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大坂の陣で豊臣軍と戦う宮本武蔵  作者: カイザーソゼ
3話 大久保長安事件
24/145

3-3

 関ヶ原で大量の兵士が職を失った。働き口は幾らでもあった。優秀な兵士は新領主に雇用された。

 幕府は新田開発や公共工事を盛んに行って失業者の吸収を図った。仕官先がなかった兵士は帰農した。

 再仕官出来ない、といって農民になりたくない兵士が牢人となった。


 豊臣家首脳部は牢人を雇い、武器弾薬を購入した。

 雇われた牢人部隊が大阪城に入城した。購入した米俵や弾薬箱が大八車で城内に運び込まれた。


 城内の訓練場で射撃訓練が行われた。


 弓足軽、鉄砲足軽、弓足軽、鉄砲足軽……という感じで十人が横一列に立った。互いの距離は二メートル離した。

 発砲する際、大量の火の粉が周囲一メートルに飛び散る。鉄砲足軽は大量の火薬を持っている。引火すればただで済まない。なので二メートルは離す。


 足軽は腹に豊臣家の家紋がペイントされたお揃いの鎧、「御貸具足」を着ていた。鉄砲と弓も城主からのレンタル品だった。

 的は古い御貸具足五両。距離は二十メートルだった。


 弓足軽は矢を打った。五人中二人が当てたが、カンと音がして弾かれた。

 次に鉄砲足軽が鉄砲を打った。五人中四人が外した。一人が打った玉は胴を打ち抜いた。


 鉄砲足軽は急いで装てんを始めた。

 その間に弓足軽は矢を構えて打った。五人中二人が当てたが、金属の鎧に弾かれた。

 鉄砲足軽は装てんが済み次第慌てて打った。全弾外した。


 矢は十メートル離れると鉄の鎧を打ち抜けない。鉄砲は五十メートル先からでも打ち抜ける。

 弓と鉄砲が混在する戦場では鎧も意味がある。幕末は誰も鎧を着なくなった。


 別の訓練場では槍の訓練が行われた。


 戦国時代のドラマや小説では「槍は突くのではなく、上から叩く」という描写が必ず出てくるが、実際にはこれは槍部隊同士が最初に激突する時の脅かしのテクニックの一つとして使われていたようだ。

 乱戦でお互いの動きを合わせて大きく振り上げる余裕はない。その間に懐に飛び込まれて刺されてしまう。


 槍足軽十人が横一列に並んで武器を構えた。笠を被ったかかし十本が的として用意された。

 十人はかかしの顔に向かって槍を刺した。


 補給部隊は砕いた硝石を水で煮詰めて、硫黄と灰を混ぜて臼杵で衝いた。

 別の補給部隊は玄米を蒸した後、水で洗って天日に干した。

 また別の補給部隊は大量の魚を捌いて臼ですり潰し、庭に掘った長方形の穴に炭火を入れて、串に刺したちくわを大量に焼いた。


 半日も鉄砲の射撃訓練を続けると、五発に四発は当たるようになった。才能がある射手なら豊臣家の家紋の真ん中も狙って打ち抜けるようになった。

 ただしこれは敵からの打ち返しのない状態での命中率である。実戦になると落ち着いて狙えなくなるので、命中率は十発に一発以下まで落ちる。


 実戦では多重装てんのようなミスも起こる。

 敵の激しい攻撃にパニックになり、自分の銃が不発になっているのにも気付かずに次々と装てん、発砲を繰り返す。おかしいな、と見てみたら筒に玉が五発詰まっていた、という事もある。

 火薬不足のミスも起こる。

「早く反撃しないと」と焦る余り、十分に火薬を詰めない内に打つ。玉は五メートルも飛ばずに落ちる。

 敵からの攻撃は兵士を激しく動揺させる。鉄砲の時代になっても弓隊が廃れないのは、絶え間ない射撃で精神をすり減らす効果があったからだ。


 戦場の兵士が感じている恐怖や不安は、実戦経験のない人間には理解しづらい。

 三方ヶ原で逃げる際、家康が恐怖で便失禁したというエピソードがある。

 便失禁は珍しい現象ではない。現場の兵士は当たり前のように漏らしながら戦っている。プロの兵士は戦争映画を見て「綺麗すぎる」と違和感を抱くという。しかしそこは商業作品で描写出来ないだろう。


 ただしこの三方ヶ原失禁説自体は現在では否定されている。

 失禁説の初出は徳川家綱の時代の詐欺師、沢田源内が作った「三河後風土記」という小説である。沢田は数々の文書偽造や経歴詐称に手を染めており、非常に悪名高い。この本では三方ヶ原の戦いではなく、その前哨戦の一言坂の戦いで起こった事になっている。


 一言坂から八十年後に沢田が書いた民明書房にはこうある。


 本多忠勝率いる先行偵察隊は一言坂で武田の大軍と遭遇した。忠勝は直ちに退却を決意。自らしんがりに立って撤退を成功させた。

 家康は無事本隊に帰還した忠勝を「我が家の良将」と褒めた。家康はこの場で決戦に及ぶつもりでいたが、忠勝は全軍撤退を進言した。家康は忠勝の意見を受け入れて浜松城に撤退した。


 偵察隊にいた大久保忠佐(大久保忠隣の叔父)は忠勝だけ褒められた事に嫉妬した。忠勝の判断で城に撤退した事も不満だった。忠佐は家康は戦わずに逃げ帰った卑怯者だと罵った。

 そして家康が城に帰って馬から降りようとした時、忠佐は口取り(馬に紐を付けて引っ張って歩く人)に向かって

「その馬の鞍をよく見てみろ。クソがあるはずだぞ。クソをお垂れ遊ばすほど怖かったんですねえ!

(原文・其御馬の鞍壺を能く見よ。糞が在るべきぞ。糞を垂て遊玉いたる程に)」

 と大声で言った。


 モンスタークレーマー忠佐が「そいつは弱虫だからクソを漏らしたはずだぞ」と悪口を言ったという話である。

 江戸時代の学者の成島司直は甲陽軍鑑を根拠に、「そもそも家康は一言坂に出撃していないから逃げるも何もない」と批判している。


 明治時代に提唱された甲陽軍鑑偽書説は平成に入って覆された。

 三方ヶ原の戦いに参加した武田家の重臣の証言と、三方ヶ原から八十年後の詐欺犯罪常習者の証言。どちらか選べと言われたら前者だろう。

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