の振る舞いを疑ってしまった。お許しください」


「お前は豊臣家を恐れている。あんな卑怯者の弱小集団に正義の幕府が負ける事などあってはならないと。だから勝負を焦って強硬手段に出る。

 俺は武田信玄公に対して同じ失敗を犯した。

 恐れは敵の姿を大きく、あるいは小さく見せる。息子よ。敵とは誰よりも誠実に向き合え。

 現実をありのままに見て、その時々の最善手を打つ。勝つにはこれしかないぞ」


 秀忠は再び頭を下げた。


 家康は豊臣家に対する恐れはない。ただ信頼はあった。話をまとめさえすれば、向こうは和睦条件を真摯に実行してくれるはずだ……

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