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幸村は物腰の柔らかい男だった。大野とは面識があった。関ヶ原の後は浅野家が治める和歌山に親子で飛ばされた。
浅野家と実家の真田家から現在価値で年一千万程度の援助をもらっていた。
ここから家臣と家族五十人の生活費を引き、更に父親の交際費を引く。父親は元大名として格式の高い高額商品を季節に応じて方々に贈っていた。この時点でもうマイナスで、幸村本人は多額の借金をして慎ましく暮らしていた。
大野は三億円の現金を送って勧誘した。幸村は喜んで豊臣家に付いた。
大野は幸村の両手を取って再開を喜んだ。
「よく来てくれた!ありがとう、ありがとう!これで勝ったぞー!」
幸村は微笑んだ。
大野は家臣に命じて酒を持って来させようとした。幸村は断った。
「酔う前に話しておきたい事があります」
大野は「聞きましょう」と幸村の対面に座った。
「来る前に城の周りを歩いてみました。南東の惣構えに隣接して新たな砦を築くべきです」
「労働者は城外の砦建設に回していて余裕がない。作るにしてもそれが終わってからになるが、いいか?」
「海と城を繋ぐ砦と見受けました。しかし援軍が来ない場合は意味がなくなります。貴重な時間と労働力は城本体の防御力を上げるために使うべきです。
敵は主力を南に置くでしょう。防御こそ最大の攻撃と言います。新たに築くこの砦は敵を迎え撃つ攻めの砦です」
大野はしばらく考えてから答えた。
「悪くはない。工事にかかろう」
「ありがとうございます。
個人的には出撃するべきだと思っています。京都を抑えれば日和見している大名も大阪に付きます。援軍を待つのではなく、こちらから集めに行くのはどうでしょうか」
「失敗したら全員死ぬバクチは打てない。俺は筆頭家老として安全、確実な手を打つ。
お前だから言うが、俺は牢人衆の事は全く信用していない。考えてみろって。知らない男が家に押しかけてきて『味方してやるから金くれ』。信じられるか?
俺が信頼しているのはお前と後藤だけだ。二人の事は心から頼りにしている。俺を支えて欲しい」
大野は幸村に牢人衆の最精鋭部隊を与え、大阪城の最も重要なポイントを守らせた。
豊臣家臣は幸村に嫉妬した。幸村は城内ではいつも低い腰を更に低くして、恨みを買わないように過ごした。
十二日までに有名な牢人衆はほぼ出そろった。
土佐十万石の元大名、長宗我部盛親。信濃一万九千石の元大名、真田幸村。豊前一万石の元大名、毛利勝永。
彼らは「三人衆」と呼ばれて別格扱いだった。
筑前福岡藩主の黒田長政の元重臣、後藤又兵衛。備前岡山城主の宇喜多秀家の元重臣、明石全登。
後藤は一万六千石(一万石説あり)、明石は三万石を領する大名クラスの家臣だった。やがて三人衆にこの二人も加えて「五人衆」と呼ばれるようになった。しかしあくまでも家臣なので、大名の三人に比べると序列は低かった。
信濃小諸藩主の仙石忠政の兄、仙石秀範。父は秀吉に仕えた仙石権兵衛。秀頼は秀範の入城を大変喜び、いきなり三万石を与えて大名にした。
猪熊事件で追放された大野兄弟の三弟、大野治胤も入城した。兄の治房以上の過激派で、治長はコントロールにてこずった。
城外で密かに養育されていた秀頼の隠し子二人も入城した。二人は生まれてすぐ城外に出されたため、この時初めて父親と面会した。
秀頼の妻、千姫は二人を自分の子のように養育した。
牢人の雇用はここから更に一か月近く続く。大野は補給限界を越えても人を集め続けた。
秀頼に味方する大名はいなかった。豊臣家の王政復古を望んでいるのは豊臣家だけだった。
大野は強い衝撃を受けた。「まさかそんな事はないだろう」と一度断られても二度、三度と勧誘の使者を送った。当然断られて更に衝撃を受けた。
十月十二日、大阪城から堺制圧部隊三百が、片桐且元が治める茨木城から堺救援部隊二百が同時に出撃した。




