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豊臣家は軍拡を続けた。
牢人を雇った。兵糧弾薬を購入した。銃器を買い漁った。
関西市民は「戦が始まる」と恐れた。
豊臣家は朝鮮出兵の際に分捕った青銅砲を数十門持っていた。砲兵部隊は郊外の野原で十数年ぶりの実射訓練を行った。
大砲は十五世紀のフランス製。百年前の大砲がポルトガル経由で大量にアジアに流れ込んでいた。
ボブスレーのソリのような形の大砲である。砲兵は選手が乗り込む後方上部の穴に砲弾と火薬が一体になったカートリッジを詰め込む。穴の上からフタを嵌める。
装てんは簡単だが、爆発の力をフタが完全密閉してくれないので外に逃げてしまう。威力と射程は低かった。
二百メートル北に的のカカシがあった。
点火役の砲手はたいまつで導火線に火を点けた。
砲弾が発射された。爆音で空気が震えた。
砲弾は二百メートル北東に飛んで地面に落下した。土埃が上がった。
砲兵の一人が確認のため落下地点に走った。
地面に深さ二、三メートルほどの穴が開いていた。穴の底でまだ熱を持った砲弾が湯気を出していた。
大砲の有効射程は二百メートル。これ以上飛ばす事も出来るが(最大千メートル飛ぶ)、二百メートルを越えるとどこに飛ぶかもう分からなくなる。
大口径銃の訓練も行われた。
火縄銃には口径十ミリの小筒、口径十五ミリの中筒、口径二十ミリの大筒がある。口径が大きいほど強いが、値段も高い。火薬も多く使う。
臨時雇いの武家奉公人は安い小筒を持たされた。常勤雇用の足軽は中筒を、武士階級は高価な大筒を用いた。大筒はまたの名を侍筒という。
訓練兵は侍筒を構えた。百メートル東に的のカカシがあった。
小筒の有効射程が五十メートル。侍筒は三倍の百五十メートル。体に当たればゴルフボールぐらいの穴が開いた。
訓練兵は発砲した。玉は外れてどこかに飛んでいった。
大口径弾は真っ直ぐ飛ばずに右肩下がりで落ちていく。
癖のある弾道を当てるには射撃訓練を常時続ける必要があった。時間と財力のある武士専用の銃なので侍筒と呼ばれた。
豊臣家は日が暮れるまで射撃訓練に明け暮れた。
農民に扮したスパイが林の中から偵察していた。
幕府も軍拡で対抗した。
イギリス、オランダから最新鋭のカルバリン砲や、それを小型化したセーカー砲を輸入した。カルバリン砲は有効射程五百メートルの強力な大砲である。前込め式で装てんは面倒だが、爆発の力を砲身が完全密閉してくれるので威力と射程が高かった。
火力戦は事前にどれだけ弾薬を集積出来たかで決まる。弾薬も大量に注文した。
また幕府は国内の鉄砲工場に命じて国産大砲や大口径銃を量産させた。国産砲はカルバリン砲よりも値が張るが、有効射程六百メートルを越える優秀砲だった。




