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一六一三年四月、大久保長安は駿府の屋敷で亡くなった。
屋敷の門が開いた。
陽気な音楽と共にメキシコの祭り、「死者の日」で使うカラフルな髑髏の山車が出てきた。ポンチョにソンブレロ帽子の引手や楽団が山車に付き従った。
駿府奉行所の捕縛部隊数十人が屋敷の前で待ち構えていた。
捕縛部隊は屋敷を強制捜査した。山車は庭に戻された。引手や楽団は屋敷の大広間に集められて監視を受けた。
長安は南米の麻薬王のような暮らしをしていた。
屋敷にはヨーロッパやメキシコの品だけでなく、琉球のシーサーや中東のペルシャじゅうたんもあった。
愛人は数十人。一人一人にラブホテルのような豪華な部屋が与えられていた。
長安は元武田家の人間だった。蔵には武田家伝来の鎧や旗が収められていた。朝鮮王朝との往復書簡もあった。
捕縛部隊は山車から金色の棺を下ろした。部隊の一人が棺の蓋を開けた。
遺体と一緒に複数の裏帳簿が収められていた。
長安には六人の息子がいた。強制捜査から数週間後、家康は駿府城大広間に彼らを呼び出した。
息子達は家康以下政権閣僚にひれ伏した。
正純は長安を断罪した。
「大久保石見は慶長五年から十八年までの十三年間、全国の金山、幕領から上がる収入を過少申告して差額を不正蓄財していた。
この疑いを裏付ける証言、証拠は大量にある。言い逃れは出来ない」
小姓は長男に歩み寄って資料を差し出した。長男は目を通した。
長安の下で働いていた代官の証言や裏帳簿の数字がまとめられていた。
―「裏金は七十万両は下らないと思う。全て不正な手段で蓄えた金だ」
―「領民を酷使して自分好みの豪華な屋敷を全国各地に作らせた」
―「愛人八十人と大麻の酒を飲み、牛肉を食った」
正純は捜査協力を要請した。
「しかし事件の全容はまだ解明されていない。代官は『肝心な事は長安と息子達が決めていた』と証言している。持っている裏帳簿を提出して知っている事を全て話せ」
長男が代表して答えた。
「私どもは何も知りません。米一粒、砂金一粒も残さず御公儀に収めてきました。これは何かの陰謀ではないですか?石見や大久保相模(忠隣)を貶めようとする意思を感じます」
「では捜査に協力して身の潔白を晴らせ。石見の誤魔化し方はお前達が一番よく知っているはずだ。各地の代官所を監査して結果を報告しろ」
「凡人の我々に出来る事ではありません。もっと数字に強い、監査に詳しい人間にそのお役目は任せたい」
家康は息子達に言い渡した。
「分かった。捜査はこちらの手で行う。
お前達の役目は解いて小田原に拘留する。下がってよし」
息子達は退室した。
家康は正純に指示した。
「共犯関係を明らかにしろ。関わった人間は全て処分する」
「了解しました。相模守が関わっていた場合はどうします?」
「また甘いと怒られちゃうな……」
一六一三年七月、長安の息子達と代官は処刑された。
連座して多数の大名が改易された。長安が支援していた武田信玄の孫は八丈島に追放された。処分はこの年の暮れまで断続的に続いた。
忠隣は長安からもらった裏金で複数の大名を豪華接待していた疑いがあった。しかし今回も彼だけは処分を免れた。
山口改易以降、忠隣は感情の上下が激しくなった。長安事件の後は無断欠勤の日も増えた。
秀忠は柳生宗矩に命じて忠隣を監視させた。




