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秀頼と大野兄弟は城内の茶室で密談した。
治長は片桐暗殺の許可を求めた。
「謀反人片桐は大阪城を徳川に売り飛ばそうとしています。この話を潰すにはもう殺すしかありません。
家中の支持はこちらにあります。これは成敗に賛成する者の血判です」
治房は血判書を畳に広げた。
側近グループや大野グループ、有楽斎グループの名前が書かれていた。
秀頼は悩んだ。勢いで「切腹しろ」とは言ったが、冷静になった今考えると政治的リスクが大きすぎた。
治長は説得した。
「殺しても江戸は攻めてきません。家康は逃げ腰です。適当に言い訳しておけば勝手に信じてくれますよ。これまでもそうだったでしょう?連中は何よりも戦争を恐れている」
「しかし戦争になったらどうする?」
「全国の豊臣恩顧の大名に決起を呼びかけます。彼らは豊臣の世の到来を待ち望みながら、謀反人家康に従う辛い毎日に耐えています。上様が声をかければ大軍を率いて大阪に駆け付けるでしょう。我々は書状を出して待っているだけで勝ちます」
秀頼は腕組みした。
治房は後押しした。
「上様は今、天下の名将になるか、天下の笑い者になるかの瀬戸際に立っておられる。我々兄弟に全てお任せください。家康に盗まれた日本を取り戻しましょう!」
秀頼は無言で頷いた。
兄弟は頭を下げて感謝した。
秀頼は覚悟を決めた。彼は信雄を呼び出して、片桐を粛清する事を告げた。そして豊臣軍の総大将就任を求めた。信雄は即答を避けた。
九月二十三日、秀頼は外様大名ナンバー2の島津忠恒に自筆の書状を送った。
―「家康が方広寺問題で怒っている。こちらは謝ったのに無理難題の三カ条を一方的に押し付けてきた。承諾しなければ関係修復は無理という。こちらとしては一カ条も呑めないが、とりあえず片桐を駿府に送る予定だ。
忠恒の事は心から頼りにしている。急ぎ上洛して我々と戦って欲しい」
かつて豊臣家が前田家に送った書状は「もしピンチになったら大阪に来てくれ」という内容だった。今回は「今ピンチだからすぐ来てくれ」である。
三カ条を断った理由としては「どうしても大阪城を保てなくなるから」としている。秀頼はともかく城から出たくなかった。
秀頼は忠恒に秘蔵の名刀も贈って参戦を促した。
大野兄弟も同日付で忠恒に参戦要請の書状を送った。
内容は多少違う。片桐に対しては「心変わりしたように見えるのですぐに成敗しようと思ったが、まず一旦駿府に送って、その後で殺す事にした」としている。
首脳部は開戦を決意した。
彼らの見通しは非常に甘かった。ウクライナ人は全員味方。侵攻すれば三日で落ちる、というような。




