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大坂の陣で豊臣軍と戦う宮本武蔵  作者: カイザーソゼ
3話 大久保長安事件
32/145

3-11

 敵は全滅した。味方は死体を寺に運んだ。

 水野達は境内に大きな穴を掘った。

 裸にしないと埋められない。武蔵と柳生達は死体の鎧を脱がせた。半数以上の兵士が打たれて死んでいた。


 柳生は言った。


「どんな達人でも打たれたら死にます。鉄砲足軽を雇う金を用意出来る人が一番強い。鍬しか持った事がない秀吉が天下人になれたのは、金稼ぎの才能が誰よりも優れていたからです」


「天下を取るのは日本一上手い男でしたが、天下を維持するのは日本一下手でした」


「秀吉の天下は死後二年。信長の天下は死後一年持ちました。その称号は信長にこそふさわしい。

 今大御所の身に何かあっても徳川の天下は百年、二百年と続くでしょう。真に恐ろしきは将軍家ですよ。

 私はその蓋世之才から密偵や監査の技術を評価されて雇用されました。刀ではありません。

 京都であなたの絵を拝見させていただきました。あなたには芸術家としての非凡な才能がある」


「ハハハ。絵師になれっていうんですか?」


「今の世で最も優れた絵師を二人挙げろと言われたら、私はあなたと竹千代君(徳川家光)を挙げます。

 私はあなたと違って刀の存在に疑問を感じています。兵器としてはですよ?

 しかし需要はまだ消えない、とも思っています。平和な世では個人の身を守る警棒として使われるでしょう」


「十手のように使われて刀が可哀想です。

 俺はいずれ徳川と豊臣の間で大きな戦が起こると思っています。そこで『刀こそ最強の兵器だ』と日本中に思わせる事が出来たら最高ですね」


 上杉謙信が戦国時代の戦のスタンダートを作った。


 それまでの兵士は自分の好きな武器を持って戦場にやってきた。ごちゃ混ぜの部隊が一丸になって敵陣に突っ込んだ。

 謙信は部隊を兵種ごとに分けた。

 鉄砲だけの鉄砲隊。槍だけの槍隊。弓だけの弓隊。馬だけの騎馬隊。

 最初に弓と鉄砲の連射で敵前衛を弱らせる。次に槍と騎馬の攻撃で弱った前衛の陣形に穴を開ける。最後は謙信本人が精鋭近衛部隊を率いて後衛の敵本陣に突撃する。


 ワーワーサッカーしかなかった時代に謙信は突然トータルフットボールを始めた。上杉システムはやがて全国に広まっていった。


 初期の上杉システムでは、鉄砲隊は一人三発しか弾薬を持っていなかった。

 長篠戦の後、武田勝頼は一人三百発の弾薬を用意するように家臣に命じた。

 武田軍は全体の十%が鉄砲隊だった。比率的には織田軍と遜色ない。長篠の織田軍は全軍三万で三千丁の鉄砲を持っていた。

 一万の武田軍が出陣したとして、鉄砲隊は千人。必要な弾薬は三十万発にもなる。


 当時、火薬を作る硝石、弾丸を作る鉛は東南アジアからの輸入品だった。

 何故弾丸に鉛を使ったのか。

 金属は比重が重いほど射程が伸びる。ピンポン玉よりゴルフボールの方がよく飛ぶようなものだ。

 また融点が低いほど加工しやすい。一会戦に三十万発用意するとなると、作りやすさが何よりも重要になる。鉄の融点が千五百度。銅が千度で、鉛は三百度だった。

 鉛は比重が重く、融点が低い。銅、鉄は比重が軽く、融点が高い。

 鉛ならパチンコ玉のような完全の球体も簡単に作れる。他の金属だと上手く作れず、うぐいすボールのような歪んだ球体になりがちだ。真っ直ぐ飛ばないので命中率も落ちる。

 作りやすく、射程が長く、命中率も高い。もう鉛しかない。


 海外貿易を抑えた信長は武田領に対して硝石、鉛の禁輸を実施した。

 武田軍は弾薬の補給に苦しんだ。馬糞やヨモギで作った火薬で銅銭や鉄釘から作った歪んだ弾丸を打つようになった。

 長篠の戦いにおいて、織田、徳川連合軍は九時間絶え間なく銃弾を浴びせ続けた(三時間説もあり)。おそらく武田軍は戦闘の早い段階で玉切れを起こしたと考えられる。


 弾薬を沢山集める。それを確実に当てる。鉄砲の戦いではこれが重要だ。

 島津家は弾薬の事前集積量を重視した。家康は出来る限り引き付けてから打つ事を徹底させた。この二つは現代でも妥当とされる。


 弾薬の事前集積量が増えて、射撃法も洗練されると、最初の鉄砲の打ち合いで勝負が決まるようになった。

 使わない器官は退化する。戦国時代を通じて刀は短く小さくなっていった。

 騎馬隊も戦術の中心から後退した。騎兵は歩兵より大きいので鉄砲が当たりやすい。騎兵は敵の前では馬から降りた。敵に威圧感を与える大きな馬より、小さくて乗り降りしやすい馬が好まれるようになった。


 しかし朝鮮出兵で刀が再び脚光を集めるようになった。剣術がない朝鮮軍は接近されると必敗だった。

 騎馬隊も復活した。中国軍の戦術レポートによると、日本軍は前衛に銃隊、後衛に槍隊を置き、その両サイドに騎馬隊を配置する陣形を使っていたという。

 中央の銃隊が銃撃を仕掛けて、怯んだ所で槍隊が突撃する。騎馬隊は時に応じて中国軍の側面や後方に回り込む。これも敵の火力が低いから出来る事だった。


 日本の戦場で刀がどこまでやれるか。大名の間でも意見が分かれた。

 刀支持派は「突っ込めば朝鮮の時のように何とかなる」と主張した。刀否定派は「突っ込む前に打たれる。通用したのは相手が低火力だったから」と主張した。

 関ヶ原は一日で終わったので答え合わせが出来なかった。


 剣の専門家の間でも答えが出ない問題だった。

 武蔵は接近すれば朝鮮の戦いを再現出来ると信じていた。柳生は日本の高火力軍隊相手では難しいと考えていた。

 答え合わせは実戦で行われる。

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