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宇喜多左門は追い詰められて暴発した。大久保家には左門以上のストレスがかかっていた。
十二月六日、家康一行は江戸城を出て駿府に向かった。途中、平塚にある別荘に立ち寄った。
一行を追いかけて秀忠の使者がやってきた。
板倉重宗。京都所司代の板倉勝重の長男である。秀忠の近衛部隊長を務めていた。
家康は別荘の座敷で重宗と面会した。
重宗は髪や着物が乱れていた。息も上がっていた。
重宗は家康に報告した。
「小田原城に謀反の気配あり!大御所におかれましては直ちに江戸にご帰城いただけますよう、重ねてお願い申し上げます!」
家康は取り合わなかった。
「帰らない。俺が信じてやらなければ誰があいつを信じてやるんだ?」
「このままでは危険です!直ちにお戻りください!」
「将軍家がよく言っているだろう。証拠を出せ。俺を納得させる根拠を持ってこい」
家康は忠隣がいる小田原に向かわず平塚に留まった。忠隣の事は信じていたが、それ以上に息子の事を信じていた。
一週間後の十二月十三日、今度は政権閣僚の土井利勝が証人を連れてやってきた。
家康は座敷に二人を迎えた。
証人は馬場八左衛門。八十才。元武田家臣で、五十年前の川中島の戦いにも参加した事があるという。
家康の息子に家老として仕えたが、家中統制に失敗して解雇された。その後大久保長安に仕えた。不正蓄財事件には関与しなかったが、関係者として現在は小田原で監視生活を送っていた。
土井は説明した。
「家臣の一部は、岡本事件で立場を危うくした本多上野介殿が、大久保一族を蹴落とすために大御所をそそのかして一連の事件を起こさせたと信じ切っています。彼らは家を守るために上野介殿を殺す決心をしました」
座敷には狙われた本多正純もいた。彼は「馬鹿すぎる」と呟いた。
土井は説明を続けた。
「大久保石見の旧臣を主力にした暗殺部隊三十名。大磯で待ち構えています。駕籠訴(行列の前に立ちふさがって直訴する事)で足止めした所を槍と鉄砲で切り込む計画です。
詳しくは暗殺部隊に誘われたこちらの馬場殿からお聞きください」
土井は笠連判状と鉄砲を差し出した。
「こちらは参加者の血判。それと馬場殿に供与された鉄砲と玉薬。
玉薬の調合比率は各大名家の秘伝です。
一般に市場に流通している玉薬の比率は硝石七、硫黄一、木炭二。
大久保家では硝石六、硫黄三、木炭一。燃焼速度を抑えて威力を下げる代わりに銃身の寿命を高めてあります」
家康は傘連判状に目を通した。秋山、跡部、駒井といった武田系の家臣の名前が書かれていた。馬場の名前もあった。
家康は火薬入れの蓋を取って中の匂いを嗅いだ。一般の火薬に比べると大分硫黄の匂いが強かった。
家康は立ち上がって命じた。
「江戸に戻る」
土井は感謝した。
「ありがとうございます。既に精鋭を大磯に送り込んでおります。安心してお帰りください」
大磯の浜辺に武装した三十人が集まっていた。
鉄砲隊十人を率いる水野勝成。
盾隊十人を率いる柳生宗矩、宮本武蔵。
槍隊十人を率いる坂崎直盛。
柳生はメンバーに指示した。
「一人残らず殺してください。謀反なんてなかった。私達も何も見なかった。
大久保相模守には徳川無二の忠臣として死んでもらいます」




