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京都の方広寺周辺では見物客目当ての飲食店や土産物屋の開店が相次いだ。八月の本番に向けて市民は浮足立っていた。
宗教界では論争が持ち上がった。
真言宗は自宗派が大仏供養式を仕切る事を根拠に「真言が供養式で上席に着く」とゴネ始めた。天台宗は反発した。両派は「自分達の方が上だ」と言い合った。
天台宗は天海に「もし真言より下に扱われたら出ない」、「何とかして欲しい」と泣きついた。真言宗の僧侶も駿府に陳情の使者を送った。
七月八日、家康以下政権閣僚と天海は駿府城大広間に集まった。
天海は出席者を遠回しに批判した。
「仁和寺が大仏供養式の責任者を務めるとすれば、仁和寺と妙法院の間で座論(どちらが上席に着くのか問題)が起きるでしょう。
太閤の時代は真言宗の前田玄以が法要の総責任者でしたので、真言宗に主座が与えられました。今回は天台宗の妙法院が総責任者。大仏供養式も自分達が仕切ると思っていたでしょう。ですが供養式の仕切りは仁和寺との事。聞いた時は驚きました」
天海の批判は遠回しなので意味が取りづらい。つまり
「何故朝廷案を丸飲みしたのか。真言宗にゴネる言い訳を与えてしまったではないか。
もう少し考えて決めて欲しかった。決める前に一言自分に言って欲しかった」
という事である。
正純は鼻で笑った。
「仮にも人を救う仕事をしている人間が席順で怒ったりすねたりするんですか。見た目だけ立派な詐欺師が唱えるお経に何の御利益があるんですかね?」
崇伝は陳謝した。
「一寸の虫にも五分の魂と申します。幾ら僧侶が詐欺師のクズでも、不本意な扱いを受ければ敵対心を抱きます。恨みの種を撒くのは良くない。
天海上人の仰る通りです。軽率な判断だったと反省しております」
「いいえ、責めている訳ではありません。推薦案を丸飲みせざるを得なかった事情も理解しています。
起きてしまった事は仕方ない。大切なのはここからです」
家康は指示を出した。
「何とか全員の顔が立つ方向に持って行きたい。
京都所司代には改めて調べてもらおう。まだ何か問題があるかもしれない。
将軍家にも連絡を」
本多正純は報告のために江戸城を訪れた。
正純と秀忠以下政権閣僚は江戸城大広間で対面した。
正純は説明した。
「天台、真言どちらの面子も立つように別日開催にしたいと大御所はお考えです。
大仏供養式は仁和寺の仕切りで真言宗が主座。
大仏殿供養式は別の日に行い、妙法院の仕切りで天台宗が主座。
仁和寺は大仏殿供養式には出ない(出ると席順問題が発生するので)。逆も同じ。
朝廷は八月三日に大仏供養式と言いましたが、大仏殿供養式の日程はまだ決めていません。別日開催の余地はあります」
妥協して味方を増やせば自分が少し強くなる。すると自分の好みを政策に少しだけ反映出来るようになる。この繰り返しが政治だ。
家康は妥協を繰り返して三河の弱小大名から天下の主に上り詰めた。トップに立ってからも政治スタイルは変わらなかった。
真言宗のゴネ得を許しつつ、天台宗の顔も立てる。家康は両者を満足させるために別日開催を提案した。
正純は説明を続けた。
「現在、駿府では鎌倉右大将(奈良の大仏を再建した源頼朝)の古例を研究中です。右大将が大仏供養式と大仏殿供養式を同日に行ったのか。それとも別日に行ったか。どうも別日開催だったようですが」
秀忠は「その研究は必要か?」と尋ねた。
「先例がある事がとても大事なんです。冠婚葬祭の世界では礼法やしきたりは法律より強い」
秀忠は官房長官ポジションの本多正信の意見を求めた。
「佐渡の判断を聞きたい」
「今、我々は『何とか法要を成功させよう』とそればかり考えています。もし中止にでもなれば大阪との関係が悪化する。京都の顔にも泥を塗ってしまう。だからどんな条件でも丸飲みして、ともかく波風を立たせないようにしている。相手を恐れているのですね。
こちらに戦う決心あって和するは和(睦)。その決心なくして和するは降(伏)。受け身で行動すれば相手の意のままに動かされてしまう、という事です。
中止も念頭に入れて堂々と動きましょう。嫌な事は嫌と言う。ここからは我慢はしません」




