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上洛した徳川軍は京都南方の伏見城を拠点としていた。
徳川家の京都支配の拠点の一つである。周辺には大名家の屋敷が建ち並んでいた。
家康の十才の息子が本丸御殿の畳の上で家臣と相撲を取っていた。
尾張名古屋藩主の徳川義直。文武両道で誇り高い性格だった。家康からも将来を期待されていた。
家臣は接待相撲で義直に押し出された。
義直は怒った。
「稽古と思って手を抜くな!そのような事で大御所をお守り出来るか!」
義直の叔父が急いで通りがかった。義直は声をかけた。
「日向守殿!一番お願いします!こいつらでは相手にならない!」
叔父は助走を付けてドロップキック。義直は後ろに吹っ飛んで大の字に倒れた。家臣は震え上がった。
叔父は家臣に助言して立ち去った。
「相撲を取る時は畳を裏返しにしてやれ。ばれると怒られるぞ」
三河刈谷藩主の水野勝成。家康のいとこに当たる。他人の目に躊躇なく親指を突っ込める性格だった。軍事面では非常に頼りになった。
勝成は茶室を訪れた。二人の男が集まっていた。
京都所司代の板倉勝重。優秀な行政官、そして裁判官だった。
家康と同年代で年は七十近い。信仰の自由を守る立場からキリスト教には寛容だった。京都にはキリスシタンの隠れ集落が幾つもあった。
豊後日出藩主の木下延俊。弟はあの小早川秀秋である。
高台院の甥で彼女に溺愛された。大阪城内の複数の知り合いから確度の高い情報を入手出来た。
木下は説明した。
「急にお呼び立てして申し訳ありません。どうしてもお知らせしたい事がありました。
大阪方は不測の事態に備えて密かに五百の兵を動かしました。三百は伏見城近辺に。二百は洛中に。前右府(さきのうふ。秀頼の事)の身に何かあれば二条城と伏見城を攻撃する予定です。
これは大野兄弟の独断です」
板倉は指示を伝えた。
「大御所からの指示をお伝えします。
『お前は洛中の部隊を監視しろ。怪しい奴は切ってもいい。しかし犯人はばれないように』」
勝成は板倉に確認した。
「その情報は間違いない?」
「京都所司代の方でも別人から同じ情報を得ています。間違いありません」
「了解した。大勢で動けば向こうに口実を与える。少数精鋭で極秘に動こう」
板倉は申し出た。
「私と右衛門大夫殿(木下延俊)の知人に今回の任務に適した男がいます。かの者を推薦します」
「使えるの?」
「万一の場合、武装した大野隊五百と一人で戦わなくてはなりません。日向守は勝てますか?」
「そりゃあ……勝つよ。俺だよ?」
「かの者なら弾丸よりも早く『勝つ』と答えています」